第8話

 伊丹空港に到着した二人は、空港の駐車場に停められていた車に乗って京都へ向かった。月神家の前で停まったセダンから降り、運転席の玉森に送ってくれた礼を言う。玉森はじっと美咲を見た。

「目、まだ腫れてますね」

美咲が赤くなった目を覆うと、彼が肩をすくめた。

「あなたを泣かしたと知られたら、佐一さんに殴られますね」

「おじいちゃんはそういうタイプじゃないけど」

 それに、棋士なので手を痛めるようなことはしないと思うが。美咲は家に入ろうと門に手をかけた。呼び止められて振り向くと、玉森は真面目な顔でこちらを見ていた。

「明日、時間ありますか」

「ええ。山神さまの着物をさがすの?」

「そうじゃなく、プライベートで」

 思わぬことを言われ、美咲は目を瞬いた。契約にはのっていないので、強制はしないと玉森は言った。一体どこに行くのかと尋ねたが、このあたりだとしか返ってこない。


 なぜ秘密にするのだろう。彼の性格的にだまし討ちで何か企んでいたり……はしないか。きっと、今日のことを悪く思っているのだろう。美咲は佐一の孫で、仕事仲間でもある。関係が悪いままでは支障が出ると考えたのかもしれない。

「朝十時に迎えに来ます。どうですか」

「うん、じゃあ待ってる」

 そう言ったら、玉森がほっと息を吐いた。去って行く銀色のセダンを見送り、門を開けて中に入ると、家政婦の沙知代が立っていたのでぎょっとする。


「わっ」

「ああ〜、いいですねえ。「じゃあ待ってる」青春やわ〜!」

 沙知代は美咲の真似をしたあと頬に手を当て、くねくねと身体を揺らした。私、あんなふうに見えてるのだろうか。ショックを受けつつ、美咲はつぶやく。

「なんか、大きな誤解があるようだけど……」

「誤解なものですか。あれはデートのお誘いですよ」

「あのひとは、一銭の得にもならないことしないわよ」

 沙知代はまたまた照れちゃってえ、と美咲の腕を突いた。

「東北で一泊してきたんでしょう? 昔から思ってたんですよ〜、玉森さんと美咲さまってお似合いやなって」

「それ勘違いだよ。あのひと、血筋のいいお姫様とかと結婚するらしいから」

「ひ、姫ですか?」


 姫かどうかは不明だが、おそらく高貴な血筋のお嬢様と結ばれるのだろう。美咲は荷物をおろし、祖父のいる部屋に向かった。部屋に入ると、祖父は将棋をさしていた。声をかけると顔をあげ、笑みを向けてくる。美咲は祖父の対面に腰を下ろし、変わったことはなかったかと尋ねてみた。祖父はおかしそうな顔でこちらを見る。

「タマと一泊したって沙知代さんが大騒ぎしとった」

「仕事だってば」

 美咲は肩をすくめ、祖父のそばに座った。

「ねえ、おじいちゃん」

「ん?」

「玉森さん、生きてて楽しいことなんてないって言ってた」

 祖父は将棋をさす手を止め、美咲を見た。

「可哀想なんて思うのは傲慢だと思うけど、ちょっとショックだった。昔はそんなふうに見えなかったから」

「そうやな。タマは、おまえといるときは普通のこどもに見えた」

「うん。陰陽師の術なんて使ってなかったし」

「中学に入ってから、修行を開始したらしいわ」


 祖父はある財界人から玉森を預かったのだという。子供ながら読み筋が抜群で、才能のある子だと思ったそうだ。ただし、魑魅魍魎と戦う世界に生きていくためなのか、彼は相手を叩きのめすような将棋をさした。玉森に負けて、将棋の道を諦める門下生もいたという。祖父は何度かプロ入りを勧めたが、中学に入る前に玉森は門下を離れ、再会したのは二十歳のときだったという。

「名前に似合わずチクチクしたやつやけど、おまえといると若干丸くなるような気がするんや」

「そうかなあ」

「そうなんや。おまえ相手ならあいつは気を張らん。だから、意識せず接してやれ」


 祖父がそんなことを考えていたとは、全く知らなかった。美咲が玉森のところでバイトすると決まったとき、やけに喜んでいたっけ。もしかして、美咲のためというよりは玉森に信用できる相手を作ってあげたかっただろうか。部屋に戻った美咲は、机の上に乗った銅鐸に触れた。

 銅鐸は嬉しそうにりんりん、と鳴った。美咲は微笑んで、伏せられた鏡に視線をやる。そういえば、鏡を使って玉森が接触してきたことがあったな。少しだけ鏡を持ち上げてみたが、何も映っていなかった。


