第9話

玉森と出かけて以来、目覚めると鏡を覗く習慣ができた。

「つばきや」でもらったパウダーをつけると、不思議と心が軽くなるような気がした。さらさらとした感触が心地良いし、何よりアザが目立たないのが嬉しい。鏡に映っている自分は、確実に以前よりも明るい表情をしている。自撮り、してみようかな……。美咲は腕を上げ、スマホを翳した。ドキドキしながらシャッターを切ろうとしたその時。鏡面が揺れて、玉森の顔が映し出された。


「お取り込み中のところすいません」

「わっ」

 美咲は慌ててスマホを置いた。気恥ずかしさから赤くなり、鏡から目をそらす。

「な、いきなり現れないでください」

「すいません、と言ったでしょう」

 現れてから言われても困るのだが。美咲は恥ずかしさを押し隠しつつ尋ねた。

「戻ったんですか? 長野から」

「ええ。今から店に来てもらえますか? ああ、自撮りが終わってからでいいので」

 美咲は真っ赤になって鏡を伏せた。


 つくもがみ骨董店に向かうと、見知らぬ男性が立っていた。すらっとした身体に真っ黒なスーツをまとっており、どことなく玉森に雰囲気が似ていた。玉森は美咲に座るように言い、男を紹介した。

「彼は玉森塁。僕の兄です」

「えっ、お兄さん?」

 美咲はまじまじと男を見た。彼は懐から出したハサミをシャキシャキ鳴らす。

「そうとも。職業はカリスマ美容師。好きな食べ物はピザだ」

「は、はあ」

 陰陽師ではなく、カリスマ美容師なのか……。彼は身をかがめ、美咲の顔を覗き込んだ。端正な顔立ちが間近に迫って、美咲はとっさに目をそらす。累は姿勢を戻して玉森に視線を向ける。


「ふふん。気のないふりをして、いつの間にパートナーを見つけていたんだ? 佑」

「パートナーじゃありません」

 玉森はそう言って、塁を美咲から引き剥がした。

「もういいでしょう。帰ってください」

「照れなくてもいいじゃないか。そうだ。懇親を深めるために今晩、三人で食事をしよう」

「そんな必要はない。お帰りください」


 玉森は塁を店から追い出し、懐から出した御札を扉に貼り付けた。どんどんと扉を叩く音と、おーい開けてくれ、という声が聞こえる。何も追い出さなくても。そう思っていたら、戻ってきた玉森が正面に座った。

「兄さんには、調査に協力してもらったんです。そのかわりあなたに会わせろと言うもので」

「私のこと知ってたんですか?」

「僕はいつも監視されてますよ。この店だって、あちこちに目がある」

 玉森は扇子を開いて、ぐーちゃんを出現させた。

「オンサンマヤサトバン、森の精霊よ、玉森の名において命ずる。蛇の目を探し出せ」


 ぐーちゃんはシュルシュルと床を張っていき、壺の中に入り込んだ。と思ったらすぐに出てきて、扇子の上に戻ってきた。玉森はぐーちゃんがくわえていたものを手にした。水晶玉のような、透明で円い玉だ。なんだろう、これ。美咲は玉に顔を寄せ、じっと見た。すると、玉の表面に誰かの瞳が映り込んだ。美咲は悲鳴をあげて身を引く。


「え、なっ」

 玉森が「破」といって握りつぶすと、水晶玉が霧散した。玉森は残滓を払いながら言う。

「潰しても潰しても仕込まれるので、もう諦めました」

「どうして監視なんて」

「陰陽師が信用し合ってない証ですかね。スパイもわんさといますから」

「さっきのお兄さんは……」

「ああ見えて油断ならない男です」

 彼はまだ店の戸をどんどんと叩いている。

「呼んでますよ。入れてあげたら……」

「必要ありません。それより、人形が手に入りました」


 ぴしゃりと言った玉森は、ガラスケースから人形を出して美咲に差し出した。美咲は人形を受けとって「この子が……」とつぶやく。人形は、山吹色の着物を着ていた。玉森はもう一体の人形を持ってきて、隣に座らせる。さすが姉妹人形、並ぶとよく似ていた。

「長野の寺で、丁寧に保管されていました」

「燃やされてなくてよかったですね」

「この人形も、生き人形とされていたそうです」

 玉森は懐からルーペを出して、人形を眺めた。

「ゆいちゃんは一人っ子だったようです。この人形をとても大事にしていて、親友と同じ「マサちゃん」という名をつけていた。ゆいちゃんがいなくなり、長野に映り住んでからはずっとガラスケースに入れられていて、寂しい思いをしていたようですね。母親は、娘を亡くした心労のためか40代で死去。年老いた父親が死んで家が解体されることになり、人形は栄光寺に収められた。その後、人形供養で焼かれるところだったが、そのたびに涙を流すので保管されることになった」

