第44話
放課後。
今日は、月曜日。
またテスト前期間となり、部活はしばらく休みである。
本当は時間が許す限り、勉強をしなければならないのだけれど。
今日は一番に、やらなければならない事がある。
瑠衣は授業が終わると、教室に残っていたある男子生徒に声をかけた。
「久世君」
斜め前の席に座っていた彼は、こちらに振り向いた。
「…何?」
彼と目と目が合うだけで、心が撥ねる。
まるで自分が、何かの魔法にかかっているかのように。
「これから、時間ある?」
彼は、目を大きく見開いた。
「…うん」
「よかったら、時間をもらえないかな。話をしたいの」
彼は無表情だったが、頷いてくれた。
「…わかった」
瑠衣は久世君を、帰宅途中の駅近辺にある大きな水族館に誘った。
最初に偶然会った場所、『マリン・マーメイド』だ。
入口で、お互いに年間パスポートを提示する。
「年パス仲間、でしょう?」
「知ってるの?」
「日記で、読んだから」
瑠衣は笑った。
世界中の海の生き物たちを観察しながら、しばらく二人で黙って館内を歩いた。
2階に上がってしばらく歩くと視界が広がり、大きなガラスドームが見えてくる。
相変わらず元気そうに群泳するクロマグロから目を離し、瑠衣は久世君の方に体全体を向け、きちんとお礼を言った。
「久世君、ありがとう」
瑠衣は彼に、頭を下げた。
「助けてくれて」
彼は、瑠衣をじっと見つめ、
そして、柔らかく微笑んだ。
「うん。無事でよかった、瑠衣」
息が止まりそうになる。
この微笑みの、絶大な威力に。
『瑠衣』と自分を呼ぶ彼の甘い声の、優しい響きに。
彼は館内カフェに行こうと、瑠衣を誘った。
空いているカフェに2人で入ると、迷わずに彼は窓際の席を選んだ。
向かい合わせでその席に座ると、ミートソーススパゲッティ、ナポリタン、アイスコーヒー二つを素早く彼は注文する。
瑠衣はぽかんと、その姿を見つめた。
「あの…。夕飯をここで、一緒に食べるの?」
「うん。…再現、したいんでしょう?」
「…」
お見通しである。
「うん。再現して、何か思い出したい。ヒントだけでもいいから」
何故か、ここから忘れているのだ。
クラスでの自己紹介があった日の放課後に、ここに来たはずなのだが。
水族館で、久世君と過ごした記憶からが無い。
「家に電話する?」
「…うん。夕飯いらないって、伝えておくね」
瑠衣が電話をかけ終わると、久世君は話し出した。
「記憶が無いって聞いた時」
彼の表情が、少し陰った。
「自分だけが忘れらた様な気がして、少し寂しかった」
「…うん」
「でも、瑠衣は、瑠衣だから。もう、思い出しても、思い出さなくてもいい」
「…」
「こうやって話をしている瑠衣が、どの瑠衣だとしても、俺は別に構わない」
今の自分は、
今この人が言ってくれている言葉の意味を、どのくらい理解できているのだろう?
ただ、自分が、
この人に、とても大切にされているという事だけ、感じる。
「どうして…?」
「?…」
「久世君は同じクラスになって初めて、私と知り合ったんでしょう?…この短い間にどうしてここまで私と仲良くなってくれて、ここまで、優しくしてくれるの…?」
強引で、図々しくて、自分勝手で、
少々ウザいクラスメイトだったに違いないのに。
「本当は、クラスで会う少し前に、瑠衣と話した事がある」
「……え?」
そこで、料理とコーヒーが一気に運ばれてきた。
久世君が、フォークとスプーンを取り、瑠衣に手渡ししてくれる。
…以前にも、この様に取ってもらった事がある気がする。
「ありがとう」
「うん」
スパゲッティを食べながら、彼は話の続きを始めた。
「春休みの終わり。父親は海外にいて来れないから、挨拶と手続きがあって一人で学校に行った。その時、いくつも棟があって、散々迷った」
久世君は、少し思い出すように窓の外でヨチヨチ歩くペンギンたちを見つめてから、また話し出した。
「今思うと、あれは部室棟のあたりだった。そこにだけ人がたくさんいて、何かの準備をしているみたいだった」
部活動の新入生勧誘と歓迎会のために、講堂で説明会をしていた時だ。
瑠衣は本部の一員だったため、説明会の案内をするために、タスキをかけて校内のあちこちを歩き回っていたのだ。
「本校舎を一人で探していた俺に、瑠衣が話しかけてくれた」
『何か、探してますか?』
「場所を聞くと瑠衣は親切に、本校舎の入り口まで一緒に歩いて、案内してくれた」
瑠衣は思い出そうとしたが、まるでそのことを覚えていない。
「瑠衣の顔を、ずっと忘れなかった。…その後クラスに初めて行ったら」
久世君は、少し顔を赤くしながら瑠衣を見つめた。
「同じクラスになってて、隣の席だった。…嬉しかった」
瑠衣は緊張してしまい、口に入れたスパゲッティを、飲み込めなくなってしまった。
「あの日、偶然ここでばったり会えたことも、嬉しかった」
「…」
何だか、信じられない。
「だから、少しでも一緒にいたくて、カフェに誘った」
これではまるで、…その。
告白、みたいな…。
だったら、この言葉を聞かせてもらうのは、今の自分ではいけないのではないだろうか。
彼との思い出が、無い自分ではだめだ。
家に帰ったら、
記憶が戻った自分にきちんと伝わるように、彼からもらった言葉を一字一句間違わないように、日記に書き留めなくては。
「何度でも言う」
彼は、またお見通しと言った表情を見せた。
「もし記憶が戻ったらまた同じ事を言う。…だから、心配しないで」
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