氷の世界
第11話
ミクが住む団地の前は、警察車両がずらりと並んでいた。建物の前に立った制服警官が、野次馬やマスコミを阻んでいる。公園の入り口には黄色いテープが貼られ、事件の手がかりをさがす警察犬や青い服を着た捜査員がいた。
美咲は車内からその様子を見て、「近づけそうにないですね」とつぶやいた。美咲と玉森は、団地近くの駐車場で待機していた。玉森はシートベルトを外し、「ここで待っていてください」と言って車を降りる。
一体なにをするつもりなのだろう? 美咲が不安に思っていたら、彼は団地の入口に向かい、スーツを着た男性に声をかけた。
玉森は男性と何か話した後、彼を伴ってこちらへやってきた。きっちりとスーツを着こなしているが目つきが鋭く、胸元にバッチをつけている。あの人、刑事だ。美咲はそう直感する。
刑事は美咲に警察手帳を見せて、「京都府警の安井です」と言った。美咲は自分の名前を告げたが、玉森はしれっと偽名を言った。
「飯島です。骨董店の店主をしています」
美咲は横目で玉森を見る。誰なのだ、飯島って。
安井は美咲の身元を尋ね、ミクとの関係を聞いた。美咲は緊張しながら答える。
「ミクちゃんとは、二回ほど会ったことがあります」
「どういった件で?」
美咲は骨董店に勤めていること、人形を探すため、ミクに話を聞いたことを語った。安井はメモを取りながら聞いていたが、家にあがった話をすると眉をひそめた。
「ミクさんが一人のときにですか?」
「はい、お家の方がいなかったので」
「それはさすがに非常識ではないですか? ミクさんはまだ九歳ですよ」
反論しようがなくて、美咲は言葉に詰まった。すると、玉森がフォローした。
「僕がいけないんです。うちの骨董店は経営が苦しくて……探していたのは貴重な人形だったもので」
「あなたも家にあがったんですか? 飯島さん」
「ええ」
安井は訝しむように玉森を見た。幼い少女が行方不明になって、成人男性の関係者が現れたのだ。疑うのも無理はあるまい。安井は気を取り直したように、美咲の方を向く。
「それで、二回めはどちらで会ったんです?」
「喫茶店です。話をしてくれたお礼として、ミクさんにパフェをおごりました」
安井の顔がますます険しくなる。玉森がまたフォローした。
「小学生に謝礼を渡すわけには行かないでしょう」
「しかし、褒められた行動ではないと思いますが」
「こうして協力しているのに、そんなふうに言われるのは心外だな。ねえ、美咲さん」
僕たちはミクちゃんの身を案じてるんですよ。白々しい玉森の言葉に続いて、刑事は淡々と問う。
「不審者を見たとか、連れて行かれそうになったという話をミクさんから聞いたことはありませんか」
「いいえ。このへんは人通りも多いし、不安そうにしている様子もなかったですよ」
「なるほど……ありがとうございます。最後に、身分を照明できるものを見せていただけますか」
刑事はそう言ってこちらを見た。美咲はぎくっとして玉森に目をやる。しかし、玉森は平然とした顔で免許証を出した。刑事は免許証に目を通して、あっさり返した。
「ありがとうございます」
玉森が受け取った免許証を盗み見ると、免許証の名前は「飯島和樹」になっていた。まさか、身分証まで偽造するなんて。呆れている美咲をよそに、玉森はケロッとしている。
「ところで、何か手がかりは見つかりましたか」
「申し訳ありませんが、守秘義務がありますので」
「ですよね。すいません」
玉森は刑事に会釈して、美咲の方を見た。
「このへんに神社があったはずです。ミクちゃんが見つかるように、お参りして行きましょうか。ねえ、美咲さん」
「え? あ、はい」
刑事は礼を言って、踵を返して去っていく。玉森は車に乗り込んで、エンジンをかけた。美咲は困惑気味に彼を見る。
「いいんですか? 何も手がかりが掴めてないですけど」
「あの安井って刑事、中々優秀そうですよね」
「ええ。あのバッチ、捜査一課ですよ」
「捜一といえば、殺人、誘拐などを扱う部署ですね。警察はミクちゃんは何者かに誘拐されたと考えているわけだ」
「誘拐……」
美咲は再びスマホを出して、ミクに連絡を試みる。しかし、電源が切れているのかやはり通じない。誘拐だとしたら、犯人にスマホを取り上げられたのだろうか。玉森の車は信号を3つ通り過ぎて、小さな社の前に停まった。美咲は車を降りた彼に続き、石段を登っていく。階段を登った先には境内が広がっていて、数人の参拝客がいた。玉森は社務所に向かい、絵馬を購入する。美咲は絵馬に「ミクちゃんが見つかりますように」と書いてつるした。ふと、見覚えのある男が視界に入る。
