第6話 霧の中

 ヨーテルは胸騒ぎがして急いで荷物をまとめると食事部屋へ向かった。洗い物をしていたエヴィが振り返る。

「どうしたン。顔色悪ぃよ」

 けらけらと笑いながら言うエヴィをヨーテルは静かに見つめた。

「ツィパロがいないんだけど、どこに行ったか知ってる?」

 エヴィは不自然に目を細めるが、口元は笑ったままだ。

「ホラ、昨日言った同じ匂いの人サ、やっぱ同郷の人だったみたいで一緒に帰ったよ」

 そういって紙切れをヨーテルに寄こす。それはツィパロの字にも見えたしそうで無いようにも見えた。

「アンタぁ、もともと根無し草の魔女ダロ?今日一日いちンちはゆっくりすりゃ良いが、早めに発ちな」

「どうして?エヴィの魔女ドーナはゆっくりしていきなっていってくれたのに」

「昨日は知らなかったんだが、近々戦争せんそーってのがココまで来るらしい。面倒は嫌ダロ?」

 ヨーテルはエヴィに促されるままに食事をとり、まだまだ体を休めろと言って部屋へ押し戻された。

 その夜ヨーテルは<家>の玄関口にひそみ、この家の魔女ドーナが出掛けやしないかと待った。予感があったのだ。そして見事に的中した。

 黒いコートをまとい闇に紛れる魔女ドーナの後をヨーテルはひっそりと追った。

 魔女マジア・ドーナはたびたび集まる。里で事件が起きたときはもちろん、揉め事や里のあきないについて話し合うときにも里の魔女ドーナたちが集う。うまくすればツィパロのことが話題に上るかもしれない。ヨーテルはツィパロがこの<沼地>の商いに巻き込まれていることを確信していた。なぜ自分だけ放って置かれたのかわからないが、これを幸運と思ってツィパロを探し出さなければ。

 沼地は夜も霧で覆われて人の影もすっかり飲み込んでしまう。ヨーテルは懸命に目を凝らしたが、まもなく魔女ドーナの影を見失ってしまった。そもそも道も沼も区別がつかず、途方に暮れて座り込むと突然頭がグワンと揺れてヨーテルはその場に倒れた。


「おや、もう起きたのか」

「やっぱり流しの魔女には効きが悪い」

「どうするね、これを」

 ヨーテルの頭上で何人もの魔女の声が聞こえる。ヨーテルは身動きを取ろうとして、自分が冷たい石の床の上に寝かされていることを知る。手足は縄で縛られているようだ。

「ヨーテル、まだあまり動かないほうが良い」

 もぞもぞしていると馴染んだ声が降ってくる。

「魔法で目が回ってるからあんまり動くと吐く」

 私は吐いた、と声が言う。ヨーテルは安心してその声の主に笑いかけた。

「ツィパロ……。よかったぁ、また会えて…」

「のん気なモンだね」

 再会したヨーテルとツィパロの様子にエヴィが溜息を吐いた。

「<はぐれ魔女>なんてのは魔法の力も弱いし、自由に行かせてやろうとしたのに。恩知らずだね」

 忌々いまいましげにエヴィが言うとツィパロが立ち上がって格子をつかんだ。その音でヨーテルはやっと自分たちが檻の中にいることを理解した。

「お前たちはなんでこんな卑しい事を生業としている。恥というものを知らないのか」

 魔女の誇りを問うツィパロの足元にエヴィは唾を吐いた。

「お前が何を誇りにしてるか知らんがね、卑しいと言われてもこれがアタシらの仕事さ」

 しゃがれ声のマジア・ドーナが言い捨て歩き出すと、ざわざわと思い思いに話していた魔女ドーナたちもまた口を閉じ、その場から出て行った。エヴィだけが最後まで残り、二人に言い添える。

「アタシは警告したよ、ヨーテル。アンタらは数日と経たないうちにまた離れ離れだ。今のうちに別れを惜しみな」

 エヴィも居なくなりひんやりとした牢獄に二人は置き去りにされた。

「ヨーテル、無事?」

 人の気配が無くなるとツィパロはヨーテルのそばに屈んだ。ツィパロはどこも縛られていないらしい。

「……わたしたちは何をされたの?」

「私もよく分からないけど、沼地の魔女たちは音の魔法だと言っていた。ヨーテルは慣れてるから私よりずっと早く目が覚めたのかも」

「なるほど……。でも、気を失ったとき何か聞こえたかなぁ」

 だいぶん意識がはっきりしてきてヨーテルはぱちぱち瞬きをしながら体を起こす。

「私は音の魔法は知らない、ヨーテルの方がわかるんじゃない?」

 ツィパロに言われてヨーテルは首をすくめた。そのとき二人の居る檻の中とは違うどこかから、か細い声が聞こえた。

「だれかぁ――、きこえますかぁ――」

 牢獄にまだ誰か囚われているとは思わず二人して跳び上がったが、よく聴いてみればそれは幼い女の子の声のようだった。様子を見ようと格子こうしに顔を押し付けるが、牢獄の部屋は横並びになっていて正面のごつごつした岩壁しか見えない。

