第15話
京都についた美咲と玉森は、変装姿で佐一の自宅へ向かった。幸い門前には警察もマスコミもおらず、すんなりと家に入ることができた。二人の姿を見た沙知代は驚いたが、慌てて美咲の腕を引いて、中に引き入れた。彼女は玄関のドアを厳重に閉めて、小声で尋ねてきた。
「なにしてはるんですかふたりともっ、昨日から警察だのニュースだのと大騒ぎですよ」
「ごめんね、沙知代さん。色々わけがあって」
「わけってなんですか」
話したいが、余り時間がないのだ。美咲は誘拐された子供を助けるために動いていること、警察が来ても知らないで通すようにと言い含めた。沙知代は頷きながら聞いたのち、「佐一さまから電話がありましたよ」と言った。
「どういうわけかはわからないが、あの二人を信じろと仰せでした」
おじいちゃん……迷惑かけてごめんね。美咲は心の中で祖父に謝った。沙知代は勇猛果敢な顔つきで、箒を逆さ向きに持った。
「警察だろうがマスコミだろうが、誰が来ても追い払う所存です」
「頼もしいですね」
玉森はそう言って、沙知代にメモを渡した。
「何かあったらここに連絡を」
沙知代はメモを見て、元気よくはいっと答えた。
せめて何か軽く食べていくよう言われたが、長居すると警察が来るかもしれない。丁重に断って家を出た。再び観光バスに戻ると、制服警官が乗っていた。いや、制服警官に扮した塁が乗っていた。美咲がぽかんとしていると、彼は長い足を組んで不敵に笑った。
「なんでも似合って怖いだろう。さすがお兄様と讃えろ」
「ああ、怖い怖いさすがお兄様」
玉森は棒読みで言った。
「ただ目立ちすぎです。もっと地味にしてください」
「普通に着てるだけなのに」
「普通にしてても目立つんですよ。美咲さん、メガネを」
美咲が手渡したメガネをかけ、ワックスで髪を撫で付けると、多少印象が真面目になった。
京都府警前にバスが停まると、累は歩道にするりと降り立った。彼はUSB片手に唇を緩める。
「見てろ。見事あの女の悪事がバレるよう仕込んでくる」
「婦警を口説くとか、余計なことはしないでくださいね」
「甘いな佑。俺レベルになると、口説かなくても寄ってくるのだ」
累は片目をつむって警察署に入っていった。玉森は冷めた瞳で塁を見送って、パソコンを操作した。それから、こちらにパソコン画面を向ける。
「先程手に入れたものです」
どうやら監視カメラの映像らしく、人々が行き来する様子が映し出されている。ここはどこだろう。待合室のように見えるが。どうしてこんなものを見ることができるのだ。美咲がそう尋ねたら、玉森家の系列には警備会社があるのだと返ってきた。
「これは関西空港のロビーの映像です。早送りしますね」
玉森は映像を2倍速で流した。彼は何かを探すように視線を動かし、ある時点で止めた。
「ここ、見てください」
画面には、女性の姿が映っていた。サングラスをかけて目深に帽子をかぶっているが、その美貌は隠しきれていない。
「これって、雪乃さん……?」
「これは2日前の映像です。どうやらチャーター機でどこかに向かったようです」
2日前というと、ミクがさらわれる前日だ。いったいどこに行ったというのか。玉森はスマホを取り出し、電話をかけた。
「玉森佑です。2日前の、関西空港から出たチャーター機の搭乗者リストを送ってください。使いみち? 人助けですよ」
玉森は通話を切って、リストが届くのを待った。美咲はいまがチャンスだと思って口を開く。
「玉森さん、雪乃さんに会うという話なんだけど」
「その話は終わったはずです」
「私、玉森さんのことを誤解してた」
彼はパソコンから目を離し、美咲のほうを見た。美咲は玉森を見つめて言う。
「玉森さんは他人をいいように利用してるってずっと思ってた。だけど、違うのね。私のことも、おじいちゃんのことも、ミクちゃんたちのこともちゃんと考えてる」
「利用できるものはします。だが雪乃は危険な相手だ。あなたもその身で実感したはず」
「見つけたいの」
六十二年前に失踪した原田ゆいも、いま姿を消しているミクと久美も、十歳に満たない幼い少女だ。身が凍るように恐ろしい思いをしたに違いない。だから見つけたいのだ。雪乃の目的が何なのか、なぜ少女をさらうのか。美咲の頬になぜアザができたのか、解明しなければ前には進めない。いまやっと、玉森が言っていたことが理解できた気がするのだ。
「お願い、玉森さん」
玉森が口を開こうとしたとき、パソコンのメール受信音が響いた。メールを開くと、搭乗者リストが表示される。玉森は搭乗者の名前を目で追って、雪乃の名前を探しだした。
「ありました。山城雪乃。2日前の午後2時、青森に行っています。その先の足取りは……不明。翌日の朝8時に、関西空港に帰ってきています」
はたして、雪乃は青森に何をしにいったのだろう。玉森は、リストに書かれていたチャーター便の操縦者に注目した。再び警備会社に電話をかけて、情報を聞き出す。
「操縦者は南田広大、35歳。沖縄出身か。現在は大阪に在住している」
玉森は広大のメールアドレスに雪乃の顔写真を添付し、「この客について聞きたい」と送った。返信が来たのはそれから三十分後だった。メールには文章を書くのは苦手なので、直接話したいと書かれていた。下記には、Skypeのアドレスが記載されている。玉森はSkypeを起動し、広大にコンタクトをとった。
しばらくして、アロハシャツ姿の男が映し出される。彼は日焼けした大柄な男で、人のいい笑顔を浮かべて挨拶をした。
「なんくるないさー。南田広大です」
「玉森佑です。お時間をとっていただき、ありがとうございます」
「三十分くらいしか時間がないから、短めで頼んます」
「ではさっそく。メールで送った写真の女について聞きたいのですが」
「はい、えっらい美人だったんで覚えてます」
「彼女が青森について以降の足取りを追っています。何か見たり聞いたりしましたか」
「「忘れ物を取りに行く」って言ってました」
忘れ物とはなんだろう、と美咲は思った。玉森は問いを続ける。
「他に、印象に残ったことはありますか」
「すっごい機内が寒かったです。俺はダウンジャケット着てたんすけど、彼女は薄着で。なんか、修行でもしてんですかね?」
チャーター機を取ったのは、足がつきにくいこともあるだろうが機内の温度調節が自由だということも大きいのだろう。空港会社も、雪乃1人のために他の客に極寒の旅を提供できまい。
「あーあと、おみやげをもらいました」
「おみやげ?」
広大はこれです、と言って酒瓶をこちらに見せた。瓶のラベルには「ゆきうさぎ」と書かれている。
美咲はハッとして玉森を見た。玉森もうなずいてみせる。雪乃が向かったのは兎月村で間違いないだろう。彼女は兎月村に「忘れ物」を取りに行ったのだ。広大は陽気な口調で続ける。
「美人だったけど、機内もあのひとも寒々としてた。沖縄に帰りたくなったねー」
「ありがとうございます、南田さん。大変参考になりました」
「もういいの? じゃ、またねー」
南田は手を振って通話を切った。美咲は玉森に尋ねてみる。
「忘れ物ってなんだろう」
「ええ、気になりますね」
玉森はじっと考え込んでいる。塁が戻ってきたのは、それから1時間後のことだった。彼は仕込みに成功したことを話し、得意げな顔でこちらを見る。
「どうだ、この鮮やかな手並み。感激したか」
「大層感激しました。雪乃はじきに逮捕されます。美咲さんが会う必要は……」
玉森が言い切る前に、美咲はアプリを起動した。メッセージを送ると、こう返ってきた。
kino「会いましょう、二人でね」
misaki「了解しました」
美咲は玉森に視線を向けた。玉森は沈黙の後、こう言った。
「わかりました。ただ……条件があります」
