僕は、"真"社会人になりました。

ノタマゴ

僕は、"真"社会人になりました。

「タクト!久しぶり~!どうしたの?」


 やあ、今から会える?一緒に飲みとかどう?


「あれ、なんか元気なくない?」


 そう?いつも通りだよ、むしろいつもより元気。


「あっそ!まあいいけど!会おう会おう!」


 

 僕は微笑みながら電話を切る。小学生からの幼馴染はみんな今でも人が良い。


 雨にうたれている夜の街を通り、約束の場所に着々と歩を進めていた。


 過ぎ去った日々の想い出にふけりながら―――





******************





 小学校の帰り道はとても楽しかった。



 一面に広がる田んぼは生命いのちに満ちていた。


 風で揺れる稲穂。

 戯れるトンボ。

 さえずる鳥。


 僕にとって素晴らしいところだった。



 なぜって僕は、


 生命いのちに満ちた自然を



 ぶっ壊すのが大好きだったからだ。



 ズタズタになった植物を見た時。

 ぐしゃぐしゃになった虫を見た時。

 鳥に石をぶつけて弱らせ、息の根が止まるまで石を投げた時。


 なんと幸せなことだろうか、と僕は思った。


 衝動だ。理由はない。ただ、やりたくなるのだ。



 小学生の終わり頃、だいたいのできることをし終えて、帰り道にも飽きてきていたころ、ふと思った。



 人を殺したらどうなるんだろう?



 さすがに自分でも気が狂ったかと思った。

 ついにここまできてしまったかと。


 ただ、僕は1日中そのことについて考えてしまっていた。


 これでは中学は非行少年まっしぐらだと、僕は確信していた。





 案外そんなことにはならなかった。


 中学校に入ると僕は少しずつ人目を気にするようになった。


 殺人はよくないぞ

 そんなことは非常識だぞ

 僕は学校生活でそんな雰囲気を察した。

 嫌なほど聞かされた気分だった。


 この社会には、暗黙の了解ルールというものがある、と。


 僕も殺人はいけないんだと思い込むようにした。


 さらに中学校の帰り道は人工物であふれていた。


 人間を殺すどころか、虫を殺す回数も減っていった。


 そして何より、僕が勉強に結構ハマってしまったのだ。


 得意科目は理科。

 あの衝動は勉強で昇華されていたのかもしれない。


 成績は徐々に上がり、3年目にはトップに輝いた。


 トップの座は高校になってもある程度維持できた。


 大学でも無難に勉強した。


 そして、僕は、皆より少し誇れるほぼ一流の会社に就職した。



 25歳になった僕。


 あの衝動はしっかりと抑圧されていた。


 僕は、立派なになっていた。



 小学校の同級生は少なかった。僕含めて12人だった。

 正直言うと、そのころは同級生を獲物として表向きに優しく接していた。

 実際年を経るにつれてその同級生たちも、いつのまにか獲物という枠もなくなり普通に親しくなった。獲物と言ってた自分が恥ずかしくなってくるほどだった。

 今では酒を飲み歩く仲になってる人もいる。

 


 幸運なことに僕は勉強が皆よりできてたから、男女問わずいろんな人からもてはやされていた。

 エリート!天才! と。

 僕は当初はなんで自分のことで騒いでるのかわからなかった。

 でも、年月を重ねていくにつれて社会のことがわかってくると、自分が今いる状況、自分の価値を客観的に理解するようになっていた。


 僕は人気だったらしい。




 恋人もできた。

 サヤだ。


 会社の上司に無理やり参加させられた合コンで出会った4歳年下の大学生。

 合コン中、おしとやかでありながらも熱烈に僕にアピ―ルしているように思えた。

 それであとで声をかけてみたらこうなった。

 合コンにいた女の人の中では可愛い方と言われてたから、ちょうどよかった。



 サヤには自傷癖があった。

 辛いこともあるだろう、となだめていた。

 なだめるとき、いつもサヤの傷跡がよく見えた。

 僕は、彼女の傷にちょっと惹かれていた。



 サヤと行為に及ぶことは何回かあった。


 サヤは悶えるような声を漏らしつつ何かに耐えていたが、僕はシーツを掴む彼女の腕の傷跡ばかり見ていた気がする。

 サヤとの行為自体は特別いいというわけでもなく、内心ちょっとがっかりしていた。

 だけど僕はあの傷跡に無意識的に惹かれてその後も行為に及んでいた。




 仕事は順調だし、サヤとの関係もまあ良好。

 だけど何かが足りない。


 心に小さな穴を抱えて生きていたある日、唐突に僕に転機が訪れる。

 それは僕の運命の転機だった。

 生まれ持つ衝動、それは抑圧するにはあまりに大きすぎるものだった。



 仕事が早く終わり、僕がサヤと同棲している3階建てアパートに戻ろうと階段を上っていると、僕の頭上から騒がしい音がしていることに気付いた。


 このアパートの足場と階段は安っぽくて足音がよく響いていた。


 まもなく、黒のフード付きのジャージを着た1人が焦ったようなそぶりを見せて階段を降りていった。


 僕にはすぐわかった。

 というより、誰がみてもその人が何かをしでかしたということはわかっただろう。


 なぜか頭の中で血生臭い映像がちらつく。


 ダメだ、そんなことはあっては。


 通報しよう…と思ったが、僕はそれよりもサヤを心配し、3階へ駆け上った。


 僕がさっきいたのは2階だ。


 だからあの不審者は3階で何かをしたことになる。


 急いで廊下を見渡すと、奥の部屋のドアの様子が変だった。


 少し、開いていた。


 僕たちの部屋は奥から3つ目だ。

 サヤは無事だった。



 開けて逃げるとはなんと無計画な…と僕は思いつつ奥の部屋へ恐る恐る近づいていく。

 犯人がいないとわかっていたのに。

 

