(株)カイテック王国の興亡 -2

 ある日の朝、出勤した明也を課長の岩永が呼び止めた。



「あー、香川、今日はその恰好はまずい」


「え?」



 明也はいつものとおり、スーツで出社していた。ネクタイもしているし、なにが問題なのだろうか?



「今日な、代表取締役がこちらに来られるんだ」


「え、なんで急に……」


「営業部門を集めて訓示をなさるらしい」



 岩永は明也の服装を眺めた。



「まぁ、そのヨレヨレのスーツは仕方ないとしても……ネクタイはもっと地味な色に。それと胸のボールペンも外しておくこと。無礼にあたるからね」


「あ、はい、わかりました……!」



 明也はその足で慌ててネクタイを買いに出かけた。



 営業部門の人間がオフィスの中に並ぶ。課長と部長はそわそわとしていた。



「いつ以来?」



 明也の隣の高橋が囁くのに、明也は答える。



「入社式以来じゃないっすかね」


「まぁ、俺もせいぜい3~4回目かな」



 営業職ナイトである明也たちには、一応、取締役以上へ謁見する資格がある。それでも、この会社のトップともなればまさに雲の上の存在――不敬を咎められでもすれば、一生出世の目はないだろう。


 ――と、入り口のドアが開き、初老の男が入ってきた。秘書課の竹ノ内だ。



「代表取締役国王陛下のお成りです」



 抑えた調子ながらよく通るその声が響くと、フロアに集まった社員たちが一斉に居住まいをただす。スーツ姿の一団が一糸乱れずに直立不動の態勢となる様はまさに壮観で、明也もまたその中にいながら、その一員である誇りに打ち震えていた。


 いつの間にか入り口近くに並んだ秘書課の社員たちを割るようにして、男が現れた。小柄な老人ではあるが、その眼光は鋭く、そして身のこなしにも隙がなく、その所作は美しい。おそらくオーダーメイドであろうスーツがその身体にぴったりと合っており、それがさらに威厳を引き立たせるようだ。


 株式王国カイテック代表取締役国王・佐重木竜蔵その人である。



「よい、みな、楽にしてくれ」



 上座へと至り、そこに用意された革張りの玉座社長の椅子に座った佐重木が口を開く。低い声ではあるが、その声はオフィスの中によく響いた。



「全体、休め!」



 部長がかける声にあわせ、そこに並んだ社員が一斉に「休め」の姿勢を取った。秘書課の竹ノ内が玉座の隣に立つ。



「みな、ご苦労である! 営業部門の諸君においては、日ごろの職務に邁進していること、国王陛下もご存知の通りである! 言うまでもなく、この屈強なる営業部ナイトたちこそが、我が社の礎なのである!」



 そう言って竹ノ内は社員を見回した。明也はその口上を聞きながら、なんとなく違和感を感じていた。国王がわざわざ、激励のためだけにこのオフィスを訪れたのだろうか?


 竹ノ内の口上は続いていた。



「……しかるに! 今回特に成果の著しい者に、社長賞を下賜することとなった! 呼ばれたものは前へ!」



 竹ノ内の口上に合わせて、秘書課の別の社員が部長に書面を手渡した。部長はそれに目を通し、頷いて前に進み出る。



「営業部門第三部隊、営業職ナイト・高橋、前へ!」


「……はっ!」



 明也の隣で、高橋が部長の声に応じた。驚く明也に向かい、高橋はニヤリと笑って見せ、悠然と隊列の前へ歩き出した。



営業職ナイト・高橋、これに」



 玉座の前に高橋が跪く。明也は隊列の後ろから、それを眺めてモヤモヤとした気持ちが抑えられずいた。自分と同じように、生産部門の管理しかしていなかったはずの高橋が、なぜ?


 国王・佐重木が玉座から立ち上がる。



「高橋よ。そなたの今期の業績には目を見張るものがある。まず、BtoBソフトウェア開発部門のリリーススケジュールは順調そのもの、その上に新規の機能開発、標準化までも実現した手腕は見事である」



 威厳に満ちた声で国王が告げるのを聞きながら、明也は素直に感心していた。適当に仕事をしているのかと思っていたが、裏で効率化をはかっていたのだ。そういえば、高橋は生産部門と仲がいいし、明也にもそんなことを言っていた。


 そうか――これまで、営業職ナイトの仕事といえば、戦場コンペでプレゼンをしたり、客先とギリギリの契約交渉をしたりといった華やかなことばかりだと思っていたが――一見地道な仕事でも、ちゃんとやれば評価されるのだ。


 明也の胸には、希望と同時に、そうした業績を見落とさず、こうして評価をするこの佐重木という王に対する敬意もまた燃えていた。



「……しかも、それだけではない」



 国王の言葉は続いていた。



「その技術の標準化にあたっては、株式王国ガモリアの協力があった、と聞いておる」


「……え?」



 株式王国ガモリア――それは確か、ライバル企業ではなかったか?