二十分後、観光バスは「氷帝ホテル」の前に停まった。美咲は精一杯のカモフラージュとして帽子を目深にかぶり、メガネをかけていた。バスから降りようとすると、玉森が手を伸ばし、美咲の手を握りしめた。
「危険だと思ったら、かならず僕を呼んでください」
「うん、わかった」
美咲は玉森の手を握り返した。玉森はふっと瞳を緩める。背後からヒューヒューとはやしたてられた玉森は、苛立った視線を累に向け、ヒトガタを飛ばした。
バスから降りた美咲は、ドアマンが立つ自動ドアを抜けた。
広々としたロビーに入り、ラウンジに向かう。ラウンジには優雅なアフタヌーンティを楽しむ人々がいる。氷帝ホテルは府内でも有名な高級ホテルだ。それだけに、利用客も富裕層が多い。見渡さずとも、雪乃の姿はすぐ見つけられた。彼女は窓辺の席に座り、スマホを手にしていた。清楚な白いワンピースをまとった雪乃の美貌は、ひときわきわだっている。
美咲は玉森が出してきた「条件」を見下ろした。バッグの中に入れられた式神のぐーちゃん。必ず目の届くところに置くように言われていた。美咲に何かあれば、すぐにぐーちゃんが玉森に知らせる手はずになっている。
「頼んだよ、ぐーちゃん」
美咲が囁くと、ぐーちゃんはきりっとした顔をこちらに向けた。深呼吸して雪乃に近づいていくと、彼女の瞳がこちらを見た。雪乃は手にしていたスマホを伏せて、つややかに微笑んだ。
「ひさしぶりね。お元気?」
「ええ……」
「ニュースで騒がれて疲れてるんじゃない?」
雪乃の言葉に、美咲は冷や汗をかいた。隣の客が読んでいる新聞には、「神隠しか? 児童二名が行方不明」と書かれている。あの記事にはおそらくミクや久美の事件、美咲の名前が載っているだろう。
雪乃はボーイを呼んで、アイスミルクティーを注文した。美咲もそれに倣う。彼女は運ばれてきた紅茶を一口飲んで、「冷たくて美味しい」と言った。雪乃が飲んでいる紅茶を見ると、冷気がたつほど冷やされているのがわかる。雪乃はここの常連なのか……。
ロビーの目立つところにはショーケースが設置されていて、人形が並べられていた。いずれも女の子の人形だ。あれは全部雪乃の作品なのだろうか? 美咲の視線に気づいた雪乃は、笑顔を見せる。
「このホテルのオーナー、私のファンなの。色々と支援をしてくださって」
だからこのホテルで会おうと言ったのか。ラウンジの気温は適温のようだ。しかし、雪乃は平然としているように見える。二十度以上が身体に応える体質ではなかったのか?
「雪乃さん。ここ、寒くないけど大丈夫なんですか」
「少しくらいなら平気なのよ」
彼女はそう言って、身を乗り出した。
「ところで、人形は?」
「車の中です。ミクちゃんと久美ちゃんの無事が確認されるまで、渡す気はありません」
美咲がそう言うと、雪乃がため息を漏らした。
「玉森さんがそう言ってるの? 私がさらったなんて、ひどい誤解だわ」
「誤解かどうかはもうすぐわかります。警察が動いているので」
警察と聞いて少しは動揺するかと思ったが、雪乃の表情は変わらなかった。なぜこのひとはこんなに落ち着いているのだろう。人間ではないからなのか。そう思っていたら、雪乃が口を開いた。
「ねえ美咲さん。私たち、昔会ってるのよ」
「昔……ですか」
「あなたは小学校に入る前だったと思う。妙恵寺の階段で泣いていたから、声をかけたの」
十七年前の秋だったかしら、と雪乃は言った。その当時、雪乃は妙恵寺に参拝に来ていた。どうやら葬儀中だったらしく、門には鯨幕がかけられていた。参拝を諦め帰ろうとした雪乃は、階段に座っている女の子に気づいた。女の子は黒いワンピースを着て、1人で泣いていた。一見して、葬儀に来た子供なのだろうとわかった。雪乃は子供に近づいていき、そっと声をかけた。
「どうして泣いてるの?」
