第10話

 午後7時、玉森に指示された通り月神家の門前で待っていると、黒塗りの車が音もなくやってきた。すごい車だなと思っていると、それは美咲の目の前で停止する。後部座席の窓がおりて、塁が顔を出した。


「やあ、待たせたな美咲ちゃん」

「こんばんは……あの、これ借りたんですか?」

「あはは! おかしなことを聞くね君は。もちろん自家用車だとも」

 機嫌よく笑う塁の隣には、不機嫌そうな玉森が乗っていた。後部座席は二名ずつ向き合って座るようになっていて、累と玉森は差し向かいで座っていた。こんな車に乗るのは、人生で初めてだ。玉森の隣に腰掛ける。顔を上げたら、無表情な運転手とミラー越しに視線が合った。この人……人間だろうか?


「出したまえ」

 塁が声をかけると、車が音もなく走り出す。こんな車、ドラマくらいでしか見たことないな。そう思っていたら、塁が口を開いた。

「美咲ちゃんは映画を見るかい」

「え? あ、はい」

「知ってるかな。陰陽師っていうのは結構映画とか漫画のテーマになってるんだよ。たまにテレビ局や作家なんかが、取材を申し込んでくることもある。もちろん断るけどね!」

「ほとんどが空想ですけどね。陰陽師はただの人間で、本当にあやかしが徒党を組んだらむべもない」

 玉森がそう横槍を入れた。塁はふふっと笑って、「むしろその空想に影響を受けて、我々がいるのだ」と言った。

「人間は陰陽師側を応援する。だからこの世界は我々に有利になり、我々が勝つ」

「そうでもないですよ。妖怪の中には可愛げのあるものいますからね」

「ナンセンス! 俺は妖怪なんて大嫌いだからわからないね!」

「あの、玉森さんたちは二人兄弟なんですか?」

 二人の会話に口を挟んだら、塁がそうだよ、と答えた。

「美咲ちゃんは? きょうだいはいるのかい」

「いえ、一人っ子です」

「ほう。女の子で一人っ子ならさぞ可愛がられただろう」


 そうだっただろうか。比較する対象がないのでよくわからない。美咲は塁の手に包帯が撒かれている事に気づいた。玉森がカラスの式神を攻撃したことで、塁も怪我をしたのだろう。つまり、式神と主は一体なのだ。ぐーちゃんが怪我をしたら、玉森も怪我をする。では、もしぐーちゃんが死んでしまったら? 美咲はじっと玉森を見た。玉森はこちらを見返し、「なんですか」と尋ねてきた。

「ううん、なんでもない」

 美咲は慌ててかぶりを振って、自分の手に視線を落とした。

 車は二十分ほど走って、吉津亭の駐車場に停まった。吉津亭は高級料亭にふさわしく、閑静な住宅街の中にひっそりと佇んでいる。車から降りて入り口に向かうと、出迎えの女将が頭を下げた。

「ようこそ、玉森様。お待ちしておりました」

「うむ。またせたな」

 累は慣れた様子で女将に続いて歩いていく。玉森と美咲は塁を追って長い廊下を歩いていった。女将は襖を開け、三人を招き入れた。部屋には大きなテーブルが置かれていて、座卓が4つ並べられていた。美咲と玉森は並んで座り、累は上座に座った。彼は運ばれてきた酒をついで、美咲と玉森に差し出した。

「さ、とりあえず飲もう」

 美咲が杯を受け取ろうとしたら、玉森がそれをとどめた。

「何か仕込んでるかもしれない」

「おいおい、そんなことするわけないだろう」


 累は一笑し、酒を飲んでみせた。玉森はそれを確認してから、美咲に杯を渡した。累はやれやれ、と肩をすくめる。

「幼いときは可愛かったのに、いつからそんなに疑い深い子になってしまったんだ?」

「純粋に育っていたら、僕はとっくに死んでますよ」

 玉森は冷めた声で答える。女将が再びやってきて、料理を運んでいいか尋ねた。累がうなずくと、豪勢な食事が運ばれてくる。どれから食べようかな。美咲が目移りしてると、「ここは鮎がうまいのだ。食べ給え」と塁が言った。やはり彼は常連のようだ。さっそく鮎の身をほぐす美咲を、累はニコニコと笑いながら見ている。


