泣き人形

第3話

 美咲が京都にやってきて、一週間が経った。沙知代さんを手伝ってはいるのだが、一人暮らしをしている時に比べたらだらけてしまう。食事や生活の心配をしなくていいのは楽だが、このままではいけないという思いも湧いてくる。スマホで求人を探していると、リマインダーが起動した。「外出日」という表示が出る。


 ああそうか、今日は水曜日。玉森がやってくる日だ。美咲は出かける準備をするため、化粧ポーチを手にとった。鏡を前に化粧をしていると、卓上に置いていた銅鐸がちりんちりん、と鳴った。


「どうかした?」


 聞いても答えるはずがない。撫でてやると、嬉しそうにりんりん、と音を揺らした。美咲は微笑んで化粧を再開する。右頬のアザを隠そうと思うと、どうしても念入りになってしまう。美咲が化粧をするようになったのは高校生のときだった。校則では化粧は禁止されていたのだが、美咲のように特別な理由がある場合は許可されていた。しかし、他の生徒からは当然のように反発を食らった。どうして最上さんだけはオッケーなんですか。同級生たちは、生活指導室で教師に迫った。教師は困った顔で、彼女は事情があるからだと答えた。

「事情ってなんですか?」

「聞かなくてもわかるだろう」


 そのやり取りは、美咲にとって辛いものだった。整形外科に通ったこともあるが、手術では消し切れないと断られた。美咲はこのアザと一生付き合っていくしかないのだ。そっと頬を撫でていると、鏡面が揺れ出した。美咲はビクッとして身を引く。え、なに? 鏡面に映った、何者かの姿が明らかになっていく。切れ長の瞳と美しい顔立ち。サラサラした黒髪。それが玉森だと気づいて、美咲は悲鳴をあげて後ずさった。手にしていた口紅が畳を転がり、壁にぶつかってとまる。――な、なんなのこれ……。


 美咲はおそるおそる鏡に近寄っていき、もう一度覗き込んでみた。すると、鏡の中の玉森がひらひらと手を振った。

「どうも、こんにちは」

「な、何してるんですか」

「いや、やってみたらできるかなと思って。できましたね、さすが僕」

 どうやらこれは陰陽術の一種らしい。美咲は鏡の向こうの玉森をにらみつけた。

「自慢するために人を脅かさないでください」

「こんなことで驚いていては人生苦労しますよ。で、どうです、銅鐸の様子」

「うってかわっておとなしくしてます」

「僕の陰陽術のおかげだ。感謝してください」

 言い方が引っかかるが、世話になったのは確かなので礼を言う。

「ありがとうございます」

「どういたしまして」

「あ、そうだ。二十万円……」

 銅鐸の鑑定料を払うという約束だったのだが、渡しそびれていた。おじいちゃんに預けておかないと。おろしたお金をカバンから取り出そうとしていたら、玉森が口を開いた。

「今日はそちらに行けないって、佐一さんに言ってください」

「え? 何か用事でもあるんですか」

「僕のプライベートに興味がありますか」

 玉森はそう言って笑みを浮かべた。興味などあるものか。美咲が鏡を伏せようとしたら、玉森がこう付け加えた。

「ああそうだ。こないだのバイトの話、考えてくれました?」

「その話は冗談かと思ってました」

「僕は冗談は言いません。今日は多分妙恵寺にいるんで、その気になったら来てください」

 玉森が手を振ると、彼の姿が鏡面から消えた。美咲はため息をついて、鏡を伏せた。


 玄関で靴を履いていたら、佐一が声をかけてきた。

「美咲、出かけるならちょっと用事を頼まれてくれへんか」

「用事ってなに、おじいちゃん」

「妙恵寺にこれを持ってって行ってほしいんや」

 祖父が差し出してきたのは、御札の束だった。古くなったものなので、燃やしてほしいとのことだった。妙恵寺って──玉森が言っていた寺ではないか。今行ったら確実に鉢合わせてしまう。美咲は断ろうとしたが、祖父はすでに部屋に戻っていた。美咲は御札の束を見下ろし、はあ、とため息をついた。

 まったく、ついてない。


 屋敷を出た美咲は、祖父に渡されたメモを頼りに歩き出した。

 佐一が描いた地図は大変わかりやすく、迷うことなく寺につくことができた。「妙恵寺」と書かれた表札を横目に境内に入り、誰かいないかと視線を動かす。箒で境内を履いている僧侶に目を止めて寄っていった。