「誰なの」とツィパロが呼びかけると遠い声が嬉しそうにはずんだ。

「ツィパロ!ねぇ、ツィパロでしょ?助けに来てくれたんだ、ヤンはここだよぉ!」


 ツィパロが手を触れて魔法をかけるとヨーテルの縄も格子も簡単に壊れた。幼い声の正体は本物のヤンで、また森でフラフラと迷っていたところをさらわれてきたらしい。

「ツィパロ、ヤンはドーナのところに帰れる?むかえに来てくれたんでしょ?」

 木の洞さとでツィパロたちはどう言われているのか、ヤンは本当に二人が自分を助けに来たと信じているようだった。里を抜け出してきた二人が、ヤンを連れてノコノコ帰っても何を言われるかと考えながら幼いヤンをひとまず慰め元気づける。この牢獄から抜け出す方法さえわからなかったが、今はともかく怯えるヤンと手をつないで三人で眠ることにした。

 気が張っていたせいか、たいして眠った実感もないままにガンガン格子を叩く音で目覚めた。

「牢を壊したのはアンタかい」

 エヴィは考えるそぶりもなくツィパロを縄で縛りあげた。魔法が掛かっているらしく今度はびくともしない。

「そこのチビちゃんみたく大人しくしてれば良かったのにサ。アンタはこれから従順であることを学ばなきゃ。悪く思うんじゃないよ」

 急に起こされていまいち頭のはっきりしないまま、ツィパロだけ牢から引きずり出される。寝起きできょときょととしていたヤンが格子の閉まる音に反応してとっさに鉄の棒をつかんだ。

「やだぁ!ツィパロをつれて行かないで、なにもしないよぅ!」

「何もしないって事はないデショ、現に壊してンだから。それにアンタらがどういう商品なのか、わからせるのがアタシの仕事なんでね」

 エヴィがツィパロを蹴り飛ばすのを見てヤンが泣きだす。それと同時に大地が縦に揺れた。

「何事だい」

 エヴィがつぶやくとどこからともなく見習い魔女マジアチカが一人現れた。

「エヴィ、東の魔女隊が来た。こいつらは放っておいて早くドーナのところへ」

「どーゆーこと?例の隊とは話しを付けたんじゃなかったのか?」

「わからない。それより早くいくよ」

 エヴィの仲間が闇に消えると、エヴィは黙って三人を一瞥いちべつした。そして自分も同じように闇に消える。

 エヴィがいなくなるとまた大地が揺れる。それに合わせて壁にはまっている岩がガタガタと音を立てた。ヨーテルは勢いよく格子を蹴るがビクともしない。

「私なんかじゃ壊せない……」

 ちらっとヤンを見るがヤンも首を横に振る。

「……ヤンはまだ<しるし>を貰っていないの」

 ツィパロが苦し気に体を起こす。いつの間にか縄はほどけていた。

「エヴィが魔法を解いていったみたい。いま、そこを開けるから……」

 痛む体を折り曲げながらツィパロが壁づたいに二人に近寄ろうと歩き出すとまた大地が揺れる。すると、壁の岩の一部が崩れ、ツィパロの上に転げ落ちてきた。

「ツィパロー!」

 ヤンが今度こそ大声で叫ぶと、突然どこからか水が押し寄せてきた。水の勢いが格子を押し広げ三人ともども攫っていく。濁流に翻弄ほんろうされ、息つく暇もなく草の上に打ち上げられた。

 ヨーテルは、気を失ったヤンを抱えた状態で打ち上げられ、咳するように水を吐く。あたりを見回せばツィパロもそばで空気をのんでいた。お互いの無事にホッとしたのもつかの間、沼地に爆発音が響く。あたりは沼から立ちのぼる蒸気と喧騒に包まれていた。ヨーテルはヤンを抱えなおしツィパロに這い寄る。

「動ける?早くここから逃げなきゃ!」

「大丈夫。水のおかげで降ってきた岩も当たらなかったみたい」

 沼地には身を隠すものは無いが、この混乱の影響で地面からより一層濃く昇っている霧だの蒸気だののおかげで側にいる人以外は見えたものではない。誰とも出くわさないことを祈りつつ、二人はできるだけ物音や声のしない方へと走った。しかし不運にも目先の沼に何かの塊が降ってきて水しぶきが上がる。

 ツィパロが空を見上げて叫んだ。

「ソルテ!」

 ヨーテルが追って空を見ると水しぶきの隙間に魔女が一人浮かんでいるのが見えた。しかしその姿もすぐ風にあおられた霧に隠されてしまう。

「ヨーテル、私行かなきゃ…!」

 必死の目のツィパロにヨーテルは何とも言えない気持ちがした。

 ヨーテルはソルテと目が合ったように思った。彼女がここにきてツィパロに気づいていたとして、塊を落としたのは何故だろうか。彼女は今、なんの為にここに居るのだろう。

「ねぇヨーテル、私、わたしっ……!」

 取り乱してヨーテルの腕にしがみ付くツィパロの手を握り返す。反対の手に預けたヤンが重い。

「わかった……、わかったけどツィパロ、まずはここを離れなきゃ。それで、この騒ぎが落ち着いてから改めて会いに行こう!」

「……でも」

「今はヤンもいる。ここで何が起こっているのかもわからない。無茶はできないよ」

 ハッとしてツィパロがヤンを見る。水にぬれて冷えたのかすっかり顔色の悪くなってしまっている幼い子を見て小さくうなづいた。

 離れた場所でまた爆発音が聞こえる。どこをたどれば沼地から出られるのかわからないが、とにかく歩くしかない。さっきのように突然何かが降ってくることにも注意しなければならない。沼地から無事に抜け出すことを途方もない事のように感じ始めたその時、二人が向かおうとした先から細長い人の影が現れた。踏み出した足が緊張で氷のように固まる。

「逃げずとも良い。逃げても構わないが」

 落ち着き払った声の主は沼の魔女たちの黒いコートではなく、灰色のマントをまとった背の高い魔女だった。

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