 翌朝、美咲が支度をしていると、沙知代が部屋にやってきた。沙知代は美咲の格好を見て目を丸くする。

「美咲さまっ、そんな普段着で行かはるんですか? よしこ様がお持ちになっていた可愛らしいお着物がありますよ」


彼女は押し入れを開けて、桐箪笥から着物を取り出した。美咲の身体に次々と着物を当てていく。

「うーん、やっぱりお似合いですねえ。美咲さまは色が白くてらっしゃるから」

可愛い着物なんて似合わないと言ったら、沙知代がかぶりを振った。


「いいえっ、日本人なら誰しも似合います。そういうふうに作ってあるんやから」

 沙知代は、着付けの資格があるので任せろと鼻息荒く言った。あまりにもしつこく勧められるので、日頃の恩もあってされるがままになる。沙知代は美咲を座らせて、髪をセットした。さすが資格があると豪語するだけあって、手並みが鮮やかだ。沙知代は美咲に着物を着付けて、満足気にうなずいた。


「お綺麗ですよ」

 美咲は姿見に映った自分を見た。髪は結い上げて少しサイドを垂らしてある。着物は薄い紫をベースにした和柄模様で、帯は落ち着いた水色だ。この着物、おばあちゃんが着ていたんだ。そう思うと感慨深い。

祖父の部屋に行き、出かけてくると声をかけたら、「可愛らしいなあ」と目を細めた。普段そう褒められることもないので、照れくさくなって顔を伏せる。

 門の前で待っていると、銀色のセダンが走ってきた。車は美咲の前でとまり、カジュアルな格好をした玉森が降りてきた。普段は着物を着ていないらしい。彼は目を丸くして美咲を見ている。

「どうしたんですか、その格好」

「沙知代さんがどうしてもこれで行けって」

「へえ。似合いますよ」

 馬子にも衣装ということか。玉森が素直に褒めるのは珍しいので、なんとなくひねたことを思ってしまう。彼は助手席のドアを開けて、どうぞと促した。

「なんだか、親切ね」

「着物は着慣れてないでしょう。足元気をつけて」

 美咲は玉森の手を借りて、助手席に乗り込んだ。ダッシュボードには、蛇の式神、ぐーちゃんが載っていた。美咲はぐーちゃんの頭を撫でる。

「こんにちは」

 ぐーちゃんは心地よさそうに目を閉じて、くーと鳴いた。この式神は、主人に似ていなくて可愛い。美咲はシートベルトを締めながら、リネンのシャツとチノパン姿の玉森に視線を向けた。

「玉森さんって、休日は普通の服なのね」

「僕を何だと思ってるんです?」

「陰陽師だから、ずっと和装なのかと思って」

「和服のほうが着慣れていますが、男の着物は目立ちますからね」

 もっとも、彼は何を着ても目立つだろうが。

「それで、どこに行くの?」

「花見小路です」

 ということは、お座敷遊び……? 美咲は可愛らしい舞妓さんに囲まれる玉森の姿を思い浮かべた。陰陽師というのがどの程度の稼ぎか知らないが、祇園で遊べるほどなのだろうか。美咲は財布の中身を思い返した。たしか、2万ほど入っていたような気がするが。美咲が難しい顔をしていたら、玉森が「どうしました」と尋ねてきた。高い店は無理だと言ったら笑われる。なんだか恥ずかしくなった美咲は、違う話題を振った。

「玉森さんって、関西出身じゃないよね」

「出身地は一応秘密です」

「どうして?」

「陰陽師は全国にいますが、色々と派閥があります。地方に寄って決まった術やしきたりがありますから、出身地を知られるのは弱みになるんですよ」

 考えてみれば、美咲は彼のことを何も知らない。名前も出身地も、家族のことすら不明なのだ。今見ているこの姿すらまやかしなのかと思ってしまう。

 玉森の車は花見小路を抜けて、信号を渡ったところにある店の前で止まった。京風の建物に、「つばきや」という店名が書かれている。玉森によると、舞妓も御用達の化粧品店だという。店内に入ると、おしろいの甘い匂いが漂ってきた。カウンターにいた着物姿の女性がやってきて、美咲たちに頭を下げる。

「いらっしゃいませ、玉森様」

「こんにちは、雛菊さん。注文した品は届いてますか」

「ええ、もちろんでございます。こちらへどうぞ」

 雛菊はそう言って、玉森と美咲を応接室に招いた。部屋には皮張りの大きなソファと、品のある木のテーブルが置かれている。いきなり立派な部屋に招かれて戸惑っていると、従業員の女性が手のひらサイズの化粧箱を持ってやってきた。雛菊は箱を開けて、中身を取り出した。中に入っていたのは白磁のパウダー入れで、雪のマークが刻まれている。雛菊はパウダー入れに中身を開け、美咲に差し出した。