「あの人……さっきの安井っていう刑事さんだよね」
安井は同僚らしき男とともに参拝している。玉森が二人に近づいていったので、美咲はぎょっとした。それは刑事たちのほうも同じだ。唖然とした顔で玉森を見ている。
「こんにちは」
玉森が笑顔で声をかけると、刑事たちは苦い顔をした。
「ここじゃなんですし、車で話しましょう」
玉森は刑事たちを促して神社を出た。警察車両に乗った美咲は、このまま連行されるのではないかと不安になった。それを見越したのか、玉森が囁いてくる。
「大丈夫ですよ。任意で引っ張られても、帰宅は自由ですから」
そんなことを言っても、玉森の免許証は偽造だし、もしそのことがバレたら余計に疑われるのではないか。運転席には若い刑事、助手席には安井、玉森は美咲と並んで後部座席に座った。
「刑事さんって本当に尾行するんですね。ドラマみたいだ」
のんびりした声の玉森に、安井は憮然とした表情を向けた。
「我々に気づいて、声をかけてきたひとは初めてです」
「聞きたいことがあるのなら直接聞いてくれればいいのに、と思っただけですよ」
「ではお聞きします。ミクちゃんの行方について、何かご存知なのではないですか」
「僕たちを疑ってるってことですか?」
「誘拐事件の現場で不審な男女を見かければ、マークするのは当然です」
「僕は自分からあなたに声をかけたんですよ? 犯人ならそんなことしますかね」
「あなたは骨董店を営んでいて、経営が苦しいと言った。それなのに二回しか接触していない児童を心配し、現場にまで来る余裕があるのは不可解です」
「貧しさと人を想う気持ちに相関関係はありません。それに、僕ではなく彼女がここに来ようと言ったんですよ」
玉森はそう言って美咲を見た。それからふっと笑う。
「僕と違って心優しい女性なので」
「ミクちゃんの件には無関係かもしれないが、あなたには何かある」
安井は依然として玉森を疑っているようだった。玉森は鼻を鳴らす。
「まさか勘で逮捕するんですか?」
「任意です。やましいところがないのなら、署にご同行していただけますか」
玉森はため息をついて、「わかりました。美咲さん、車の運転をお願いできますか。あとで取りに行きます」と車のキーを取り出した。キーを受け取る寸前、声が頭に響く。
「キーを落としてください」
美咲はとっさに、車のキーを落とした。キーは運転席の座席の下に入り込む。
「自分が取ります」
若い刑事が身をかがめて取ろうとしたら、玉森が彼の目の前に手のひらを突き出した。彼の手のひらには、五芒星が書かれている。刑事は「なんですか、これは」と言った。
「ミクちゃんが見つかるおまじないです。これを見てください。じーっとですよ。目を離さないように」
玉森の瞳が赤く染まって、手のひらの五芒星がかすかに輝く。
「おい、何をしてる」
安井が顔をこわばらせ、手を伸ばしてきた。美咲はとっさにその手を阻む。玉森は安井に構わず、若い刑事を見つめた。名前を尋ねられて、刑事がぼんやりと答える。
「四宮(しのみや)です」
「四宮さん。現時点で、どこまで捜査が進んでいますか?」
おい、四宮。安井が声を尖らせるが、四宮は夢の中にいるような声で続ける。
「……近所に、不審人物がいます。室賀京(むろがけい)。無職の男性で、以前から子供をじっと見ているという通報が何度かあり、マークされていました」
「じゃあ、そのひとを調べたらどうです?」
「とうに確保されていますが、わけのわからないことを言っていて要領を得ません。自宅も捜索しましたが、ミクちゃんの姿は見当たらず、痕跡も発見されていません」
「四宮、おまえ何をべらべらと喋ってるんだ」
安井は美咲の腕を払い除けて、四宮の襟首を掴んだ。四宮は茫然とつぶやく。
「室井はこう言っていました。女の子が、幽霊に攫われたって……」
玉森はなるほどね、とつぶやいてぱちんと指を鳴らした。ハッとした四宮が目を瞬く。
「え? 自分、何か言いましたか」
「すべて話してたわボケ」
安井は今にも殴り掛かりそうな顔で四宮を見た。四宮は怯えた顔で先輩刑事と玉森を見比べる。
「こ、この人が変な術をかけたんですう!」
「黙れ」
安井は低い声で言って、玉森を睨みつけた。
「おまえ──何者か知らんが、徹底的に調べてやるからな」
「どうしてあんなことしたんですか」
美咲はため息をついて、隣の玉森を睨んだ。
ここは京都府警にある小会議室だ。十畳ほどの部屋に、長テーブルにパイプ椅子が置かれている。取調室に通されたらどうしようと思っていたが、美咲と玉森はあくまで任意同行なので、ここに連れられてきたらしい。いまごろ玉森の免許証が偽造だということも、陰陽師の末裔だということもバレているのではないだろうか。玉森はのんきな顔で言う。