 好奇心は抑えられなかった。


 僕の興味はすでにあの部屋の中にしかなかった。


 まさか、起きたのか…?僕の身近なところで…。


 頭の中のイメージが鮮明になっていく。



 ドアに手を当てる。



 脈が激しくなるのを感じながら、僕はドアを開いた。




 部屋の中は暗くなっていた。


 太陽から差し込める光が僕の影を作り、まるで僕より先に部屋の中を見渡しているようだった。


 玄関に散らばったヒール。

 被害者は女か。


 不法侵入だがそんなことを気にする余裕は僕にはなかった。


 かつて自分の一部ともいうべきだったあの衝動はもう抑えられないところまで来ていた。



 ここでみてしまったら後には戻れない。


 だけど大人しく自分の部屋に戻ることなんて不可能だ。



 玄関に足を踏み入れた。



 部屋の奥に何かが見える。


 足だ。


 もう衝動に呑まれていた。



 死んでる…!死んだ人間だ…!!



 僕のイメージは現実と同化しかけていた。



 かつてない興奮に満ちた僕がまた一歩踏み入れようとしたとき、耳に信じられない音が飛び込んだ。




 女の、むせび泣く声だった。




 あの黒フードの人は、の強盗犯だった。



 ひどく落胆した。

 それと同時に、こんなことが起こるわけないと安堵した。





 だが、この事件をきっかけに、日に日に僕の周りが変貌していったような気がした。




 暑さの厳しい夏。


 綺麗に整備された街路樹が広がる道を通勤でいつも使っていた。


 今年はやけにセミの死体が転がっている気がした。



 蚊も今年は多い気がした。


 潰した数も多かった。


 潰すごとに、昔あった何かを呼び起こすようになっていた。



 サヤの傷跡も増えているような気がした。


 でも飲み会から帰ってくるとサヤはいつもどおり笑顔で迎えてくれる。


 でも何かがおかしい。



 …いや、僕がおかしいんだ。



 僕が、おかしくなっていた。




 事件から1ヶ月後、僕は小学校からの友人であるアラタとサシで飲みにいった。


 そのときに、僕は酔った勢いで子供の頃のあの欲望をアラタに打ち明けてしまった。


「おれさぁ、人を一回でもいいから殺してみたかったんだよね」


「ダメだって!人殺すは!笑」


 アラタは笑いながら僕の考えを一蹴した。


「真面目に聞けよ~」


「だって考えてるだけだしな!おれだってクソ上司ぶっ殺したいくらいだぜ!」


「そうだけどよ~小学校のときって興味本位で虫殺してたりしてたじゃん?どうして虫は殺してもいいのに、人間になると急に罪に問われちゃうんだろって当時は思ってたな~」


「そりゃあ、おれらも人間だからなぁ、感情移入しちゃうだろ」


「ふ―ん…」


「タクトお前、まさか本気で殺ろうなんて思ってねえだろうな!おい!笑」


「んなわけないだろ~笑」




 いや、んなわけはある。


 あの事件から1ヶ月、もう僕は血にまみれた死体で頭がいっぱいだった。


 悶々としていた。


 死体を見たわけではないのに、僕の鮮明な想像で僕の脳は刺激されていた。


 そして、ついに、一線を超えた。



「…殺す。人を。」



 僕は帰り道、無意識にそう呟いた。


 いや、人だけは殺しちゃダメだ!


 社会サイドの僕がすぐさま割って入る。


 人の社会には、暗黙の了解ル―ルというものがある。


 人を傷つけてはならない。社会が許さない。


 それなら、今後に不便が及ばぬよう、ちゃんと暗黙の了解ル―ルを守ってるんだ。


 となると、殺すのは、



 "心"。



 バレにくく、そしてバレたとしても不利益の少なそうな場所といえば、"心"だけだろう。


 "心"の傷は見えない。


 それに、"心"を殺すことは、おそらく人間が人間に対してしかできない殺し方だ。


 その特別感はとても素晴らしい満足感をもたらすだろう…。


 僕は笑みをこぼした。


 …よし、誰を獲物にしようか。


 僕は小学生の時のように高揚しながら帰り道を歩き、家に着いた。




 玄関のドアを開けると、サヤが立っていた。


 彼女の様子がおかしいことに気づいた。


 彼女はまた腕に傷をつけていた。


 いつものことかと思い、いつものようになだめようと腕を伸ばそうとすると、今回の彼女はいつもと違った。


「ふざけないでよ!!」


 サヤは僕の腕を無理やり引き離した。彼女は涙を浮かべていた。


「もう、限界…。あたしがツライって言ってる時にいつもそばにいてくれない…タクトがいてほしいっていうときはあたしはいつもそばにいるのに…!あたしのそばにいてよ…!」


