第17話
次に美咲が目覚めたときには、玉森はいなかった。捕縛された雪乃の姿も見当たらない。ぼんやりと身体を起こした美咲は、ソファに座っている沙知代に気づいた。彼女はテーブルに並べられたディナーを夢中で食べていたが、美咲と視線を合わせて食事の手を止めた。
「ああ、美咲様。お目覚めですか」
どうしてここに沙知代がいるのだろう。美咲が疑問符を浮かべていたら、沙知代がナプキンで口元をぬぐって立ち上がった。彼女は封筒を手にしてこちらにやってきた。
「これ、玉森さんからお手紙です」
美咲は封を切って中身を取り出した。手紙には、こう書かれていた。
「こんな真似をしてすいません。玉森家の重鎮方があなたを連れてこいとうるさいので、眠らせてしまうことにしました。僕の親戚が、寝る子を叩き起こすほど鬼畜ではないと信じたいです。僕はしばらく玉森の本家に滞在します。マスコミがあなたの居場所を嗅ぎつけないように、簡単な結界を張ってあります。ほとぼりが冷めるまで、ホテルにいてください」
沙知代はワクワクしながら美咲を見ている。
「美咲さま、なんて書いてあったんです?」
美咲はぐしゃりと手紙を握りつぶした。
「逃げたのよ」
「はい?」
「お腹が減ったな。私も食べようっと」
美咲はずかずかとソファに近づいていき、ステーキを切り分けた。肉を切り分けてはどんどん口に運ぶ美咲を見て、沙知代は驚いている。
「み、美咲さま? そんなに急いで食べなくても」
「大丈夫。このお肉、柔らかくてすっごく美味しいね。おかわりあるかな」
「おかわりですか!? 二百グラムのステーキですよ」
美咲は追加の肉を食べながらムカムカと腹を立てる。なんなのだ、あのひとは。パートナーになれと言っておいて、なぜこんな仕打ちをするのだ。結局、美咲を紹介したくないということではないか。美咲は怒りと悔しさで食事を進めた。
翌日、部屋に訪問者がやってきた。一瞬玉森が戻ってきたのかと思ってハッとしたが、入室してきたのは塁だった。美咲はがっかりして顔を伏せる。累はおかしそうに笑った。
「俺の顔を見て、そんなリアクションをする子は初めてだぞ」
「何か御用ですか……」
「用がなければ来ないさ。俺はカリスマ美容師だから忙しいのだよ」
「美咲さまっ、この麗しい男性はどなたですか」
そわそわする沙知代をなだめ、塁の話を聞くことにする。
「雪乃が自白したそうだ。各社マスコミも記事を出すだろうし、明日にはホテルを出られるだろう」
「でも、雪乃さんが捕まっても私達が怪しいことには変わりないですよね?」
まあそうだな、と塁がうなずいた。彼はリモコンを手にし、スイッチを入れた。テレビで流れ出したのは、「緊急記者会見」だった。天王寺にあるホテルからの中継で、会見会場には記者が詰めかけていた。なんの会見だろう。そう思っていたら、自分の祖父が現れたので美咲はぎょっとする。
「おじいちゃん!?」
祖父は用意された会見席に座り、マイクを握った。
「只今から、月神九段による緊急記者会見を行います。質問のある方は挙手をお願いします。なお、時間に限りがありますので、質問は一人お一つにしていただきたく思います」
司会の男性が注意事項を述べて、会見が始まった。挙手をした記者のうち、指名された者が祖父に質問を投げる。
「月神九段。今回の神隠し事件についてどう思われますか」
「心が痛む思いです。このような事件は、一切起きてほしくないと思っています」
「この事件をどこでお知りになりましたか」
「休憩室にあるテレビです」
その後も、神隠し事件についての質問が続いた。核心をついたのは、五番目に質問をした記者だった。
「関与したと思われる二人組は、あなたの関係者だとか」
美咲はハッとして身を乗り出した。祖父は静かにうなずく。
「ええ。報道で知りましたが、一人は私の孫で、もうひとりは弟子です。彼らがこのようなことをするはずがないと思い、会見を開きました」
つまり、祖父は美咲たちのために自ら壇上に立ったというわけか。記者の質問が続く。
「男性の方は身元が不明とのことですが」
