第7話
図書館を出た美咲と玉森は、村唯一の神社である銀山神社に来ていた。鳥居をくぐると、杉林に囲まれて石段が伸びているのが見えた。石段を登っていくと、こじんまりとした境内にたどり着く。玉森はぐるりと境内を見回し、「ゆいさんの足取りはここで途絶えたわけですね」と言った。境内の後ろは山になっていて、石段を通らないとここに来ることはできない。こんな場所で子供が消えたら、たしかに「神隠し」と言われるのも無理はないだろう。
玉森は柱に手を押し当て、目を閉じている。あれでなにかわかるのだろうか。そう思っていたら、神主らしきひとがやってきた。美咲は彼に近寄っていき、すいませんと声をかける。
「六十二年前、ここで失踪した女の子がいると思うんですが」
いきなりの問いかけに、神主は驚いていた。図書館でコピーした記事を見せると、彼はああ、と相づちを打った。
「おやじに聞いたことがあります。可愛い子だったのに、あんなことになって残念だったって」
「でも、遺体は見つかってないですよね」
「失踪したのは大雪の日だったそうです。捜索も打ち切られて……ご家族も、諦めて長野に越してしまいましたし」
でも、それがどうかしたのかと神主が聞いてきた。美咲が返答に困っていると、柱に触れていた玉森が口を開いた。
「ここの神社、何の神様が祀られてるんです?」
「え? ああ、山神様です。大層美しい雪山の神様ですよ」
「そんなにいいもんじゃないな」
玉森がボソリと呟いた言葉に、神主が眉を寄せた。
「滅多なことを言うもんじゃないですね。美しくも、恐ろしい面もある神ですので」
「見たことあるんですか? ああ答えなくてもわかります。ありませんよね」
その言い草を咎めようとしたら、玉森が神にゆかりの品を見せてほしいと言い出した。おそらく鑑定するつもりなのだろう。神主は若干気分を害したように見えたが、美咲が低姿勢で懇願すると態度を緩めた。社務所に入っていった神主は、しばらくして戻ってきて、着物の袖を差し出す。玉森は袖を受け取って、これは何かと尋ねた。
「山神さまの伝説で、花嫁衣装を着たら死ぬ、というものがあるんです」
美咲は先程読んだ絵本を思い出した。どうして袖だけなのかと尋ねたら、他の部分はかつて神主だった人物が持ち出して、それ以降行方知れずなのだという。玉森はルーペで袖を見聞し、なるほど、とつぶやいた。袖を神主に返し、美咲に顎をしゃくる。
「参考になりました。帰りましょう」
神主はぽかんとしている。美咲は神主に頭を下げ、さっさと歩き出した玉森を慌てて追いかけた。何かわかったのかと玉森に尋ねる。
「ええ。あれはつがるこぎん刺しの着物ですね。江戸時代、青森の農民は暖かい木綿を着ることを許されていなかった。擦り切れやすい麻を重ねて木綿で補強するため、刺子の技術が発達したんです。中でもさっきのは三縞こぎんといって、現存するものが非常に少ない貴重な着物だ」
玉森は早口で説明した。
「着物を奪った男は宮司の間野慎太郎。着物を包んだ新聞紙が見えました。日付は六十年前の3月15日。原田ゆいがいなくなった一月後です。彼はしきりに遠くにやらなければ、とつぶやいていた。この着物に何かあると感じたのでしょう」
「間野さんって方は……」
「亡くなってるでしょうね。彼がどこに着物を持ち逃げしたのか、調べてみる必要があります」
石段を降り切った美咲は、先程までいた境内を見上げた。銀山神社は、六十年間の沈黙を守るように佇んでいた。
「さすが、高い旅費を払っただけあって色々とわかりましたね」
玉森はそう言って、缶コーヒーを開けた。美咲と玉森は、再び大阪へ戻る飛行機に乗っていた。
玉森の前にあるテーブル上には、菓子の包み紙が散らばっている。彼は意外と移動時に飲み食いするタイプらしい。美咲は玉森が出したゴミをビニール袋にまとめ、彼に押し付けた。
「食べてもいいけど、ゴミはちゃんと持って帰ってよ」
「もちろんです。僕は環境には人一倍配慮している。それより、今回の出張代はいくらになりましたか」
美咲は手帳に挟んでいた領収書を取り出した。交通費、宿泊費、締めてこれくらい。電卓を差し出すと、玉森がああと眉を下げた。魑魅魍魎と戦う陰陽師のくせにケチケチしないでほしい。
「経費で落とせばいいじゃない」
「そういう計算は大嫌いだし習っていません」
「自営業なら基本でしょう……何を習ったの?」
「色々ですよ。陰陽道、兵法、降霊術、武術、語学、房中術」
玉森は習得した技を指折り数えた。最後に触れたくないものが混じっていた気がする。将棋もその一つかと聞いたら、玉森が頷いた。将棋や囲碁は兵法にも通じていて、あやかしとの駆け引きに役立つらしい。
「楽しいからやるんじゃなくて?」
「楽しいことなんてこの世にありません」
美咲はじっと玉森を見た。彼はチョコを口に放り込んでこちらを見返す。
「なんです、その目は」
「いま、初めて可哀想だなって思った」
「可哀想?」
美咲にはコンプレックスがあるが、人生でちゃんと楽しいことはあった。大事な人もいるし、守りたいものもある。もしかして、玉森にはどちらもないのかもしれない。美咲には陰陽師のことなどわからないが、自分の名前すら伏せて、誰も信じずに生きていくのが過酷な道だというのは理解できる。玉森はチョコを飲み下し、「同情されるのは好きじゃないですね」と言った。その声には不機嫌な色が滲んでいる。
「別に同情してるわけじゃ……」
「可哀想だと思うのなら、慰めてください」
彼の瞳が赤く光って、チョコレートの甘い匂いが漂った。その香りに、一瞬で意識を奪われる。しまった。何か術をかけようとしているのだ。そう思って、美咲はとっさに目をつむった。遮断しようとしても、玉森の声が脳に直接響いてくる。目を閉じても駄目ですよ。美咲は首筋に汗がにじむのを感じた。甘い匂いとは裏腹に、その場にピリピリとした空気が流れる。頬に指先が触れて、耳元に声が響く。
「あなたのほうが可哀想です。ずいぶんひどいことを言われてきたみたいだ」
――見苦しいわね。化粧でなんとかならないの? そのアザ。
「ごめんなさい。可哀想っていったのは謝るから。やめて」
「好きだった男に振られたんでしょう。なんて言われたんですか?」
塞ごうとした美咲の耳に、玉森の声が響く。――まじ、勘弁してよ。おまえに告白されて、振ったら加害者じゃん。そういうの考えてよ。
いままで言われてきた言葉がフラッシュバックし、忘れていたかった記憶が蘇る。我慢しようとする前に、美咲の頬を涙がこぼれ落ちた。頬に触れていた玉森の指先が離れていく。瞳を開くと、バツの悪そうな顔をした玉森と視線が合った。彼はすいません、と言ってハンカチを差し出してくる。
「なんで、こんなことするの」
「あなたが気に病んでいるようだったので、いっそすっきりさせたほうが良いかと思って」
「あなたにはわからない」
「ええ、わかりません。どうでもいい人間に何を言われても、無視すればいい」
「どうでもよくない。誰だってひどいこと言われたら傷つくわ」
「僕の言うことは信じないくせに?」
「あなたが何を言ったっていうの。ひどいことしか言わないじゃない」
「綺麗だって言ったじゃないですか」
美咲は目を瞬いた。あれは本気だったのか。しげしげと玉森の顔を覗きこむと、なんですか、と返ってくる。
「今のが、房中術……?」
「公共の場で何を言ってるんですか」
玉森は憮然とし、美咲の口にチョコを放り込んだ。
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