 声をかけると、僧侶は箒を履く手を止めてこちらを見た。頭が小さく顔が整っている。美形が苦手な美咲は、なんとなく目を泳がせた。僧侶は朗らかな声で「何か御用ですか?」と尋ねてきた。美咲は自然な声を意識して挨拶する。

「つくもがみ骨董店から来ました、最上美咲です」

「ああ、佐一先生のところの。近年ますますご活躍ですね」

「いえ、そんなことは」

 本人でもないのに謙遜するのも変な話だ。今日はどうしたのかと尋ねられ、御札を差し出した。

「これを持っていくように言われて」

「古い御札ですね。お預かりします」

 僧侶は丁寧な動作で札を受け取った。無意識のうちに玉森を探していると、どうかしたのかと尋ねられる。美咲はなんでもないと答え、その場を去ろうとした。そのとき、門をくぐって入ってきた男性と目があった。美咲はぎくりと身体を強張らせる。

「うわ、玉森……さん」

「うわ、とはご挨拶ですね」

 玉森はこちらに歩いてきて、ニコニコ笑った。

「バイトしたいなら素直にそう言えばいいのに」

「別に無駄にしてませんし、バイトするなんて言ってません」

「え? じゃあなんでここにいるんです」

「御札を渡しに来ただけです」

 美咲はカバンの中の二十万を思い出し、玉森の腕を引いた。建物の陰で封筒を差し出すと、玉森がおや、とつぶやいた。


「本当に払うんですね。律儀なことで」

「あなたが払えって言ったんでしょう」

 玉森は封筒に手を伸ばしかけ、ふっと引いた。

「いや、やっぱりもらえないな。佐一さんは僕の将棋の師です。そのお孫さんにお金をもらうっていうのは道理に反する」

「そんなこと言って、あとから嫌味言う気なんでしょう。受け取ってください」

「そんなことしませんよ」

「信用できません!」

「あの……玉森さん、ですよね? 依頼品をお見せしたいのですが」

 美咲と玉森が問答していたら、先程の僧侶が玉森に声をかけてきた。どうやら、玉森は依頼でこの寺に来たらしい。玉森は僧侶に愛想笑いを返し、美咲に封筒を押し返した。そうして、僧侶と共に歩いていく。

「あ、ちょっと!」

 美咲は慌てて玉森と僧侶を追いかける。美咲たちが通されたのは、小さなお堂の中だった。僧侶はお茶を淹れてくるといってその場を去り、美咲と玉森は二人残された。玉森はちらっと美咲を見る。

「結局ついてきたんですか。よくわからない人だな」

「よくわからないのはあなたでしょう。義理堅いのかがめついのかどっちなんです」

「僕はがめつくなんてありませんよ。むしろ良心的ですから」

 非常に嘘くさい台詞だ。先日のように大げさな機械を搬入して、お寺から金をむしり取ろうとしているのではないのか。そう考えた美咲は、先程の鏡の件を思い出す。

「ああいうこと、やめてもらえますか」

「ああいうこと?」

「覗き見みたいな真似です。着替えてたらどうする気だったんです」

「僕は紳士なので目をそらしますよ」

「紳士はそもそもあんなことしません」

 化粧中の顔を見られるのは気持ちのいいものではない。それに、美咲は家族以外に素顔を見せたくないのだ。玉森はそれなんですけどね、と言った。

「美咲さん、化粧に時間をかけすぎなんじゃないですか」

「それは……別に私の自由でしょう」

「ちょっと失礼」


 玉森がいきなり身を乗り出してきたので、美咲はびくっと震えた。長いまつげに覆われた、切れ長の瞳がこちらを見ている。彼の指先が右頬に触れたので、思わず目を閉じた。玉森は美咲の肌をそっとなぞって、やっぱりな、とつぶやいた。

「こんな粗悪品を厚塗りするのはよくない。もっといい粉がありますよ」

「い、いきなり触らないでください。失礼でしょ」

 美咲は真っ赤になって玉森を睨んだ。彼は素知らぬふりでパウダーのついた指をぬぐった。玉森から離れて座っていると、お盆を持った僧侶が戻ってきた。彼は玉森と美咲を見比べ、「何かありましたか」と尋ねた。玉森はかぶりをふって、笑顔を浮かべる。

