第8話 帰郷

 ヨーテルとツィパロ、そしてヤンの三人を乗せた小舟はゆったりと川下へと流れていった。岩山の麓を流れる川は<木の洞>へと続いているのでこのまま流れに身を委ねているだけで良さそうだ。

 あまり出番のないオールをにぎり締めてツィパロが何かつぶやいた。

「どうかした?」

 ヨーテルが尋ねると、悲しそうな顔を上げる。

「ごめん、ヨーテルの楽器を沼地において来させてしまって」

「ツィパロが謝ることじゃないよ!あれはしょうがなかったじゃん」

 この状況でヨーテルは、むしろ荷物が減ってよかったとさえ思っていた。

「まだしばらく楽器を弾くような暇も用事もなさそうだし、ツィパロが気にすることないよ」

「でもそれだって私が自分の都合にヨーテルを巻き込まなければ…」

「やめてやめて。知っといて欲しいんだけど、私はちゃんといつも自分で選んでる。強制されたりしてないから。自分の選びの責任は自分でとるよ」

 いつまでも気にしそうなツィパロに、少し真面目な顔をしてクギを刺す。

 そう言うヨーテルは何でもない顔でただ状況に流されていることもしばしばだが、それでさえヨーテルにとって大した問題ではなかった。

「わかった、ツィパロ?」

「……わかった。じゃあ、これは私の選びで。私がヨーテルの歌が聴きたいっていう理由だから黙って受け取って」

 ツィパロはオールと適当な布の切れ端を手にとって何かをささやいた。すると手の中に小ぶりの竪琴が出来上がる。

「物を作るのは苦手で、ちゃんと音が出るといいけど」

 うつむきがちにヨーテルに差し出されたその竪琴を受け取って、さっそく弦をはじいてみる。思った音が出るように弦の張りをすこし調節し、最後に全部の弦を撫でるとボロロンと素朴な音がした。

「すごいよツィパロ。ちゃんとカタチになってる!」

 ヨーテルがそう褒めるとツィパロがはにかんだ。

「前にドーナ・クアートの前で作る練習をしたことがあるから。あのとき沢山やっておいて良かった」

 少しの間、ツィパロの手製の楽器を楽しんでいると、船の上だというのに気持ちよく眠っていたヤンがぼんやり起きてきた。

「木の洞のにおいがする」

 そういって寝起きの顔をほころばせる。

「たしかに、嗅ぎなれた匂いがする……なんだろう」

「<木の洞>に生えてる木の匂いじゃないかなぁ。独特な香りがするよね」

 里を出て初めて気付くこともあるんだなぁ、なんて言っているといつかヤンを探して大騒ぎした川辺が見えてきた。

 船を寄せようと手元を見るとオールがない。

「どうしよう!楽器にしちゃった!」

 ツィパロが青ざめる。

「と、とりあえず一度元に戻して、船を降りてからまた楽器にするのは?」

 ヨーテルも提案してみるが、二人とも焦ってしまってうまく魔法が掛からず竪琴が変な形になるばかりだ。代案を考えようにももたもたしている内に<木の洞>の入口が目と鼻の先まで来てしまった。このままどこまでも流されていくのかもしれないとあきらめかけた時、船が何かに引っ張られるように動いた。川岸ではドーナ・クアートとヤンのドーナが待っていたのだ。

