第5話

 ──理不尽だ。

 午前9時、美咲は日傘を差して「つくもがみ骨董店」の前に佇んでいた。まだ9時なのに、スマホの気象予報アプリには30度と表示されている。おそらく今日も酷暑になるだろう。まだ開店しないのかな……。腕時計を見ながら待っていると、ガラガラとシャッターの開く音がした。シャッターの向こうから顔を出した玉森が、美咲を目にして笑顔を見せる。

「ああ、美咲さん。早いですね」

「遅れて嫌味を言われたら嫌ですから」

「言いませんよ、嫌味なんて」


 嘘をつけ。嫌味の申し子みたいな性格をしているくせに。玉森は美咲を店内へ通し、クーラーがないので暑いですけど我慢してくださいね、と言った。どうしてクーラーをつけないのかと聞いたら、電気代がもったいないと返ってきた。下手をしたら死ぬほどの暑さなのに、どれだけケチなのだろう。玉森は扇風機のスイッチを押して、応接セットのソファに座るように言った。美咲がソファに腰掛けて待っていると、玉森がお茶を運んできた。クーラーがないなら冷蔵庫もないのではと一瞬思ったが、お茶はちゃんと冷えていて美味しかった。玉森は雇用契約書を美咲に差し出し、よく読むようにと言った。美咲が契約書に目を通していると、玉森が尋ねてきた。

「そういえば、ここで働くこと佐一さんに話しました?」

「ええ、まあ」

 美咲は昨晩のことを思い出した。祖父に玉森のところで働くと話すと、祖父はなぜか喜んだ。

「おお、そうか。それはいい」

 何が良いのかよくわからない。

 どうやら、祖父は随分と玉森に信頼を寄せているらしい。そりゃあ、玉森は一応祖父の弟子で、美咲の幼馴染ではある。しかし、この男は何を考えているかわからないし、手段を選ばないところがある。賛成されたと話すと、玉森はしみじみと頷いた。

「佐一さんも孫娘が引きこもりじゃ心配でしょう」

「引きこもりじゃありません。ちょっと、休んでいただけです」

「それより、契約書読みました? 読んだらサインしてくださいね」

「まだです。ちょっとまってください」

 美咲は契約書の中に気になる一文を見つけ、玉森にたずねてみる。

「あの、この「いかなる場合でも、雇用主の命令を遵守する」ってなんですか」

「昨日言った通り、危険な場面もありますからね。僕の言うことは絶対でお願いします」

 つまり、玉森がどんな非道なことをしても邪魔をするなと言いたいのだろうか。

「こんな約束守れません。殺人とか、暴力とか、相手に被害が加わる場合は止めに入ります」

「僕が殺すのは人外だけですよ」

 さらりと殺すって言った、この人。

「人外ってどこからどこまでですか」

「難しいことを聞きますね。ケースバイケースです」

 あまりにも不確定要素が多く、ケムに巻かれている気分である。美咲が捺印をためらっていたら、玉森が口を開いた。

「基本的に僕は人間を守るために動いてます」

「お金のためじゃなくて?」

「そりゃあ仕事ですからお金は絡みますが、たとえばあなたを守るのに躊躇はしてられないでしょう?」

 本当だろうか。百万円の入ったスーツケースを抱えた美咲が海に落ちそうになっていたら、迷いなく百万円を先に取りそうだ。玉森は懐中時計を取り出して、眉を寄せた。

「ああ、もう十五分もたっている。こうしてる間にも人形がどこかに行ってしまって、僕は一銭も儲からないのかなあ。あ、今、1分過ぎました」


 彼は時計をこちらに見せてくる。秒針が時を刻む音はこちらをやけに焦らせた。美咲は玉森に急かされるままに、署名捺印を済ませた。

それから、昼までに何人かの客が来た。しかし、みな冷やかしだった。玉森は客に商品を勧めるでもなく、のんびり詰め将棋をしている。一体この店はどうやって生計を立てているのだろう。

