第25話 龍神の想い出 2 成長 幼児編
日々、変わらない時間を過ごす。
大空を飛び、生きとし生けるモノたちの願いを聞き、時にほんの少しの手助けをする。
これまでは、気にすることもなかった、数千年以上の繰り返し…。
季節は変わり、目にする植物や動物に違いがあるが、それも些末でしかない。
人間というものが誕生してからは、集団の『意志』に意識を向け、必要ならば手助けをするくらいが、己の定めと考えていた。
そう、鱗を飲み込んでしまった赤子が出来るまでは…。
◇◇◇
どうしても赤子が気になり様子を見たくて何度も上空を旋回してみた。大風が吹いてしまった。羽ばたきを止めることも出来ない。これでは巻き起こす風で傷つけるかもしれない。近づくこともできない己の身体の大きさに溜息をつき、悩んだ挙句陽炎となって地面をそぞろ歩く。
赤子は、立ち上がることが出来るようになっていた。恐らくこれが籠というものなのだろう。乾いた竹の葉で編み込まれた2尺(約60㎝)くらいの入れ物の中にそれはいた。
小さな手で籠の淵に摑まり、よろよろとぐらつきながら喃語を話す。
「あぁー。」
人間なのだから当たり前なのだが、小さな手には小さな爪が生え、声を出している口元からは生え始めた歯が覗いている。
人間らしいというか、まだ人間になっていないというか…。
曇りなき黒曜石のような瞳が陽炎となって近づく私を捉えている。
この子には私が見えているのだろうか?
陽炎となった身体を大きく左右に動かし、子どもの瞳の動きを確認してみる。
キョロキョロと動く瞳が面白い。
籠の近くまで行き、思い切ってしゃがんでみた。
すると、子どもは急に見えなくなったが不思議であったのか、体重を前に倒した。
あっという間もなく、子どもは籠から飛び出し、すんでの処で地面に激突しそうになった。
私は慌てて実体化し、子どもを両手で抱えるように受け止めた。
甘い乳の匂いがした。
抱っこが嬉しかったのか、子どもの顔に笑みがこぼれた。
そして、私の左手の薬指をおもむろに握り、また喃語で話しかけてきた。
「あぁー。」
白くぷにゅぷにゅとした柔らかい肌、真っ黒な髪…。黒曜石のような瞳は、私の顔をじっと見つめ目を離そうとしない。口元からはよだれが垂れている。
地団太を踏むように足を動かし、精一杯の力で握るその指の強さと3貫(約12㎏)にも満たない重さを胸で受け止め、今まで感じたことのない感情が湧いて来るのが分かった。
『面白い…。』
今まで生まれ消えていく命を、何千と見てきた。だが、触れることはなかった。
全ての生き物が、私から離れたところにあり、近づくことも無かったからだ。
ひとしきり膝で地団太を踏み、笑い、掴んでいた私の指を舐めていた子どもは、いつの間にか寝息を立てて眠ってしまった。
そっと立ち上がり、起こさないよう気を付けながら、籠に子どもを降ろす。
甘い乳の残り香…。
『また来る…。』
恐らく言っても分からないだろうと思ったが、声を掛けずにはいられなかった。
◇◇◇
子どもは3歳になっていた。
それが分かったのは、村の祭りで松明の明かりの元、父親とおぼしめき男が大きく抱き上げて、松明の周りを練り歩いていたからだった。
この村では、3歳を数える子どもを祭りで披露する習わしを持っていた。
無事に育ったことへの神への感謝と祝いが目的であるようだ。あまり子どもが育たないからこそ、宝物を持って神に祈りを込めるのだろう。これからも無事に育つように…と。
子どもは直ぐに見つかった。
陽炎となった私の姿は、暗くなってきた辺りの風景に溶け込み、誰も気付かない。
子どもに近づいた。
その子は、誰よりも大きかった。
他の子どもたちは、背の丈は3尺少し(約93㎝)、重さは4貫少し(約14㎏)であるのに、重さはさほど違いはないのだろうが、4尺は超える背を持ち、ひょろひょろとした身体となっていた。
私の鱗のせいだろうか…。
松明の明かりに照らされてきらきらと光る、黒曜石のような瞳がじっと遠くを見つめている。
その時だった。
いつもは炎があれば近づかないはずの獰猛な肉食獣がその子を目掛けて飛び掛かって来た。
危ない…。
誰かが矢を放ったが、急所を外している。
咄嗟の事であったためか力の加減が出来ずに、私はひゅっと息を吐き、その動物の息の根を止めてしまった。
ドサッと獣が倒れる音がした。
矢とは違う力が飛んでくる方向が見えたのか、その子は私の方をじっと見ている。
「またかい?このところ多いね…?」
「火があれば近づかないはずなのに…」
「危ないね…。子どもが食われちゃうところだったよ…」
口々に村人が話している。
「まあ、これも神様の宝物として差し上げれば、この子達を守ってくれるさ…」
陽気な声があがり、村人たちの楽しそうな歌声が始まった。
村の祭りは盛り上がっていく…。
◇◇◇
父親の腕から離され、自由の身となった子どもは、何かを探しているようだった。
陽炎となっている私の方に近づいて来る。
見えているのだろうか?
腕を伸ばせば触れるかもしれない所で、その子は跪いた。
「かみたま、あんがとした(神様、ありがとうございました。)」
少しだけ大きくなった両手を合わせて合掌している。
私は小さく息を吐き、『赤い玉』を作ってその子の合わせていた両手の中に潜り込ませた。
この『赤い玉』がこの子を守ることが出来るよう、念を込めて…。
『大事に懐に持っていなさい』
子どもの耳元で囁くと、私はそっと立ち去った。
これから先も無事に過ごすことが出来るようにと願いを込めた…。
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