「警察って一度見学してみたかったんです。それに、貴重な情報が手に入ったじゃないですか」
「私達、誘拐の容疑をかけられてるんですよ? 状況わかってるんですか」
玉森は適当な返事をし、椅子から立ち上がった。窓辺に向かい、ブラインドを上げて窓の外を眺める。美咲も彼に並んで外の様子を見た。眼下には、マスコミが集まっているのが見える。おそらく、ミクが失踪した事件の進展を待っているのだろう。
「これは僕の考えですが、犯人しか知らない情報があると思うんですよね」
玉森はそう言って腕組みをした。
「なんですか、情報って」
「服装とか、持ち物とか。確か、服装は公開されてましたね」
美咲はネットに出ている捜索情報を読み上げた。
「ミクちゃんの写真や、失踪当時の格好なら出ています。黒髪で身長120センチほどの普通体型、ピンクのランドセルに白の靴下、チェックのワンピース」
「やっぱり、足りないですね」
何が、と尋ねようとしていたら、いきなり部屋のドアが開いた。入ってきたのは安井のみだった。彼はずかずかとこちらに近づいてきて、小脇に抱えていた捜査資料をばんっと置いた。美咲はびくっと震えたが、玉森は安井を見て小首をかしげている。
「四宮さんはいないんですか?」
「あいつは始末書や。懲戒でもおかしくないがな」
安井は敬語を使うのをやめたようだった。それは残念ですねえ、と玉森がつぶやく。
「あの人、話を聞き出しやすかったんですが」
「黙れペテン師。おんどれみたいのはな、捜査二課の手伝いしたときに腐るほど見とるんじゃ。おんどれはな、自分が一番頭がええと思っとるんやろ。自分の手は汚さんと、他人の心に踏み入って操るんや。四宮のようなペーペーはまだしも、わしは騙されへんぞ」
「その話し方、もしかして河内出身ですか」
安井は玉森の指摘を無視し、免許証のコピーを突きつけた。
「交通課に問い合わせたら、こんなやつは登録されとらんかった。身分を偽造するっちゅうのは犯罪なんやで。わかっとんのかコラ」
「ええ、わかってますよ。偽造されたパスポートや免許証は、えてして犯罪に使われますからね」
「わかっとるのに堂々と見せたんか。もう決まりやな。おまえは詐欺師や。証拠を見つけ次第、二課に引き渡したるから覚悟しい」
安井は初対面のときとは打って変わって、舌が絡まりそうな話し方になっていた。口調は荒いが目つきは冷静で、玉森の反応を観察しているように見える。この人に術をかけるのは無理ではないか。そう思っていたら、玉森がすっと身を乗り出した。
「さっき、四宮さんが言ってましたね。女の子は幽霊にさらわれたんだと」
「それがどないしたんや」
「探しましたか? 幽霊」
「アホぬかすな。幽霊なんてこの世にはおらへん」
「いますよ。あなたのような雑な人には見えないかもしれないが」
「あー、おんどれはスピリチュアル詐欺やっとるタイプか」
「容疑者の室井さん……でしたっけ? どこにいますか? 話を聞いてみたいのですが」
「会わせるわけないやん。ほんまのアホなんか」
玉森はそうですか、と言ってあっさり引き下がった。安井は玉森を睨んだあと、美咲に視線を向けた。
「あんさんの身分は確かなようやな。最上美咲、23歳。名古屋市在住。棋士の月神佐一の孫で、現在月神家に身を寄せている」
「ええ……」
「ちゃんとしたとこのお嬢さんが、なんでこんな男と一緒にいるんや。顔だけ男に騙されて一生を台無しにしたらあかんで」
安井は美咲たちにこんこんと説教をした。玉森は聞いているのかいないのか、うっすらと笑みを浮かべている。安井が説教を終えたのは、それから三十分ほど経ってからだった。彼は資料を脇に抱え、玉森に指を突きつけた。
「ええか。今日は勘弁してやるが、またなんか怪しい動きがあったら必ず引っ張るからな」
「ええ、了解しました」
玉森は出口に向かいかけ、安井を振り返る。
「安井さん」
「なんや。帰り道がわからんのか」
「いえ、そうではなく。留置所に鏡はありますか?」
「あー、ありまっせ。一度入ってみて、その男前の顔をじっくり眺めたらええわ」
「結構です。僕は狭い場所は嫌いなので」
玉森は、安井の皮肉に笑顔で返してその場をあとにした。警察署から出た美咲は、「なんであんなこと聞いたの?」と尋ねる。玉森はその問いには答えず、駐車場に停められている車に向かった。
「お腹すきましたね。どこかで食べていきますか」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます