第17話 つばき叔母さんの本音

長かった梅雨も明け、季節はまもなく夏を迎えようとしていた。

天気が悪いと外出も億劫になってしまう。ちょっと前がそうだった。圭蔵さんが修行に行ってしまって、花子さんの寂しいという気持ちが皆に伝染したかのように、家中が暗―くなってて…。逃げ出したいけど、用事もないのに外をウロウロすることはできないし、外は雨って感じで逃げ場がないから、鬱々しちゃうんだよね。

だからかな、カラッとした爽やかな風がそよいだら、ちょっと遠くまでお出かけしたい…なんて思うのは仕方ないことだと、私は思う。


筑波山から流れてくる風は、いつも優しい。山の木や鳥や虫の気持ちを乗せているようだ。今は、「つがいが欲しい!」って感じなのだけど、一番強く願っているのは、虫たちかな。特に地面の下で蠢いている虫がいるようで、「早く!早く!」という前のめりの気持ちが伝わってくる。でも、悲壮感がないんだよね。なんだかワクワクした感じ。どんどん私に移ってくる。何だか気が急く。だから、龍君に教わった乗馬が上達してきて、少しずつ自分で手綱をコントロールできるようになると、もうワクワクする気持ちが止まらなくなった。早く自分で行きたいところまで行きたい。


あー、分かんないだろうな。自転車や自動車がない生活って…少し遠くまで出かけたいというときは不便なのよね。遠くまで行きたいって言ったら籠を呼びましょうなんて言われて…もちろん、籠に乗せてもらったこともあるんですけど、中途半端なジェットコースターみたいに揺れるから、何となく落ち着かなくて。それでいて、酔っちゃった。


ほんと、馬に乗れるようになってよかった。



今日は、叔父さん夫婦の家に伺う予定だ。少し気を引き締めて、だけど遠出を楽しまないとね。ま、結局は叔父さんの家の使用人という方に来てもらって、手綱を引いてもらってゆっくりお屋敷に行くことになってしまったのだけど。


馬に乗ってはいるけどゆっくりした動きであったこともあり、使用人って方のやや速足程度で多分30分くらいっていうくらいの時間しかかかっていなかっただろうと思う。あまり遠くないけど、近くもない距離だ。でもでも筑波山にはかなり近づいたようで、山の大きさが半端ないって感じで圧倒的に迫ってくる感じ…。いつだってお前を見てるぞって凄まれているような気分だ。別に見られて困ることはないのだけど、心の奥に蟠りを持っている私には酷な雰囲気だ。そう、ちょっとだけ、筑波山が怖くなった。

そして、今日は馬の手綱を掴んでいなくてはならないから、胸元に手を置くことが出来なかった。たったそれだけだったのに、酷く不安な気持ちになってしまっていた。



お屋敷は、本家の月子ちゃんの家よりもやや小さめだけど頑丈に作っているって感じがした。何がどう違うのかわかんないけど。叔父さんと叔母さんは、玄関まで迎えに来てくれていた。二人とも笑顔が優しい。あれ?この光景どっかで見たかな?



お庭を散策すると鯉がいる池があり、松とか通年で緑色が消えない常緑樹と季節ごとに花が咲く植木がよく考えたであろう場所にしっかりと植えられ、整えられている様子が見えた。うん、多分お金持ちなんだろうな。お座敷に上がると客間に通された。床の間には青色の花と黄色の花が活けてあり、ゆっくりと話せる雰囲気が作られていた。まず、叔母さんからお話を伺うことにした。レディファーストですよね。


女中と思召す女性が入って来ると、月子ちゃんが好きだったというお饅頭と緑茶を出してくれた。甘いものが大好きな私には有難かった。このお饅頭は、買ってきたものだと思うけど、どうしたのかな…。聞いても差し支えないのだろうか。


建物などに気が向く一方で、これからどう切り出して話を始めたらいいのか、戸惑っていた。聞きたいことが多すぎる…。きっと不審な顔をしていたのだろう、叔母さんはお饅頭を買ったお店の話をし始めた。


「このお饅頭はね、いつも行くお寺さんの近くで売っているものなのよ。そのお寺さんには、妹が産んだ子の供養をお願いしていてね。祥月命日には必ずお参りしているのよ。妹の代わりにね。

