第27話 龍神の想い出 4 出会い

あの子の傍らに巫女が付き添う様になってからは、いじめもなくなったようだった。巫女の野心は、本人は隠しているようであったが、私には手に取る様に見えていた。しかし、あの子が無事に育っていくのならば、看過できるくらいの関りであったはずだった…。


その巫女は、あの子を実の両親から引き取り、神楽のすぐ近くに新しく竪穴式住居を作ると、世話をする婆さんも付け、そこで暮らしが立つようにしたようだった。大切に扱っていると感じた。さらに、食事や衣服も上等なものを与え、舞を教えているようであった。教えは時に厳しいこともあったようであったが、毎晩のあの子の呟きからは辛いという言葉はなく、むしろ誇らしげな様子が窺えた。


人間の命などたかが数十年程度のこと、あまり気にすることでもないだろう…。森の中で過ごす私には、その他の動物や植物たちから立ち上る想いを聞くのとそう違いはない…と考える傍ら、あの子が毎晩私に向かって呟く声が毎日のささやかな楽しみになってきていた。


◇◇◇


あの子は、12歳になっていた。

舞を覚え、今年の祭りでは神楽で初めて人に見せるということで、何か月も前から興奮した声で知らせて来ていた。

「初めての舞ですが、神様にお見せしたい…。

どうかご覧になってください。」

可愛いお願いではあるが、私が舞を見に行けば、大きな騒ぎになって祭りどころではなくなるだろう…。一度私が姿を見せたせいで、『龍神の申し子』などという名で呼ばれていた当時を思い起こす。それに、またいじめにあってしまうのではないかという懸念もある。

一方で、大きくなった姿を確かめてみたい気持ちもあった。声を毎日聞いているせいか、妙な愛着があるのも本当の処だったのだ。

陽炎となって見に行けばよい。自分に言い聞かせるように呟き、私は祭りを見に行くことにした。


◇◇◇


神楽は筑波山から近く、緑の木々が生い茂り、花も良く咲く広い土地の中にあった。村人たちが大勢集まり、日が落ちた薄暗い夜であったが、篝火を立てた広場には熱気が籠っていた。太鼓と笛とで何かの調べを始めた時、あの子が神楽の中心にスッと出てきた。舞が始まったのだ。


白い布地を身体に巻き付け、麻の紐で結び、長い髪は同じ麻の紐で一つにまとめられているだけの装束であった。背は前に見た時よりも伸びているようだ。四肢は長く華奢で、触れれば折れてしまいそうに細かった。指先まで力がこもっているようで、優雅な動きで笛に導かれるように舞い踊る。

どこを見つめているのか、少し上に目線を向け、一心に踊る姿はとても美しかった。


「ほう…。これは美しい。これで12歳とは…。」

「はぁ…。見事じゃ。」

「もう身体は大人じゃな…。」


集まっている男衆が口々に言っている言葉は、厭らしさを含み、体中の鱗がけば立つような気がした。


私のものをそんな目で見るな…。

いつの間にか、自分のものとして考えている己を恥じる気持ちと誰にも獲られたくないという独占欲…。

馬鹿なことを…。あの子は何時か他の人間のものになるというのに…。

同じ種族と番になることが、一番の幸せだろうに…。


己の中に生じた気持ちを押しとどめ、いや、言い聞かせてその場を立ち去ろうとした。


その時だ。

直ぐ近くにあの巫女がいた。

陽炎となっている私が見えるはずもないのに、巫女は呟いた。


「人の命は脆く儚い…。まして、これ程までに美しい娘ならば、いつ襲われるか…。誰かがちょうこを守らねば…。そう、ちょうこを作り出した神ならば、誰も文句は言わないだろう…。」


気持ちが揺らいだ。

ちょうこという固有名詞で呼ばれるあの子が、一人の娘として私の中に形として成し、掛け替えのない生き物として存在していることに、思い立つ己がいた。

私のものとして、良いのか…?

全ての生き物をただ見るだけの存在として成り立っていた己の位置を揺るがしてはならないという分別と、一つの命を自分だけのものとして見ることへの愉悦と罪悪感…。


「どうせ、人の命は限りあるもの…。ほんの数年、目にかけることくらい何の問題もない…。」

私の心の中にある言葉を巫女が話す。

それは、言霊となって形となっていく。


「ちょうこの傍に御越し下さいませ。そして、あの子に寵愛を与えてやって下さいませ…。」


巫女の言霊に絡めとられるように、陽炎の私は頷いたのだった。


◇◇◇


どうやって私自身をちょうこの近くに置けばよいか、思案しているところに、面白いお願いが届いた。

小さな禊が出来る泉が欲しいとちょうこが赤い玉に向かって願ったのだ。

容易いことだ。少し温かい湯の出る泉であれば、冬の禊も辛くはないだろう…。


恐らく誰も起きていないだろう時間に、神楽の近くのちょうこの住む家の脇に私は降り立った。少し念じるとゆっくりと地面が凹んでいき、徐々に湯水が沸き上がる様子が見て取れた。ここは、筑波山の近くだから、熱源もあり造作もないことだった。


朝日が昇って来た。

山は少しずつ明るい日の光で覆われ、緑色が黒色に見えている。橙色の空は、流れる雲を桃色に変え、柔らかい色に染まっている。

いたずら心が湧いて、人型に形を変えて己を泉の中に入れてみた。人間の気持ちに近づいてみたくなったのだ。

半身が湯に浸かるくらいの深さの泉であり、肌が少し赤くなるくらいの温度のようで、これならば火傷もしないだろう…と考える。人間の肌は脆いからな…。

この間見たちょうこの舞をふと思い出す。人間の四肢は、何故あのようにひらひらと動かすことが出来るのだろうか?指を天に向け、パラパラと動かすと湯が自分の顔に落ちてきた。雫が顔に当たるのが面白い…。

溜まっている湯をすくっては、天に向けて放り投げ、パラパラと落ちる雫を顔で受け止める。口を開けて受け止めたら、どんな味がするのだろう…。

何度も飽きもせずに、そんなことをしていたら後ろで笑い声がした。


「ふふふ。」


振りむくと笑い顔のちょうこがいた。


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