異世界鉄道へようこそ

東雲一

序章

01. 異世界への旅立

 一人、山の上まで登った僕は夜空を見ながら、今までのことを思い出して、暗い気持ちになった。皮肉にも、今日の夜空は僕の気持ちとは正反対でとてもきれいな空だった。


 実は、先日、面接に行った会社から、お祈りメールが届いたのだ。まただ。一体、どれだけの会社に祈られたことだろう。メールのお知らせが来た時点で、ああ、これは駄目のパターンだと分かるようになった。


 学校のみんなはすでに内定をもらっている中、僕だけが、内定をもらえず、会社を巡り歩いていた。


 町の方を見ると、たくさんの光が見えた。僕は、きっと誰にも必要にされていないんだ。どうして、僕は、こんな世界に生まれてきてしまったのだろう。


 就職活動がうまくいかないことで、苛立ちが募っていた。今日は、そんな苛立ちがついに爆発し、親と喧嘩になり、思わず家出してまった。おかげで、今はこんな山奥まで来てしまっている。


 さて、これから、どうしよう。


 衝動的に、家を飛び出した僕は、今後のことまで、考えていなかった。ただ、ろくでもない現実を直視したくなかった。


 やっぱり、家に帰ろうかな。でも......。


 今日の夜は、いつもより気温が低い気がする。僕は、白い息を、寒さで震える手に吹き掛け、寒さを凌げるような場所がないか探そうと周囲を見渡した。


 こんな時間に山奥まで来ている人なんてきっといないんだろうなと思っていたが、一人の女性が立っていた。


 彼女は、少し離れた崖の上で、長髪を風に靡かせながら、広大な夜空を眺めていた。きれいな人だ。他人のことは言えないけれど、どうしてこんなところまで彼女は、来たのだろう。彼女ももしかして、僕と同じような境遇なのかもしれない。


 僕は、彼女に興味が湧き、話しかけようと、一歩踏み出した時だ。どこからか、力強い汽笛の音が響き渡った。


 山奥に、汽車は走っていない。汽笛の音が聞こえるはずのない、この山奥で、どこから聞こえてくるのだろう。


 よく耳を澄まして聞いてみると、山の中ではなく、空の方から汽笛の音は聞こえている。ふと、空に視線を移した。そこには、目を疑うような神秘的な光景が広がっていた。


「鉄道が空を走ってる!!」


 汽笛を鳴らしながら、夜空を滑空する汽車を見て、僕は思わず声に出して叫んでしまった。汽車は、崖の上で停車すると、彼女の目の前で扉を開けた。


 汽車の中から、黒い帽子をかぶった車掌の一人が出てきて、彼女は車掌に切符を渡した。確認が終わり、彼女は、車掌から切符をもらうと、汽車の中に入っていった。


 一体、あの汽車はなんなんだ。空を走る汽車なんて初めて見た。まるでSF映画を生で見ているようだ。彼女は、あの汽車に乗ってどこに、行くのだろう。


「あなたも、あの汽車に乗りに来たのですか」


 突然、誰かの声が聞こえて、慌てて横を見ると、紳士服を来た白髭の老人がステッキをついて立っていた。


 だれ!? 


 先ほどまで、誰もいなかった場所で、見覚えのない老人に話しかけられ、正直、驚き戸惑っていたが、僕は、答えた。


「いや、あの汽車に乗りに来たわけではないんです。ただ、居場所がなくて、ここに来たんです」


「そうですか。そうですか。あなたも、この世界で居場所を無くした者の一人という訳だ。あの汽車はね。この世界ではない異世界へ連れて行ってくれる汽車なんだよ」


「異世界?」


 目の前の老人が、言うことは、あまりに非現実で、にわかには信じられなかった。


「ああ、そうさ。君も異世界へ旅に出てみないかい。この世界に不満をもっているんだろ、君も」


 老人の問いかけに僕は、うなずいた。


 僕には、居場所がない。人間社会の現実に触れて、僕の代わりになる人はたくさんいるし、僕を特別必要としている人なんていないのだと思う。


 僕がいなくなっても、この世界は悲しんでやくれないのだろう。なにもなかったかのように、いつもと変わらない様子で地球は回り続ける。


「ほら、この切符をあげよう。異世界へ旅に出ておいで」


 僕は、老人から切符を受け取った。この切符を使えば、異世界に行ける。そんな話、小説の中だけの話だと思っていた。もし、小説に描かれるような壮大な世界が、この世界の外側にあるのだとすれば、それほど心踊ることはないかもしれない。