さくらが大事でね。子どもの頃から本当に姉妹で良かったって、何度も思うことがあって…。私たち姉妹のほかに、近所には同い年の女の子が一人しかいなくてね。周りは男の子ばかりで、うまく遊べなかったのよ。だから、3人で着せ替え人形やお手玉で遊んでいたのだけど、そのうち結局二人で遊ぶことが多くなって…。

女の子だからって容赦ない家だったから、手習いもしたし、家のことも手伝ったのよ。縫い物だってね。着物が縫えないとお嫁にいけないって脅かされてね、毎年夏には浴衣を縫い、冬は小袖を縫わされたわ。上手く縫えないと怒られて、で結局縫った浴衣や着物はお互いに交換して着たりして…。」


柔らかく笑うつばきさんの横顔は、とても美しかった。聖母という言葉が似合う女性って中々居ないって思うのだけど、この時私は聖母の横顔を見ていると感じた。瞳をきらきらと輝かせて、遠い目をして笑う…。心の綺麗な人なのだろう。


「同じころに子どもを授かって、二人で喜んでいたのだけど、さくらは死産になってしまった。

私達は同じ産婆さんの家でお産をしていたのよ。この村でのお産は、その方一人でね。離れていたら間に合わないからって、襖を隔てた隣合わせで、二人でうんうん言いながら頑張っていたのよ。 

そう、隣の部屋で先にお産が進んでいたさくらの声が途切れて、産声が聞こえるかと思っていたわ。そうしたら、産婆さんの声だけが聞こえて…。何度も頑張れって言ってたけど、結局さくらの嗚咽しか聞こえなくてね。そうしたら、私のお産が始まってしまって。さくらはどうしたのだろう、赤ちゃんはどうなったのだろうって気がかりで陣痛の合間に声を掛けたくても、どんどんお腹が痛くなって、気が付いたらお産は終わっていたわ。はっとして、耳を澄ますと産声が二重に聞こえてきたから、あーさくらの子どもも助かったのだと思っていたら、双子ですよって産婆さんが声をかけて下さってね…。

この土地での双子は、特に当家の双子は忌み嫌われていたから、私は動転してしまって…。生まれたばかりの子ども二人を見ながら、どうしよう、どうしようしか言えなかった。隣で死産していたとも知らずに、大声で泣いていしまったのよ。

その時にね、お姉さん大丈夫?ってさくらが声を掛けてくれてね。自分は死産ですごく悲しかっただろうに、私の心配をしてくれて。襖を隔てて私は双子を産み落としてしまったって話したの。そう、産み落としてしまったって…。さくらは、生まれて来てくれてありがとうだよって言ってくれたっけ。はっとしたわ。自分のこと、家のことばかり気がいってしまって赤ん坊たちのこと、嫌な者として見なしていた自分がいるって…。

私がひとしきり話したあとに、さくらは自分は死産だったって教えてくれたの。私、自分がひどいことを言っていたって、そこで初めて気が付いたわ。

さくらは私のこと、責めなかった。その上、一人自分が引き取ろうかって言ってくれたのよ。死産だったことを隠して、私がその子を貰えば、忌み嫌われる双子じゃなくなるでしょう?ってね。ううん、引き取るなんかじゃなくて、私にその子を下さい。大事に大事に育てるからと、強く言ってくれたのよ。

横で付き添っていてくれたお母様がね、「私が双子を分けて育てよって命令したってことにすればいい」って言ってくれて…。

お母様は、私達二人の心の負担を一人で背負ってしまわれたわ。

私は双子が怖かった。自分の子であっても、双子だけは欲しくなかったのよ。

産んだ子どもを拒否している自分にも嫌な気持ちをもってしまっていた。そんな私を救ってくれたのはさくらなのよ。だから、風子を預けたの。

当家はね、内々に女の子の双子が生まれたら『風』と『月』の文字を名前のどこかに入れる風習があってね。年ごろになると、それに纏わる話を聞くのだけど、まさか自分が双子を産むとは思っていなかったから、命名は主人達がしてくれたのよ。」


『月』と『風』…。私の名前にも『月』が入っている。幼馴染の楓には『風』が…。何か関係があるのだろうか。つばきさんの話を聞きながら、ぼんやりと胸元に手を置いて考えていた。少しぬるくなったお茶は、喉の奥で渋みを残し、出されたお饅頭はぽつんと菓子皿に残されたままだった。遠くで鳥のさえずる声が聞こえた。


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