VOL.6

『・・・・これだよ』


 吉田はすぐ近くに落ちていた自分のバッグを探り、くろだ薫の新刊コミック。

”あなたと私、秘密の時間”を取り出す。

やはり表紙のカバーは太いフェルトペンで女性の顔が真っ黒に塗りつぶされてあった。


『第三話、”ゆらゆら”って話だ・・・・』


 俺は彼が差し出した頁を読んでみる。


 彼女の作品には珍しく、ティーンエイジになった子供のいる、中年女性の話だ。


・・・・・夫と子供がいる四十代半ばの女性が、勤め先(彼女はある高校の音楽教師である)に新しく赴任してきた年下の男性教師と肉体関係になり・・・・という、まあお決まりと言えばお決まり設定のエロ漫画である。


『これがどうした?』


 俺は手近な椅子を起こして座ると、彼に向って素っ気なく答えた。


 漫画の方は、ラストのコマで彼女が不倫相手の男性教師に情事の後”私たち、いけないことしてるわけじゃないわよね”と言い、笑みを浮かべてキスをする。


『・・・・僕の母親も同じだったんだ』


 吉田はうつむき、青白い顔のまま、荒い息で答えた。


『僕の母親・・・・いや”あの女”は、僕が中学二年の時、父と離婚して家を出て行った。相手の男は同じ職場の同僚で、僕とは6歳しか違わない若い男だった。

”あの女”、家を出る時、大して済まなそうな顔もせず、一度も振り返らずに出て行った。外に待っていた男と手を繋いでね。玄関で見送った時、道に停めてあった車に乗り込み、肩を抱き合ってキスをしたんだ。』


 彼はそれ以来、誰も信じない、陰気な性格になったのだという。


 父親は彼が大学を卒業する年に死んだが、ずっと再婚もせずに、男手一つで息子を育てた。

『嫌になるくらい苦労もした。親のいない辛さも味わった。そんな俺を作ったのは、皆あの女だ!』

 吉田の表情のなかった目が、眼鏡の奥で釣り上がった。

『僕はあの出版社に入り、彼女の漫画を見た時、その時の思いが蘇ってきて、腹が煮えくり返って仕方がなかった。表現の自由?関係ない。僕が何をした?父が何をした?自分達だけが幸せになって、誰かが不幸になることを肯定するなんて、そんな漫画、あっていい筈はない!』

 引き絞るような声だった。


『言いたいことはそれだけか?』


 俺は答え、また新しいシナモンスティックを咥えた。

『お前の理由わけがどうだろうと、拳銃を使って人を殺そうとしたのは間違いない。これは殺人未遂罪だ。残りの言い訳は警察さつの取調室でするんだな』


 俺がそう言うと、吉田は床に両腕を突き、大声を上げて泣き出した。


 彼女は・・・・電話を掛け終わった彼女は、受話器を握ったまま、茫然と立ち尽くし、俺と吉田の顔を見下ろしていたが、はっと気が付いたようにデスクの引出しを開けてメモ帳とペンをとり、こっちに近づいてきた。


『吉田君、よかったらその話、もう少し詳しく聞かせてくれない?警察が来るまでの間に』


 その後は・・・・それこそ話すまでの事はないだろう。


 何時いつもの通りさ。


 俺は警官おまわりに嫌味を散々言われ、野次馬の目線に晒されながらマンションを出た。


 彼女は無傷、俺は後で気づいたんだが、ガラスの破片で頬に切り傷を作っただけ、吉田の肩と腰の傷はそれほど大したことはなかった。


 彼は手錠腰縄で救急車に押し込められ、警察官同伴で病院に向かった。


 くろだ薫は、後から連絡を入れて駆け付けたあの女編集長氏と何やら話しをしている。


 俺は二人に歩み寄り、

『報告書は後で届けます。料金の方はお忘れなく』


 それだけ言ってその場を立ち去った。


三日経った。


 俺は事務所のソファに寝転がって、ラジオから流れてくるイージーリスニングに耳を傾けていた。



くろだ薫先生は、相変わらず描いている。


 あの事件以来、彼女の名前は急に有名になり、単なるエロ漫画だけに留まらず、普通の女性誌にも、露骨過ぎないソフトな恋愛漫画(当たり前だが不倫がメイン)の連載が決まり、最近では原作がテレビドラマにもなったそうだ。


 転んでもただでは起きない。


 男よりも女の方が、遥かにしたたかで強いというのを、俺は再確認した。


 いささか嫌な気分になったのは事実だが、まあ天気が良いだけ救いだな。


 例の何とかウィルスも、ようやく終息に向かっているらしい。


                            終り

*)この物語はフィクションです。登場人物その他全ては作者の想像の産物であります。




 


 


 


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紙の上の背徳 冷門 風之助  @yamato2673nippon

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