「いやあ、佑が女の子をそばに置くなんて。よっぽど気に入ったんだろうな」

「だったらどうなんです」

「実に喜ばしい! 今後ともぜひ弟を頼む」

 塁が美咲に差し出した手を、玉森が跳ね除けた。

「そんなことより、そろそろ話してもらえますか」

「俺の好きなピザ、ベスト3についてか?」

「山神の着物のことです」

 美咲はハッとして塁を見た。累は首をかしげる。

「着物? 何のことかね」

「とぼけないでください。あなたは原田ゆいのことを調べ、なぜ彼女が消えたのかについて気づいたんでしょう。銀山神社にあった着物との因果関係にもね」

 話が飛躍しすぎてるな、と塁が言う。

「原田ゆいは銀山神社で消えて、いまだに見つかっていない。彼女の家族は村に居づらくなり、長野に引っ越した。明らかになった事実はそこまでだ」

「銀山神社の神主、間口慎太郎は祟りで死んだと言い残しました。原田ゆいの失踪後、彼は着物を持って妙恵寺へやってきた。着物と間口の死、失踪事件はつながっています」

 累はふうん、とつぶやいた。

「一理あるな。で?」

「妙恵寺の住職が何者かに襲われ、着物が奪われました。十中八九人間ではない誰かに、あの着物は盗られたんです」

「それは大変だ。しかし、着物がなくなったから何だと言うんだ? おまえが探していたのは人形だろう」

「問題はありますよ。着物を奪った者は、美咲さんにアザをつけた者と同じかもしれない。危険なものなら祓う必要がある」

 累は美咲に視線を向けた。美咲は思わず顔を伏せる。この人の目は苦手だ。玉森と同じで、美咲を試そうとしているように見える。塁はふっと笑みを浮かべた。

「女性をうつむかせるようじゃまだまだだな、佑よ」

「一生うつむいてるよりは、今解決して前を向いたほうがいいでしょう」

「それはおまえの勝手な考えだ。美咲ちゃんがどう思っているかはわからない。そうだろう、美咲ちゃん」


 累は優しく話しかけてきた。美咲は喉を鳴らし、ゆっくり顔を上げた。累は美咲を諭すように、柔らかい声で話しかけてくる。

「アザなんて髪型や化粧でいくらでも隠すことができるからな。何なら、俺が良き髪型にカットしてやろう」

「私、気にしてなんていません」

 それは嘘だな。

 累は声を出してはいなかった。なのに、彼が思っていることがはっきり美咲に伝わってくる。累の瞳は、玉森のように赤くなっているわけではなかった。しかし、これは何かの術だと直感する。目を閉じようとしたが、金縛りにあったかのように動けない。累は美咲の目を見つめたまま続けた。


 君がアザのことを気にしているのはわかってる。その程度のアザなら俺が消してやろう。陰陽師にはたやすいことだ。アザを消すくらい、佑にだってできるはずなんだ。だけど消さない。なぜかわかるか? こいつは君を利用している。君のコンプレックスを利用して従属させようとしているんだ。


 美咲は手元の杯に視線を落とした。杯の中の酒がゆらゆらと揺れている。小学生の時にやった、理科の実験を思い出した。トライアングルを水を張ったたらいの上で鳴らす。すると、たらいの中の水が揺れだす――。水は音を伝える媒体なのだ。とっさに杯を倒すと、酒がテーブルに広がった。


