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二人が生み出す相乗効果

 猪田は目の前に立つ同級生をまじまじと眺めた。同級生といっても年齢はひとつ上だ。今日から猪田のクラスに編入した先輩。本来なら今年の三月に卒業しているはずが、出席日数不足で留年したらしい。

 例えば病気で入院でもしていたなら話は別だが、素行不良で留年なんて漫画の中の話だと思っていた。しかし、現実にそういう生徒がいるらしい。というか、今まさに実物がそこにいる。

 佐崎ささきてつ、と言うその名前を、猪田は勿論知っていた。取り立てて進学校でもないこの高校には色んなやつがいるが、一学年上に在籍していた彼の名はある意味有名だった。

 暴走族らしいとか、すでにヤクザの杯を受けたらしい、とか。もっとすごいのもあったが忘れてしまった。無責任な噂はあれこれ飛び交っているが、そういう類の噂がどれも真実ではないことを猪田は知っていた。

 猪田の年子の従姉が、佐崎と三年間同じクラスだったからだ。今春卒業した猪田の従姉は、佐崎を評してこう言った。

「佐崎くんは暴走族でもヤクザでもないよ。群れるの嫌いみたいだし。ていうか、暴走族ってまだいるのかな」

「知らねえ。でもさ、いつも誰かと一緒にいない?」

「そりゃあ友達はいるんだから一緒にいるでしょ。群れるってそういう意味じゃないし、一人でいたいんだ放っといてくれって感じでもないし。話したら普通だよ」

 そうはいっても喧嘩ばかりしているのは本当のようだった。それもかなり強いらしいが、見た目は特別屈強そうではない。

 身長は猪田よりほんの僅かに高いだけだから、百七十五センチ前後だろう。制服のブレザーの下は特に筋骨隆々というわけでもなく、どちらかというと痩せて見える。目の前の佐崎は金髪でもなく制服も着崩さず、少しだけ鋭い目つき以外はどこにでもいる平凡な学生に見えた。

「で?」

 佐崎の声に我に返った猪田は「あー」と意味もなく発声し、咳払いをした。

「えーと、猪田です。一応クラス代表なんで、よろしく。担任の小泉先生から、佐崎を皆に紹介するように言われてるから、朝のホームルームで」

「……あのオヤジ、生徒に面倒ごと押しつけやがって」

 佐崎は面白くなさそうに鼻を鳴らし、それから苦笑を浮かべて猪田を見た。 

「大変だな、お前」



 予想に反して、佐崎の自己紹介は何の変哲もないものだった。

「佐崎哲です。出席日数足りなくて留年したんで、よろしくお願いします」

 あの佐崎先輩だ。いくら従姉が普通の男子と言ったって、なかなか信じられるものでもない。ふてくされて何も喋らないとか、てめえら見てんじゃねえ、とか威嚇しながら机でも蹴っ飛ばすかと思っていたからだ。

 クラス代表は、猪田の出席番号が一番だというただそれだけの理由で決められた。残念なことにこのクラスには阿部とか相原とか伊藤とか言うやつが一人もいなかったのだ。

 猪田自身は優等生でもなければ佐崎のように怖がられることもない。殴り合いなんかとは無縁だが、どちらかというとやんちゃなほうに分類されると自覚している。

 そのせいかどうかは分からないが、怖くて関わりたくなかったはずの佐崎に興味が湧いた。ちょっとだらしない姿勢で硬い椅子に座り、目を逸らす教師たちにも興味なさげな佐崎哲というひとに。



 佐崎はグラウンド脇で、当然のような顔をして煙草をふかしていた。しゃがむ佐崎のそばに投げ出してあるパッケージは、セブンスター。高校生が格好をつけて吸うには渋い銘柄に、猪田は思わず笑ってしまった。

