第5話 沼の底

「おはよう。気分はどう?」

 ヨーテルが目を覚ますとツィパロはもう起きて窓の外を見ていた。森でのリズムが体に染みついているのか、昨日の一件で眠りが浅かったのかはわからないが少なくとも顔色は良さそうだ。

「出歩く人の少ないうちに町を出ようか」

 早くから働く農家に頼み込んで食料を売ってもらい町を出る。その食料が無くなれば道々に旅小屋で歌を歌ったり薬を売ったりしながら食いつないでいった。ツィパロはしばらく男性客が来るとヨーテルの後ろに隠れたが、旅を続けるうちに売買のやりとりは問題なく出来るようになっていった。ツィパロが一人で薬売りをできるようになれば、ヨーテルはツィパロに店番を任せて客寄せの歌を歌う。どこかで聞いた誰かのスキャンダラスな歌や、少し古くても愛を語る歌は人が寄りやすい。ヨーテルは弱いながらも音の波に魔法を乗せる。そうすると道行く人に良く歌がとどいた。

 今日の日銭がたまり、そろそろ寝床を探しに動こうかというころ、そばで薬を広げていたツィパロが誰かに絡まれているのが見えた。目深にフードを被った小柄な人物がしきりに何かを言いツィパロがむくれている。

「お客さんどうかしましたか」

 ヨーテルが声をかけるとその客人はキンとした声で言う。

「この枝切れはなんだって言ってんのにろくな返事しないのよォ。ホントにこんなモンが薬になるワケ?」

「ちゃんと効くって言った」

 早口でまくし立てられツィパロが苛立ち気味に答える。「田舎モンには効くかもしンないけど」なんて言う客人とずっと睨み合っている間に入りつつ、ヨーテルは客人のフードの中を覗き見た。そばかす顔で目元のきつい、同じ年ごろの少女のようだ。

「そういうお客さんはどこ出身?」

 なるべく軽い口調できいてみると少女は胸をそらせた。

「沼地出身。アンタらは木の洞から来たンでしョ」

 そうして不敵に笑う。少女が魔女であることにヨーテルは驚き、ツィパロは出身を見事当てられて嫌な顔をしていた。とはいえすぐ肯定はせずに、なぜそう思うのか少女に尋ねる。

「アタシちょっと鼻が利くンだよね。最近アンタと似たような匂いのする奴と会ったのサ」

 得意げにツィパロを指さして言う少女のその言葉に二人は目を合わせた。ツィパロと同郷の人間に会ったというのは、もしかしたらソルテのことかもしれない。

「沼地にはよく他所の魔女ひとが来るの?」

 ヨーテルが訊くと少女はニヤッと笑った。

「まぁね。アンタら今日の宿を探してンだろ?よかったら来るかい」

 二人にとっては願ってもない誘いだった。しかし魔女の里に呼び込むにしては不自然に気安いように思い、二人は警戒しながら少女の誘いに乗ることにした。

「助かるよ。わたしはヨーテル、この子はツィパロ。よろしくね!」

「アタシはエヴィ。よろしく!」

 荷物を片付けると三人は連れ立って歩いた。


「ここがアタシの里。足元に気をつけな」

 街はずれのその場所は霧の立ちのぼる広い湿地帯だった。地面は全体的に湿って黒々とし、また霧のせいで光が届きにくくて足元が道なのか沼なのか区別がつかない。エヴィに言われ、彼女の足跡をたどるように歩いた。

 ある場所でエヴィが一歩踏み出すとこれまで全く迷いなく道を歩いていたエヴィの足が黒い地面の中に沈み始めた。

「大丈夫?」

驚いて声をかけるとエヴィはへらへらと手を振る。

「大丈夫、ここが家。アンタらもビビらないで同じように入ってくンのよ」

 そのまま沈んでいくエヴィを見送った後、ヨーテルがツィパロの手をぎゅっと握った。

「大丈夫だよ。他所の里も似たようなもんだし、木の洞もだいたいこんな感じだったでしょ」

 声を震わせながら隣を見るとツィパロは目をこぼれそうなほど見開いて、エヴィが沈んでいったところを見つめていた。

「……まぁ、人間の家と比べるなら」魔女の住まいなんてどれも同じと呟き、二人せーので踏み込む。生ぬるい沼にじわじわと沈んでいく感覚はぞっとするものがあった。

 思わず息を止めていたが<家>に入ってしまえばどこも濡れたとこなんて無い。

「ハハ、みんな初めはめっちゃ怖がンだよね」

 まだ顔色の悪い二人を見てエヴィが声をあげて笑う。その声を聞いてか、家の奥から目じりのしわの深い魔女が現れたエヴィの先生ドーナだろう。

「旅の通過点へようこそ、この里は出入り自由だ。ゆっくりしていきな。」


 この家にはなんと客間があるらしく、ヨーテルとツィパロはそろって快適な部屋へ案内された。ツィパロは魔女の里という事で旅の出来事を忘れくつろいでいるようだったがヨーテルは不安だった。これまで旅した里でこんなに簡単によそ者を<家>に入れた里はない。旅に出る前、故郷の魔女マジア・ドーナに聞いた話の中では沼地の魔女はもっと陰湿で意地の悪い印象だ。意地の悪さだけで言えばエヴィにはそういった雰囲気が残っているが果たして数年でこれほど変わるものだろうか。

「木の洞であった<カラス>は、この里で良くない事が行われているように言ってたけど、そんな感じがしないね」

 不安を声に出したくてツィパロに行ってみるがツィパロの返事はそっけないものだった。

「思い違いだったのかも。人が行き来してるのを勘違いしたとか」

「でもエヴィが言った、ツィパロと同じ匂いの人のこと気にならない?」

「……それはまぁ、たしかに」

 ようやくツィパロがヨーテルに向き直るが、その目はとろとろと今にも閉じてしまいそうだ。なにしろ初めての旅でツィパロはひどく疲れていた。

 結局そのあとはろくな話し合いにならず二人はベッドに沈んだ。沼の底の家には窓がなく家の中はずっと薄明るかったので、目覚めたころは何時なのかヨーテルにはわからなかった。何の気なしに隣のベッドを見るとツィパロが居なくなっていた。

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