 高橋は明らかに動揺していた。それを射すくめるように見ながら、国王が話を続ける。



「ガモリアから技術提供を受ける見返りに、我らカイテックの経営情報をガモリアへ流した……そうだな、高橋?」


「……そ、それは……」



 整然と並んだ社員たちが、ざわざわとし始めた。それはつまり――



「ガモリアでのポジションは用意されているそうではないか。わが社で業績を残したのは、向こうに行ってやりやすくするため、といったところか? なんなら、生産部門も引き連れていくつもりか?」



 いつの間にか、国王の隣には秘書が立ち、そして黄金の装飾が入った剣を捧げ持っていた。



「う、うわあああ!」



 高橋が立ち上がり、国王に背を向けて逃げ出そうとした、その時――



 ――ザシュッ!



 国王が振るった剣が一閃し――高橋の首が、落ちた。



「裏切りは許さん……貴様はクビだ」



 国王はそういって剣の血をぬぐい、鞘に納めて秘書に手渡した。



 そのあと、国王はいくつかの訓示を垂れ、そして営業部門への事例と予算増加を告げ、帰っていった。そのあとは国王からの振舞いということで、部門全体での懇親会が開催されていた。居酒屋をひとつ貸し切って開催された宴は、あんなことがあったあとだというのに、なぜかとても盛り上がっていた。


 明也は宴の片隅で、から揚げを突きながらハイボールを飲んでいた。いつもよりも少しいい店だけあって、ハイボールも薄くない、しっかりしたものだった。



「ひとりでやってたらダメだぞ。飲みにケーションも仕事のうちだ」



 声をかけられて振り向くと、課長の岩永がビールの瓶を持って隣にやってきていた。



「……お前確か、高橋と仲良かったよな。ショックなのはわかるが……」


「別に、そんなんじゃないっす」



 ハイボールが残っているのに、差し出されたビールをグラスで受ける。これは営業職ナイトの心得というものだ。



「高橋さん、どうなるんすかね?」



 首のなくなった高橋の遺体は速やかに片づけられていたが――言うまでもなく、これは殺人だ。岩永がビール瓶を明也渡し、それに答える。



「過労死、だな」


「……過労死?」


「ああ。経営企画室から過労死の申請をあげる。うちは行政処分を受けて、50万円の罰金を支払う」


「罰金50万円、ですか」


「まぁ、免罪符だな。教会から罪を買う代わりに、王は権力を保証されるわけだ」


「そういう仕組みなんですね」



 政府の神々に対し法人税を納め、経営企画室が普段から祈りを欠かさないことで、そういうシステムが出来上がっているというわけだ。その元で王は明也たち営業職ナイトを支配して利益を奪い、営業職ナイトは生産部門を支配してそこから利益を搾取する。ピラミッド構造の封建社会が、企業という仕組みの基本なのだ。



「今日のあれは、その仕組みをわからせるための見せしめですか」


「まぁ……そうだな。だが、それだけではない。王の考えは我らには窺い知れぬほど深慮遠謀に満ちているからな」



 岩永は、周りを見て少し声を落とした。



「ここだけの話だが……今度、大きなプロジェクトが動く。『神託』によるものだ」


「神託……!?」



 それはつまり――政府の神々からのお告げによって動く事業ということか。



「複数の大手王国が噛んで動く事業になる。聞いた話じゃ、海外の異教徒たちと対抗するためにグローバルな事業戦略を求められるらしい」



 岩永は明也のグラスに再びビールを注ごうとする。明也は一口もつけていないそのビールを半分ほど飲み、それを受けた。岩永は瓶を傾けながら、言葉を継いだ。



「ここだけの話だが……そのチームにお前を推薦するつもりだ」


「えっ……」



 驚きのあまりビールをこぼしそうになる明也を、岩永は笑う。



営業職ナイトの華はやっぱり戦場コンペとプレゼンだろ? 期待してるよ」



 そう言って岩永は自分のグラスを手にする。明也はビールの瓶を手にし、ラベルが上になるよう気を付けながら岩永のグラスへ注いだ。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る