第14話
――美咲さん。名前を呼ばれ、美咲はぼんやりと瞳を開いた。玉森が心配そうな顔でこちらを見下ろしている。
「玉森、さん」
「大丈夫ですか」
「なんとか……」
玄関で倒れたはずだが、美咲はソファに寝かされていた。玉森が運んだのだろうか。人形は無事かと尋ねると、玉森は怪訝な顔をする。
「人形?」
「白い女が人形を取りに来たんです。ミクちゃんをさらったと言っていました」
玉森はクロークに入れていた人形を出してきた。それを見て、美咲はホッとする。累はコーヒーを淹れながら呆れた声を出す。
「にしても、やるなと言われたことを違わずやるとは驚いたぞ」
「すいません……」
美咲は差し出されたコーヒーを受け取って、ちらりと玉森を見た。
「それで、ミクちゃんは」
「倉庫にはいませんでした」
玉森はこちらにスマホの画面を差し出してきた。画面には服を着たカカシが映っている。それは、警察が公表しているミクの格好と同じだった。カカシの顔には「ミク」と書かれている。
「なんですか? これ」
「だいぶ大きいが、ヒトガタというやつです。本人の身代わりとなる呪具で、これを傷つければミクちゃんも傷つく」
「これを置いたやつはな、式神にそこまでの探知能力がないことを知っているのだ」
累はするすると這ってきたぐーちゃんを横目で見た。ぐーちゃんがビクッと頭を揺らす。
「にしても、カカシと子供の見分けもつかないとは」
「カー助なら見分けられたでしょうね。なにせカラスだ」
玉森は嫌味っぽく返し、しょんぼりしているぐーちゃんを拾い上げ扇子に乗せた。
「犯人はこの部屋の存在に気づいた。陰陽師のやり口も熟知している。只者ではないぞ」
塁の言葉に、玉森は眉を寄せた。
入浴して戻ると、塁の姿がなかった。美咲は、ソファに座っている玉森に尋ねる。
「塁さんは?」
「寝ました。あの人、早寝早起きなんです」
「そうなんだ」
美咲は髪を拭いながら玉森の隣に座った。玉森は一瞬肩を揺らし、咳払いした。
「小学生は、原則SNSをできないようになってるはずですよね」
「え? うん。どうして?」
「ミクちゃんはやってたみたいです」
玉森はそう言ってスマホの画面を向けてきた。画面を覗き込むと、ミクがSNSをやっていたという旨の書き込みがされていた。
URLをクリックしたら、「miku」というアカウントに飛んだ。アイコンはアニメのキャラクターで、一番最後の投稿は「トモダチに靴ぬすまれた。むかつく」というものだった。投稿日時は昨日の午後七時だ。美咲はミクの相互フォロワーをチェックした。フォロワーは数十人で、書き込み口調からしていずれも十代のようだ。その中のひとりが、頻繁にミクにコメントしていた。
「kino」というアカウント名で、アイコンは初期設定のままだ。ミクだけをフォローしていて、コメントはいずれも同調するようなものばかりだった。そして、ミクはkinoがコメントするたびにいいねを押していた。
「この、kinoっていうアカウントが気になりますね。パスワードがわかればDMをチェックできるんですけど」
「式神を使えばわかります」
玉森が扇子を開くと、ぐーちゃんが現れた。また呼んだの? と言わんばかりの目で玉森を見上げている。
「おつかれ、ぐーちゃん」
優しくぐーちゃんの頭を撫でると、玉森がちらっとこちらを見た。
「ぐーちゃんには妙に優しいですね」
「だって可愛いし」
「僕にも優しくしてくれればいいのに」
玉森はすねたような口調で言った。たしかに彼も働きっぱなしだし、労わなければなるまい。美咲はそっと玉森の頭を撫でた。彼の髪はびっくりするほどサラサラだった。どこのシャンプーを使ってるんだろう。その手触りに夢中になっていたら、玉森が美咲の腕を掴んで降ろさせた。
「……そういうことじゃないです」
じゃあ何をすればいいのだと尋ねようとしたら、彼が突然侘びの言葉を口にした。
「すいませんでした」
「どうして謝るの?」
「あなたを危険な目に合わせてしまった」
「玉森さんのせいじゃない。私が扉を開けたから悪いのよ」
「なぜそんな危ないことを……」
どうしてだろう。何者なのか気になったからかもしれない。良いものでないのは確かなのに、好奇心が刺激された。それに──あの白いものを見たときなぜか既視感があった。
