14

本気だったのかも

 世界は赤と緑、金と銀で覆われている。哲は目をしばたたいた。右を見ても左を見てもクリスマス、クリスマスだ。

 クリスマスの思い出は人並みに持っているが、家族と過ごしたのは中学生くらいまでの話だ。グレはじめてからは家にいる時間も短かったし、そもそも哲の父親は世間の男性一般と同様、その善き日に大した思い入れがなかったようだ。

 父が他界した後哲を引き取った祖父に至ってはクリスマスイブとクリスマスの区別すらついていない有様だったから、その後も哲の中でクリスマスの優先度は下がっていくばかりだった。

 哲の先を行く秋野は、通路に溢れかえる女性客の間をすいすいと縫っていく。

 哲はつい何度も足を止めて周りを見回した。籠に山と積まれたサンタの形の蝋燭。

──赤ら顔のじじいが山盛り。正直言って気持ち悪い。

 飴らしき素材で出来た飾りの数々。

──あれは来年も使えんのか? 飴って腐らねえのか。腐らなくてもべたべたになりそうだ。

 様々な種類のリース。

──こんなちいせえのがこんな値段? 松ぼっくりと葉っぱを捩じって輪にしただけなのに。

 昨今のクリスマスはプラスチック製の木のてっぺんに星をくっつけたツリーを飾るだけでは駄目らしい。哲は面倒な世の中になったもんだ、と年寄りのような感想を抱きつつ、女の集団から頭一つ飛び出た秋野の姿を目で探した。


 クリスマスイブを目前に、耀司の部屋でのクリスマスパーティーに招待された。秋野を通して連絡があったのがつい先日。面倒くせえなあ、と言うのが哲の偽らざる気持ちだったが、秋野や耀司ならともかく、真菜の招待では断れなかった。

 女というのは誰も彼もクリスマスという言葉に弱い。勿論例外だっているだろうが、真菜は例外ではなかったようだ。

 祝日の今日、七時開始。大きなケーキが用意されるのは、利香が来るからだそうだ。大人は利香が疲れて眠った後にゆっくり飲もう、ということだったが、利香が来るなら飲む前に大人たちも疲れて寝てしまうのでは、という危惧もあった。子供のエネルギーというのは成人を遥かに凌駕する。体力面では間違いなく劣るのに、子供の発する熱量というか力というか、あれはもう超能力の域だといつも思う。

 哲自身にもそんな時代はあったのだろうが、エネルギーとともに記憶も発散されてしまったらしく、思い出すことはまるでできない。

 それはさておき、真菜にお使いを頼まれた秋野と哲は渋々中心部にやってきた。真菜がどうしても欲しかったリースが届いたという連絡が入ったらしい。哲に言わせればどれも植物を輪っかにしただけの代物だと思うのだが、真菜にしてみればセンスのいいものとそうでないものとは、雲泥の差なのだそうだ。

 秋野と哲は店の名前と担当の店員の名前を告げられ、金を持たされて部屋から追い出された。そして、この四方八方からサンタクロースが攻めてくる店内に途方に暮れて突っ立っている。

 もっとも、途方に暮れているのは哲だけだ。秋野は甘ったるい笑顔を振りまいて女たちを掻き分け進み、店の一番奥にあるレジの前に辿りついたところだった。しかしレジには長蛇の列。髭面のジジイとか赤と緑のあれこれとか。ほんの数日したら抽斗の奥に突っ込むような諸々を何でそんなに買うんだか。哲も人混みを縫って奥に進み、ようやく秋野の横に立った。

「すっげえな、混んでて」

 秋野は黒いカラーコンタクトを装用した目で店内をちょっと見回し、頷いた。

「祝日だからな。今日はどこもこんなもんだろう」

「なんかもう十分って感じしねえか」

 哲のしかめ面に秋野は肩を揺らして笑う。

「弱音を吐くなよ。これから耀司のところでもう一働きしてもらわないとならないんだからな」

 耀司の部屋は真菜の手によって一部の隙もないクリスマスコーディネートが施されていた。真菜のセンスがいいらしく、うるさくも派手でもなかった。だが、哲にしてみたら地味だろうが派手だろうが、クリスマス仕様には違いない。

「もう胸一杯だっつーの……」

 うんざりと吐き出すと、秋野は声を立てて笑った。




「哲!」

 店を出た途端人混みから名を呼ばれて、哲は辺りを見回した。隣のコーヒーショップから出てきた男が手を振っている。

「よう、猪田」

 近づいてきたのは高校時代の友人、猪田だった。猪田が地方に就職して数年間は疎遠になっていたが、この夏転勤で戻ってきた。戻ってすぐは何度か会っていたが、最近は猪田が年末の繁忙期だったから、顔を合わせるのは久しぶりだ。

