第10話 月子と風子
叔父さんが赤鬼に見えたって理由について、花子さんから聞いた話を何度反芻しても、何だか腑に落ちない。引っかかる…。違う気がする。大人の事情とか、全く想像できないのだけど、私の中の何かが間違いだと言っている。月子ちゃんの意識なのだろうか。
切り場から戻って悶々としている私に「蛇に見えた女」が逃げ出して行方が分からなくなったと知らせてくれたのは、あのおばあさんだった。
「女が逃げたようだから、散歩の際には注意しておくように…」
どうやって逃げ出したのかと問うと、少し話してくれた。
施錠されていた閂は外され、外側から誰かが手引きしたとしか思えない様子もあったようだ。
うーん。注意しろと言われても、内部に誰か加担した者がいるなら、誰に対しても気を許すなっていうことになるんだろうか。
誰を信用しないと決めればよいのか…どういう行動が注意したことになるんだろう。私は自分の身を守ることが出来るのだろうか…。
◇◇◇
花子さんの話を聞いてから、数日が経っていたが鬱々とする自分がいた。
筑波山には時折霧がかかる季節となっており、田んぼの稲は青々しく育ち、まさに初夏に差し掛かりそうな季節だ。山々の緑は日に日に盛り上がり、成長していることが目に見えてわかる程…。でもってその爽やかな季節から梅雨の雨が多い季節の狭間のせいでジメジメしてしまう日本の気候と同じように湿ったわだかまりが私の心の底に残っている。
時々、胸に仕舞ってある赤い玉を取り出しては、眺めてみる。私の考えるわだかまりを全て無くしてしまう程に澄んだ赤い色…。見ているだけで心が安らいでいく。
この赤い玉は、最初に見た時よりも大きくなってきている気もする。翡翠の勾玉が入っている袋は、この赤い玉よりも小さいのに、すっぽりと収まってしまうのも不思議だ。そう、本当ならば着物の胸元にこんなに大きくてゴロゴロした玉があれば、歪だし誰だって気づくだろう。でも、それは私の胸元にある時は、まるで存在のそのものを消してしまったかのように形を表さない。私が勝手にその重みを感じているだけなのだ。
◇◇◇
外に出かけたいが、傘を差してまで歩きたくない。着物ってこういう時不便だわ。足袋や裾が汚れるとか、湿気を含んで重たくなるとか、本当にいやになってきちゃう…。
誰かに呼ばれた気がして振り向くと、女中の一人が、おばあさんの部屋に案内してくれた。いろいろ聞きたいたいけれども、聞きけば後悔しそうな気がした。
雨のせいか、家全体に活気がなく感じられ、気持ちが沈んだままおばあさんに声を掛けて部屋に入った。
◇◇◇
「花子から叔父達夫婦のことを聞かされたようじゃな?」
単刀直入という言葉が当てはまる質問だった。
「はい、少し聞きました。でも何だか府に落ちなくて…。」
慣れない正座で足が痺れないよう、そっと足の指を伸ばして深呼吸をしてから応えた。
「このことは他言無用でお願いしたいのじゃが、宜しいか?」
いつもよりきついものの言い方に、かえって落ち着いた気分になった。
私は「はい」とだけ応え、ゆっくりと頭を下げた。
「つばきとさくらが姉妹であることは、お聞きかね?
二人は本当に仲の良い姉妹でな、喧嘩をしているところなど、見たことがない。
小さい頃から、いつも一緒で、お嫁に行くのも一緒がいいと話すほどの仲でな、二人が高坂家の兄弟にそれぞれ嫁ぐことに決まっても、それは変わらなんだ。
もちろん、妹が後継として婿取りとなっても、姉にはやっかみなんぞ思う心地もなく、嫁いだ後も仲良い姉妹のままだった。
妹が先に子を成してからもな。」
おばあさんはゆっくりと緑茶のはいった湯呑を傾けた。
私は、緑茶の苦みを味わいながら、自分の世界で飲んでいたペットボトルのお茶を思い出していた。あの味と比べると、この湯呑に入っている緑茶の質の良さが良く分かる。渋みというか苦みが舌にゆっくり染み渡り、喉を潤すというよりも身体全体を潤すような感じだ。一緒に出されていた茶菓子は、手作りのお饅頭であったが、こちらも餡の甘さが絶妙で、何個でも食べられる気がした。
「そう、さくらにとっては二人目、つばきにとっては初めてのお産のときは、同じ時刻に腹が痛くなって、もう生まれるって時まで二人で励まし合いながら頑張っておったよ。
しかしな、お産は、そんなに上手くはいかなんだ。辛い話をせねばならん。
さくらの子どもは死産でな。
つばきの子どもは双子だったんじゃ。」
遠くで落雷したような音がした。
気が付くと、部屋全体が暗くなっており、雨音が強くなっている。
まるで、これから聞くことは、不吉だから聞かない方が良いと囁かれているようだ。そんな囁きはいらない!って叫びそうになるのを堪え、おばあさんの話に耳を傾けた。
「この村では死産も双子も不吉な予兆と忌み嫌われる出来事でな。
わしらはよくよく考えたんじゃ。
死産の母親は家を没する疫病神として扱われる。
双子の片方は捨て子をせねば龍神様を起こし、災難を招くという謂れがある…。
さくらは婿を貰った手前、三下り半はないが夫に申し訳ないと泣き、双子を産んだつばきは、子どもを捨てられないと泣き…。
わしが言ったのさ、死産を隠し、双子をそれぞれの子どもとして育てていけば、何事もうまく収まるんじゃないか…とな。
それが月子と風子じゃ。
つばきもさくらも手を取り合って泣き笑いで、同じ日のお産でよかったねと抱き合っていたよ。
このことは双方の夫婦とわしだけの秘密となったんじゃ。
死産だった子の骨は、遠い親戚の墓にこっそりと入れてもらった。
その場所はさくらには言っておらん。墓参りに行けば、怪しまれるでな。」
少し暗くなってきた室内に気づいたのか、おばあさんは行灯に火を入れた。
「そう、子どもが二人とも元気に過ごしていくうちは、上手くいっておった。
より一層仲良しの姉妹にみえたよ。自分の子どもを妹とは言え、誰かに託すというのは、かなり苦しい選択だったと思う。
見えない場所にいるならともかくも、なまじ家が近い分、ついつい構いたくもなるだろうに、つばきは妹の子として月子を可愛がっていた。
しかし、風子が亡くなると、変わってしまったんじゃ、つばきが…。
月子が何をするにも過剰な心配ばかりしておった。
さくらが嫌がっても、つばきは我を通すようになってしまった。
まあ、風子の死に方が、後悔ばかりを残すような形だったからこそ、そうなったのだろう…。
つばきは、決して悪い子じゃあない。あの子の気持ちは、誰にも分からん。
もしかすると、さくらには分かるのかもしれんがな…」
私の中のモヤモヤが少し消えたのと、やっぱり因縁があったんだ…という気持ちが混じり合って、溜息が出てしまった。
雨は降り続いている。落雷の音は遠ざかって行った。
私はそっと自分の胸元に手を置いた。心の中で赤い玉に問いかける。子どもを誰かに託すことは、正解だったのか。
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