第13話

 美咲と玉森は、バスを乗り継いで二条城へ向かった。名所だけあって、平日の午後にも関わらず駐車場にはバスや車が停まっている。二人は観光客に混じって、なるべく顔を見られないようにしながら城内に入った。門をくぐると立派な天守閣が見えたが、観光を楽しんでいる場合ではない。にぎやかな集団がいたので何事かと思ったら、中国人観光客の団体だった。彼らは城を見上げて色々と話している。


 累はどこにいるのだろうと思っていたら、その中のひとりが近づいてきた。サングラスをかけた髭面の男性で、ペラペラと中国語を話している。え? なに? 美咲は焦って玉森の腕を掴む。

「た、玉森さん。この人、何言ってるんです?」

 玉森は動揺するでもなく、流暢な中国語を返した。中国人は玉森の背中をばんばんと叩いて、その肩を抱いて歩き出す。美咲はぎょっとして彼らについていった。警察から逃げている最中なのに、なぜ見知らぬ中国人と意気投合しているのだ。中国人は玉森をバスに連れていき、座席に座らせた。美咲が戸惑っていると、中国人が手招いてくる。恐る恐るバスに乗ると、いきなりドアが閉まった。


「えっ!?」

 動揺している美咲をよそに、中国人は玉森と会話している。

「うまく行ったじゃないか。さすが俺」

「ここまでしなくてもいいでしょう。こんなバス、どこで手に入れたんです?」

「玉森家は色々持っているのだよ」

 この声、どこかで聞いたことがある。美咲はまじまじと中国人を見た。中国人はにっこり笑って、サングラスとヒゲをとった。美咲はあっと声をあげる。

「塁さん!」

「ニーハオ、美咲ちゃん」

 いったいどうなっているのだ。ふとミラーに視線を向けると、運転手が映っている。その人に見覚えがあったので、美咲は再び声をあげた。そこにいたのは、ハイヤーを運転していた男だったのだ。彼はミラー越しに視線をやって、ペコリと頭を下げた。

 立ち上がった玉森が、呆然としている美咲の腕を引く。

「危ないので座ってください」

 美咲は座席に腰を降ろし、前の座席の塁に尋ねる。

「あの、観光客の人たちは……」

「ああ、たまたまいたから混じってみた。馴染んでただろ?」

 累はニコニコ笑っている。確かに馴染んでいた。どうしてあんなに中国語がうまいのかと尋ねたら、5ヶ国語マスターしているのだと返ってきた。

「俺たちはいろんな人間になりすます必要があるからね。ほら、常に変身道具を持ってるのだよ」

 彼は座席の下からスーツケースを引っ張り出した。中にはかつらや化粧道具、衣装まで入っている。累は美咲の頭に金髪のウィッグを被せ、「似合う似合う」と喜んだ。美咲はずれたウィッグを直しながら、「どこへ行くんですか?」と尋ねる。