「ああ、大変だ」

 累は襖を開いて、従業員を呼んだ。やってきた従業員が、濡れたテーブルを拭いてくれる。美咲はすいません、といって塁に目をやった。彼は微笑んでこちらを見ている。

 従業員が去っていくと、塁が手を叩いた。

「すごいなあ、何の訓練も受けてないのに術を破るなんて」

「当たり前でしょう。なんですか、いまのレベルの低い洗脳術は」

 玉森が冷めた声で言う。累は口元を緩めた。

「一般人なら破っただけで大したものだろう?」

 美咲は兄弟の会話に口を挟んだ。

「いまの、なんですか」

「君を試したのさ。佑のパートナーにふさわしいか」

 試した? どうして初対面の人間に試されなくてはいけないのだ。美咲は声を震わせた。


「私は、パートナーじゃないです。誤解です」

「恋人って意味ではないよ。「諱」を教える相手のことを言う。一生でひとり、現れるかどうかの存在だ」

「玉森さんの本名なんて、知りませんし、知りたくもない」

 美咲は立ち上がって、塁と佑を見比べた。彼らはキョトンとした顔で美咲を見上げる。

「あなた達、二人揃ってひとのことを試して、振り回して何様なの。はっきり言わせてもらうわ。祟りとか、陰陽師とか、私には関係ないし、もう関わりたくない!」

 美咲は叫んで部屋を出た。襖をピシャリと閉め、顔を覆ってしゃがみこむ。身体を震わせていたら、近寄ってきた女将がそっと声をかけてきた。


「デザートをお食べになりませんか。別室をご用意しますので」

「そんな、悪いですから」

 美咲はかぶりを振って、出入り口へ向かおうとした。こんな高級料亭だ。泣いている客がいたら、迷惑になるだろう。

「遠慮なさらず、こちらへどうぞ」


 彼女は美咲を連れて、離れに連れて行った。つくりは小さいが、落ち着いていて静かだ。床の間には水墨画の掛け軸と、季節の花が飾ってある。女将は美咲にハンカチを差し出して、少々お待ちください、と言った。静かな座敷に1人で座っていると、だんだん気分が落ち着いてきた。最近、あんなふうに怒ってなかったな。何を言われても仕方ないと思うようにしていたのだ。誰かに向き合うのを避けていた。関わって、傷つくのが嫌だから……。


少したったころ、女将がデザートを運んできた。白い寒天の中に、みかんの橙が映える。美咲はデザートを一口食べて、ほっと息を吐いた。


「美味しい……」

 美咲は、料理を残してしまったことを後悔した。こんな店、一生に一度来れるかどうかなのに。部屋から出ると、女将が待っていた。美咲は女将に頭を下げる。

「すいません、お料理を残してしまって」

「いいえ。またいらしてください」

「あの二人は……もう帰りましたか」

「ええ。タクシーを手配してありますので、お乗りください」

 タクシーに乗り込んで帰宅し、お金を払おうとしたら、結構ですと言われた。

「玉森様にいただきましたので」

 人を傷つけても構わないくせに、こういう気遣いは忘れないのが不思議だ。タクシーを降りた美咲が家に入ると、沙知代がいそいそと寄ってきた。

「美咲さま、遅かったですね。いかがでした、食事会は」

「うん、すごく美味しかった」

「うらやましいわあ。吉津屋さんといえば味もサービスも一流だそうですからね」

 沙知代は頬に手を当ててうっとりしている。美咲は何も言わずに、浴室へ向かった。湯船のなかで手足を伸ばし、ふうと息を吐く。美咲は玉森兄弟に比べて平凡で、うつむいてばかりの人間だ。だからといって卑屈になることはない。美咲には何かを変えることなどできないと、認めてしまえば楽になる。風呂から出た美咲は、祖父の部屋に向かった。声をかけると、佐一が姿を現す。美咲は彼に封筒を差し出した。


「これ、タクシー代。玉森さんに会ったときに渡しておいてくれる?」

「タマに? なら直接渡せばええやないか」

「もう、会うこともないと思うから」

 祖父は怪訝な顔でこちらを見ていたが、黙って封筒を受け取った。美咲は自室に戻り、布団に入った。

 なかなか寝付けなかったので、枕元に置いていた銅鐸をちりん、と揺らしてみる。ちりん、ちりん、と鳴らしていたら心が落ち着いてきて、うとうとと目を閉じた。


 翌日、美咲は大阪の将棋会館に向かう祖父を見送りに出た。

「いってらっしゃい。気をつけてね」

「美咲、タマと何があったか知らんが、結論を急いだらあかん」

「私のことは心配しなくていいから。対局頑張って」

 美咲はタクシーに乗った祖父を見送り、家に入ろうとした。美咲さん、と声をかけられたので振り向くと、玉森が立っている。美咲は顔をこわばらせ、彼から視線をそらした。

「おじいちゃんならいま出かけたけど」

 玉森はこちらに近づいてきて、頭を下げた。

「昨日はすいませんでした」

「なんで謝るの?」

「兄を止めなかったので。あの程度の術、美咲さんなら大丈夫だと思って」

「陰陽師なら、あんなの大したことじゃないんでしょうね」

 玉森は真面目な顔でうなずいた。あの兄に会って、玉森がどんな環境で育ってきたのかなんとなくわかった。最初から相手を信頼せず、騙されたり攻撃されても傷つかない。彼らは強いのだ。そしてその強さは、大事なものを失って得たもののように思えた。美咲にはついていけない世界だ。そのことを、昨日思い知ったのだ。美咲は玉森に近づいていって微笑んだ。

「お人形、雪乃さんに渡しに行こう。それが終わったら、契約書を破棄して」

 玉森はじっと美咲を見たあとうなずいた。美咲は助手席に乗って、シートベルトを締めた。これで変なことに巻き込まれなくて済む。嬉しいはずなのに、どこかすっきりしない気分だった。運転席に乗った玉森がエンジンをかけ、車を発進させる。社内には、しばらく沈黙が流れた。今日はぐーちゃんはいないのだろうか。美咲が蛇の式神を探していると、玉森が口を開いた。