 ドーナの魔法に導かれ、舟は浅瀬に停まった。

「無事だったか」

 安心して泣きながらドーナにすがりついたヤンは先に連れられて行き、ツィパロとヨーテルの前にドーナ・クアートが留まった。

 ヨーテルの少し後ろに立ってツィパロが唾をのんだ。

「岩山の魔女から話は聞いている。一度里に戻りなさい。ヨーテル、いまお前を連れ帰るわけにはいかない。森の抜け方はわかるな」

「ドーナ、ヨーテルが助けてくれなかったら私は…」

「ヤンが攫われたことで魔女狩りや戦争のうわさが現実味を帯び、我らが里も混乱状態だ。その中によそ者を入れるわけにはいかない」

「ならなおの事ヨーテルも連れて帰って守るべきです!」

 さえぎられても懸命に説得しようとするツィパロの言葉は全く無視され、ドーナが不意に視線を足もとに向けると突然ツィパロの体が強張こわばった。

「まだ身の程がわからないか」

 河原の石たちが蠢き、ツィパロの体を這って手足や首に輪を作った。右手首の輪から石の鎖が伸び、その先端はドーナ・クアートの手の中にある。

「……私はドーナにとってそんな程度の価値だっていうの?」

 口を出すことも手を出すこともできずただ見送るしか無かったヨーテルの耳に届いたのは、今までに聞いたこともないような、怒りに震えるツィパロの声だった。


 置いていかれたヨーテルは案外淡々としていた。舟の上で奇妙な形になっていた竪琴はドーナ・クアートの視線ひとつで売り物のような美しい楽器へと変わっていた。ツィパロもヤンも里に帰ったことだし、改めて旅の続きを歩むだけだとサクサク森の出口へと歩く。

 しばらく行くと木の陰に見知った人影を見た気がしてとっさに身を隠す。しかし相手からはもう見つかってしまっていたようだ。

「アンタ、生きてたんだ!」何よりだヨぉ、と声をキンキンさせながら話すのは<沼地>のエヴィだった。

「あの戦いの中、よォく無事だったね」

 睨み合った仲なのに、こうして遠い地で再会するとなんだか安心する様な気になるのが不思議だ。とはいえもちろん簡単に気が許せるわけでもない。

 なぜエヴィがここに居るのか、ヨーテルは注意深く考えを巡らせた。

「まさか、魔女隊に?」

「そ、まぁ、捕虜に近い扱いだけどサ。多少は自由に動けるし、何より魔女隊にいた方が世間のウワサも入って身を守る支度ができるってモンさ。このご時世、魔女ってだけで世間は危険なンだ。アンタも身の振り方を考えたほうが良いよ」

 物知り気に話すこの少女の言葉がどれほど信用できるものかわからないが、クアートの様子からも魔女隊が<木の洞>を目指していると予感していたヨーテルはエヴィについて行くことにした。魔女隊はもう森のそばまで来ていた。


 強引にクアートの家へ押し込まれたツィパロは一見おとなしかった。ただ、かたくなに立たされた場所から動こうとしなかった。

「なんだ」

 椅子に座って様子を眺めていたクアートが問いかけるとツィパロは強く睨み返す。

「ようやく私の話を聞いてくださるんですか」

「はぐれ魔女のことか。何を考えてるのか知らないが、あの娘はここに居ない方が安全だ」

「どういう……?」

「まもなくここに、魔女隊を含めた王国の兵たちが来るだろう。彼らの目的は捕獲ではなく虐殺ぎゃくさつと考えられる。この里の者として戦闘に巻き込まれればあの娘は真っ先に死ぬ。しかし一人でいれば隠れるのもたやすい。流れ者であるなら面倒事を切り抜ける術にも長けている。里の保護はむしろ足かせになる」

 ツィパロは思い当たることもあり、唇をかむ。自分の浅はかさも、クアートに言い返せないことも悔しくて仕方なかった。

「あの娘の事より、お前はソルテを探しに行ったのだろう。見つかったか」

 クアートは問いかけはしたものの答えに全く期待していないようだった。ツィパロにはクアートが自分たちの旅路をすべて知っているように思えた。

「沼地で……、顔を見た」

「やはり魔女隊に居たか」

 クアートが魔女隊についてよく知っていそうな口ぶりをしたことがツィパロには意外だった。里の外の事には全くの無関心だと思い込んでいたのだ。

「私の姉もソルテと同じようなことをした。里から突然いなくなって、そして突然戻ってきたと思ったら生まれたばかりのお前を置いてまた去っていった」

「私を置いて……?」

「お前の母は私の姉だよ」

 ツィパロの耳の奥でドーナ・マナの歌声が聞こえた気がした。

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