#8.虹ヶ浜彩は入院する


「………………………………」


 無機質な天井。飾り気もない部屋。窓の外を眺めても見えるのは特に代わり映えのない建物のみ。居心地のよくないベッド。そして、足に巻かれた包帯。

 そう、虹ヶ浜彩は入院した。


「…………捻挫だけなのに!」


 しかし、捻挫であろうとも怪我をしてしまったことを虹ヶ浜の両親は深く心配した! 日本屈指の医者に治療させ、あれよあれよと入院に。

 父親に限っては何か後遺症が遺っているのかもしれないとして、アメリカまで連れて行こうとしていたが、さすがに全力で拒んだ。

 そんなことよりも虹ヶ浜は危機感を覚えていた。


 入院生活……‼︎

 ──怪我や病気などをした際に治療のため一定期間、病院に滞在することを指す。リハビリや投薬、点滴に素っ気ない食事など進行度によって降りかかる苦痛は様々だが、虹ヶ浜にとっての一番の苦痛は入院生活自体にはない。


 入院後の初登校……!

 ──病院から帰ってきての初登校はかなり苦痛である。友達に心配されチヤホヤされそうに思えるが、実際は入院していたその期間、他と学生生活を共有出来ないことに問題があった!

「あの時のあれめっちゃ面白かったよね〜」は理解不能! 自分だけが話題についていけない蚊帳の外!

 全校生徒が休みである夏休み明けの再会とは違って、自分だけ別の時空間に飛ばされる感覚。これが原因でせっかく出来た友達と会話がしづらくなり、すれ違う可能性が大いにあった。

 さらにこの入院は、虹ヶ浜が無色に全くアピール出来ないことも意味する! ……いや、そもそも野外活動で何の成果も得られず、アピールのアの字どころか口さえもきいていない。

 また野外活動後にあるゴールデンウィークという大型連休イベントも全てなくなってしまう。

 無色に会えない、その間にも虹ヶ浜の知らない無色のストーリーは進む。知らない女が現れるかもしれない。

 そうなってしまっては、彼女はもう、嘆くしかないのだ!


 するとそこに、コンコン、とドアが叩かれる音がした。

 開けて入ってきた看護師が「お友達がお見舞いに来てくれてますよ」と言う。

 ──もしかして、透くん⁉︎

 と、淡い期待を寄せるが訪れたのは神黄と紅だった。


「彩ちゃん大丈夫⁉︎」

「に、虹ヶ浜さん……!」

「あぁ、お二人ですか」

「「なんか残念そう!」」


 いや、ガッカリしたのは事実だが、友達がお見舞いに来てくれたのは人生初。言葉にできないほど嬉しかった。


 お見舞いイベント……!

 ──ヒロイン、あるいは主人公が風邪を引くことで起こる。家にプリントを届けるなどして自室の部屋に二人きりになるイベント。虹ヶ浜が無色としたいイベントランキングベスト10に必ず入っている。ただ、風邪で家に訪れるのが定番であり、捻挫による病院ガチ入院はまず珍しい。


「ごめん。あたしのせいで、入院することになったよね……?」

「大したことないですよ。入院は二週間だけですから」

「に、虹ヶ浜さん、骨折とかですか?」

「いえ、ただの捻──」


 一瞬の躊躇い。

 捻挫で入院など知られたら学校の人間に「え、そんなことで入院するんだ笑」「さすが、成金お嬢様は違うね〜」と言われるに違いない。


「そうです、粉砕骨折です」

「「ふん⁉︎」」

「それ本当に二週間で治んの⁉︎」

「最新の医療はそこまで進化しましたので」


 嘘である。もはやそれは足を取り替えるレベルである。

 とにもかくにも、その後は話は盛り上がった。

 今日、学校で何があったのかとか、神黄は友達を作ろうと頑張ってるだとか、紅はまず人と話せるようになるだとか。既に世界軸から置いてかれそうになってることに虹ヶ浜は薄ら気付く。


「ま、あたしが本気出せば余裕で友達作れるし。でも、親友は彩ちゃんだけだからね」

「そ、そんな……! 私の方が親友ですよ……! 私は虹ヶ浜さんとだけしか喋りませんから……!」


 お互いに牽制。虹ヶ浜の友達は自分が一番だとする。

 ──ふふ、お二人も友達になったのかしら。

 虹ヶ浜は自分を争っていることに気付かない……!


