第7話 岩山の魔女

 灰色の魔女はヨーテルたちに歩み寄ると、そっとヤンの頬に手を当てた。それは崇高すうこうな儀式か何かのようでヨーテルは身動きすることができなかった。

「かわいそうに、冷え切っている」

 魔女がそういった途端、濡れたままになっていた三人の服が乾く。それだけで少し体が温まるような気がした。

「ここから逃げたければついて来ると良い」

 灰色の魔女は振り返り、来た道を歩き出した。

 少女たちが実際について来るかどうかは、まったく気にしていないような足取りで先を行く魔女をみてツィパロとヨーテルは戸惑う。どの道、二人に行く当てなど無い。一か八かこのただならぬ雰囲気をまとった魔女について行くことにした。

 魔女は喧騒の中を何でもないように、むしろ静かで安全な聖堂の中にでも居るかのようにゆったりと歩く。その後ろをツィパロとヨーテルは時々起こる地響きによろめきながら歩いた。白いもやの中だんだんと、どのくらい歩いたのかわからなくなってくる。一日を歩きとおしたような、ともすれば軽い散歩くらいの距離だったような、そんな不思議な感覚の中で気が付けば霧は晴れ、一行いっこうは岩山の中腹ちゅうふくを歩いていた。谷側には雲が流れ、その下に広い森と白い筋のような川が見える。さっきまで居たはずの沼地は見当たらなかった。いくらなんでもそんなに歩いたようには思えないのだが。

「岩山の魔女のあいだに伝わる魔法の一つだ。ツィパロ、お前の里にも同じような場所があるだろう」

「私を知っているんですか」

「クアートとは長い付き合いだ」

 岩の割れ目に洞窟があり、そこに入ると天井高く薄明るい中に数人の魔女が集っていた。洞窟はとても広く、ところどころに石を切り出したような家具が置かれている。

「ずいぶん簡単に入れるんですね」

「ここまで来れる者の方が少ない」

 魔女がマントを脱いで微笑んだ。知的な面差しに刻まれた皺が気品を感じさせる、白髪交じりの魔女だった。名前をマナというらしい。

「あなたが牢獄から助けてくださったんですか」

 ヨーテルが尋ねるとドーナ・マナは首を横に振る。二人は沼地の牢で突然水が流れてきたこと、それが自分たちを地上へ送り届けてくれたことを話した。

「なるほど。それはそこのお嬢ちゃんの力だね」

 その場にいた一番年老いた魔女がヤンを指して言う。

「水とよっぽど縁深いように見える。水の方がその子の思いを一生懸命聞いているようだ」

「でもまだヤンはしるしを頂いていません」

 印というのは魔女に育てられた少女が正式な見習いと認められるときに体に刻むものだ。ヤンはまだそれを認められる年齢に達していない。

「印はあくまでドアを取り付け、魔法を体から出しやすくする工事みたいなもんだ。普通は工事が済んでいなければ魔力が体からこぼれ出ることも少なく、魔法は表れない。しかしもともと関係が深ければ相手の思いもよく分かるというもんじゃないかい」

 お前たちにもそういう相手がいるだろう。と、ニコニコした老婆に言われヨーテルとツィパロは二人して微妙な顔をした。

 岩山の魔女によればヤンは気を失っているだけで体に異常はないらしい。ヤンの世話を岩山の魔女に任せ、ヨーテルとツィパロの二人は草を編んだ敷き物に座らされた。岩の中のこの空間に漂ういい香りはこの草の匂いのようだ。洞窟の中は程よくヒンヤリとしていて、沼地での出来事に高ぶった熱を冷ますようだった。

「ところでツィパロ、なぜ里を出た。そのはぐれ魔女がそそのかしたわけでもあるまい」

 そこでヨーテルは初めてマナに名乗った。

「むしろ私が里を出た事をご存じであるなら、ドーナ・クアートから何かお聞きではないでしょうか。私は兄弟弟子のソルテを探しているのです」

「なるほど、そうか……」

 ドーナ・マナは物思いにうつむいた。その後ろに立つドーナ達もひそひそと何か話し合っている。その理由を尋ねようとしたツィパロをマナは手で止めた。

「いや、ソルテの事は風のうわさに聞くのみ。気持ちまで悟ることはできない」

「じゃあ、何か知っておられるんですね……!」

「ソルテは今、魔女ならぬ人の手で集められた<魔女隊>に属している。王国に養われ、戦となれば兵士として戦う軍の一部だ。沼地で見たように、命令に従い粛々しゅくしゅくと敵と戦うのがいまの彼女たちだ」

 やはり沼地に居たのはソルテだったのだ。ツィパロは思わず表情を明るくし、隣に座るヨーテルは逆に唇を結ぶ。ドーナ・マナはそんな二人の表情を観察していた。しかしそれ以上は何も語らず、トンと軽く膝を叩いて二人の注意を自分に戻させる。