「気をつけてください。悪い物に惹かれないように」
玉森の言葉に、美咲はうなずいた。ぐーちゃんは体力がつきたのか、美咲の膝上ですやすやと寝息を立てている。玉森は苦笑して、「仮眠を取りましょう」と言った。
翌朝起きだすと、ソファに腰掛けてパソコンを叩く玉森の姿が見えた。おはよう、と声をかけると、彼はこちらに視線を向ける。
「眠れましたか」
「うん、ぐっすり」
「爽やかな目覚めのところ悪いですが、よくないニュースです」
玉森はこちらにパソコンを向けてきた。画面を覗き込んだ美咲はぎょっとする。ネットニュースのトップタイトルには、「神隠しか? 二人目の失踪」と書かれている。美咲は画面に顔を近づけ、記事を読み上げた。
「昨夜、京都市在住の小学3年生、遠藤久美さんが失踪した。久美さんは夜8時まで家にいたことが確認されているが、その後なんらかの理由で自宅を出たと考えられ……」
「神隠し……」
「あながち間違いではないでしょうね。あなたを襲ったものが、久美さんをさらったとすれば」
玉森はそう言った。しかし、どうして久美まで? 美咲がネットニュースの続きを読んでいると、塁が起き出してきた。彼はあくび混じりでソファに腰をおろす。
「なんだ、そろって深刻な顔をして」
「ミクちゃんの友だちが失踪したんです」
「そして子供ばかりがいなくなる、か。ブレーメンの音楽隊じゃあるまいし、趣味が悪いな」
塁は眉をひそめている。もしかすると、更に被害者が増える可能性もある。玉森は歯噛みして、「美咲さん、コンパクトを」と言った。
美咲は急いでコンパクトを取りに向かい、玉森に差し出した。玉森はミラーに向かって呼びかける。
「玉森の名において命ずる。遠藤久美の姿をここに映せ」
ミラーは一切反応しない。もしや、返事ができないようなことがあったのではないか。青くなった美咲に、玉森はこう言った。
「彼女がどういう状況かはまだわかりません。監禁場所に鏡がないだけかもしれない」
テレビをつけると、ちょうど久美の失踪について報じていた。画面の向こうには、先日訪れた久美の家が見える。リポーターは真剣な表情でマイクを握り、事件について報じている。
「現在我々は、失踪した遠藤久美ちゃんの家の前に来ています。久美ちゃんは午後八時まで二階の自室で寝ていたということですが、明朝の午前7時、母親が部屋にいないことに気づいて警察に通報しました。警察の調べによると、何者かが侵入した形跡はなく、自分で家を出ていった可能性が高いということで……」
なぜ久美は家を出たのだろう。何か心当たりがあって、ミクを探しに行こうとしたのだろうか。玉森がパソコンを操作して、「これ、見てください」と言った。
パソコン画面を見ると、ミクのSNSアカウントが表示されていた。玉森が指差したところを見て、美咲はハッとした。相互フォロワーの「kino」のアカウントが削除されているのだ。玉森は眉をひそめ、画面を見つめた。もはや犯人を追う手段はない。その場に重苦しい沈黙が落ちた。
「しかし、白い女はなんでこんな人形を欲しがったんだ?」
累は市松人形の腕を掴んで弄んでいる。美咲は自分の考えを話す。
「もしかしたら、久美ちゃんとミクちゃんに与えようとしたのかも。人形は二体あるし」
「それでわざわざ大阪くんだりまで来たのか? 随分とマメな誘拐犯なのだな」
「人形のことを知っていた……?」
玉森がそう言ったきり黙り込んだので、美咲はどうしたのだと尋ねた。彼はゆっくりとこちらを見て、口を開いた。
「犯人は、おそらく僕たちの知っている相手です」
美咲と玉森は、貸切状態の観光バスに乗って京都に戻っていた。ふたりともウィッグを被ってサングラスをしているので、傍目には外国人観光客にでも見えることだろう。すでに誘拐から丸一日経った。長引けば長引くほど、ミクたちは危険にさらされる。重苦しい沈黙が落ちる車内で、ひとり楽しそうな男がいた。インド人の格好をした塁である。彼はスマホでアプリゲームに興じていた。
「あー、またやられたー。なあ、誰か対戦しよう」
声をかけられた美咲と玉森は、返事をしなかった。累は構わずに言葉を続ける。