「そ、そうだ……! 私、虹ヶ浜さんのお役に立ちたいです! なにかお手伝いします! えっと、えっと、お身体拭きますね!」

「いえ、結構です……。ちょっと嫌な予感しかしないので」

「えぇ⁉︎」


 紅には肌は見せない方がいいと虹ヶ浜は分かっていた。


「フられてるし。彩ちゃん、あたしリンゴ持ってきたからこれ食べよーよ」


 神黄はリンゴとペティナイフを取り出すと、皮を剥き出す。が、真紅に染まった異形のウサギ(?)が出来上がった。


「いやぁぁぁ! 怖い! それに神黄さん手を切ってますよ⁉︎」

「切ってないし……なに言ってんの……」

「出血多量で意識朦朧としてますよね⁉︎ どうして病院で私より重症になるんですか⁉︎」

「わ、私に貸してみてください……!」


 紅がペティナイフともう一つリンゴを貰い、皮を剥き出した。

 紅が皮を剥いてる間、神黄はどこからか取った包帯を出血部分に巻く。


「で、できました……!」

「芯のみ!」


 可食部はほとんど失われてしまったリンゴが出来上がった。


「す、すみません……! 私、人見知りで、表部分を削り過ぎてしまいました……」

「関係ないですよね?」

「なーに彩ちゃん困らせてんの? 苦手なことしない方がいいんじゃなーい?」


 自主治療を終えた神黄が煽ると、紅は涙目になりながら反論しだす。


「困らせたのも、苦手なのも神黄さんもじゃないですか……! それに、いつの間に下の名前呼びなんですか!」

「別にいいじゃん。許可とかいらないし」

「うぅ……! 虹ヶ浜さん! 私も彩さんとお呼びしていいですか⁉︎」

「え、えぇ……もちろん」

「や、やったぁ……!」


 嬉しそうな紅。

 ただ、ふと目に入った時計で気付いたのか、予定より長居してしまったようで慌てて帰る支度をする。


「す、すみません……! 私もうすぐ塾で、今日はもう帰りますね……!」

「あ、はい。今日は来てくれてありがとうございます」

「じゃあねー」

「か、神黄さんも帰りましょう!」


 紅は神黄の腕を引き、連れて行く。


「ぬ、抜け駆けなんてさせないですぅ……!」

「別にかなうには関係ないっしょ!」


 慌ただしく二人は部屋を出て行った。

 なんだか嵐が過ぎ去ったようにも比喩できるが、虹ヶ浜にとって初めてのお見舞いはとても嬉しかった。


 ──あ、リンゴは持って帰ったんだ。食べたかったな……。衛生的に問題はあるだろうけども。そういえば透くんは来てくれないのかな……。って知らないか、私が入院してるって……