「彼らは犯罪を犯したわけではありません」
祖父は、テーブルの下から何かを取り出した。それを見て、美咲は思わずソファから立ち上がる。祖父が手にしていたのは、姉妹人形だったのだ。なぜあれが祖父のところにあるのだ? 美咲は困惑して塁を見る。累はまあ見ていろ、と言ってテレビに視線を戻した。人形を見た記者たちは、当然ながら戸惑っている。
「それはなんですか?」
「これは姉妹人形で、悲しい因縁のあるものです」
祖父は山吹色の着物を着た人形を見た。フラッシュが瞬き、一瞬眩しいほどになる。
「これは、幼くして亡くなった少女の形見です。あの二人組は骨董店で働いておりましてな。この人形を探し奔走していました。東北に6時間かけていき、関係者に話を聞いた」
「その人形と事件と、どう関係があるんでしょうか」
「人形を探すよう依頼したのが山城雪乃だったんです」
「つまり、二人は巻き込まれただけであり、事件とは無関係だと?」
「ええ。彼らはむしろ被害者です。人形を買い取ってくれるはずの相手は逮捕。その上、容疑者にされたわけですから」
「誘拐犯が欲しがったということですが、その人形には何か価値があるんですか?」
「詳しくは申し上げられません。ただ、この人形たちは互いを思って「泣く」んです」
その言葉に、会場がざわついた。どこかから攻撃的な声が飛んでくる。
「人形が泣くなんてバカバカしい。何かをごまかそうとしてるんじゃないですか?」
その質問に、祖父がふっと笑った。
「万物にはすべて命が宿っています。それを忘れている我々のほうが、愚かやないのかな」
高位の棋士である祖父の言動には、穏やかながら気迫が感じられた。あれほどざわついていた会場が、水を打ったかのように静かになる。祖父は会場を見渡し、手にしていたマイクを置いた。司会が慌てて口を開く。
「えー、月神九段は明日も対局があるため、本日はここで終わりとさせていただきます」
会場を出ていく祖父に、記者が殺到した。警備員がそれを必死に食い止めている。
「月神九段、待ってください、九段!」
「明日の対局について一言!」
そこで一旦中継は途切れた。累はテレビを消してにやっと笑う。
「君のおじいさん、中々やるではないか」
「あんなことして、対局に差し支えないといいけど」
「大丈夫ですよ、佐一さまは素晴らしい精神力をお持ちですから」
不安がる美咲に、沙知代はほこらしげに言った。彼女の言葉通り翌日の対局は常になく注目されたが、マスコミの圧にも負けず、祖父は見事勝ちきった。
佐一の自宅前にはしばらくマスコミが集まっていたが、人気俳優の不倫が発覚すると、あっという間にそちらへ話題が移った。そしてホテルに滞在し始めてから五日後、美咲と沙知代は無事家に帰ることができた。玄関に荷物をおろした沙知代は、んーっと背伸びをした。
「ああー、やっぱり家っていいですねえ。ホテルは快適ですが、ずっといると息が詰まって」
「そうだね」
「さっ、空気の入れ替えと掃除をしなきゃ。美咲さま、洗濯物出してくださいね」
美咲は洗濯機を回し、屋敷の窓を開けて回った。中には空気がこもっていたが、外も暑いのであまり爽やかさは感じない。そういえば、家を空けている間、鯉に餌をやっていなかった。心配になった美咲は、庭におりて池を覗き込んでみた。鯉は元気に泳ぎ回っている。少しくらい食べなくても大丈夫なのだろうか。踵を返して部屋に戻ろうとしたら、ちりん、と音がした。美咲は足を止め、池の方を振り向いた。部屋にあるはずの銅鐸が、池の上に浮いている。銅鐸はかすかに震え、音を出していた。
ちりん、ちりん。まるで誰かがそこにいて、銅鐸を鳴らしているようだった。鯉は音のする方に集まって、口をパクパクさせた。美咲は無意識のうちに、思い浮かんだ人を呼ぶ。
「おばあちゃん……?」
ちりん。
銅鐸はすーっとこちらに移動してきて、美咲の手のひらに収まった。それきり静まり返る。
美咲は銅鐸をそっと包み込んで、「ただいま」と言った。
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