第9話 叔父が怒っている理由
この世界の風というか空気の匂いがたまらなく好きだ。
元の世界に合った排気ガスや川の汚れなどの澱んだ臭いが全くないからかもしれない。植物が思うさま光合成をして、好きなだけ酸素を吐き出しているって感じがいい。虫も多くて、蝶々やてんとう虫、黄金虫とか、いろいろ名前も分からない虫がいっぱい我が物顔で地面や花や空を動き回っている、この世界は自然が一番の強者であることを主張している…。とっても気持ちがいい。この世界が私は好きだ。
花子さんの話を聞きながら周囲に目を向ける私に、自然は優しく語りかけてきてくれているような気がした。
「私達も君が好きだよ。」って…。
自然の優しい気持ちに触れることが出来て、私の心が落ち着いていくのが分かる。
守られているような感じ…。何だか嬉しい…。
花子さんは、周りに人がいないにも関わらず、少し声を潜めて続けた。
「私、叔母さんには間男がいるって思うの…。叔父さんは、それに気付いていて、それで怒っているのだと思う。叔母さんは、昔から派手な身なりで、綺麗に着飾ってよく出掛けては、うちにこれみよがしにお土産を買ってくるのよ。
あのよそいきの着物は、叔母さんに似合っていて、とても素敵なんだけど、叔父さん以外の人に見せているかと思うと、何だかね…。
でね、そのお土産がね、甘い羊羹とかおまんじゅうとか、とにかく女の人が好きそうなものばかり…。それでいて、自分は食べないのよ。あれは絶対誰かにもらってきた物だと思う。先に誰かと食べてきたから、自分はいらないのよ。きっとそう…。
誰かって?
それはやっぱり、町方の男なんじゃないかって思うのよ。
お母さまは、いつも食べずに私や月ちゃんにくれているけれど、嬉しそうじゃないのよね。いらないって言えばいいのに…。
え?私?私は好きよ、甘いお菓子…。
叔母さんが持ってきてくれた『お菓子』と考えると口にするのも何だかな…って思うけど、食べ物には罪はないでしょう?
やっぱり食べてあげなきゃ…。」
いつもは人の噂などしない花子さんが、何だかとっても怒っている。
ぷりぷりと頬を膨らませて怒る花子さんの表情は、何故だかとっても可愛く見えた。きっと叔母さんのことも好きなんだろう。
「叔母さんにはね、月ちゃんと同じ時に生まれた風子ちゃんって言う子どもがいたの。本当に同じ日に生まれたんだよ。
月ちゃんは、うちにとっては、二人目の子どもだったから、落ち着いていたんだけど、叔父さん夫婦は、初めて授かった子どもだったから、大喜びでね。
子どもだった私にも分かるくらい、大事に大事に大事にしてた。
月ちゃんとも仲良くてね…。同じ日に生まれたからか、よく似ていたわ。二人でお人形遊びをしている姿は、後ろから見ると見分けがつかないくらいだった。
よく3人で遊んだんだ…。
お人形も3人とも同じにしていてね…。
お人形の着物はお母さまが作って下さって…。
あれ?叔母さんだったかな?
でも、5歳になる前だったかな、流行病で亡くなってしまって…。
私は小さかったから、その時のことあまり覚えていないんだけど…。
家中がてんやわんやしてて、私と月ちゃんは…。
やっぱり、あまり思い出せない…。
でも、叔母さんきっとすごく辛かったのだと思う。
それで、叔母さんは、そのまんま半年くらい身体を壊して、寝込んでしまってね…。
ずっとお母さまは看病に通っていたわ。
あれ?叔母さんは本家に泊まっていたんだっけ?
ま、でもって、元気になったら、叔母さんは急にお出掛けばかりするようになってしまって…。叔父さんは、お優しいから元気になってくれただけで、儲けもんだ…なんて仰っていたけれど、限度ってあると思う。
いつもニコニコされているけれど、やっぱり心の底ではお怒りになっていると思うのよ。
叔父さんは、石切の親方で遠方の荷運びもご自分で監督しないといけないから、家を空けることも多くて、叔母さんも寂しいのかもしれないけど…。」
花子さんは一気に話した後に、急に下世話な話ばかり口にしたことが、恥ずかしくなってしまったようだ。深呼吸すると口調が変わってしまった。
「何だか身内の嫌な話を聞かせてしまって、申し訳ないですね。そうそう、今お戻り様が付けておられる翡翠の石は、叔父さんが私と月ちゃんにって買って来てくれたものなんですよ。
御守りになるからって。自分の子どもが亡くなってしまって、同じ年ごろの私や月ちゃんのことが急に心配になってしまったみたいで…。」
少し寂しそうに俯く花子さんは、ちょっと泣きそうな顔で溜息をついた。
あ、もうひとつ聞かなきゃね。明るい話題がいいよねー。
うふふ。あの男の人って…?
「ところで、今日お会いしたあの方は?」
そっと花子さんを見つめると、見る見るうちに赤くなっていくのが分かった。
「実は…。許婚なんです。風間家の跡取りで、圭蔵さんって言って…。
石の彫り師をなさっておいでで、今度修行に行かれるんですよ。それが終わったら祝言の予定で…。」
早口だし、声が小さくて聞き取りにくいのだけど、照れているってことだけは伝わった。
そうかぁ。許婚かぁ。いいなぁこの響き…。甘い、うんうん、それで?
花子さんは、そっと胸元からきれいな折り紙を取り出すと、ゆっくりと開いて見せてくれた。それは、赤い石が花のように細工されている丸いブローチのように見えた。
これは、なかなか取れない高価な石で出来ていて、帯とめに出来るんですよ。これを付けた着物でお嫁においでって言ってくれて…。
もうすぐ、祝言の着物や輿入れのときの道具も届くんですよ。御覧下さいね。
母や月ちゃんと選んだんですよ…。
お嫁入って言っても知っている家だし、お姑さんとも仲が良くて、最近は煮物の作り方を教わったりしてて…。
圭蔵さんは、石彫師としても腕がそりゃあ良くて、この辺りでも引っ張りだこなんですけどね、もう少し腕を磨いてきたいって言ってて…。」
頬を赤くして話す花子さんは、本当に幸せそうに見えた。
あー、ご馳走様って感じです。
会えない時はメールとかないこの時代、どうすんだろう?って思ったけど、いらん世話かと考え口に出すのは止めてしまった。
胸元にある赤い玉がまた大きくなったような気がした。
私は、花子さんの恋バナを聞いて、胸の奥がフワフワと温かくなってきた。
人が幸せだと感じるお話を聞くことが、こんなにも優しい気持ちにさせるんだなって改めて実感できた。
まぁ、叔母さんの話については、ちょっと引っかかるけどね…。
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