「でも、いいんですか。切符をもらったりして」


 顔を上げて、周囲を見ると、老人の姿は、すでにいなくなっていた。急に現れたり消えたりする老人だな。


 汽車の停まっている所から、汽笛が鳴り響いた。もう少しで、汽車が出発する。あの汽車に乗れば、ここではない異世界に行くことができる。この機会を逃せば、二度と異世界に行くことはできなくなるように思えた。


 どうせ、この世界は僕のことを必要としていないんだ。


 なら、行ってみたい。ここではない世界へ......。


 僕は、気づいた時には、汽車の方に駆け出していた。


  汽車の扉は徐々に閉まっていくのが見えた。汽車は僕を置いて、今にも出発する直前だ。


 急いで崖の上まで行き、汽車の扉の前に来たと思ったちょうどその時、扉が完全に閉まる音がした。間に合わなかった。千載一遇の好機を掴みとることができなかった。


 僕は、がっかりして、持っていた切符を握りしめた。


 いつだって、僕は、遅すぎる。友達に迷惑をかけて謝るのも。大切な人に大好きだって気持ちを伝えるのも。家族にありがとうって感謝を伝えるのも。


 今回もまた、遅すぎた。


 好機をつかむことが出来なかったことに落胆していると、目の前の汽車の扉が開いた。


「乗りますか?」


 汽車の中から、車掌が、話しかけてきた。どうやら、僕が、汽車に乗ろうとしているのが見えて、扉を開けてくれたみたいだ。


「はい」


 僕はそう言うと、車掌に切符を渡した。


「切符ぐしゃぐしゃですね」


「すみません、思いっきり握りしめてしまったもので」


 汽車の中に入ると、座席がいくつかあるが、どの席も空席だ。奥の方に一人、先ほど崖の上にいた彼女が一人だけ座っているだけだった。さすがに一人だけというのも、寂しい。よくわからない場所へ、一人旅は、かなり勇気がいることだった。


 僕は、彼女の近くの席に座り、縁に肘をのっけて、窓から、外側の景色を眺めた。彼女の近くとはいっても、隣の席に座ったわけではなく、彼女の座る席の通路をはさんで右後ろの席に座っていた。つい人見知りの性格が出てしまった。


 汽笛がなると、いよいよ汽車は動き始め、走り出す音が聞こえた。汽車は、夜空を滑空して進む。空を飛ぶ不思議な汽車。どういう仕組みなのか分からないが、その仕組みを聞かされたところで、僕の理解をはるかに越えているにちがいない。


 汽車の窓から、下側を見ると、夜の暗闇を照らす街が広がり、人々や車が行き交う様子が見えた。


 さよなら、この世界。


 ふと、家族や学校の友達の顔が浮かんだ。


 ごめん、見てみたいんだ。今まで、見なかったここではない世界を。


 僕の決意は、変わることはなかった。汽車が向かう先に、僕の望む世界が待っているとなんとなくだけど、そう思えたのだ。


 異世界へ行く汽車だと聞いたが、どうやって行くのだろう。この世界から、異世界へ行く入口が存在するのだろうか。


 僕は、汽車の窓を開けて、そこから、顔を出すと、ものすごい勢いで風が吹き付けて来た。手で目の周りを覆いながら、汽車の先を見てみるが、入口らしきものは、なにも見えない。ただ、夜空がどこまでも続いているだけだ。


「そこの君、危ないから、窓から、顔を出さないように」


 横から、先ほどの車掌の声が聞こえた。注意されてしまった。僕は、窓を閉めると、気になっていることを聞いてみることにした。


「この汽車は、異世界へ行くと聞いたのですが、本当ですか」


「そうだが、詳しいことは話せないことになっているんでな。私たちは、君を本来いるべき世界に返すだけだ」


「本来いるべき世界......いったい、そこはどこなんですか」


「何を言ってるんだ。君は、その世界に帰るためにこの汽車に乗ったのではないのか。そういうふうに、上からは聞いているんだがな」


 僕は、ある考えがふと、浮かんだ。もしかして、車掌は人違いをしているのではないか。もともとは、切符をくれた、あの老人がこの汽車に乗り、本来いるべき世界に行く予定だったのかもしれない。


