第8話 私大オンアイス

 実は、私大オンアイスの時、一度だけハルくんと会話をしたことがある。

 

 私はこれだけハルくんを追っかけているのに、それまでハルくんに話し掛けたことは一度も無かった。

 それどころか、花もプレゼントもキモレター(スケオタが選手に渡す、気持ち悪いほどポエミーな手紙をこう呼ぶらしい)も、私はハルくんに渡したことがなかった。

 だから、ハルくんの世界に、私は存在していなかったということになる。


 私大オンアイスの時、コロナの脅威は既に東京に迫っていて、開催当日になって急に主催から、

「東京都が定める五百名の入場制限を行います」

 とアナウンスが行われた。

 

 あの時、私は直感した。

 もしかしたら、これがハルくんのスケートを見られる最後の機会になるかもしれない、と。

 ハルくんは来年度から二年生で、大学生スケーターとしてはまだまだひよっこなのに。

 なぜか、私はそう思ったのだ。


 開場一時間前にして既に入口には行列ができていた。

 私は少し迷った挙げ句、近くの花屋で一輪のバラを買った。

 釧路まで追っかけて行ったくせに、話し掛けず何も渡さなかったことを思えば、清水の舞台から飛び降りる覚悟だ。


 てっきり投げ込みができるのかと思いきや、事前にプレゼントボックスに預けて下さい、と言われ、私は途方に暮れた。

 他のファンは、高級そうなプレゼントや大きな花束を次から次へとボックスに入れている。

 バラの花一輪もらったところで、何になるだろう。

 せめて手紙を書いてくればよかった。


 私は、買ったバラを、そっとリュックの中に仕舞った。


 この日も、ハルくんはeyeを滑った。

 私大オンアイスは卒業生のためのイベントだから、ハルくんのパフォーマンスは抑えられていたが、いい演技だった。

 ハルくんだけじゃなく、他のゲストスケーターも、そしてメインの卒業生の演技も、すごく良かった。


 最後の卒業生の挨拶で、列の端っこで涙をこらえているハルくんを見て、何だか私まで泣けてきた。


 卒業生への言葉で、淡々と

「これからどうなるか分からないけれど」

 と呟いた、ハルくんの言葉が胸に刺さった。


 まるで、三ヶ月先、半年先、いやそれ以上。

 不透明な先行きを、ハルくんはあのクールな目で、あらかじめ見据えていたのかもしれなかった。

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