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 揺れる車内、揺れるつり革。

 私たちは駅で扉が開く側の入り口付近に横に並んで、何を話すわけでもなくただ流れていく夜の景色を見ていた。


 街頭の光に照らされる街の明かりは嫌いじゃない。

 ふとしたときに、窓ガラスにくっきりと映る自分の顔が見えてどうしようもない気持ちになる。

 その隣には、180㎝のがっしりとした体格の大和の体が映っている。

 帰宅ラッシュの時間帯のためか、さっき乗っていたときよりも人の密度が高くなってきた。

 どうしても後ろを警戒してしまう。


 けれども、混雑している車内でも、他の乗客と私の体が触れることはなかった。

 横に並んでいる大和は、体の位置はそのままに、私を庇うようにして反対側の手すりを右手で掴んでいた。大和の腕が他の乗客と私との間を仕切りになってくれていたので、駅に着くまで事なきを得た。


 改札を通っていつもの駅につくと自然と安堵した。



「駅まで送ってくれてありがとう」

「いや、ちゃんと家まで送っていくよ」

「え、でも悪いよ。ここから20分くらい歩くし」

「そんなことないよ。夜道を女の子一人で歩くのは危ないって警察の人だって言ってたじゃない。それに、送っていくって言ったのは、俺だからちゃんと最後まで送らせて?」



 なんだかずるい言い方だ。

 そんな風に言われては、断れないじゃないか。



「ありがとう」



 なんだか不思議な感じだ。

 学年の人気者と一緒に帰っているなんて。


 こんなところ、同じ学校の人に見られていないといいな。


 またそんなことを考えている自分に呆れて溜息が出た。



「やっぱり迷惑だった?」

「え?」

「いや、成り行きとはいえ、今日話したばっかりだったのに、家まで送っていくだなんて、差し出がましかったかなと思って」

 


 隣を歩く大和の右手が、私の横を通り過ぎて綺麗に刈り上げたうなじから首元を撫でつける。

 電車に乗っている間、私を庇ってくれていたごつごつして骨ばった大きな手。

 大和は、下を向いてなんだかバツが悪そうだった。


 助けてくれたのは彼で、しかも私のために家まで安全に送ってくれているのに、私は自分のことしか考えていなかったことに気がついて恥ずかしくなる。


 大和の隣を歩く自分が身長だけじゃなくて、なんだかそれ以上にちっぽけに感じられた。



「ううん、そんなことないよ。むしろ私も今日話したばっかりだったのに、家まで送ってもらうのが申し訳なくて」


「なんだ、そうか、俺たち同じこと考えてたんだ」



 安心したような砕けた笑顔に少しだけ見惚れた。

 大和が女子から人気があるのも分かる気がする。

 こんな笑顔見せられたら誰だって勘違いしてしまいそうだ。



「実は、電車に乗る前から井上さんがいることには気づいてたんだ。そのとき、井上さんの後ろに並んでいるサラリーマンが、なんか変に距離が近いような気がしてて。井上さんが少し前に出て距離とってもその分近づいていたから。電車に乗ってからも気になって注意して見てたんだ。最近不審者が出たって話は学校で言われていたから」

「そうだったんだ」



 あの違和感は気のせいではなかったことが分かって、寒気がした。



「私の名前知ってくれていたんだね」

「え、あ、うん…」



 少し慌てた様子の大和の頬が赤く見えたのは夏の暑さのせいだろう。



「水泳部の赤城って知っているでしょ?俺、赤城と仲良くて、よく飯田の話とか一緒にいる井上さんのことも話には聞いていたから」

「そうだったんだ」



 主に友里子の話題だろうとは思うけれど、自分の知らないところでどんな話をされているのかと思うとちょっと不安になる。



「うん。話に聞いていた通り、井上さんは素敵な人だ」

「え、ありがとう(?)」



 ちょっと待って。

 こんなうまい話がある?

 この人もしかして、こういうセリフ誰にでも言うの?

 なんか、怖いんだけど。



「そういえば、まだ俺の名前言ってなかったね」

「大和連くんでしょう?」

「知ってたの?」



 意外そうにこちらを向く大和は、なんだか嬉しそうだった。



「うん、ファンクラブがあるほど有名だって友里子から聞いていたから。」

「飯田が?え?俺のファンクラブ?」

「うん」

「ファンクラブがあるなんて初めて知ったよ」



 言わない方が良かったのかもしれない。



「私の家ここだから」



 気づけばあっという間に家に着いていた。

 誰かと一緒に帰るとこんなにも時間があっという間なのか。



「今日は本当にありがとう。電車で助けてくれて、家まで送ってくれて」

「ううん、井上さんが無事で良かった」

「じゃあ、また学校で」

「うん」



 玄関の扉を閉めると、自然とため息が出た。



「あ、姉ちゃんおかえり」

「ただいま」



タオルで濡れた髪をガシガシ拭いて歩いてくる弟の裕太を見て、お風呂から上がったばかりなことが容易に予想がついた。



「遅かったね」

「友里子と遊んでた」

「なるほどね、ご飯できてるよ」

「うん。先にシャワー入る」

「んー」



 ひねりを捻ってシャワーヘッドからお湯が勢いよく溢れ出す。

 頭からお湯を被りながら、今日の電車での出来事がフラッシュバックする。

 見知らぬ男に至近距離で自分の体を性的な目で見られていたことに気づいたことや、頭の匂いを嗅がれたことを思い出して、その日はいつもよりお風呂の時間を長くかけた。


 お風呂からあがると、母が作り置きしていってくれたごはんを済ませて自室へ足を運ぶ。

 鞄をベッドの脇に置いて、倒れこむようにベッドに体を預けた。


 今日は本当に大変な一日だった。


 それにしても、学年のモテ男と一緒に帰ることになるなんて、思いもしなかった。


「あの笑顔はずるいなぁ…」


 そんなことをごちて、鞄の中から手探りでスマートフォンを取り出す。

 LINEに通知を知らせる赤いマークがついていた。

 アプリを開くと友里子からで、今日行ったカフェでの写真を送ってくれていた。

 写真を撮るのが苦手な友里子からは2枚ほどだったけれど、その中に2人で写る写真もあったりして嬉しくなる。

 お返しに私も撮った写真を20枚ほどアルバムに追加して送信した。


〈今日帰るとき、いろいろ大変なことがあった〉

〈なに?〉

〈明日学校で話すね〉

〈おけ〉


 友里子からの返信を既読して、アプリを閉じると次第に瞼が下りて眠りについていた。


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