 ただの推測に過ぎないけれど、老人が、僕に切符をくれたのは、その世界に帰るのが嫌だったからではないだろうか。


 僕が考えている間に、車掌は、別の車両へと移動していた。聞きたいことはまだたくさんあったけれど、また来た時に聞くことにしよう。


 再び、窓の外に目を移した時、外側の景色が先ほどの夜空とは、うって変わって青空が広がっていることに気づいた。


「どうなってるんだ、先ほどまで夜空だったのに」


 僕は、窓に手をやると、見渡す限り、どこまでも広がる青色の景色に息を飲んだ。下の方を見ると、汽車はいつの間にか、雲の上を走っている。


 雲の隙間から、巨体なシャボン玉のような、泡がいくつか出てきた。そこから、これまた信じられない光景が飛び込んできた。


 雲から、巨大な鯨が、顔を出し、汽車の近くを泳ぐように飛び始めたのだ。その鯨は、僕が水族館なんかで目にするような鯨とは比べられないほど巨大だった。まるで大きな山が動いているような感覚だ。


 僕は、鯨が汽車にぶつかったりしないかと内心、びくびくしながらも、この神秘的な光景に心踊らされていた。


 ファンタジー小説の中みたいだ。こんな夢みたいな光景を現実に見ることができるなんて考えもしなかった。


 よくよく見てみると、鯨の周りに小さな魚が泳いでいて、何匹か汽車の方に飛び、窓から手を伸ばせば、届きそうな距離まで接近してきた。


「すごい。なんて幻想的な景色なんだろう」


 僕は、目の前に広がる圧倒的な風景に思わず、口に出してしまった。


「その反応だと、この汽車に乗るのは初めてみたいね」


「えっ!?は、はい」


 声がして、横を振り向くと、別の席に座っていた女性が笑顔で話しかけてきた。僕は、恥ずかしくなって、少し顔を真っ赤になった。


「きれいでしょ。私も、ここの風景を初めて見た時は、言葉を失ったもの」

 

 彼女は、青空を自由に泳ぐ魚たちを見て、そう言った。不思議だ。彼女と初めて、ここで話したのになんだかとても懐かしい気持ちにさせられる。こんなにも心が温かくさせられたのは、いつの時だっただろう。


「君は、何度かこの汽車に乗ってるの?」


「うん、何度も......。あなたも、神隠しにあってもとの世界に帰るのかしら」


「神隠し?なにそれ」


「その様子だと、神隠しにあった訳ではなさそうね。大概、神隠しで別の世界に迷いこんでしまった人たちがこの汽車に乗って、もとの世界に帰るのよ」


 どうやら、彼女の言う神隠しとは、意図せずに別世界に迷い込んでしまうことを意味するようだ。


「君も、もとの世界に帰るの?」


「そうね......。そういえば、あなたは、どこの世界に行くの?」


 彼女は、一瞬も少し寂しそうな顔をしたが、また笑顔を浮かべ聞いてきた。あまり、もとの世界については、聞かない方がよさそうだ。


「どこだろう?ただ、僕は異世界に行ってみたくて、この汽車にのったんだ。僕は、なんのために、どこに向かっているのか自分でも分からないんだ」


「ふーん、そうなんだ。でも、あなたがどこに向かっているのか分かると、思う。あなたの切符を見てみて」


 彼女はそう言うと、僕の持っていた切符を指差した。切符をよく見てみると、''幻想世界''とかかれている。幻想世界、そこが僕の向かう場所なのか。


「幻想世界ってどういうところなんだ。文字からして、ここみたいに、幻想的なところなのかな」


「幻想世界、知ってるわ。魔法使いや勇者がいる世界ね。でも、気をつけて。最近は、魔物たちが暴れるようになっているらしいの」

 

「そうなのか......」


 魔法使いや勇者という言葉を聞いて、楽しそうな場所だと思ったが、どうも、危ない場所でも、あるようだ。


「私が向かう世界の途中にある世界だから、私も行こうかな。ずっと、一人でさみしかったから」


「いいな。行こう、二人で」


 汽車は、「幻想世界」とかかれた駅に停まると、扉がゆっくりと開いた。僕たちは、二人で、この駅に降りると、汽車は再び動き出し汽笛を鳴らしながら進んで行く。


 幻想世界。魔法使いや勇者がいる世界か。どんな冒険が待っているのだろう。僕は、心踊らせつつ、駅に1つだけ設置された扉に手をかけて、開けた。彼女によれば、この扉の先に異世界が広がっているらしい。

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