 僕は高揚していたせいか彼女の小さな叫びを一言も聞いていなかった。


 僕は膿のひどくなった自傷跡に夢中だった。



「何見てんだよ!!」



 今まで聞いたこともない彼女の大きな声でやっと僕は耳を傾けた。



「いつもタクトはあたしのリスカ跡みてるよね…そんな気になる…?ねぇ…?見せてあげようかそれなら…!見せてあげるよ!!」



 彼女は死んだ目を見開いて笑みをこぼしながら、また自傷を始めた。



 ここにきてようやく気づいた。


 サヤは既に"心"が死にかけていた。


 最上の獲物は、ここにいた。


 あの衝動は蘇った。



 獲物を決めると、僕は頭の中をすぐに殺人の準備に切り替えた。


 さあ、どう殺そうか…?


 考えた末に、今1番言ってはいけないであろう言葉を言い放った。



「なあサヤ、もう別れよう。」



 単純の方が効くと思った。


 効果は絶大なはずだ。




 サヤはガタン、と膝から崩れ落ちた。



 死んだ。



 僕はついに殺したんだ、人を。



 虚ろになった目。


 体に吊るされた糸がプツンと切れたかのように脱力した体。



 サヤは、"死体"となった。



 たまらなかった。骨の髄まで僕の体が喜んでいるようだった。



 僕は別れるつもりは毛頭なかったが、身支度をすると見せかけて自分の部屋に戻った。


 そして抑えていた感情を解き放った。



 喜びと涙。


 十数年という歳月をかけて深く沈み込んだ衝動は噴水のように外に漏れ出し、僕の全てを覆った。



 いい…すごくいい…!


 これが、せい、というものか…!


 あぁ、サヤ。君はとても最高だ…!僕の心の穴を埋めてくれたんだ…!!余韻を楽しませてくれ…!!


 そうだ…彼女には調味料ねぎらいが必要だ…!!

 もっと長く楽しませてくれよ…!!



 まだ人生最高の時を楽しもうと自分の部屋のドアを開けた。



 僕は呆気にとられた。



 目の前に"死体"になったサヤがいた。



 自傷するには大きすぎる刃物を持って。





「ウグッッ!??」





 彼女に腹を刺された。



 僕は痛みを感じるとともに困惑していた。



 人を傷つけるのは…反則じゃないのか…?



 その場で僕は崩れ落ちた。



 サヤは何処かへ消えていた。



 体から漏れ出る血を感じた。



 朦朧としながら自分の血で赤く染まった床を眺める。



 幾度となく頭の中で繰り返された鮮血の画。



 今の僕と、そっくりだった。



 あのイメ―ジは、僕だったんだ。



 なんと、幸せなことだろうか―――





************************






「――殺人未遂の容疑で、小野山サヤ容疑者を現行犯逮捕しました。

 警察の調べによりますと、午前0時頃、小野山容疑者は同居していた25歳の男性を刺したあと、自ら警察に110番通報、逮捕に至ったとのことです。

 調べに対し、小野山容疑者は、『ひどいことをした』と、容疑を認めているとのことです――」





******************





 気づけば病床にいた。


 僕は勘違いしていた。


 社会の暗黙の了解ルールは、絶対ではなかった。


 僕は社会に洗脳されていたんだ。


 ちょっと考えればわかるを忘れていた。


 生まれ持ったものを抑圧することこそが反則だ。


 サヤも、衝動を社会に抑圧されていたのだろう。


 でも、結局は僕に解放した。


 サヤも幸せだっただろう。


 それなら、僕はサヤを許す。


 僕も、あの時幸せだった。


 僕の頭の中のイメージが、僕によって叶ったのだから。


 この幸福を、忘れてはならない。


 これからも…。



 

******************




 約束の場所にはいつのまにか着いていた。


 思い起こしているとすぐに時間が経つものだ。


 向かう途中、僕の行動について自身に改めて問い詰めていた。


 おいしそうな食べ物を見たら食べたくなる。


 好きな異性をみつけたらくっつきたくなる。


 結局、それと同じだ。


 至ってシンプルだ。同じ衝動だ。


 みんな解放している。ならば僕も解放する権利がある。

 

 僕はおかしくなんかなかった。


 社会からおかしいと言われ続け、僕は着実に社会に殺されていった。

 だが、むしろおかしかったのは、僕におかしいと言う社会だったのだ。


 そんな社会から僕を解放してくれたサヤには感謝しかない。


 これからは、理想的な新しい社会に身を投ずるのだ。



「おまたせ!待った?」



 今日も、いい日になりそうだ。


 抑圧のない社会、ここでは僕は立派なだ。


 僕は喋る獲物に、最高の笑顔で応じた。


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