「兄が言ってた話、覚えてますか」

「え?」

「パートナーの話です」

「ああ……なんだか、誤解してたわね」

 玉森に選ばれた覚えなどない。たまたま美咲が失業中だっただけなのだから。玉森は言葉を強めた。

「誤解じゃありません。僕はあなたを選んだんです」

「誰でもいいと言っていたじゃない」

「そう言わないと断るでしょう」

 彼は美咲のことをよくわかっている。

「人形は見つかったし、もう私にできることはないわ」

「着物の件があります。あの着物は危険だ。放っておくことはできない」

「お金にならないことはしないんでしょう」

 そう言ったら、玉森が沈黙した。珍しいこともあるものだ。彼は何を迷っているのだろう? いつだって、何もかも見透かしたような顔をしているくせに。

 雪乃のマンションにたどり着いた玉森は車内に美咲を待たせ、人形の入ったケースを手にマンションへ向かった。一体、いくらで人形を売る気なのだろう。玉森はすぐに戻ってきた。彼がまだケースを持っていたので、美咲は怪訝に思う。

「どうしたの?」

「雪乃さん、不在でした。電話にも出ない」

 何かあったのだろうか? もしかして、事故とか……。心配していたら、玉森が眉を寄せているのに気づく。

「どうしたの?」

「彼女は、人間ではないんです」

 美咲はハッとして玉森を見た。

「な……」

「兄はあやかしとみたらすぐに退治したがる。だが僕は、人間ではないからといって無闇に痛めつける趣味はない」

「雪乃さんは、何者なの」

「わかりません。普段は妖気を隠しているが、おそらくは……かなりの大物」

「お金のために、見逃していたの?」

 声を震わせた美咲に、玉森は静かにうなずいて見せた。

「そんな、もし何かあったらどうするの!」

美咲は怒りを込めてダッシュボードを叩く。すると、その勢いでボードの蓋が開いた。玉森は壊さないでください、と冷静な声で言った。たしかに物に当たったのは恥ずべきことだ。だけど……危険な存在を野放しにして黙ってるなんてあんまりだ。悔しさと虚しさでうつむくと、ダッシュボードの中が目に入った。そこにはフレームに入れられた写真が入っている。写真には、幼い美咲と玉森、祖父と祖母が映っていた。

「これって……」

「美咲さんが6歳のときの写真です」

 美咲の頬にはもみじのアザはなく、明るい笑顔を浮かべていた。幼い頃の玉森はメガネをかけていて、横目で美咲を見ている。美咲はぽつりと呟いた。

「このころ、アザはなかったのね」

「ええ。あなたは活発で、よく僕をいろんなところへ引っ張りまわしていた。しかし、アザができてから人が変わったように臆病になった」

「それは、仕方ないでしょう」

「本当に仕方ないんですか?」

「何が言いたいの」

「僕は、あなたが変わった原因を知りたかった。僕にとって、初めての友人はあなただったから」

 玉森は前を見たまま話した。

「あなたに変われとは言わない。僕のそばにいてください」

 美咲が変わったのは、顔にアザができて、人と接するのが怖くなったから。では、どうしてアザができたのか? その理由を知れば、美咲は元のように明るくなれるというのか? そんなはずはない。理由がわかったところで、何も変わるはずがないのだ。美咲はかぶりを振って、ダッシュボードに写真を戻した。

「昔のことだから、全部」

 玉森は息を吐いて、エンジンをかけた。彼は沈黙したまま車を走らせる。気詰まりになった美咲がラジオをつけると、ニュースが流れ出した。

「昨日の午後5時、京都市左京区に住む小学3年生、坂崎ミクちゃんが行方不明になりました。ミクちゃんは身長120センチほどの普通体型、ピンクのランドセルに白の靴下、チェックのワンピースを着ており……」

 美咲はハッとして、ラジオのボリュームを上げた。玉森もニュースに耳を澄ましている。ミクは夕方5時まで、団地の公園で友人と一緒に遊んでいた。しかし、その後の消息が不明だそうだ。次のニュースにうつると、玉森はラジオのボリュームを落とした。

「ミクさんに電話してみてください」

 美咲はうなずいて、スマホを取り出した。ミクのスマホに電話をかけてみるが、繋がらない。ネットで事件について調べてみたが、まだ詳細はわからないようだ。一体彼女に何があったのだろう。無邪気にスマホで遊んでいた姿を思い出すと、いてもたってもいられなくなる。美咲はぎゅっと唇を噛み、玉森を見つめた。

「玉森さん、ミクちゃんの家に行ってもらえませんか」

「もちろん」

 彼はうなずいて、カーナビに団地の名前を入れた。

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