「俺のマンション」

「のうちの1つです。累は10個以上の隠れ蓑を持ってるので」

 塁の答えを、玉森が補足した。

「お祖父様がマンションをくれるっていうのに、佑は蹴ったんだ。ほら、かっこつけるとこういうときに困るんだぞ」

 玉森は憮然として顔をそむけた。累は長い足を組んで尋ねる。

「で、おまえたちはどうして警察に追われてるのかね?」

 玉森が黙っているので、美咲が答えた。

「ミクちゃんって女の子が攫われたんです」

「ああ、ラジオで言っていたよ。それで?」

「私達、独自で探してたんですが警察に怪しまれて」

「詰めが甘いな」

 美咲は自分のことを言われたのだと思ったが、累は玉森の方を見ていた。

「警察ごっこがしたくて陰陽師になったのか? ん?」

「いいえ、違います。この事件には人ではないものが関わっている」

「そんなこと警察には知りようがない。客観的に見て、今一番怪しいのはおまえたち二人だ」

 累はそう言って指を突きつけてきた。それは確かにそうだろう。身を隠しながらミクを探すしかない。玉森は不機嫌に、「それより、車は回収できたんですか」と尋ねた。

「ああ、中にあったものは全部バスに移したから安心しろ」

 累は玉森の顔を覗き込んで、「お兄様に対して何か言うことはないか? ん?」と尋ねた。玉森は冷たく、ないですと答える。累は大げさにため息をついた。

「おお、なんて助けがいのない弟だ。お兄様は寸暇を惜しんでおまえを助けに来たというのに!」

「そんなに忙しいようには見えませんが」

「俺はカリスマ美容師。暇な骨董屋とは違うのだよ」

「誰が暇な骨董屋ですか」

 美咲は兄弟げんかを仲裁すべく口を挟んだ。

「あの、どうやって車を奪還したんですか?」

「美咲ちゃん、よくぞ聞いてくれたな。佑がペンキをぶっかけたせいで、あの連中は足ドメをくらった。その隙をついて車を移動させたわけだよ」

 車はナンバープレートをつけかえて、府内のホテルの駐車場に置いてあるらしい。停めてあった観光バスに車の中身を入れ、二条城までやってきた。すごいだろうとしきりに自慢してくるので、とりあえず称賛しておいた。玉森が目をつむっているので、寝たふりかと思いきや、彼は本当に寝息を立てていた。

「寝てる……」

「式神を遠隔操作中のようだな。あれは神経を食う作業だ」

 累はそう言って、玉森の顔を覗き込んだ。

「こいつが人前で寝るなんて、二十年ぶりじゃないか?」

 それだけ疲れてるってことか。美咲が玉森の寝顔を眺めていると、塁が目を細めた。

「美咲ちゃん。俺の記憶が確かなら、もう佑とは関わらないって言ってなかったかな」

「ミクちゃんのことを探したいんです」

「佑、食事会で君を怒らせたと落ち込んでたよ。片思いで可哀想に」

 そういう言い方はやめてほしい。玉森が美咲をパートナーに希望していたとしても、恋愛感情ではないのだから。

「私にはパートナーなんて無理ですから」

「じゃあ今すぐバスを降りるべきだな」

 累は冷たく言い放った。

「玉森は無関係なものを守るほど優しくはないのだ。君が佑のパートナーを辞退するのなら、君を守る義務もない」

 塁の言うことは最もだった。結局パートナーにならないというなら、都合のいいときに玉森を頼っているのと同じだ。美咲は目を伏せて、席を立とうとした。すると、伸びてきた手が美咲をとどめた。

 寝ていたはずの玉森がこちらを見ていた。

「行かないでください」

「でも」

「行ったら、式神を使って追いかけますから」

 彼はその言葉を残し、再び眠りについた。しかし、美咲の腕を掴んでいる手はほどけない。困った顔で塁を見ると、彼は肩をすくめた。

「佑には頑固なところがあってね。ほしいと思ったものは絶対に手放さない」

 累は先程までのピリピリした空気を消して、美咲に座るよう言った。

「もうすぐ高速だ。君がどう決断しようと、このまま行くしかない」

 バスは高速にのって大阪に入り、御堂筋にある塁のマンションにたどり着いた。バスの扉が開くと、塁がまっさきに立ち上がる。

「我が家に到着だ。美咲ちゃん、佑を起こしてくれ。誰の目があるかわからないから、一応変装してから来たまえよ」

「玉森さん、起きてください」

 美咲は玉森を揺さぶったが、彼は微動だにしない。途方に暮れていると、戻ってきた塁が玉森に囁いた。

「起きないと美咲ちゃんにキスしてしまうぞ」

 すると、玉森の瞳が瞬時に見開かれた。それを見た塁がけらけら笑う。

「あっはっは、ケッサクだなその顔。愉快愉快!」

 累は高笑いしながらバスを降りていく。玉森は扇子を握りしめ、殺意のこもった目で塁を見ていた。美咲は慌ててトランクを漁り、メガネを差し出した。

「こ、これなんかどうですか? かけるだけで印象が変わりそうですけど」

 玉森は無言でメガネを受け取り装着した。なんだか昔の玉森を思い出して微笑ましい。美咲が笑うと、彼が睨みつけてきた。

「何がおかしいんですか」

「え? いや、似合うなと思って」

「こんなもの、気休めにしかならない」

 玉森はぼやいて、バスの昇降口に向かった。美咲は金髪のウィッグをかぶって彼に続く。高層マンションの入口を抜けると、受付があってコンシェルジュが座っていた。いったいこのマンション、いくらするのだろう。美咲がキョロキョロしている間に、累は認証を済ませて中に入っていく。