「お前たちがかの者を追おうと私たちは干渉しない。ともあれ、この一件では疲れたろう。ヤンの事もある。ひとまずここで体を休めるといい」

 <岩山>の住まいは入口の天井高い大広間の奥にいくつかの岩の裂け目があり、そこから中に入ればさらに迷路のように枝分かれして各々の部屋へと続いているようだった。魔女たちは好きに広間に集い、用が済めば岩の裂け目に吸い込まれていった。ヨーテルとツィパロは奥にいって迷ってしまわないよう、広間の壁にぽっかり空いた穴の中に寝床が用意された。

 壁に掛けられた縄梯子なわばしごを登って岩の隙間に体をねじ込むと、そこには確かに二人がゆったり寝れるほどの穴が開いていた。立つと頭を打ちそうだったが座っている分には問題ない。布団を運んでくれた見習いマジア・チカにお礼を言って、ヨーテルとツィパロは横になった。何か話そうとお互いを見るが、ほんの数日の間に色んな事があり過ぎて何も言葉になって出て来なかった。


 しばらく目を閉じてみたものの寝付けず、目蓋をあげてみれば隣に寝転ぶヨーテルはもう寝息を立てていた。そばでごそごそとするのも気が引けて、縄梯子を伝い広間へ出る。するとドーナ・マナが一人で竪琴をつま弾いていた。ツィパロに気が付くと手を止めて隣の敷き物を指さす。大人しく促されるままに座ると、ドーナ・マナはまた竪琴を奏で始めた。耳慣れない旋律だが不思議と気持ちが落ち着いてくる。岩山のこの空間もドーナ・マナの持つ雰囲気もツィパロにはとても不思議だった。どこか神聖なものを感じさせながら、穏やかで、心地よい。

「何か私に聞きたいことがあるだろう」

 竪琴を弾きながら唐突に質問される。ツィパロはたくさんの言葉が浮かんだが、どれもこの魔女に答えてもらうようなことではない気もした。

「……ドーナ・クアートとはどんな関係だったんですか」

 思いついた中で一番あたり障りのない質問を選んだつもりだ。

「昔、世話になった。彼女の姉にも」

「ドーナ・クアートの<姉>……?」

「そうだよ」

 思わず興味を弾く言葉が出たがドーナ・マナの話しはそれっきりで、これまた唐突に、今度は子守唄を聴かされる運びになる。

「私もお前のツレのヨーテルと同じように音の魔法が得意なんだ。大した使い道は無いがこういう時に役に立つ」

 その歌は、森に住むとある姉妹の話しを歌にして語ったものだった。その姉妹はとても仲が良く、姉は森の外の暮らしに憧れ、旅人が来るたびに話をねだっては魔女の未来や森での生活の在り方について盛んに語り合った。妹はそんな聡明で思慮深い姉が大好きでいつも好んでその話を聞いていた。姉と妹はよく連れ立って出かけ、いろんなことを喜んで教えあった。しかし、姉は次第に妹を遠ざけるようになる。昼間は部屋にこもり、夜には気づけば出掛けているようなことが続き、ついには里から姿を消してしまった。妹は昼夜、森を探し回ったが姉もその影さえも見つけることはできなかった。

 妹の哀しみの歌が美しい旋律と共に流れてくる。夢の世界にゆらゆらと落ちて行きながら、ツィパロは歌の中の<妹>と自分を重ね涙をこぼした。音に揺られるまどろみの中で遠く、ドーナ・マナの声が聞こえる。

「まずはヤンを里に帰してやりなさい。私たちはお前に干渉しないと言ったが、私はここで<お前たち>の幸せを祈っているよ」


 目を覚ますとツィパロは用意された寝床、ヨーテルの隣に寝ていた。ドーナ・マナの歌を聴いてる途中からだんだん意識が遠くなってそこから記憶がないので、誰かに運ばせてしまったのかもしれない。少々恥ずかしく思いながら、妙にヤンの事が気になってヨーテルを起こした。早くから起きて掃除をしていた見習い魔女マジア・チカに案内してもらってヤンの寝かされた部屋へ行く。ヤンはすっかり顔色がよくなり、ツィパロが声を掛けると気持ちよく目覚めて岩山の魔女たちがいかに良くしてくれたかを一生懸命話し出した。

「ヤン。良かった、元気になって!」

「もう良いようだったらとりあえず<木の洞>に帰ろう。山のふもとに小舟があるからそれで川を下れる」

 ツィパロの提案にヨーテルは驚く。

「ツィパロから<帰る>って言葉が出るなんて!小舟の事なんていつの間に聞いてきたの?」

 ヨーテルに言われてツィパロも目をまたたいた。

「……いや、なんで知ってるんだろう。なぜだか頭に浮かんだ」

 どこで知ったかわからないツィパロの記憶に導かれ山を下ると三人で乗るのにちょうど良い子船を見つけた。かぶせてあったほろをめくると少しの食べ物と水が載せられている。

「ツィパロ、昨日ドーナ・マナと何かあった……?」

「歌を聞かせてもらったくらいで、これといって……?」

 二人がいぶかしげにしてる間にヤンが荷物の一つに手を出して、おいしい美味しいと喜ぶ。何が何だかわからないが、背中を押す何かの力を信じて三人は<木の洞>へ漕ぎだした。

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