 そう考えている内に、眠くなったので、そのまま夢の中に落ちてしまった。


   **


 病室の扉が開く。入ってきた人物は虹ヶ浜が寝ているのを確認し、音を立てないように閉める。ベッド横の椅子に座り、虹ヶ浜の顔をジッと見る。


「──やっぱ、顔超好み。かわいい……」


 神黄だった。紅と街中で別れてから再び戻って来たのだ。

 神黄の瞳はハートの紋様が浮かんできそうなほど、メロメロであった。かなり虹ヶ浜の前でも好意全開でいたが、そんなものでは収まらなかった。


「かわいい寝顔。写真撮っとこ」


 盗撮は犯罪である。

 ジッとずっと見ていた神黄だが、自分の気持ちが抑えきれなくなりそうだ。

 あの日のキスを思い出す。神黄にとって初めてのキスは忘れらない味がした。


「キス、しちゃってもいいかな。いいよね。女友達でするの普通って聞いたことあるし」


 中学の友達がそんなことを言ってたのを思い出す。普通とは、周りが同じようなことをしていたらそれが普通となる。

 この事例は珍しいタイプの普通になる。


「…………ん、んんんん……‼︎」


 コンコン


「ん⁉︎」

「虹ヶ浜彩さん、って寝てましたか」


 看護師だった。神黄は瞬時に物陰に隠れる。どうやらバレてない。

 看護師は虹ヶ浜が寝ていることを確認すると、どうやら一緒に来たらしい人にそのことを伝える。


(だれだろ。ここからじゃよく見えないし)


 声も聞こえないので、男性か女性かも分からなかった。

 その後、その人は本だけを看護師に預けると帰ってしまった。看護師も本を置いてあげ、帰ろうとしたところで、「神黄さん、どうして隠れているんですか?」と言う。バレていたようだ。


「か、帰ります……!」


 さっきまでキスしようとしていたせいもあってか、なんだか恥ずかしくなり逃げ去るように病室を出る。その時に見えた本のタイトル『透きとおった虹色の未来』。古びていて、何度も読まれたような本だった。

 差し入れにしては変わっていたが、それ以上特に気にすることなく、帰った神黄は虹ヶ浜ファンクラブを創設することに──


   ◇ ◇ ◇


「──この本は……」


 目覚めた虹ヶ浜。すぐに傍らにあった本に気付いた。

 子供の頃、まだ無色と毎日遊んでいた時のこと。この本は無色の家でよく一緒に読んでいた現代のSF小説である。


「懐かしいなぁ……。私も透くんも大好きで何回も読んだっけ。これ、あの時の本だよね。もしかして透くんがお見舞いに来てくれてたのかな……もう、なんで寝ちゃってたんだろ……‼︎」


 この数時間を後悔する虹ヶ浜。

 ただ、この本を自分が好きであること、そしてまだ大事に持っていてくれたこと。このことが分かり、自分はもしかしたら無色に大切にされて──


「──あ、真鶸まひわさん。今度はどういった理由で病院ですか」

「こんにちは影守さん。ええ、縄跳びに引っかかってしまい、足を捻挫してしまいまして」

「しょうもなっ!」


 部屋の外から看護師ともう一人、虹ヶ浜から視認は出来ないが、車椅子に乗った少女が会話していた。別の看護師に押されていて、ちょうど虹ヶ浜の部屋の前で知り合ったみたいだ。


「真鶸さん。それは?」

「これですか? 私の大切な方から貰った本なんです」

「へー、男の子からですか?」

「そ、そうですね……」

「なるほど、好きな人ですね」

「ち、違っ……! く、は、ないです……」

「赤くなって可愛いですね」


 虹ヶ浜からは目視できないが、相当赤いらしい。


「相手の名前、なんていうんですか?」


 自分となんだか境遇が似ていることから、ついつい聞いていたが続く相手の名前で目が飛び出そうになる。


「……無色、無色透くんです……」


 ────はい⁉︎ え、今、無色透って言ったの⁉︎ そんなわけ、って真鶸……もしかして一組の真鶸ミドリさん⁉︎ わ、私の知らない間に透くんが知らない女の子とラブコメしてるぅ⁉︎



「ちょっと真鶸さん⁉︎」

「きゅぅぅん……」

「凄い熱……! すぐに救急車を!」

「いや、ここ病院ですよね」


 真鶸は想い人を想っただけで高熱を出してしまうほど、身体が弱い持ち主。そして、かなりの美少女として学内で有名になりつつある女子生徒であった。

 虹ヶ浜に突然ライバルが参戦した!

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