玉藻はパソコンを開いて何かをしていた。聞けば大手企業のホワイトハッカーをしているという。

どちらかといえば、彼はハッキングを仕掛ける側に見えるが。


 午後二時、美咲と玉森はミクが通う府立南小学校へ向かった。美咲はメッセージアプリを開いて、「おばあちゃんの写真があったら持ってきてね」と送る。玉森は意外そうな顔でこちらを見てきた。

「アドレスを交換したんですか、いつの間に」

「あなたがさっさと外に出てったあとです。あそこで待ってるって送りました」

 美咲はそう言って、そばにあった喫茶店「カトレア」を指差した。ドアを押し開けると、涼しい風が身体を包んだ。灼熱の外部と比べれば、天国と地獄ほどの差だ。ああ、やっぱりクーラーってすばらしい。なるべく人の少ない奥に席を確保し、ミクからの返信をまった。玉森はコーヒーを飲み、肘をついて美咲を見る。

「で、マサさんをおろすのが反対ならどうするんです?」

「おろすのが反対とは言ってません」

「はあ?」

「私におろしてください」

 玉森は驚いたように美咲を見た。

「あなたにですか?」

「無理ですか? 子供じゃないとできないとか?」

「いえ、そういうわけでもありませんが」

 玉森は腕組みをして美咲を眺めた。珍獣を見るような、その視線に居心地が悪くなる。

「なんですか、ジロジロ見て」

「いやあ、大した自己犠牲ですね。よく知りもしない子供のために」

「あなたこそ、他人様の娘さんに霊をおろすなんてよくできますよね」

「他人の娘だからできるんでしょう。自分の娘にはやりませんよ」

 その言葉が引っかかって、美咲はおずおずと尋ねてみた。

「……娘さん、いるんですか」

 二十そこそこで子供がいるなら驚きだが、玉森の容姿や不可思議な能力を見るにつけ、どんな秘密があってもおかしくはない。

「僕のプライベートに興味が……」

「ありません。聞いてみただけです」

 玉森は肩をすくめていませんよ、と答えた。


「陰陽師というのは血筋にこだわりますからね。血統のいい娘じゃないと嫁にもらえない」

 血統って、馬じゃあるまいし。どうせ他人事なので、大変ですねと返しておいた。玉森はお返しとばかりに尋ねてくる。

「ところで、美咲さんはどうして会社を辞めたんですか?」

「どうしてって……契約社員だったので、更新をされなかっただけです」

「何か他に理由があったんじゃないですか?」

 美咲はその問いに身体をこわばらせた。どうしてそんなことを聞くのだ。そう尋ねると、玉森はあっさり答えた。

「精神状態が不安定な人に霊をおろすのは危険なんです」

「別に、不安定ってわけじゃないです」

「じゃあどうして?」

 玉森の追求はやまない。美咲は息を吸い込み、平静を装って答えた。

「社風に合わないと言われました」

「社風ねえ。それで納得しました?」

「私の顔は、クライアントに不安を与える。上司がそう言いました」

 玉森は形のいい眉をひそめた。

「失礼な上司ですね」

「そういうこと言われるのは、初めてじゃないですから。それに、ただの口実だと思います。私がもっと優秀だったら、長く契約してもらえたと思います」


 美咲はそう言って右頬を撫でた。友人たちがする自撮りもインスタも、美咲には無縁のものだった。ミクに写真を撮るのが下手だと言われたのは、撮る習慣がないからだ。美咲は、「情けないですよね」と笑った。

「小学3年生より写真を撮るのが下手だなんて」

「写真っていうのは、気軽に撮るものじゃないですからね。昔のひとは、写真に写ると魂を抜かれると信じていた」

 フォローのつもりなのか、玉森はそういった。彼がインスタをやったらものすごい数のフォロワーがつきそうだ。その背後には人ではないものが映り込みそうだが。店の宣伝はしていないのかと尋ねたら、彼はかぶりを振った。