「スマホのアプリというのはどんどん新しいのが出るのだな。作る人も大変だ」
無視し続けるのも気が引けたので、仕方なく口を開く。
「玉森家もさすがに、アプリは作ってないですよね」
「いや? たしか何個か作っているはずだ」
塁が差し出してきた画面には、アプリがいくつか表示されていた。美咲は何の気なしにそちらを見て、ハッとする。
「このアプリ、ミクちゃんのお気に入りです」
それは、「なでしこ七変化」という、きせかえを楽しんで遊ぶというアプリだった。
「ああ。これは小学生に大人気だそうだぞ。なんとかいう人形作家が服のデザインしてるそうだな」
その言葉に、玉森がハッとした。彼は身を乗り出し、作家の名前を尋ねる。累はネットから探しだした画像を表示し、こちらに向けた。美咲は画面を見てハッとした。人形を抱いて微笑む美しい女性。
「雪乃さん……」
美咲と玉森は顔を見合わせた。早計かもしれないが、彼女が事件に関わっている可能性がある。累は雪乃の画像をしげしげと見た。
「しかし美人だな。しかも美髪だ」
「兄さんの嫌いなあやかしですが」
「ああ、残念ながらその時点でアウトだ」
雪乃の名前で調べると、すぐにSNSがヒットした。ミクと同じく、最大手のSNSサイトに登録している。アカウント名は「yuki」。アイコンは人形の写真で、プロフィールには丁寧な紹介文が書かれている。フォロワーは多いが、相互フォローは100人を切っている。美咲は彼女の相互フォロワーを調べた。やはり、思ったとおり。相互フォロワーの中には、ミクのアカウントがあった。玉森は、たどり着いた手がかりに息を吐いた。
「繋がりましたね。雪乃さんはミクさんと知り合いだった」
「SNSで絡んだ程度で知り合いと呼ぶか?」
おそらくゲームの続きをやりたいのだろう。累は興味なさげにつぶやいた。確かに、これだけでは繋がりが弱い気がする。玉森は着せ替えアプリの機能をざっと見て、塁に尋ねる。
「このアプリ、チャット機能がありますね。履歴を調べられますか」
「面倒だな。これが手がかりになるとも限るまい」
「お願いします」
「誠意が足りないね。ありがとうございますお兄様バンザイと言ってくれなきゃ」
「塁さん、子供の命がかかってるんですよ」
美咲はそう言ったが、塁には響かないようだった。とすると……。美咲は玉森を突っついた。玉森は嫌そうな顔をしたが、美咲がなおもせっつくとため息を漏らした。彼らしからぬ棒読みで兄を称賛する。
「ありがとうございますお兄様バンザイ」
「駄目、全然可愛くない」
塁は玉森をバッサリ切って、美咲に視線を向けた。えっ、私も言うの……?
「あ、ありがとうございます。お兄様……バンザイ?」
恥ずかしくて目をそらしながら言ったら、塁が真剣な顔でこちらを見た。
「もう一回」
「はっ!?」
「君が口にするお兄様という言葉の響きは素晴らしいな。非常にいい気分になる」
「は、はあ……」
美咲が顔をひきつらせていたら、玉森が低い声で言った。
「いいかげんにしろお兄様くたばれ」
「口が悪いぞ、佑」
「お願いします、塁さん」
美咲が塁を拝むと、彼は満足そうにうなずいた。
「仕方ないな。美咲ちゃんに免じて調べてやろう」
塁が連絡を取ると、しばらくしたのち大量のログが送られてくる。累はその膨大さに顔をしかめた。
「なんと、これほどのやり取りをしていたのか。なぜ警察はこれを調べないのだ」
「スマホ本体があれば調べているでしょうがね。アプリのメッセージ機能というのは、意外といい隠れ蓑かもしれません」
こちらのアカウントまで消されていたらどうしようかと思ったが、雪乃は「kino」というハンドルネームで、ミクは「miku」できせかえアプリに登録していた。「kino」が雪乃だったとしたら、ますます疑いが濃厚になる。ミクは主に学校や両親の愚痴をこぼし、雪乃はそれに同意するというスタンスをとっていた。最新の二人の会話は3日前で、こういうものだった。
kino「ミクちゃん、いつもどこであそんでるの?」
miku「団地の公園。森小の近くだよ」
kino「こんどうちであそぼうよ。お人形見せてあげる」
miku「たのしみ」
kino「ミクちゃん、なかよしのお友達がいるんでしょ? いっしょに遊びに来なよ」
