第16話 洞窟の中

暁様は…またお怒りのようだ。この所、この洞窟に入ってはイライラし、赤い玉を何度も撫でている。愛おしそうに、憎むように…。この薄暗い洞窟の中は、少し空気が冷たく、誰かに見張られているような気がしてならない。ここには、私達しか居ないのに。


暁様は、今のご領主様の腹違いの弟だ。お小さい頃は、お二人は仲良く、馬遊びや弓刀稽古をご一緒されていた。ご領主のご生母様は、尊い生まれであるが、暁様の母君も良い生まれで、どちらが家を継がれても問題はなかったとお聞きしている。でも、暁様の母君がご領主様のお命を狙ったという嫌疑が掛けられ、打ち首となってから、それまでの待遇が全く変わってしまった。

立派な屋敷で、何人ものお付きの者がいる生活から一変し、屋根も剥がれたような、ボロ小屋に年寄りと共に押し込められ、剣術も弓も習い事さえもさせずに監禁したのだ、そう何年も…。

恨むなというのは、勝手が過ぎる言い分だろう。それでも、暁様はご領主様に対しては、ずっと信頼を寄せていらした。きっと、兄上は自分のことを気にかけて下さっている。母上のしたことは、とんでもないことだけど、一緒に生活してきた自分のことは決して見誤ることはないだろう。だから、大きくなったら兄上の力となって働くのだと…。

伝手を使って何とか刀を手に入れ、毎日鍛錬だけは欠かさず、母君から最期にもらった赤い玉を神棚に飾って兄様のご健康とご武運を心から祈っておられた。


そんな姿が、いつしかご領主のお命を狙う祈りと噂されるようになったは、ご不運としか言いようがない。謂れは、赤い玉だった。暁様の母君から頂いた赤い玉は、望みを叶える玉とも呼ばれ、それが暁様の手元にあるのが気にくわない輩がいたからだ。聞けば、ご領主のご生母は、その赤い玉が欲しくて暁様の母君を罠にはめたとも言われている。死に際まで死守した赤い玉の謂れについては、持っていた母君はまるで知らなかったようだ。ただ、身を守る玉とだけ言われて持っていただけであり、母君は息子を守るためだけに手渡したのだろう。後になって謂れを聞いた暁様は、涙が滲む瞳で「母上は世間知らずであったから…」と呟いただけだった。


私は、ご領主様と暁様が住む屋敷の近くに居を構える武家の家に生まれた。父上だけでなく、当家は古くから代々のご領主様にお仕えしていた。本来は男女で遊ぶことなど許されないのだけれども、早くから暁様とのご縁談もあり、心の広い両親の元で跡継ぎとなるお二人と共に過ごすことを良しとされ、いつもお二人の後をついて歩くことを特別に許されたのだった。


青い空と白い雲の下、緑の短い草が生えそろう時期には、蝶々を取って欲しいとお二人にせがみ、両親にしかられた。蝉が鳴く頃には、抜け殻が欲しくて三人で早起きをして、木登りする蝉の幼虫を一緒に眺めた。成虫になったばかりの蝉とその抜け殻を宝物のように見つめる暁様の瞳がきらきら輝いていたことを今でも思い出す。お二人は本当のご兄弟のように仲良く、強い絆で結ばれているように私には見えた。それなのに…。


今の暁様は、何かに憑かれているようだ。お優しかった瞳はもうない。ただただ、ご領主様への恨みばかり。そして、赤い玉に唆されるように悪事ばかり思い立つ。残忍なことを考え、悪態をつく。

いっそのこと、子どもの頃に戻れたら…。私が暁様の母となって慈しんでもう一度お育てするのに…。

私のお腹の中には、暁様のお子がいる。お戻り様に、この子の未来を見ていただこうと思って近づいたのだけれども、蛇に見えたと大騒ぎになってしまった。

蛇…。それは、この村では守り神。私はこの腹の子を守りたい。暁様を守りたい。どうすればいいのか…。どうしたら、元の暁様に戻って頂けるのか。誰に問えばよいのか、分からない。


◇◇◇


暁様の朝の祈祷が終わられたようだ。冷たい水で絞った手ぬぐいを渡すと、少し微笑んで受け取って下さった。私はこの笑顔が愛おしい…。

「しの、ありがとう。」

微笑んだ優しい表情が、急に曇り眉間に皺を寄せ何事かを呟く。

「そうだ、花子という娘がいたな。あの女は役に立つはずだ。許婚が遠くに修行に行っているともあった。使えるかもしれないな。ふふふ…」


何か良からぬことが思い浮かんだようだ。どうすればいい?どうすれば昔の暁様に戻って下さるのだろうか…。つい、そっと自分のお腹を撫でていることに気が付く。私は生まれてくるこの子に何かできるだろう。お前の父はどんな人かと話して聞かせてあげることができるのだろうか。もう、間もなく暁様から離れようとしている私に出来ることはない…。


暁様はご自身のことを不甲斐無いと感じておられるようだ。ご領主様よりも上にいきたいと望まれているのではなく、横に立ちたいだけなのに…。反逆心から蹴落とそうとしているわけではない。ご領主様を尊敬しお守りしたいという一心で生きて来られ、そのまま全うしたいだけなのに、それが出来ないことがもどかしく恨めしい。誰よりも忠誠心が強く、献身的であるがゆえに、ほんの少しの諍いが気に入らない。もっと自分を認めてほしいと願い、裏切られ自暴自棄となってご領主様が困ることをわざとやっている。本気で咎めて欲しいし、諫めて欲しいのだろう。だからご領主様にお子がいないことをひどく気にしている。せめて跡継ぎに恵まれておられたら、その子を自分の命をも懸けて支えていくだろう。だから、今お腹の子、暁様のお子の誕生を知らせてはならない。ご領主様の先にあってはならないから…。

『どこかでひっそりとこの子を産もう。誰にも知られずに一人で育てていこう。私が、私だけがこの子を守れるのだから…』心の中で強い思いを描くしのと呼ばれた女性の影は、蝋燭の火の揺れに伴って蛇の形へと変形していた。悲しく揺れる影は、誰に見られることなく人型と蛇形の影に交互に移ろいながら揺れていた。


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