「行くぞ、美咲ちゃん」

 塁に手招かれて、美咲は慌ててエレベーターに乗る。階数表示の赤いランプが徐々に移動していく。20,30……。塁が降りたのは、最上階にあたる45階だった。しかし、彼はフロアには向かわず、非常口に歩いていく。当然ながら、非常口の向こうには下るための階段しかない。累は踊り場まで降りていき、ポケットから出した手袋を嵌めて壁に手を這わせた。

「玉森の血において命ずる、真の姿をあらわせ」

 すると、壁がズズズ、と動いて通路が現れた。累は特に説明もなく、先頭を切って歩き出す。驚く美咲をよそに、玉森は塁のあとをついていった。5分ほど通路を歩くと、突き当たりに扉が現れた。塁は認証システムにカードキーを押し当て、番号を入力する。すると、扉が自動で開いた。

「ようこそ、我が家に到着だ」

 そこは、20畳はあろうかという広々とした部屋だった。大理石でできた床にはラグが敷かれ、大きなガラステーブルと革張りの黒いソファが置かれている。ソファに面した大きなテレビは50インチくらいありそうだ。キッチンとバスユニットの他に部屋が2つあり、大きな明かり取りの窓からは大阪の街が一望できる。

 どんな悪いことをしたら、若くしてこんな家に住めるのだろう。呆然とする美咲に対し、玉森は特にリアクションもせず、パソコンを開いて作業を始めている。

 累はキッチンに向かい、冷蔵庫からとってきた飲み物を美咲たちに渡す。

「適当に飲んでくれ。事件のほうはどうなっているかな」

 テレビをつけると、ちょうどニュースがやっているところだった。真面目な顔をしたアナウンサーが、団地の前でリポートしている。

「警察によりますと、怪しい男女が逃走中との情報があります。女性の氏名は最上美咲、男性は飯島和樹という偽名を名乗っています。女性はタイトル棋士の月神佐一九段の孫ということで、警察は月神九段の対局が終わり次第、事情聴取をするよう求めています」

 美咲はスマホに視線を落とした。マナーモードにしていたから気づかなかったが、画面には祖父からの着信が何件も来ていた。折り返そうとしたら、玉森に留められる。

「ニュースになったか。これは当分出られないな」

 累はぼやきながらソファにもたれた。美咲は烏龍茶の缶を弄び、「ぐーちゃんはどうなったのかな」とつぶやいた。玉森はキーボードを叩きながら、現在、左京区のとある地区で止まっていると答える。累はふふんと鼻を鳴らした。

「のろまな蛇だな。俺の三羽ガラスが発動すれば、子供の1人や二人、またたく間に見つけ出すというのに」

「じゃあ探してみてください。今すぐに」

「忘れたのか弟よ。おまえが攻撃したせいでカー助は休業中だ」

 累は包帯の巻かれた手をヒラヒラ振った。

「あと二羽いるでしょう」

「俺の職業は美容師。右手や足まで失ったら廃業だ」

 玉森はうろんな目で塁を見て、扇子を開いた。

「玉森の名において命じる。我が式神の居場所を映し出せ」

 すると、パソコン画面にとある建物が映し出された。どうやらどこかの倉庫のようだ。ぐーちゃんは懸命に倉庫の入り口を抜けようとしているが、そのたびに見えないなにかに弾かれている。

「これは……強い結界が張られていますね」

「うむ。蛇の式神ごときでは破れまいな」

 眉を寄せた玉森に、塁が同意する。

 玉森が扇子を閉じると、パソコンに映し出された映像が消えた。美咲が祖父からの着信を気にしていると、玉森が声をかけてきた。

「美咲さん、スマホは切っておいてもらえますか。警察が逆探知している可能性がある」

「でも、おじいちゃん心配してるだろうし」

「そういう心理を逆手に取るのが警察ですよ」

 そう言われ、仕方なく電源を切った。

「夜になったらあの倉庫に行ってみます。それまでここで待機しましょう」

 玉森はそう言ってパソコンを閉じた。何もしなくとも腹は減る。冷蔵庫には食材がなく、かといって外食もリスクが有る。そんなわけで、三人は出前を取ることになった。累が宅配を頼むと、20分ほどでインターホンが鳴った。累がドアを開けると、配達人が立っていた。彼はハキハキした口調で挨拶する。