「何してんだよ、哲。こんなとこで」

 そういう猪田は祝日だというのに、ぶら下げているビジネスバッグも着ているコートも明らかに仕事用だ。

「頼まれて買い物にきた。お前は仕事か?」

「そう」

「祝日なのに」

「年末だから忙しくてさあ。でも、もう帰るけどね。哲は──」

 そこまで喋って、猪田はやっと哲の横に立つ秋野に気づいたらしい。秋野から哲に視線を移し、また秋野に目を向ける。猪田にしては珍しいことに、無遠慮に上から下まで秋野を眺め回している。

「おい」

「うわ⁉」

 哲が猪田に声をかけたら猪田は本気で驚いたらしく、大袈裟なくらいびくりとした。秋野はおかしそうに笑い、一歩前に出て猪田に向かって軽く会釈した。

「こんにちは」

「ああ! ええと、すみません……こんにちは。哲の高校の友達です、あの」

 猪田は気圧されたように二歩下がり、いきなり哲の腕を引っ張った。

「哲! こっち!」

「あ? おい、ちょ」

 哲は猪田にぐいぐい引っ張られてその場から離された。無理矢理移動させられ肩越しに振り返ったら、秋野は慌てることなく元の場所に立っている。

「何だよ」

 腕を引くと、猪田の指はあっさり離れた。猪田は哲の頭越しに伸びあがり、ちらりと秋野を見て首を縮めた。まるで物陰から周囲を窺う格好だが、哲と猪田の身長はほぼ同じだから、どう考えても隠れられているとは思えない。

「だから何やってんだ、隠れてねえぞ、全然」

「お前、なんつー恐ろしげなのとつるんでるんだよ」

 秋野に聞こえるわけもないのに声を潜めた猪田の顔が真剣だったから、哲は思わず吹き出した。

「そう見えるか?」

「見えるなんてもんじゃないよ! 哲もいい加減恐ろしいけど、それはもう馴れてるし」

「うるせえなあ」

 哲は猪田の脛を軽く蹴飛ばした。猪田は手にしたビジネスバッグで哲の腿を軽く叩き返して少し笑ったが、すぐに笑いを引っ込めた。

「別に普通のやつとつき合えとか言わないけどさ」

「普通ってなんだ。つーかお前は俺の親父かよ」

「何言ってんだよ。そういうんじゃないけど」

「けど?」

「──あのひとに、頭から食われんなよ」

 真顔で言ってぶるぶると首を振り、猪田はじゃあな、と哲に手を振った。



「悪ぃ」

 猪田の背中を見送り秋野のところへ戻る。秋野は頷き、紙袋をぶら下げ、何も言わずに歩き出した。哲は横に並び、秋野の横顔に目をやった。そういえば、今日の秋野はコンタクトをしている。あの物騒な薄い色の瞳も見えてないというのに、猪田のやつ、なかなかよく見てやがるなと思う。

「何だ?」

 じっと見ていたからか、秋野の目が動いて哲を見た。

「……いや、猪田が」

「さっきの彼か?」

「そう。あいつがお前に頭から食われんな、だとさ」

 今度は顔を哲のほうへ向け、秋野は僅かに首を傾けた。

「何だそれは」

「あいつ、なかなか人を見る目あるじゃねえか、なあ」

 にやにや笑う哲の足を軽く蹴り、秋野はたいして気にした様子もなく文句を垂れた。

「うるさいよ、人を野性の獣みたいに」

「まんまじゃねえか」

 細い中通りに折れたところで家族連れとすれ違った。若い父親は袋に入った中くらいのツリーを大事そうに抱えている。はみ出た枝は真っ白で、昔よく見たものとはずいぶん違って精巧にできていた。

 家族をやり過ごした秋野が煙草を取り出し火を点ける。人気も飾り気もない中通の暗がりに、ツリーに巻きつく電飾のように小さな赤い光が灯った。

「まあ──猪田も冗談で言ったんだろうけどよ」

「本気だったのかも」

 前を行く哲の首筋に微かな吐息がかかる。

「……お前も本気で心配した方がいい」

 振り返って睨み上げた秋野の表情は、眼球を覆う黒い膜と落ちた陽のせいでよくわからない。哲は一瞬秋野の目の奥を覗き込み、鼻を鳴らして歩き出した。

「俺は大人しく食われるようなヘマはしねえっつの」

「それもそうだな」

 秋野はあっさり言って、長い脚で哲を追い越した。

「早く戻らないと、真菜にうるさく言われるな」

「腹減ったな」

「お前は腹の減ってないときはないのか?」

「いつも減ってるわけじゃねえし」

「いつも言ってる気がするけどな」

「お前と違って若いんだよ」

「うるさいよ」

 歩き出した二人の頭上に、ひとひら。

 静かに、誰も気づかないほどゆっくりと、雪が舞い落ちようとしていた。

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