第12話

 また刑事が追いかけてきたらどうしようかと思ったが、失踪事件の捜査で手一杯なのか、つけてくる車はいないようだった。玉森は食事処に入って、和膳を注文する。食欲が失せていた美咲は、軽く食べられるものを頼んだ。食事を終えてゆったりする玉森に、痺れを切らしたように尋ねる。

「そろそろ教えて」

「何がですか?」

「鏡のことを聞いたのには、意味があるんでしょう」

 玉森は微笑んで、「コンパクト持ってます?」と尋ねてくる。

「持ってますけど……」

 一体なにに使うつもりなのだろう。訝しみつつ、化粧ポーチを開けてコンパクトを差し出した。玉森はコンパクトを開いて、鏡をじっと見つめた。こんなときに、自分の顔に見とれているのか……。美咲が引いていると、玉森が鏡面を指でなぞった。

「玉森の名において命ずる。我が目に室賀京の姿をうつせ」

 すると、鏡面が光り輝いた。美咲は玉森の背後に回って鏡を覗き込んで見る。しばらくすると光が引いていき、青白い顔をした男性の横顔が映り込んだ。その人物は、こちらに横顔を見せている。玉森は鏡に向かって声をかけた。

「こんにちは、室賀さん」

 男はびくっと震えてあたりを見回した。こちらですよと玉森に声をかけられ、まじまじと鏡を見る。

「え……あんた、なんや」

「僕は玉森佑といいます。そこは、留置所ですか?」

「そうやけど」

「あなた、どうして自分が警察にいるのかご存知ですか」

「ゲームを違法ダウンロードした事がバレて、捕まったんや」

 室賀京は不機嫌な顔で言った。

「なるほど。別件逮捕ですね。あなたは、坂崎ミクちゃんのことをご存知ですか」

「ああ。行方不明になったガキやろ。俺がさらったって思われてるんやろうけど、違うから」

「あなたはよく、通学途中の子供を見ていたそうですね」

「ガキはいいなあって思ってただけや。学校行って遊んでりゃいいんだから」

 そんな理由で子供を見ていたのか? 美咲が呆れていると、彼は興味深そうに尋ねてきた。

「なあ、これって超能力?」

「まあ、そんなものです。幽霊のことについてお聞きしたいのですが」

「あんた、警察との会話知ってるん? すげえ、ほんまに超能力やん」

 どうやら、室賀は超能力者に憧れがあるようだった。玉森は穏やかな口調で話しかける。

「僕にはあなたが錯乱しているようにも、嘘をついているようにも見えない。もしかしたら、本当に幽霊を見たのではないかと考えています」

「ああ、そうなんや。俺、ほんまに見たんや」

 室賀の話はこうだった。彼はパチンコの帰り道、自宅に向かって歩いていた。団地付近にあるスピーカーから「夕焼小焼」が流れていたので、夕方5時に間違いないと話す。

 団地の前を通りかかると、ミクと女の子がいるのが見えた。ミクはスマホに夢中になっていて、女の子はそれを不満に思っているようだった。

「ねえ、ミクちゃん、遊ぼうよ」

「だーめ。スマホ持ってきたら遊ぶって言ってるじゃん」

「無理だよ。お母さんが買ってくれないんだもん」

「へえ、久美ちゃんのお母さんってケチだね」

 ミクが鼻を鳴らすと、久美と呼ばれた女の子が腹を立て、ブランコを蹴飛ばした。ミクはかっとなって、久美に靴を投げつけた。久美はミクを睨みつけ、靴を持ったまま逃げ去った。

「泥棒!」

 ミクはそう叫んで、片足立ちで追いかけようとした。次の瞬間、真っ白なものが現れて、ミクの身体を包み込んだ。

「そしたら、ミクって子の姿が消えたんや!」

 室賀は興奮気味に叫んだ。玉森は、久美という子の苗字を尋ねる。

「知らへんな。警察が調べてるんやないの?」

 玉森はなるほど、と相槌を打って室賀に笑顔を向ける。

「ありがとうございます。大変参考になりました」

「礼はええから、さっさと犯人捕まえてくれんか」

「もちろんです。室賀さんの名誉のためにも」

 通話を終えた玉森は、パソコンを開いてキーボードを打ち始めた。何をしているのかと思って画面を見ると、パスワード画面が写っている。美咲はぎょっとして玉森を見た。彼が涼しい顔でパスワードを打ち込むと、デスクトップ画面が出てきた。玉森はフォルダをクリックし、検索画面に名前を打ち込む。