miku「久美ちゃんのこと?」
miku「だめだよ。あの子つまんないもん。スマホ持ってないしさ」
kino「そんなこと言っちゃだめだよ」
kino「わたし、みんなで仲良くしたいな」
miku「まあ、そこまで言うならいいけど」
kino「約束ね。ゆびきりげんまん」
miku「雪乃さんって子供みたい」
miku「おとななのに、着せ替えがすきだし」
kino「名前で呼んじゃだめ。おとながこんなゲームやってるって知られたら、恥ずかしいからね」
miku「はーい」
二人の会話はそこで終わっていた。雪乃はミクの所在も、久美の存在も知っていたのだ。玉森は雪乃に電話をかけたが、彼女は応答しなかった。玉森は通話を切ってつぶやく。
「こっちが探ってることに気づいたんでしょうね」
「なにか餌があれば釣れるのではないか」と塁が言う。美咲はハッとして玉森を見た。
「ねえ、人形は?」
「姉妹人形ですか? 確かに、彼女はあれに執着している……なにせ、わざわざ奪いに来たくらいなのだから」
美咲は「misaki」という自分のハンドルネームを使って、雪乃にコンタクトを取ることにした。
misaki「雪乃さん、こんにちは」
misaki「美咲です」
しばらくして、反応があった。
kino「美咲さん?」
kino「どうしたの」
kino「どうして、このアカウントを知ってるの?」
misaki「ミクちゃんに聞いてたんです」
misaki「雪乃さんなら、何かミクちゃんの事知ってるんじゃないかと思って」
misaki「私、警察に疑われて大変なんです」
misaki「何か知ってるのなら、教えてくれませんか」
kino「私は何も知らないわ」
kino「でも、あなたが無実だってことはわかってる」
kino「だって、動機がないものね」
kino「警察にもそう話してあげる」
misaki「本当ですか」
kino「ええ、本当よ」
kino「だから、人形を渡してくれない?」
kino「私、あの子たちが揃うのを待ちわびてたのよ」
kino「警察に持っていかれるようなことになったら嫌だもの」
misaki「どこに行けばいいですか」
kino「氷帝ホテルはどう?」
kino「ホテルで講演があって、部屋を取ってもらってるの」
kino「ああ、一人で来てね。玉森さんが一緒だと目立つでしょう」
美咲は画面から視線を外し、玉森を見た。玉森はかぶりを振って、「危険すぎます」と囁いた。
「人間に紛れてはいるが、あの女は現代に数種しかいない強大な力を持つあやかし……いや、神社に祀られていたことから考えて、神に近い存在だ。二人きりになるのは危険です」
「でも、会わなきゃミクちゃんたちが危ない」
「美咲さん、あなた自分がただの人間だってわかってるんですか」
玉森に続き、塁が軽口を叩く。
「そうそう。ここは陰陽師に任せるがいい。俺が行ってさくっと殺してやろう」
「手荒な真似をしたら駄目です。向こうには人質がいます」
そう言ったら、塁が肩をすくめた。かといって、ただの人間である美咲が丸腰で行くのは無謀だろう。
美咲は玉森に向き合って、「私、あなたのパートナーになるわ。術を教えて」と言った。玉森はじっと美咲を見返す。
「どうしてその気になったんですか」
「塁さんが怪我しているのを見たときに思ったの。陰陽師は人間なんだって。怪我したり、眠くなったり、疲れたりする。だからパートナーが必要なんじゃない? 私には陰陽師の術は使えないけど、雪乃さんの警戒心を解くことはできる。普通の人間だからこそ、それができる」
「鋭いな美咲ちゃん。その意見には一理ある」
累は感心したように腕組みをしている。美咲はうなずいて、玉森に目をやった。玉森は苦い顔をしたあと、押し殺すようにこう言った。
「……危険なことをさせるために、あなたをパートナーにはしません」
「玉森さん……」
「京都についたらまず、佐一さんの家に行きましょう。沙知代さんがひとりでどうしているかも心配ですから」
「でも……」
美咲は食い下がろうとしたが、彼はそれ以上の議論を阻むようにパソコンに向き直った。
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