「どうぞ、触ってみてください」

 そのサラサラとした感触に、美咲は感嘆する。

「すごい、雪みたい」

「つけてみたらどうですか?」

 美咲は一旦化粧を落とすため、メイクルームに向かった。玉森が事前に話していたのだろうか。雛菊は美咲のアザを見ても何も言わず、化粧品やクリームを貸してくれた。

 着物を汚さないようカバーをかけてもらい、新雪のような粉をはたく。軽くつけただけで、見違えるほど透明感のある肌に仕上がった。気の所為か、アザも目立たないように見えた。応接室に戻ると、玉森が目を細めた。

「綺麗ですよ」

 臆面もなく褒められて、美咲は俯いた。きれいなのはこの粉のおかげであって、美咲自身ではない。そう思いなおし、女性に尋ねる。

「あの、これおいくらですか」

 女性は値段は口にせず、にっこり笑った。

「お代は玉森さまにいただいております」

「というより、ツケですけど。玉森家と代々付き合いのある店なので」

 化粧品店と陰陽師がどう関係しているのだろう。そう思っていたら、玉森がこう言った。

「ここ、昔は薬屋だったんです。その関係で、肌の弱い人や、けが人のためのパウダーを作るようになって。美容効果だけじゃなく、薬効もあるんです」

 じゃあ、これを使っていればアザも消えていくのかもしれない。美咲は淡い期待を抱く。

「でも、こんな高そうなものいただくなんて……」

「京都のしきたりに則れば遠慮は美徳かもしれませんが、いまは必要ありませんよ」

 尻込みする美咲に、玉森が囁いてくる。確かに、わざわざ化粧までしてもらって拒否するのは失礼かもしれない。美咲は素直に礼を言って、パウダーを受け取った。雛菊に見送られて店を出た二人は、車に乗り込んでシートベルトを締める。

「さて、次はどうしましょう」

「玉森さんはいつもどこに行ってるんですか?」

「休みの日は四条にある個展ギャラリーですかね。骨董品だけじゃなく、絵やアクセサリーなんかも展示されてます」

 さすが骨董商、普段からそういうものを見て目を養っているらしい。玉森が運転する車は東大寺通りを通って、四条通りに入った。交差点を曲がってしばらく進むと、「アートギャラリー」という看板が見えてきた。近くの駐車場に車を止め、ギャラリーへと向かう。ギャラリーの入口には開催内容のチラシが貼られていて、その中には見覚えのある名前があった。

「あれ? この白石雪乃って……」

 チラシには「人形作家 白石雪乃 展示会VOL.5 「ガールズドール」」と書かれている。玉森が思い出したようにああ、と声を漏らす。

「そうだ。雪乃さんが夏にここで個展をやるって言ってました」

 雪乃の個展は、ギャラリーの4階で行われていた。階段を登って4階に向かうと、急激に気温が低下し始めた。美咲が思わず身体を震わせると、玉森が「やっぱりなあ」とつぶやいた。

「やっぱりって、なんですか」

「雪乃さんは二十度以上になると活動できなくなるんですよ。だから、クーラーをガンガンに効かせていると思いました」

「家だけじゃなくて、個展でも……?」

 玉森は扇子を開いて、式神を二匹呼び出した。白くてふわふわしており、キツネに似ている。彼は美咲の首にそれを巻きつけ、「管狐です。これであったかいでしょう」と言った。もこもこした式神が首を覆うと、多少身体の震えが落ち着いた。玉森は自分の首にも管狐を巻きつけ、展示場に入っていく。場内には数人の客がいて、雪乃は客のひとりと会話をしていた。客は四十代ほどの女性で、真夏には不似合いなコートを羽織っている。雪乃の体質を知っていて対策をしてきたのだろうか。女性を見送った雪乃は、美咲たちに気づいて花のような笑顔を浮かべた。

「あら、お二人とも。デート? いいわね」

「いえ、そういうわけでは」

 美咲が否定しかけると、玉森が「否定するのも変ですよ」と囁いてきた。どう答えるべきが迷っていたら、玉森のスマホが着信を鳴らした。彼はちょっと失礼します、と言って展示場の外に出る。美咲はショウケースに近づいていき、そこに入れられた人形を眺めた。格好や髪の色からして、主に日本の少女をモチーフにしているようだった。美咲は、一番目に展示されている人形の表情に魅せられた。頬がほのかに赤く、あどけない表情が愛らしい。雪国の少女をイメージしているのか、胴藁をまとい、わらじを履いて笠をかぶっていた。美咲が人形を見つめていたら、雪乃に声をかけられた。