「ミクちゃんたちが通う府立南小学校のデータです。久美という名前の子供は20人。ミクちゃんと同学年では5人ですね」

「学校のシステムに侵入したの!? それ犯罪でしょう」

「システムが脆弱すぎるんですよ」

バレたら私も共犯なのだろうか。青ざめていたら、玉森がパソコン画面を指差した。

「ミクちゃんと同じクラスで久美という子は1人だけ――行きましょうか、遠藤久美さんの家に」


 久美の自宅は、団地から少し離れた一軒家だった。インターホンを押すと、母親らしき女性が出てくる。彼女は美咲と玉森を見て、いぶかしそうに尋ねてきた。

「あの、どちら様ですか」

「玉森佑と申します。こちらは最上美咲さん。僕たち、こういう者でして」

 彼は兎月村で出した記者の名刺を母親に見せた。母親はハッと青くなり、扉を閉めようとする。玉森は素早く扉に手をかけそれを防ぐ。

「安心してください。久美さんの名前は出しません」

「どうして……警察は、久美のことは公開しないと約束してくれました」

「警察ではなく、目撃者から聞いたんです」

「久美のせいじゃないんです。そりゃあ、あの子も悪いところはあったかもしれませんが、たまたま居合わせただけで」

「わかっています。我々は、ミクちゃんの安否が心配なだけです」

 母親はしぶっていたが、美咲たちに帰る様子がないと悟ったのか、室内に招いてくれた。彼女は美咲たちをリビングに通し、久美を呼びに行った。久美はミクが攫われたと聞いてショックを受け、寝込んでいるそうだ。

 しばらくして、寝間着姿の久美がやってきた。いつもはおさげを結っているのだろうか。髪がウエーブしている。泣きはらしたあとなのか、真っ赤に充血した瞳が痛ましい。玉森は軽く挨拶し、「美咲さん、お願いします」と言った。美咲は彼の背中を横目で見る。──この人、泣いている子供の相手が面倒なのかしら。美咲は久美をソファに座らせて、自己紹介した。

「こんにちは。最上美咲です」

「……遠藤久美です」

「久美ちゃん、ミクちゃんと仲良しなんだよね」

 久美が表情を暗くしたので、慌てて補足する。

「私も、ミクちゃんと会ったことがあるの。明るくていい子だよね」

「……でも、最近いじわるだった」

 久美はぽつぽつと、つぶやくように話し出す。

「スマホ持ってるの自慢して……スマホを持ってる子とばっかり話すの。遊ぼうって誘っても、久美ちゃんはスマホがないから駄目って」

「そうなんだ。でも、久美ちゃんはミクちゃんと遊びたかったんだよね」

「うん。だって、幼稚園のときから一緒だもん」

「ミクちゃんがいなくなった日も、一緒にいたんだよね?」

 美咲の問いに、久美はうなずく。彼女の話は、概ね室賀が語ったことと合致した。久美はミクの靴を持って自宅に帰り、嫌な気持ちのまま過ごした。朝になって、ミクが失踪したことを知ったのだ。久美は今にも泣き出しそうな顔になる。

「私のせいで、ミクちゃんいなくなっちゃった」

「久美ちゃんのせいじゃないよ」

 美咲は久美に寄り添って、背中をさすった。

「それで、ミクちゃんの靴はどこにありますか?」

 いきなり話に入ってきた玉森を、美咲はにらんだ。空気を読むということを知らないのか。久美は健気に声を震わせ答える。

「警察の人が、持ってった」

「靴の色はわかりますか」

「オレンジ色。私のと、色ちがいなの……」

 久美が顔をくしゃくしゃにすると、母親が口を出した。

「もういいですか。久美は精神的に疲れてるんです」

 玉森は、久美を連れて行こうとした母親に声をかけた。

「この写真、お借りしてもいいですか」

 玉森が指差していたのは、久美とミクのツーショット写真だった。運動会での写真らしく、ふたりともフラッグを持って笑顔でピースしている。記事に使われると思ったのだろうか、母親がかぶりを振る。玉森は残念です、と肩をすくめた。