「おばあちゃんが死んじゃったの」
少女は泣きながら答えた。その少女が美咲だった。雪乃は美咲の隣に座って背中をさすった。
「そう。可哀想に」
美咲は徐々に泣き声を弱め、顔をあげた。お姉さんはだれ? 美咲はそう尋ねたのだという。雪乃は美咲に、自分は山神だと名乗った。
「山神……」
「そう。銀山の女神。そう言っても、あなたはよくわかっていないようだった」
雪乃は美咲の頬に触れて、また会いましょう、と囁いた。再会したときすぐわかったのよ、と雪乃は言った。
「その痣は、私がつけたものだって」
美咲は呆然と、自分の右頬を撫でた。美咲を散々苦しめてきたこの痣は、目の前の美しい女性のせいでついたというのか。美咲は声を震わせながら尋ねた。
「あなたは、兎月村の神様ということですか。女の子を妬んで、神隠しをする」
「人間はそういう神話を作るのが好きよね。何百年も前から、私は兎月村の銀山に住んでいた。人々は私をおそれ敬って、果物をお供えし、生け贄を捧げた」
その生け贄には、動物だけではなく人間も含まれたのではないか。そう思って、美咲はぞっとした。
「でも時代は変わった。徐々に私の存在は薄れ、お供え物は少なくなり、生け贄もなくなった」
人々は生活を豊かにするのに必死で、神を敬う余裕などなくなった。神社を参拝する人間も減り、雪乃は寂しい思いをしていた。そんなある日、1人の少女が神社を訪れた。それが原田ゆいだった。雪乃は記憶をたどるように目を細めた。
「ゆいちゃんはとっても可愛い子だったわ」
人間らしからぬ雪乃を見たゆいは、とても驚いたそうだ。しかし、雪乃が寂しい思いをしていると言うと、一緒に遊んであげる、と答えた。ふたりはかくれんぼや鬼ごっこをして遊んだ。
「私は、ゆいちゃんに言ったわ。「私に触ったらだめよ」と」
ゆいは不思議そうに首をかしげたが、念を押すとうなずいた。
「でも、子供というのは感情のままに行動してしまうものよ。鬼ごっこをしている最中に、興奮したゆいちゃんがしがみついてきた」
ゆいは一瞬で冷たくなり、鼓動を止めた。雪乃はゆいの息を吹き返そうとしたが、いくら温めようとしても彼女の身体は冷えるばかり。雪乃は自分のせいでゆいが死んだことを悲しんだ。それが本当だとしたら、あまりにやりきれない話だ。
「ゆいちゃんの、身体はどこに行ったんです」
遺体と表現するのがはばかられて、美咲はそう言った。雪乃はふっと瞳を伏せた。
「置いておくのがかわいそうで……山に埋めたわ」
「ゆいちゃんを隠して、ご家族がどう思うか考えなかったんですか?」
思わず口調が強くなる。雪乃の声は反対に弱い。
「今思うとそうね」
「今回のことだってそうです。子供をさらうなんて、その子がどれだけ怖い思いをするか、周りが心配するかわかってるんですか」
雪乃はじっと美咲を見た。
「怒っているのね、美咲さん」
「当然じゃないですか。誘拐事件の前日に、あなたが兎月村に行ったこともわかっています。一体、村へなにをしにいったんです」
雪乃はすっと立ち上がり、「部屋に行きましょう」と言った。
「ここでは話せないをですか」
「ええ。知りたいんでしょう? 私が何をしたか」
行くべきではない、と直感で思った。しかし、ミクたちの行方はいまだにわかっていない。もし、美咲が拒否して子供たちに何かあったら……。美咲は首筋に汗がにじむのを感じた。アイスティーを飲み干し、バッグを持って立ち上がろうとすると、雪乃が冷たい声で告げた。
「それは置いていって」
式神が仕込まれていること、ばれてしまっている。歯噛みした美咲の肩に、雪乃の真っ白な手が触れた。約束したでしょう。二人だけで話をするのよ。玉森さんは関係ないもの。耳元に触れた声は、ぞっとするほど冷たかった。
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