第5話 東京ブロック大会

 調べてみたら、全日本選手権の予選が九月に行われると知った。

 夏にフィギュアスケートが見られるなんて知らなかった。それも無料で。


 そして一ヶ月後の、東京ブロック大会。ダイドードリンコアイスアリーナ。

 私はそこでハルくんに出会った。


 まあ、出会ったと言っても、向こうは私を知っているわけじゃない。

 だから正確に言うならば、私は、ハルくんを見つけたのだ。


 生でスケートを見るのは初めてだった。

 とても残暑とは呼べない焼き付くように暑い夏の日、会場に入った瞬間、冷気がすっと私の汗を冷ました。

 初めて嗅ぐリンクの匂い。

 

 男子シニアフリー、第二グループ。

 練習を開始して下さい、というアナウンスと共にリンクを飛び出すスケーター達。

 その先頭に、ハルくんはいた。


 第一歩から、ハルくんは周りのスケーターとは違っていた。

 躍動感。

 氷に乗りたくてたまらない、という気持ちが全身から溢れていた。

 緊張感は微塵も感じられない、奔放な滑り。

 やっと呼吸ができた、と言いたげだった。


「湯川晴彦さん。東桜大学」


 答えるように両手を挙げる。

 大歓声が客席のあちこちから飛んだ。

 ハルくんがんっばー!!

 がんばー!!

 

 ……なるほど、人気のある選手なんだな。

 私は一瞬で理解した。


 確かに、ハルくんは格好良かった。

 遠目からも、端正な顔付きをしているのが分かる。

 背はそんなに高くない。

 でも、手足が長くて均整が取れているから、シュッとして見える。

 そして何より、自分の格好良さを分かってる。

 そういう佇まい。

 

 第一滑走。ハルくんの演技が始まる。

 リンクの中心で、マタドールのように胸を反らして制止する。

 カシャン、とガラスの割れる音でハッと真上を見上げる。

 崩れ落ちるようなストリングスと共に、ハルくんは滑り出した。

 曲は、cobaのeye。

 やっぱりタンゴだ、と私は思った。


 ねっとりと圧の強い、バッククロス。

 ターンを二度踏み、最初のコンビネーションジャンプ。

 そのあまりの高さに、私は息を呑んだ。

 二つ目を降りると同時に、ものすごい拍手と歓声が沸き上がった。

 (後でリザルトを見たら、トリプルループ+トリプルトウループで、加点が1.5も付いていた)


 初めて知ったけど、スケートリンクは音響環境が絶望的に悪い。

 音全体が氷に反射してボワボワと広がる。

 でも、ハルくんは一音一音弾けるようなビートの芯を、完ぺきにとらえていた。

 渦を巻くように絡み合う情熱的なストリングスとアコーディオン。

 まるで自ら奏でるように、ハルくんの身体の動きは音と同化していた。


 中でも素晴らしかったのはコレオのスパイラル。

 男子選手が滅多にやらないアラベスクポジションで、左足の角度をキツく上げる。

 その上げ方が、短いクレシェンドと完ぺきにシンクロしていて、鳥肌が立った。

 アコーディオンの風圧が、ハルくんを通して私に届くようだった。


 ハルくんはジャンプが苦手なようで、ループとサルコウ以外は全て何かしらのミスをしていた。

 転倒だったり、ステップアウトだったり。

 でも、そんなの関係ないと思った。


 ずっと続いてほしいと思う四分間。

 でも、あっという間に演技は終わってしまった。


 ハルくんが最後のポーズを決めて、拍手と歓声に破顔するのを見つめながら、見つけた、と私は小さく声に出して呟いた。


 ずっと探していた、と思った。

 それが何なのかも分からないのに。

 分からないまま。

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