「広く知られていいことなんて、何一つないんですよ」

「そんなことないと思いますけど」

「SNSを使った殺人事件が起きてるの、知らないんですか?」


 美咲はSNSをやっていないが、そんな極端な例を恐れてのことではない。玉森はSNSやインスタ絡みの有名な事件を列挙した。同性を装って接近したとか、宿泊先を提供する流れで犯行に及んだとか、いずれも胸が悪くなるような事件ばかりだ。玉森の話は、犯人が死体をどうやって隠していたのかに発展した。

 聞くのが嫌になった美咲は、もういいです、と言って玉森の言葉を遮った。玉森は美咲を言い負かしたと思ったのか、「そんなわけで、SNSはやりません」と宣言した。

「自由にしてください」


 美咲はため息をついて、窓の外に視線を向けた。こちらに駆けてくるミクの姿が見える。彼女は喫茶店に入ってきて、ぶんぶんと手を振った。嫌な話を聞いた後だけに、その無邪気さに思わず微笑む。ミクはこちらに歩いてきて、ランドセルを下ろして美咲の隣に腰掛けた。

「こんにちは、おねーさん」

「こんにちは。来てくれてありがとうね」

「ううん。ねえ、何か頼んで良い?」

 美咲はちらっと玉森を見た。玉森は「六百円までなら」と言う。幸いこの喫茶店にそこまで高価なものはない。ミクは580円のパフェを注文し、スマホを取り出した。

「おばあちゃんの写真、あんまりないと思う。なんかね、魂を抜かれるから嫌って言ってた」


 まさしく「昔のひと」の考えだ。ということは、彼女は携帯やパソコンも持っていなかった可能性が高い。ミクは写真フォルダをスクロールし、祖母の写真を探しだした。そうか、わざわざフィルムに焼かなくてもスマホで撮影すればいいのだ。

「一番よく撮れてるのはこれかなあ」

 ミクはそう言って、スマホ画面をこちらに見せてきた。遺影に映っていたのと同じ女性が、揺り椅子に座り編み物をしている。玉森はスマホ画面を覗き込み、なるほど、とつぶやいた。彼はこちらに視線を向け、やれますか、と尋ねてきた。

 ミクはキョトンとした顔で玉森と美咲を見比べている。美咲は息を整えて頷いた。

「ねえ、おねえさん何やるの?」

 ミクは興味津々で美咲を見ている。

「ミクちゃんはパフェを食べてて。ね?」

 美咲はそう言って、玉森に向き直る。美咲が緊張しているのを察したのか、玉森がかすかに笑った。

「そんなに硬くならなくても。とって食うわけじゃないんだから」

「いいから、早くして」

 彼は手を伸ばし、美咲の頬に触れた。僕の目を見て。何も考えないように。深く息を吸って、吐いて。そう囁かれて、美咲は玉森の瞳を見つめる。その切れ長の瞳は美咲の劣等感を刺激したが、なんとか耐えて彼を見つめ返した。深呼吸しながらじっと視線を据えていると、視界がゆらゆらと揺れてきた。彼の目が赤く染まって、美咲の姿が映し出される。他の客を意識してだろうか、玉森は昨日と同じ言葉を小さな声で唱え始めた。


「オンマイタレヤソワカ、地の精霊よ――玉森の名において命じる。かの者の魂を、この者におろせ」

 次の瞬間、足元からすさまじい冷気がたちのぼってきた。美咲は意識をたもとうとしたが、何も考えるなと言われたことを思い出す。大丈夫。このまま身を任せれば良いのだ。美咲は赤い瞳に見つめられながら、ふっと意識を飛ばした。


「マサちゃん!」

 その名で呼ばれ、美咲はハッと顔をあげた。周りは雪深く、足が埋まりそうなほどにつもっている。美咲は頭巾をかぶり、分厚い綿の着物を着込んでいた。ざくざくと音を立てながらこちらに走ってきたのは、ミクと同い年くらいの女の子だ。おそらくマサの友人なのだろう。名前がわからず戸惑っていると、彼女が名札をつけているのに気づいた。名札には「原田ゆい」と書かれていた。