「まいどありがとうございます。タマーズピザです」

 累はピザを受け取り、気前よくチップを渡している。配達人が帰っていく際、その背に五芒星のマークが見えた。美咲は彼を見送ってつぶやく。

「あの人、どうやってここまで来たんでしょう」

「彼はああ見えて陰陽師なのだ。タマーズピザは玉森の系列なのだよ」

「ピザ屋やってるんですか、陰陽師が」

「陰陽師業だけじゃ末端の陰陽師は食えないのだ。お祖父様は時代を鑑みて、業務を拡大したわけだよ」

 塁の説明に、美咲は首をひねった。拡大というが、完全に異業種ではないか? ピザはあつあつで美味しそうだったが、ミクのことが心配であまり食欲が湧かなかった。夕食後、玉森はパソコンに向かい、累はギターを持ってきて弾いていた。ふと、玉森がパソコンを閉じて立ち上がった。

「そろそろ行きましょうか」

 美咲が立ち上がろうとしたら、ここで待っているように言われた。

「でも……」

「簡単なお祓いを教えます。覚えてください」

 玉森は印を結んで、「急々如律令」と唱えた。美咲は見様見真似で指を動かす。累はサングラスを装着しつつ、軽い口調で言った。

「安心したまえ、美咲ちゃん。ここにいればまず見つかることはない。仮に誰か来ても開けなければいいのさ」

 そんな昔話のようなことを言われても、一体誰が来るというのだろう。

 玉森兄弟が出ていくと、部屋には美咲だけが残された。美咲は手持ち不沙汰で部屋を歩き回ったり、テレビをつけたりした。テレビでは、ミクがいなくなったときの現場の状況を解説している。二人はいつ帰ってくるのだろう。そう思っていたら、インターホンの音がした。玉森たちが帰ってきたのか。美咲はそちらに向かい、鍵を開けようとした。しかし、ドアの隙間から漂ってくる冷気を感じて手を止める。

 美咲はごくりと息を飲んで、ドアスコープから外を覗いた。

 何か真っ白なものが見えて、心臓が停まりかける。美咲はどくどくと心臓を鳴らしながら、かすれた声で尋ねた。

「あなたは、なんですか」

 白い物は何も答えなかった。ただ、無言で手に持ったものを差し出してきた。美咲はそれを見て息を呑んだ。差し出されたのは子供の靴だった。色はオレンジ色だ。もしかして――ミクの靴? 美咲は緊張しながら尋ねる。

「あなたは……ミクちゃんをさらったひとですか」

 向こう側にいるものは、返答をしなかった。もしや、話せないのかもしれない。

「はいなら一回、いいえなら二回ノックしてください」

 コン、とノックの音が響いた。室賀が「幽霊」だと言ったのもうなずける。いまドアの向こうにいるものは、確実に人間ではないのだ。

「ミクちゃんは無事なんですか」

 また一度だけノックの音が響く。ミクちゃんを返してください。そう言ったが反応はない。一体、何がしたくてミクちゃんをさらったのか。なぜここに来たのか。そう尋ねたかったが、答えがあるとは思えなかった。しばらくして、足元が白くなるほど漂っていた冷気が引いていった。帰ったのだろうか? 美咲は唾を飲み込んで、慎重にドアを開けた。ドアの前には氷の粒が落ちている。これは、妙恵寺で見た痕跡と同じだ。美咲が身をかがめ、粒に触れようとした瞬間――ふっと影が落ちた。顔をあげた美咲はひっと悲鳴を上げた。長い白髪の女が、髪の隙間からこちらを見下ろしていた。肌は死人のように白く、唇だけが赤い。

「ニンギョウヲワタセ」

 奇妙に高く、作ったような声だった。人形? 美咲の脳裏に浮かんだのは、姉妹人形だった。着物を奪い、ミクをさらい、人形を奪いに来た。その三つにどんな因果関係があるのだろう。とにかくいまは、自分の命を守らなくては。美咲は必死でかじかむ指を動かした。玉森に教わったとおりに印を結ぶ。

「急々、如律令」

 すると、美咲の全身が光り輝いた。白い女はわずかにひるんだそぶりを見せ、ふっと離れていった。美咲は去っていく白いものを見ながら、気を失った。

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