第28話 龍神の想い出 5 願い
笑い声に誘われるようにちょうこの傍に近づいた。湯の出る泉から抜け、真っ直ぐにちょうこに向かう。
ちょうこは、湯から出た私の姿を見て、赤い顔になったかと思うと俯いてしまった。何がいけなかったのだろうか…?
「直ぐに身体を覆うものを持ってまいります。少々お持ちください…。」
ちょうこは、走って家に戻ってしまった。
赤い顔のまま、私の身体を布で覆うとちょうこが身に付けているような形のものを身体に巻き付け、安堵した顔に戻って私の手を引いて家に招いた。
そこは、暗くて狭い場所であった。
人間が身体に布を巻き付けることは知っていたが、今まで自分の身にしたことのない行為であったため、窮屈で仕方なかった。それでも、傍らで笑うちょうこの顔をゆっくり眺めることが出来る喜びとは代えがたく、されるがままで過ごすことにした。
◇◇◇
ちょうことの生活は、毎日が驚きの連続であった。
人間が生きるための行動は、空から見ているだけでは到底理解出来ない仕草ばかりだったからだ。
生活のために畑や田を耕す。それも翌日に食することもできないものばかりを作っている…。食べ物が悪ければ腹を下し、治らなければ死んでいく。
雨が多い、少ないといった些末なことで植物は腐り、食べ物が無ければ餓死してしまう。布や紐ですらも、1本の糸から作るしかなく、それを集めることも難しい…。
それは、動物は子孫を残すことを生業としているだけのものと考えていた私の知識の根底を覆すほどの衝撃であった。
人間は、生きることが命がけなのだ。
そうした中で私の鱗がほんの気まぐれにちょうこの口に入り、ちょうこの命がこの世界に留まることになったということは、素晴らしい偶然とも言える事象であったと考えられるだろう。
ちょうこが神に感謝する意味をやっと理解できたのだった。
◇◇◇
17歳のちょうこは、花が綻ぶように美しい姿になっていった。
私は、人間の男よりも遥かに背が高い。恐らく70尺(210㎝)は悠にあるだろう。ちょうこは60尺(180㎝)に満たない程度であったが、他の人間のどの女よりも背が高かった。その肌は白く、瞳は大きく、しっとりとした長い黒髪…。ちょうこは気品と優美ある佇まいを見せていた。
人型で出会ってからずっと閨を共にし、私の肩に頭を置いて眠る姿を見ることは、私の楽しみであり、心が安らぐ時間となっていた。
私の鱗がなせる業なのか、一対の身が分かれて出会ったならばこのように感じるのであろうかと思うほどに、私にぴったりと合っている気がしていた。
「赤子のときに飲み込んでしまわなくて良かった…。」
あの頃に考えていた己の乱暴な行動を想像しては、今となっては笑い話だと思う自分がいた。
ちょうこは神事があれば舞を踊り、常には畑仕事をしながら私の世話を焼いていた。忙しく動きながら、良く笑い良く話しをした。些細な事…、虫が飛んでいる、花が咲いた、雨が降っている、雲が綺麗だ…などを楽しそうに話すちょうこを愛しいと思う。愛でる…ということはこういうことなのかと思い至ったほどだ。
巫女は時折、私達の生活を見に来ていた。食事や衣服など不足がないかを心配しているようであった。そして、時に雨が多い、日照りが続いているといったことを相談し、ほんの少し私の力を求めても来ていた。
少しくらいの融通をすることで、ちょうことの暮らしが守られるならばと考え、私は巫女のいいように気候を変えた。
このことがどんな弊害を生むかも考えずに…。
◇◇◇
ある日、ちょうこが私に少し難しいお願いをした。
「貴方様のお子を授かりたい…。」
人間と私の間に子どもを作ることが、良いはずがない。
ちょうこの中に私の鱗が入ってしまったばっかりに、その行く末が心配だからこそ、ここにいるのであるが、子どもが出来てしまえばその先の心配をしていかなくてはならない。
人間ひとりに関わっているだけでも、本来ならば禁忌であるのに…。
出来ない相談だと思った。
思いあぐねる私に巫女は言った。
「人には輪廻転生というものがございます。
そう、人は死んでもその魂は再びこの世に舞い戻る…。巡り巡ってきっとあなた様の元に戻るのです。
でも、それは子孫の中でしか、出来ないこと…。」
「季節は巡るが、動物は死せばそのままであろう?」
「いいえ、人は違うのです。ちょうこの子孫はきっとまた貴方様の元にもどりましょう…。」
◇◇◇
巫女は考えた。
この村の繁栄は、この龍神様のちょうこへの寵愛からによるもの。
ちょうこが亡くなれば、恐らく龍神様はこの村に興味を無くし、気にも留めなくなるだろう。
落としだねを…。龍神様の気を引くものを今のうちに作って置かねばならない…。
いや、それだけではないが…。
村のことだけでなく、本気でちょうこのことが心配となっていた。
このところちょうこの顔色が悪くなっていることを知っていたからだ。龍神様は、恐らく人の身体に御詳しい訳ではない。あの具合の悪さは、きっと赤子のときに死んでしまうはずであった人としての寿命を何かの力で引き延ばしているための無理のために違いない。
きっと、ちょうこは20歳まで生きられまい…。
私は、ちょうこが可愛い…。当初は村が最優先であった気持ちが、その気持ちが揺らいでいた。無邪気なちょうこの世話をするうちに情が湧いてしまったのだ。道具などという邪が想いは薄れ、今となっては、自分の娘のような気持ちになることがある。村の為と言いながら、ちょうこの子どもを見て見たいという本音もある。
きっと両親に似て、可愛い子どもが出来るだろう。
ちょうこの子どもには、舞を教えてあげたい。
ふと自分がちょうこの母親になったような気分となり、孫を心待ちにするかのような願いに苦笑してしまっていた。
◇◇◇
ちょうこは何度も何度も私に願った。
「お子が欲しい…。」と…。
巫女が『ちょうこは20歳まで生きられない』と心の中で呟いた言葉を聞き取っていた。そして、巫女がちょうこに対して感じる感情の変化も、少し理解できた。ちょうこと過ごす時間は、喜びと慈愛に満ちた大切なものであり、失くしたくない宝物であった。いつまでも、このままであり続けたいと願う気持ちが日に日に強くなっていく。
しかし、人である以上、ちょうこにも寿命がある。このままでは居られない…。
しぶしぶであるが、ちょうこの願いを聞き入れることにした。
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