 母親が美久に付き添って二階に行っている間に、玉森が扇子を開いた。ぐーちゃんを出現させて、呪文を唱える。

「オンサンマヤサトバン、地の精霊よ。玉森の名において命ずる。坂崎ミクの行方を追え」

 ぐーちゃんは写真に鼻先を近づけ、くんくんと匂いを嗅いだ。あれで探せるのかと思っていたら、母親が戻ってきた。美咲は慌てて写真立ての前に立ち、ぐーちゃんの姿を隠す。母親は声を尖らせ、もう帰ってくれないかと言った。

「これから、保護者説明会に行かないといけないんです」

「わかりました。大変なときに失礼しました」

 玉森は笑顔で言って、ちらっとぐーちゃんを見た。小声で「行け」と言うと、ぐーちゃんはするすると這っていき、開いたドアの隙間から出ていった。遠藤家から出ると、すぐに鍵のかかる音が響いた。こんな反応には慣れっこなのか、玉森はいつも通りの表情だ。

「いま、ぐーちゃんがミクちゃんの行方を追っています。とりあえず今日はここまでにしましょう」

 車で月神家まで送ってもらうと、家の前に見覚えのある車が停まっていた。あれは……警察車両ではないか? 美咲は困惑気味に玉森を見る。玉森はうなずいて、車をバックさせた。玉森の車に気づいたのか、警察車両が追ってきた。美咲は、車を走らせる玉森にどういうことなのだろうと尋ねた。

「ハッキングしたのがばれたんでしょうか」

「さっきの母親が通報したんでしょう。変な二人組が来たって」

 淡々とした玉森の言葉に、美咲はさっと青くなった。

「記者って名乗ったの、嘘だってバレましたよね……?」

「ええ。バレましたね。今度は本当に勾留されるかもしれません」

 大変な状況にもかかわらず、玉森に焦った様子はない。そこの車、停まりなさい。背後から浴びせられる声に、美咲は汗をにじませた。

「ど、どどうするんですか」

 玉森はカーナビを操作して、美咲に尋ねた。

「美咲さん、走るの早いですか?」

「は?」

「あと1分で最寄りのバス停にバスが来ます。それに乗りますので全力で走ってください」

「わ、わかりました」

 玉森は車を路肩に停車し、バス停に向かって走り出した。美咲も彼を追って全速力で走る。背後からは刑事たちが追いかけてきた。すでに定刻だが、バスは来ていない。

「うそっ、遅れてる!?」

 そうこうしているうちに、安井と四宮がこちらに近づいてくる。玉森はちらっと頭上を見て、扇子を開いた。

「玉森の血において命ずる。追跡者に赤い雨を浴びせよ」

 次の瞬間、安井と四宮の頭上に赤いものが降り注いだ。四宮は赤いものをはらいながら悲鳴をあげる。

「なんすかこれえ!」

「落ち着け、ただのペンキや! われえ、どこ見て仕事しとるんじゃあ!」

 安井にどなられて、ペンキ塗りをしていた男性がぽかんとこちらを見下ろす。美咲と玉森は安井たちが慌てている隙にバスに乗り込んだ。走り出したバスの窓の外、ペンキまみれになった刑事たちが無線を使っているのが見える。ぜいはあと息を吐く美咲のとなりで、玉森が天を仰いだ。

「まずいですね……完全に容疑者になってしまった」

「家には帰れないってことですか」

 美咲は途方に暮れてつぶやいた。それどころか、捕まったら過酷な取り調べを受けるのだろう。玉森は身体を起こし、スマホを取り出した。

「美咲さんは嫌でしょうが、あの人を頼るしかない」

「あの人?」

 玉森はスマホを耳に当て、数コールののちこう言った。

「兄さん、「9・2・11・18」だ。車の回収を頼む」

 どうやら電話の相手は塁だったらしい。いまの言葉は何かと尋ねたら、RSA暗号だという。

「50音を1から50の数字で現すんです。1は「あ」で、2は「い」。50は小さい「よ」」

 美咲は指折り数えてみた。つまり、さっきのは「けいさつ」か。まるでスパイのようなやり取りである。わずかもたたずに、玉森の携帯がメールを受信した。彼は「兄からです」と言って、美咲にスマホの画面を見せてきた。

「27・1259・50・3・1259・3」

「4桁が混じってますよ」

「59は濁点です」

 美咲はメモ帳を使って暗号をチェックし、「二条城?」とつぶやいた。玉森がしっ、と指を立てる。どうやら美咲が出した答えは合っていたようだ。よくこんなことがとっさにできるものだ。これも訓練のたまものなのだろうか。

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