1-10
駅前でバイトに向かった友里子と別れ、一人そのまま駅構内に足を運ぶ。
朝のように都合良く大和と駅でバッタリ遭遇して、そのまま地元の駅まで一緒に帰ってくれるような、そんな、ラブコメ的な展開があるわけでもなく、いつものように電子機器を改札にかざす動作を行い、いつものように地元に向かう列車のホームに立ち、ホームへ入ってきた電車に乗り込んだ。
なんだか味気ないと考えた私は、一体何を期待していたのだろうか。
ただ、今朝のように電車が怖くなくなったわけではない。
さっき気がついたことだけれど、改札を通ってホームに来るまではなんとなく大丈夫なのだ。
ただ、やはり、ホームに電車が入ってきて乗り込んだ後になる恐怖心が顔を出し始める。
窓際に立つのはやめて、開いている座席に腰をかけた。
背後の安全がとれただけで、少し胸をホッとして撫で下ろしたような安心感があった。
それでもなんとなく気が抜けなかった。
鞄を膝下に置くと、気持ち的に下半身へのバリケードになるような気がした。
早く家に帰りたい。
そんなことを思いながら、向かいの車窓に流れる景色をただぼんやりと見つめていた。
駅に到着すると、足早に改札を後にした。
駅の外にはタクシーが二台ほど並んでいるのが見えて、目当ての人が駅を出てくるのを見計らって目の前に停車する車もあった。
まだ明るい夕暮れの道を電車から降りてきた数人の人たちの流れに合わせてアスファルトの道を進んでいく。
いつもであれば、電車の中で装着したイヤフォンから流れる音楽を聴いて帰るけれど、外界の音が遮断されるイヤフォンをつけるのは心細かった。
同じ電車から降りてきたサラリーマンを一人追い抜いた。
ちらりと振り返れば、スマートフォンをいじりながら歩いていた男性は、その場に足を止めてメールを打っている。
眼鏡のテンプルを掴んでおでこの位置まで移動させると、眼鏡から開放された目で睨みつけるようにスマートフォンを見ていた。よく年上の人で眼鏡をかける人がああやって眼鏡をはずして何かを見る仕草を良くみかけるのだけれど、あれは眼鏡の機能性を殺すことになってはいないのだろうか。
そのままスマートフォンに吸い込まれてしまいそうなサラリーマンが自分へ害がないことを確認してまた前を向いた。
反対側の道の端を歩いていた女性が角を曲がって見えなくなる。
私も同じ角に差し掛かると、さっきの女性が慣れたように進んで歩く後ろ姿があった。
今度は少し前を歩いていた中学生2人がいつの間にかいなくなっていた。
そしてすぐに、通り過ぎた隣の家からただいまの声が聞こえる。
どこかの家からはカレーの匂いが立ち込めて鼻腔をくすぐった。
お腹すいたなぁ。
今日の晩ご飯何だろう。
気がつけば、その場を歩いているのは、5mほど前を歩いている学ランの黒い制服のズボンを履いた男子学生と私だけになっていた。
真っ白の清潔そうなワイシャツ。半袖からは日焼けで真っ黒になった逞しい筋肉質の腕が鼓舞しをつくってアスファルトを擦るように揺れている。
背中には重そうな大きな鞄を背負っていた。
うちの高校の野球部員も同じようなリュックを背負っているのを見たことがある。
リュックのデザインはほぼ同じに見えるのだけれど、制服が違うことから他校の野球部なのだろうということは容易に予想がついた。
そもそも学ランなのだから、高校生かどうかも分からないな。中学生かもしれないし。
鞄には学校名が黄色の刺繍で施されているのを知っているけれど、距離が遠いせいで名前は見えなかった。
懐かしいな。
悠人の学ラン姿を思い出して、前を歩く男子学生と重なった。
今は裕太の学ラン姿を毎日目にしているけれど、ほとんど朝の数分間だけ。あとはサッカー部の指定ジャージを着て帰宅してくるからだ。
バリカンで丸刈りになった短い髪、整った丸い形が綺麗だねと言ったのを覚えている。
少し恥ずかしそうに頭の後ろをかく悠人の横顔に、よく、似ている気が…───。
ふいに前を歩く男子学生の足が止まった。
右手に建つ見慣れた家を仰いでいる。何か用事でもあるのだろうか。
そう思ったのは、そこが私の家の前だったからだ。私も歩く速度がゆっくりになる。「もしかしたら」の考えが頭を過って、心臓を胸の内で暴れている。
ついに足が止まった。
お願い振り返らないで。
淡い期待は夏の夕暮れに消え、家の前に立つその人の視界に私が映りこんだのが分かった。
「…沙織?」
蝉はけたたましく鳴いているはずなのに、頭を鈍器で殴られたみたいな耳鳴りが酷くて音が聞こえてこない気がした。
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