説明不能、むき出しの憎悪

ここはただの電車。補足すれば、JR環状線のどこか。


一人の女性、ハンヨンナムが欠伸をしながらスマホに眼を落としています。彼女はK大学に通う留学生です。専攻は経営学ですが、歴史の勉強が好きという変わった子というのがもっぱらの評判です。恐怖映画も好きなようで、友達の中条カノン(怖がり)に『哭声/コクソン』という映画を勧めて本当に怒られるというおっちょこちょいな一面があります。


さて、なぜ彼女をピックアップするかといえば、今乗ってきた脂汗をかく男が関係しています。スーツがきつそうで、ネクタイをゆるめております。男は、原谷清治という。ハンヨンナムの側のつり革をつかみ電車が走り出しました。

折悪しく、ハンヨンナムに電話がかかってきたので彼女は、電車なので後でねと言って通話をやめた。

すると原谷清治、彼女の爪先を踏みつけました。


不愉快だが偶然だろうと、彼女は踏まれた足を男から遠ざけました。しかし男は揺れのない電車のはずなのに手が不自然なほどゆらゆらと動いているので、これは痴漢だなと結論ずけたため隣の車両に移ろうとしました。

まてやクソチョン、原谷清治は彼女を罵りますが、ハンヨンナムは無視を決め込みます。当然、腹が立ちますが、ここでこの男の相手をしてもつけあがるだけ。

なぁ俺らのゼーキンで生きてるチョンそんまま日本から出ていけや。この男のような奴には何度も会ったことがある。警察でもない相手に在留カードを見せてなぜ自分がここにいるのかを説明したこともあった。全て、無駄だったと思えてくる。誰もが、うつむいたままでこの男を止めない。


この日本中の人達は、とある男が「朝鮮人を殺しにきた」と言ってもスルーされることにうつむいたままの人達なんだと。

おおっと、原谷清治、ハンヨンナムに無視されていることを喜びつつ怒りながら、その言葉を激化させていく。すると笑っている男女のカップルがおりました。よく見れば笑っている人たちの多いこと。ヘイトはするなくらい、誰一人として言えないのか、そんな悔しさが彼女に吐き気をもよおさせる。

なんと、原谷清治、ついにハンヨンナムの襟首をつかんだ。男の呼気は酒臭い。

ハンヨンナムは力任せに男を押し退けた。酔った足では満足に踏ん張ることができず扉に背中をぶつけた。

暴力かおい、と挑発的に問いかける。

そして電車が止まり、扉が開く。原谷清治は足を滑らせ電車とホームの隙間に片足が落ちてしまう。

強かに、股間をぶつけた。

近くで見ていた人達は声を出して笑った。だっさ、と。

ハンヨンナムはその場から立ち去った。彼女は何もかも考えるのが煩わしかった。なぜ私は、ここでは満足な人間になれないのかと泣き叫ぶ思いだった。


その頃、電車内では迷惑男がスカッとする無様な醜態を晒したことで良いオチがついたと皆で笑っていた。良くできた話だ。天罰だ。そんなことをさっきの男女カップルも話し合っていた。


さて今回は、ハンヨンナムにとってはなにも終わっていないことだし、原谷清治にとっても酔って曖昧な記憶だったこともあり、ここに出てきた誰にとっても人間的な様は開始時点と1ミリも変化がなかった。

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