「セッター? 佐崎、オヤジくせえ」

「そうか? そんなことねえだろ」

 佐崎は同じ姿勢のまま猪田に一瞥を寄越した。放課後とはいえ、まだ部活動の時間だ。こんなところで喫煙してるのが見つかったら即刻進路指導室行きだ。

 ちなみに、その小部屋が進路を指導するとは名ばかりのお説教部屋だというのは、全校生徒の知るところだ。

「こんなとこで吸うなよ。先生に見つかったら面倒くさいぞ」

「別に何も言われねえよ。早く卒業して欲しいだろうし、退学っていうのも外聞悪ぃと思ってるらしいから」

 佐崎の吐き出した煙は、夕陽のオレンジをバックにゆっくりと流れて行く。まるでベタな映画のワンシーンのようだ。

「なんで戻る気になったんだよ?」

 質問の意味が分からなかったのだろう。佐崎は猪田を見て、問い返すように片眉を引き上げた。

徳本とくもと真由美まゆみって、佐崎のクラスにいなかった?」

「ああ、いた。三年間一緒だった。眼鏡のショートカット」

「そうそう。彼女、俺の従姉なんだよね」

「へえ」

「そんでさ、真由美に聞いたんだけど。佐崎、学校やめるんじゃないかーって」

「……」

「佐崎くんはここにいたい感じでもないし、いたくない感じでもないって」

 佐崎は小さく笑うと、煙草をグラウンドで揉み消し頷いた。

「確かにそれも考えたけど。でも、じいちゃんが高校くらい出ろって言うから」

「じいちゃん?」

 意外な単語に思わず声がひっくり返った。佐崎は立ち上がり、唸りながら腰を伸ばす。

「親父が肝臓で死んで、じいちゃんと住んでんだ」

 猪田は佐崎の横顔をちらりと見た。父親が死んで祖父と暮らすということは、どういう理由か知らないが母親もいないのだろう。ああ、それでぐれたんだ、と単純に納得する。

「なんつーかな、あれ、相乗効果?」

「何?」

 猪田は低く呟いた佐崎に目を向けた。十八歳にしては大人びてどこか険しい目つき。だが、佐崎は思いの外優しげな笑みを浮かべていた。

「じいちゃんのとこに行かなかったら、俺はとっくに学校辞めて、そのへんで刺されたりして野垂れ死んでたんじゃねえかと思うんだよな」

 猪田には遠いようなことをさらりと言う。

「俺がいなきゃじいちゃんもさみしーく独りで死んだんだと思うし」

 佐崎は足元の煙草のパッケージと吸い殻を拾い上げた。短くなった煙草を指先で弄ぶ佐崎の全身が橙色に染まっている。

「俺とじいちゃんの二人が生み出す相乗効果、っての? それでなんか──今はこれでいいって気がすんだよ、俺」

「一本くれよ」

 手を差し出した猪田に目を向け、佐崎は束の間黙り込んだ。

「……指導室に呼ばれても知らねえぞ」

「佐崎と一緒にいれば大丈夫でしょう」

「人に頼るなよな」

 そういいながら佐崎は慣れた手つきでパッケージを振った。猪田が一本取って銜えると、ライターが差し出された。受け取って火を点け、吸い付ける。

「うわ、きっつー」

「じゃあ吸うんじゃねえ」

 口元を歪めた佐崎に笑い返し、夕陽に向かって煙を吐く。

 タイプも行く先も違うけど、と隣の佐崎を見ながら思う。なんだかとても面白い。気が合うとか、一緒に遊びに行くとかいうことはないかもしれない。

 だけど、そんな友達がいたっていいじゃないか?



 オレンジ色になった風景とセブンスターの煙の匂い。目の前の佐崎を見た瞬間、そんなものが一気に甦った。

「……もしかして、哲?」

 カウンターの向こうの男は顔を上げてこちらを見た。

「よう」

一度目を瞬いただけで、つい昨日会ったとでも言いたげだ。佐崎らしい反応に猪田は思わず声を上げて笑った。

「なんだよ、そのあっさりすぎる反応。哲、ここで働いてんの?」

 居酒屋の親父が微笑み、立ち働く佐崎に目をやった。

「知り合いかい?」

「はい。トモダチです。三年振り、くらいか?」

 つい、思い切り笑顔になってしまった。高校最後の一年は結構親しくしていたが、大学卒業後猪田が就職し、地方に配属されたせいで連絡を取る機会は減っていた。音信不通ではないものの、疎遠になっていたのは事実だったのだ。佐崎がその年数を覚えていたことが単純に嬉しかった。

「転勤で戻って来たんだ」

「そうか」

 佐崎は親父に料理の載った皿を手渡し、猪田の前に立つ。布巾で手を拭いながら真っ直ぐにこちらを見つめる鋭い目。あの頃僅かに残っていた少年らしさは既にない。だが、その他は驚くほど変わっていなかった。

「店閉まってからでよかったら、飲みに行くか?」

「ああ、行こう」

 暖簾をくぐって厨房に引っ込んだ佐崎の背中に、猪田は答えた。親父が猪田を見て笑う。

「じゃあ、看板まで付き合ってもらいましょうかね、お客さん」

「そりゃもう、喜んで」

 猪田は今しがた見たばかりの佐崎の顔を思い浮かべた。相変わらず柔らかな雰囲気のまるでない佐崎の顔を。

 今でもじいちゃんと一緒なのかな。それとも、誰か大事な人でもみつけたか。あいつは今、誰と生み出す相乗効果の影響を受けてるんだろう。

 佐崎の作ったと思しき料理を口に運びながら猪田はそんなことを考えた。話したいことも訊ねたいこともたくさんある。友人に会えた嬉しさで、今夜は酒が進みそうだった。

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