「一緒なんですね、この子と」


 美咲はそう言って、赤い着物の人形を抱き上げた。やっとそろったからなのか、どちらの人形も嬉しそうに見えた。美咲は玉森に、すぐ雪乃に売りに行くのかと尋ねた。玉森はかぶりを振る。

「いえ、その前に妙恵寺に行きましょう」

 なぜ妙恵寺に? 疑問を抱きつつも、玉森とともに出入り口に向かう。がらりと戸を開けると、地面に五芒星の書かれた紙が置かれていた。

 紙からは「開けてくれ〜」という声が出ている。玉森はそれを踏み潰し、「兄はこういう男です」と言った。美咲は、ドンドンと戸にぶつかっている生き物に気づいた。


「これ……カラスですか」

「兄の式神です。うるさいぞ、黙れ」

 玉森がにらみつけると、式神がぴたっと動きを止めた。かあかあと鳴きながら、玉森の頭上を旋回し始める。玉森は印を結んで、「かしこみかしこみ恩申す、陰陽の使いを散らせ――破」と唱えた。次の瞬間、稲光が光ってカラスに直撃する。カラスはくるくる旋回しながら民家の植木に突っ込んだ。美咲は顔をひきつらせ、そちらを見る。

「し、死んじゃったの?」

「あの程度では死にません。兄が手を火傷するくらいでしょう」

 玉森は冷徹な口調で告げて、さあ行きましょうと歩き出した。


 妙恵寺にたどり着いた二人は、掃除をしていた僧侶に青藍はいるかと尋ねた。僧侶は首を振って、住職ならいらっしゃいますと答えた。住職ならば着物のことも知っているだろうし、そのほうが都合がいい。玉森はそう言って、案内されたお堂に入った。しばらく待っていると、住職がやってきた。玉森は彼に頭を下げて挨拶する。

「お久しぶりです、弘安(こうあん)和尚」

「ああ、玉森さん。久しぶり」

 和尚はニコニコと笑い、美咲に視線を向けた。

「彼女は?」

「僕の助手のようなものです」

 私ってこの人の助手なの……? 美咲は一瞬首をかしげたが、雇われであることは確かなので黙っておく。玉森は弘安に、青森にある銀山神社を知っているかと尋ねた。

「ああ、知っております。あそことは、ちょっとしたゆかりがありましてな」

 玉森に詳細を問われ、和尚は慣れた口調で話しだした。

「先代の和尚に聞いた話になりますが、六十年前、銀山神社の神主だった間口慎太郎さんが、ここをふらりと訪れはったんです」

 美咲はその名前を聞いてハッとした。着物を奪って逃げた神主の名前だ。

「慎太郎さんは肺の病にかかってらっしゃって、もはや手のほどこしようがなく……看病のかいなくお亡くなりにならはったと」

「間口さんは、なぜ満身創痍で現れたんでしょう」

「さあ……ただ、しきりにこう言っとったそうです。「この着物をどうにかしてほしい」と。間口さんは、津軽こぎんの着物を持っていたそうなんですわ」

 着物は片袖が破れていて、どこか哀れに見えた。燃やすのも忍びないと思い、お祓いをし、保管してあるのだそうだ。お寺というのは、一般家庭と違っていろいろなものを取っておくのだな。つくもがみという発想が、仏教からきているからなのだろうか。玉森は着物を見せてほしいと頼んだ。

「ええ。今持ってきます」

 和尚がその場を去ったので、美咲は疑問を口にした。

「どうして着物がここにあるってわかったんですか?」

「兄の調査です。兄が使う式神のカラスは三羽いましてね。一羽は長野へ、もう一羽は間口慎太郎の行方を追った。もう一羽は僕をおちょくって雷に打たれた」

「同時に三体も式神を操るなんて、お兄さんってすごいんだね」

「能力の無駄使いはしますが否定しません」

 玉森はそっけなく言った。

 三十分ほど経っても和尚が戻ってこないので、怪訝に思ってお堂を出る。通りかかった僧侶に尋ねると、先程方丈の近くで見かけたとのことだった。方丈とは、僧侶の居住場所を意味する。そこに着物がしまってあるのだろうか? 美咲と玉森は僧侶の案内で方丈へ向かった。方丈にたどり着くと、僧侶は建物の外から呼びかける。

「和尚、お客様がお待ちですが」

 その時、がたんと音が響いた。玉森はハッとして戸を開き、草履を脱いで部屋にあがる。

「ちょっ、玉森さん」

 美咲は玉森を追って慌てて中に入った。入り口から入って廊下に出ると、玉森の肩越しに和尚が倒れているのが見えた。玉森は和尚に駆け寄って抱き起こす。

「和尚、大丈夫ですか」

 玉森が揺さぶると、かすかに身動ぎする。どうやら、気を失っているだけのようだった。美咲はほっとし、足元に何かが落ちていることに気づいた。拾い上げると、指先で溶けて消えた。これは……氷? 遅れて入ってきた僧侶が、和尚を見つけて慌てて寄ってきた。

