第10話 帰郷?

 ツィパロに一通り話を聞かせた後、ドーナ・クアートは手紙を受け取ってひと気のない場所に来ていた。クアートの元に届いたのは<木の洞>では誰もが使う、木の葉の手紙だった。

「私を呼ぶとはな……」

 クアートが独りつぶやく。

 送り主はほどなく現れた。それはクアートの予想した通り、ツィパロが熱心に探していた姉妹弟子のソルテだった。

「一人で来てくださってありがとうございます」

「お前の望みは知っているよ」

 挨拶も返さずにそう言うと、ソルテはおっとりと瞬きをしたあと微笑んだ。

「お話が早くて助かりますわ。今すぐにこの里を明け渡し、王国に助力してくださいな」

「それはお前自身の望みではないだろう」

「何のことをおっしゃっているのかしら」

「私の姉は、お前と同じ選択をした。そしてその目的を果たせなかった。私たちのような育ちの者たちにその選択は難しい」

 クアートの言葉を聴きながらソルテの目はみるみる冷えていった。

「先生の話に興味はないわ。あなたが私の話を聞いてくれたことなんてなかった。そんな人が知った風な口を利かないで」

 言い切るとソルテは深く息を吐いた。

「私は魔女の掟というものに嫌気がさしたのですわ。男女の関係をまるで卑しい事のように……。魔女隊に居る人たちは違う。色んな在り方を受け入れてくれます。先生、里を明け渡し、私たちと来てください。そうすれば開けた美しい世界を見ることができる。益のない争いも避けられます」

 ソルテがドーナ・クアートの方へ手を伸ばすと、その間にヨーテルが飛び込んできた。

「その言葉は嘘です!」

 その後ろにエヴィもくっついている。

「魔女隊はもはや魔女を集めるために動いていない。沼地と同じようにこの里も攻め滅ぼすつもりです」

 ソルテはエヴィを見たが、エヴィは素早くヨーテルの背中に顔を隠した。

「そこのお喋りさんたら困ったものね。でもすべてが嘘というわけではないのですよ。ドーナ・クアートには拾い育ててもらった恩があるし、なにしろあなたは強い。あなたが私たちに協力してくださったら心強いです」

 一度は冷たい視線を見せたソルテが今は愛らしく笑っている。表情を巧みに取り繕うソルテを目の前に、クアートは記憶の中のあどけない少女を思い起こしていた。すっかり成熟したその子に過去の姿を重ねてしまうのは自分が歳をとったせいかと自問する。

「いまでも<母>を探しているのか……」

 口の中で呟いた後、改めて少女にはっきり答えた。

「残念だが、お前の誘いには乗れない」

 木の幹を操りソルテを里の境界の外へと追いつめる。

「どの道、掟を破ったお前はこの土地に踏み入ることを許されない。出ていきなさい」

 あやうく木の幹に叩き潰されそうになったソルテはどこからともなく呼び出した斧を木に叩きつけ、森の外へと逃げ去った。

「それで、お前たちはどうする。侵入者たちよ」

 思いがけず睨まれる番が回ってきたヨーテルとエヴィは後ずさった。


 そのころ里の中ではカラスを通じて知らせを受けたドーナ達が会議を開いていた。

「我々もこの戦いを避けては通れぬようだ」

「クアートの疫病神のせいだ」

「いや、これもまた人の世。で、どう応戦するのか」

「木々たちとの契約もある。この森を荒らされるわけにはいかないですよ」

 口々に意見を交わすうちに別の魔女が駆け込み森の一端に火をつけられたと声を上げた。すでに近くにいた魔女たちが鎮火したという事だが、魔女隊がすぐそこに来ていることが明らかになりドーナ達は慌ててさらに人を集めて森を守るために動き出した。

 ツィパロもまた一人森を駆け回っていた。クアートはいまいち話しを飲み込まないうちに、家にいるよう命令だけして出掛けて行ってしまったのだ。そのままでは全く落ち着いていられなかった。

 森もいつもとは違った雰囲気で生物の気配がないわりにざわざわと落ち着かない。木々が何かを恐れて震えているかのようだった。普通ではない空気を感じて、いよいよ魔女狩りがここまで来たに違いないと確信したツィパロはヨーテルの顔を思い浮かべた。きっとまだ近くにいるはずで、もしかしたら危険にさらされているかもしれない。しかしドーナ・クアートに言われたように、彼女が危険を回避することに長けているのはツィパロ自身よく知っていた。旅の途中で危ない状況にあった時、そこからうまく抜け出せるように導いてくれたのはいつもヨーテルだった。ツィパロは自ら危険に飛び込んでもがいていただけだ。

 思えばツィパロはいつも誰かに手を引いてもらっていた。幼い頃はソルテが正しい道を教えてくれた。おかげで家出して森で迷った時もちゃんと家に帰れたし、魔法が上手くいかないときはソルテが上手くいく方法を教えてくれた。ソルテがいなくなって、今度はヨーテルについて歩いて新たな世界の一端を見た。

 ソルテがいなくなって、ヨーテルも居なくなってしまって、ツィパロは森の中でどこへ向かって歩けばいいのか突然わからなくなってしまった。

 私は何のためにここまで走ってきたのだろうかと、自問する。

 そうして立ち止まった時、茂みから黒い影が現れた。

 それは本当に影のように暗い色の布で全身を覆っていた。目元だけは隙間があり、ツィパロより少し高いところから若々しい光を放っている。いつか森の中で見た<カラス>に似ているとツィパロは思った。

 しかしあの時とは中身が違うようで話しかけてきたりする様子はなく、少し離れたところに静かに立っている。そのカラスが地面に一粒の白い石を置いてさらに後ろに下がった。そしてツィパロの様子を観察している。

 カラスの動作を窺いつつその石を拾うとヒンヤリして岩山の魔女の里を思い出させた。意図がわからずもう一度カラスの方を見ると、その影は森の外の方を指さした。

 ここから逃げるように言われているのかとも思ったが、手の中の冷たい石はツィパロを励ましているようにも感じられた。この先にツィパロのするべきことがあるのかもしれない。ツィパロはカラスを振り返らずに森の外を目指して歩きだした。

 森を抜けると見知らぬ幕屋がいくつも立っていた。話し声が聞こえてツィパロはとっさに身を隠す。

「あのおっさん本当に腹が立つわ。何の力もないくせに私たちの事を下に見てる」

「本当よ。勝手な事ばかり言って自分は椅子にふんぞり返ってるんだから。あんなのより若くて可愛い男に癒されたいわぁ」

「若い男たちはだいたい国境の方でしょう。お偉いおじさま方の金の匂いにでも癒されるのね」

「アンタ趣味が悪いね。あー、早くこの辛気臭い場所からおさらばしたいわぁ」

 数人の女たちが地べたに座ってだらだら話している。内容はよく理解できなかったがおそらく魔女隊の女たちだろうとツィパロは思った。

 ソルテが魔女隊に所属してるとすれば今度こそちゃんと会えるかもしれない。

 茂みの中を移動しながら様子を窺うツィパロの背中を誰かが叩いた。

「ここで何をしているの」

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