第9話 もう一つの窓

   【魔女と少年】

 その少年は顔を布で覆い、肌も全く隠していた。まだ若く細長い体で岩山をひょいひょいと登る。

 そして洞窟を見つけると中には入らず黙ってその場に跪いた。

 中から女性の声が少年を呼んだ。

「入りなさい」

 肌という肌を隠した少年は身を屈め洞窟に入る。中は広々と天井も高くどこかの教会のようなおごそかさを感じていた。

 進んで行くと、ローブに身を包んだ魔女が椅子に腰掛けており、足元の敷物を指差した。

「ここにきて座りなさい」

 少年は魔女に従い、敷物の上に膝をついた。 

「記録をこちらへ」

 魔女にそう言われると、少年は懐から数枚の紙を折り畳んだものを恭しく顔を伏せて手渡す。

 魔女は紙に書かれたことに目を通しながら時々少年に言葉を掛けて、少年はおよそ首を縦か横にふって応えた。

「彼女の娘と接触があったのですね」

 魔女の言葉は問いかけか独り言か、少年はしかし何か後ろめたい気持ちを感じて伏せた目をさらに下へ向けた。

「元気にしていた?」

 曖昧に首を揺らした少年に魔女が笑いかけた。実際には顔が見えないのでそのように少年が感じただけかもしれないが。

「責めているわけでは無いのですよ。彼女たちを助けようとしてくれた事も知っています」

 魔女にわたした紙にそのことは書いていなかったはずだ。しかしこれまでもどう言うわけかこの魔女には全てお見通しだった。

「お前にはこれから〈木の洞〉に行ってもらいます。国が魔女の里を狙っていることを伝えなさい。すでに多くの里が襲われたようです。〈木の洞〉にもまもなく混乱があるでしょうが関わらなくてよろしい。ただこれまで通り彼女の行動を見届けなさい」

 そして私に教えてくださいね。と魔女は付け加える。

 少年は、魔女の里の混乱の中でその「彼女」にまた危険が迫った場合自分はどう行動するだろうかと思ったが、口を訊くことを許されていないのでただ黙って頷いた。

 魔女から一つの包みを預かって少年は森を目指し、岩山を駆け降りた。



   【濡れた街道】

雨の中を歩く黒い影は濡れるのも厭わずスルスルと街道を歩いていた。その影こそは魔女であり、この捨てられた街道は隠れて生きる彼女にとって都合のいい通り道だった。しかしあんまり雨足が強くなってきて、魔女は屋根の残った建物を見つけて休むことにした。石造りの丈夫そうなアーチをくぐるとそこに先客を見つける。小さい少女だった。

 少女はぼんやりと魔女を見上げる。魔女はフードをまぶかにかぶって顔が影になっていたので警戒させたかもしれない。

 魔女が濡れたフードを払い除けると少女はビクッと体をこわばらせたようにも見えたが、少しするとにっこり笑って話し出した。

「おかあさんの友だち?たくさんお金がもらえるお仕事をみつけたらむかえに来るって?」

 子どもらしい取り留めのないことをくり返す。魔女はその少女の話を聞きながらじっと見つめ、話しの区切りの付いたところで一言聞いた。

「温かい寝床が欲しいか」

 少女はそれっきり口をつぐんで恐るおそる魔女についてきた。自分の置かれた状況が実はよく分かっていたのかもしれない。

 少女の体は弱っていたため調子を合わせ、ひと月ほどかけて魔女の住む森に戻ってきた。

 右を見ても左を見ても住むような小屋が見えず戸惑う少女を無理やり木の根の股に押し込み、魔女もその穴の中に入っていく。

 木の股に吸い込まれたかと思えば突然現れた暖かな部屋に驚き玄関口から一歩も動けずに居るのを尻目に、魔女は留守中家を預けていた女に駄賃を払って何やら話を始める。区切りがつくと女を見送り、薄汚れた少女の腕をひいた。カーテンを引いた寝室に入ると、魔女のベッドで黒髪の小さな子どもが寝ていた。

 薄汚れた少女は自分よりもまだ小さく赤ん坊のようにふっくらしたその女の子を見て目を輝かせる。

「明日からこの子の世話を頼む」

 魔女クアートはそう言って拾ってきた孤児ソルテに、2歳になる弟子のツィパロを紹介した。

 栄養をとって身綺麗になったソルテは色の薄い髪がふわふわしておっとりした表情の愛らしい少女になった。よく気が利き、里の大人たちに愛されるソルテにツィパロはすっかり懐いて何をするにも後を追うようになった。ソルテもそれに母親のような振る舞いで応えるので、クアートから見てままごとのような光景だったがそれはそれで微笑ましく思っていた。

 一方で、魔法を教え始めるとソルテは物分かりが良くなんでも器用にこなしたがどうも力が弱く、ツィパロの方がムラがあっても魔女としての才能が明らかだった。2人の弟子はお互いそれを分かって妬み合う気持ちもあったようだった。

 

 あるときソルテとツィパロが喧嘩をし、クアートの寝室にツィパロがやってきた。

「ここで寝てもいいですか」

「ようやく一人で寝れるようになったと思っていたがね」

 ツィパロは赤子のあいだこの寝室に寝かせていたが、ソルテが来てからはおもに子ども部屋で寝かすようにしていた。

 クアートに嫌味を言われたツィパロはむくれて持ってきた枕をぐいぐいとクアートのベッドに押し付ける。

「きょうはここで寝たいの!」

 子どもの頑固にまともに付き合うのも面倒だとクアートは体をずらしてツィパロの入れるスペースを作る。ツィパロが布団に入ってくると、その窮屈さに少女の体の成長を感じた。

 ツィパロは六歳になるまで時々クアートと寝たがったが、反面ソルテは全く甘えてくるそぶりがなくクアートとしてはとても付き合いが楽に感じた。昼間はツィパロや里の小さなマジアチカたちを世話し、大人のすることを邪魔せず自分のことは自分でする。ソルテはそんな出来すぎた子どもだった。

 ツィパロは反抗期を迎えるとますますソルテにべったりになり、クアートに甘えたり相談したりすることが全く無くなった。もともと子どもが得意ではなく一人でいることを好んだクアートとしては願ってもないことだった。


 二人の弟子が年ごろになってもう魔法の事でもほとんど大人を頼らなくなったころ、クアートが研究に没頭していたある日、珍しくソルテが自分から話しかけてきた。

「里の仕事を手伝ってみたいのですが」

 月に一度カラスと呼ばれる魔女に隷属を誓った者たちを里に呼びつけ、彼らを通じて他の里の魔女と物や情報の交換を行う。その席に同席したいという。しかし、それに出席することを許されているのは成人した魔女のみであり、いくらしっかりしていてもソルテはまだその年齢に達していないのでクアートはあっさりと断った。

 ソルテはすぐに聞き分けの良い顔で引き下がった。

 その時クアートは何か違和感のようなものを感じたがとくに気にかけず、里の子どもの世話をしにいくというソルテを見送った。

 ソルテが行方をくらます数か月前の事だった。

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