「どうなさったのです」

「わかりません。とにかく、運びましょう。寝室は?」

「あちらです」

 玉森は僧侶とともに和尚の身体を持ち上げ、寝室に向かった。美咲は二人のあとを追おうとして、廊下の突き当りに扉があることに気づいた。扉はわずかに開いている。近づいていって開けると、中には書物や絵画などが入れられていた。美咲は、そこにも氷の粒が落ちていることに気づいた。それに、なんだかひんやりしている……。

「美咲さん」

 声をかけられて振り向くと、玉森が立っていた。美咲は彼に近づいていって尋ねる。

「和尚さん、どうですか」

「念の為お医者さまを呼ぶそうです。長居してもなんですし、またあした来ましょう」

 美咲は不安に駆られながら、玉森と共に方丈を出た。


 翌日、見舞いの品を持って妙恵寺を訪れると和尚が出迎えてくれた。彼は美咲たちを方丈に通し、お茶を勧める。和尚は申し訳無さそうに禿頭を撫でた。

「昨日はわざわざ来てくれたのに、申し訳なかった」

美咲はかぶりを振って、和尚をいたわる。

「いえ。それより、お身体は大丈夫ですか」

「ああ。医者からは過労と言われたんやけど」

 和尚は顔をくもらせた。

「ただ……私はそうではないと思ってるんや」

 美咲は玉森と顔を見合わせ、どういうことかと和尚に尋ねた。彼は声をひそめて、「出たんや」と言った。出たとは何だ。美咲の脳裏に浮かんだのは、生命力豊かな黒光りする虫だった。しかし、まさかそれではあるまいと打ち消す。何が出たんですか? と玉森が尋ねる。

「幽霊なのか、それ以外か……白くて冷たくて、恐ろしいものやった」

 昨日、和尚は納戸にしまわれている着物を取りに方丈に入った。着物を手に納戸から出ようとすると、真っ白なものが目の前に立った。和尚はその時のことを思い出したのか、ぶるりと身体を震わせた。

「それはわしから着物を奪おうとした。わしは抵抗したが、腕を掴まれて意識を失った」

「腕を見せていただけますか」

 玉森に乞われて、和尚は腕を差し出した。玉森は失礼します、と言って和尚の袖をめくる。そこには紅葉のようなアザがついていた。それを見て、美咲はハッとする。このアザ――私のものと似ている。玉森もそれに気づいたのか、眉を寄せていた。

「見たものの姿は思い出せませんか」

「そんな余裕あらへん。ただ……腕を掴まれたときに、長い髪が触れた気がしたんや」

「女だと?」

「それはわからへん」

 和尚は短くつぶやいて、こう続けた。

「間口慎太郎は亡くなる直前、こう言った。「私が死ぬのは、山神の祟りだ」と」

 山神の祟り――美咲は廊下や納戸に落ちていた氷の粒を思い出した。そのことを玉森に告げると、彼は「なるほど」とつぶやいた。方丈を出た美咲は、心配顔で玉森を見た。

「和尚さんは大丈夫なの? 人間じゃないものに襲われたってことでしょう」

「命を取る気なら、とっくにそうしてるでしょう」

 祟りが本当だとすれば、間口慎太郎は命を奪われたのだ。美咲はぽつりと呟く。

「ねえ、あのアザ……私の頬にあるものと似てるわ」

「僕もそう思いました。美咲さんのアザが、いつついたものなのかわかりますか」

 美咲はかぶりを振った。アザについて聞こうとしても、大人は誰も答えてくれなかった。医者にはおそらく熱を出したときの後遺症だろうと言われたが、美咲にそんな過去はない。

 知らぬ間に山神と接触し、痕をつけられたとすれば、誰も理由を知らないのもうなずける。美咲が考え込んでいると、先を行っていた玉森が振り向いた。

「美咲さん、今晩の予定は?」

「え? 特にないけど……」

「それはよかった」

 玉森はスマホを取り出し、どこかに電話をかけた。

「もしもし。お望み通り食事会をしましょう。ええ、美咲さんも一緒です。は? 場所なんてそのへんの店でいいでしょう……ああ、はいはい、好きにしてください」

 玉森は電話を切って、「午後7時、吉津亭だそうです」と言った。吉津亭といえば、京都一といわれる高級料亭だ。一体誰に電話をかけたのかと尋ねる。

「兄です。ジャンクフード好きなくせに、なぜかこういうときは場所にこだわるんですよ」

 そんなに嫌なのに、なぜお兄さんと食事をするのだろう。もしや、今回のことで何か聞き出すつもりなのか。とりあえず一旦解散することにして、美咲たちは別れた。

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