 ゆい、という名前をどこかで聞いたような気がして、美咲は記憶をたどった。そうか、あの泣き人形の名だ。マサは、人形の名前を友人からとったのだ。おそらくマサとゆいはかなり親しいのだろう。ゆいはりんごのような頬をした可愛らしい女の子で、透き通るように肌が白かった。美咲がじいっと見ていると、ゆいが首をかしげた。

「どうしたの? マサちゃん」

「ううん。すごい雪だね」

「なんだあ、マサちゃん。しゃれた話し方して」


 どこがしゃれているのだろう? 美咲は、ゆいの喋りに若干のなまりがあることに気づいた。この雪深さからして、ここはもしや東北なのだろうか。美咲が地名が書かれたものがないかと探していると、「酒のモリタ」という看板がかかった酒屋が見えてきた。酒屋の前にはトラックがとまっていて、男性が荷降ろしをしていた。彼はこちらを見て笑顔を向けてくる。

「おお、ゆいちゃん、マサちゃん。相変わらずめんこいな」

「おはよう、おじさん」

 ゆいは元気よく挨拶をした。めんこいって青森の方言だっけ。それとも新潟? 美咲はトラックの荷台に積まれた酒瓶に視線を向けた。瓶には筆で「ゆきうさぎ」と書かれていた。聞いたことのない銘柄だが、地酒だろうか。酒屋の主人は、道路の向こうを見てにこやかだった顔をしかめた。


「まーたあいつ、こっち見とるわ」

 美咲は酒屋の視線を追って、道路の向こう側に目を向ける。そこにはフードを目深にかぶった男が佇んでいた。彼は美咲たちの方を見て、何かぶつぶつつぶやいている。その目が溝のようによどんで暗かったので、美咲は背筋を寒くした。酒屋は身を屈め、美咲たちに囁いた。

「いいか、ふたりとも。あの男にはついてっちゃならねえよ」

「どうして?」

「仕事もしねえくせに、朝晩はあそこに立ってずーっと小さい女の子ばっか見とる」

 美咲はもう一度男に目をやった。男は美咲をじっと見て、にやりと笑った。


 パチンと響いた音に、美咲はハッと意識を取り戻した。目の前にはフードの男ではなく、玉森が居る。現実世界に戻ってきたのだ、と直感的に思った。周囲を彩るのは温かい色の照明で、あたりにはコーヒーの匂いが漂っている。ミクはパフェには全く手をつけず、まじまじとこちらを見ている。彼女はその視線を玉森に向けて尋ねた。

「ねえ、いまのおばあちゃん?」

「そうですね。やはり、人形のことが何かのトラウマになっているようだ。おかげで、かなりのことがわかりました」


 玉森はノートパソコンを開き、メモを書きつけた。

「マサが育ったのは東北のどこかの村。泣き人形の名前は「ゆい」。これは、マサの幼少期の友人、原田ゆいからとってる。「ゆい」はこの頃にしたら珍しい名前だから、村がどこなのかわかれば簡単に見つかるでしょうね」

「……ゆきうさぎ」

 美咲がぽつりとつぶやくと、玉森がこちらに視線を向けた。

「え?」

「トラックに乗ってた酒瓶を見たの。酒屋さんの名前は「酒のモリタ」」

 玉森はスマホを取り出し、ブラウザを立ち上げて検索した。切れ長の瞳が、スクロールした画面を追う。

「「ゆきうさぎ」は青森県の兎月村で作られてる地酒だ」

「兎月村?」

 美咲は差し出されたスマホ画面を見た。表示された地図を拡大すると、青森の北の方に「兎月村」という地名が出ている。玉森は順路検索をしてつぶやく。

「飛行機を使っても6時間か……行くなら明日ですね」

 美咲は困惑気味に玉森を見た。

「行くって……どこに?」

「兎月村に決まってるでしょう」

玉森はきっぱりとそう言った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る