「その子、気に入った?」

「はい。とてもかわいいですね」

「よかったわ。私もその子が一番気に入ってるの」

 雪乃はそう言って微笑んだ。人形の前には札が置かれていて、それぞれ「青森」、「沖縄」、「東京」などの地名が書かれていた。

「ここにあるのって、地名をイメージした人形なんですか?」

「ええ、そうなの。でもね、肝心の京都にふさわしい子が作れなくて」

 彼女は頬に手を当て、ため息をついた。

「悩んでいるところなの」

「京都っていうと、舞妓さんですか?」

「そう、一般的にはね。でもね、私あの白塗りはあまり好きではないの」

 人形のように愛らしいのになぜだろう。私は自然の美しさを愛しているのだ、と雪乃は言った。

「たとえば今日のあなたは、とても素敵よ」

「あ、ありがとうございます」

 美咲が照れていると、雪乃が「玉森さん遅いわねえ」とつぶやいた。確かに、出ていってから十分は経っている。

「そういえば、姉妹人形の傍らは見つかった?」

「いえ、まだなんです。持ち主はわかって、青森まで行ったんですが……」

「青森? なんだか大きい話になってるのね」

 あとは原田ゆいの親戚を当たり、神主の行く末を探すくらいだろうか。その二つが空振りに終わったら、その先はどうするのだろう。雪乃はしみじみとした口調でつぶやく。

「早く姉妹人形を一緒にしてあげたい。ひとりは寂しいものね」

「ええ、そうですね」

 入り口から誰か入ってきたので玉森かと思って振り向いたが、見知らぬ男性だった。

 雪乃はゆっくりしていってね、と言って男性に近づいていく。男性は笑顔で雪乃に花束を渡した。よく見たら、会場の隅にあるテーブルに、多くの花が置かれていた。

 雪乃さんって、本当に人気作家なんだ。私も何か買ってきたほうがいいだろうか。そう思っていたら、玉森が戻ってきた。その顔がどことなく高揚して見えたので、何かあったのかと尋ねてみる。

「原田ゆいの人形が見つかりました」

「えっ」

「彼女の実家が取り壊しになって、解体作業時に出てきたそうです。いまは原田家の菩提寺に預けられてるらしい」

「実家って……兎月村?」

「いや。長野のほうです」

「じゃあ、今度は長野に行くの?」

「僕だけで行きます。美咲さんはお休みで」

 もしや交通費をケチっているのか。美咲が横目で見たら、誤解しないでください、と返ってきた。

「京都に来てからめまぐるしかったでしょう。佐一さんと水入らず、ゆっくりしてください」

 誰のせいで目まぐるしかったと思うのだ。とはいえ、休みをもらえるのはありがたい。二人はギャラリーをぐるっと見て回り、雪乃に別れを告げて建物を出た。外に出ると、室内との寒暖差でくらくらした。その後、近くのおばんざい屋で食事をし、佐一の家まで送ってもらった。美咲は玉森の手を借りて車を降り、彼を見上げた。

「今日はありがとう。楽しかった」

「それはよかった。長野土産を買ってきますからお楽しみに」

 美咲は、車に乗ろうとした玉森に声をかける。

「玉森さん。今日も、楽しくなかった?」

 玉森はじっと美咲を見て、「気晴らしにはなりましたよ」と言って車に乗り込んだ。本当かな? どうも読めない人だ……。

彼の車を見送って門を開けると、沙知代が立っていた。美咲は、もはや驚くのではなく呆れた。

「なにしてるの、沙知代さん」

「車のエンジン音がしたから、急いで来たんやないですか。なんですか、あの無味乾燥なやりとりは」

「そりゃあ、仕事仲間だから」

「玉森さんもそっけないわあ、気晴らしにはなりました、なんて」

 沙知代による玉森のモノマネは、まるで似ていなかった。美咲は曖昧な笑みを浮かべ、彼女と共に家に入った。


その夜、美咲は佐一に誘われて将棋を指した。だいぶ手加減してはくれているのだろうが、勝負勘の鈍った美咲と高位の棋士では勝負になってはいなかった。美咲が長考していると、佐一がデートの感想を尋ねてきた。なんでみんな同じことを聞くのだろう。そう思いながら答える。

「気晴らしにはなったって言ってた」

「はは、あいつらしい言い回しやな」

「出身地聞いても答えないし、いつもと変わらないし。結局、人形探しのことが頭から離れないみたい」

 難儀やな、と佐一が言った。

「あいつの心に踏み入るのは、王手を取るより難しい」

 そう言って、佐一は簡単に王手を取った。

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