「なんでもないんです。それで、お話というのはなんでした? 青藍(せいらん)さん」

 青藍と呼ばれた僧侶は、玉森と美咲の前に湯呑を置いた。

「実は……とある人形についてなのですが」

「人形ね。お見せいただけますか」

 僧侶は少々お待ち下さい、と言って、一旦部屋を出ていった。戻ってきた彼の腕には、市松人形が抱かれていた。玉森は人形を受け取ってしげしげと見る。

「ほう、良い人形ですね」

「ええ。私はこういうものには詳しくないが、いい作りだと思います」

「これがなにか?」

「実は……その人形、泣くんです」

 お茶請けを食べていた美咲は、驚いて顔を上げた。あらためて、玉森が抱いている人形を見る。たしかに精巧な作りだが、あくまでただの人形に見える。玉森は顎に手を当てて、「寺が所有しているものですか?」と尋ねた。青藍がかぶりを振る。

「いいえ。うちの寺では毎月2日に人形供養が行われます。この人形は先月供養を依頼されたものですが、いまだに寺に保管されています」

「そのわけは……」

「さきほど申し上げた通り、泣くからです」

 人形供養は、持ち主が寺に申請し、許可が出てから行われる。この人形も許可が出て先月焼かれるはずだったが、護摩を焚き、祈祷している最中に問題が起きた。人形の頬を涙が伝ったのである。供養はただちに中止され、僧侶たちの間で話し合いが行われた。そして、こういう結論に達したのだ。この人形には、魂が宿っている。

「生き人形を無理やり焼くのは気が咎めます。なので、つくもがみ骨董店さんに引き取ってはもらえないかと思いまして」

「なるほど。少し拝見いたします」

 玉森は青藍から人形を受け取って、ルーペで観察し始めた。美咲は玉森が人形を見聞している間に、青藍に質問をしてみた。

「こういうことって、たまにあるんですか?」

「いえ、私は初めて体験しました。付喪神の話は知っていても、実際に見ると動揺するばかりで……ただ、住職がこういったことに慣れている人で。骨董店さんに相談しようと言う話になったのです」

 その住職は、法要に行っていて不在らしい。美咲が青藍と会話しているうちに、玉森が鑑定を終えた。どうかと青藍に尋ねられ、玉森が口を開く。

「この人形は明治末期ごろに作られた作です。骨董的な価値は六万ほどでしょうかね。上流家庭で大事にされて来たが、戦後のどさくさに紛れて盗まれ、闇市で売買された。流れ流れてとある中流家庭に売られたが、持ち主が死んで押入れの奥にしまわれていた。家族が遺品整理をした際にこちらの寺に持ち込まれたのでしょうね。姉妹人形があるはずだが、そろえば二十万にはなるでしょう」


 二十万か。ちょうど美咲に突きつけられた請求額と同じだ。青藍は期待を込めた顔で引き取ってもらえそうか尋ねた。しかし、玉森は沈痛そうな表情でかぶりを振る。美咲と青巒は、同時にえっと声を漏らした。

「人形っていうのは恨みがこもりやすいんです。特に日本人形は持ち主に愛着を持ちますから、棄てられるたびに恨みが増幅し、憑神となるおそれがある」

 つくもがみは恨みを抱き憑神になる――。ここでもらわれていっても、また棄てられて悪いものになる可能性があるらしい。

 青藍は困惑顔で、「それでは、寺で保管するしかないのでしょうか」とつぶやいた。玉森は指を立て、そうとも限りません、と言った。

「絶対に人形を棄てない人物を知っています。彼女が気に入れば、人形を引き受けてもらえるでしょうね」

「その人というのは……」

「僕の知り合いで、山城雪乃(やましろゆきの)さんという女性です。ただ彼女は妥協を知らない。姉妹人形であれば姉妹セットでそろっていないと満足しない」

「じゃあ、この子の姉妹人形を探せばいいんじゃないですか?」

 美咲が思わず口をはさむと、玉森が「すばらしい」と言った。

「詰めは甘いがカンは鋭いですね。さすが佐一先生のお孫さんだ」

 褒められて照れていると、玉森がすっと立ち上がった。

「じゃあいきましょうか」

「え、どこに?」

「決まってるでしょう、姉妹人形を探しにです」

 それはわかっているが、なぜ美咲も行く前提なのだ。困惑していると、玉森が耳元に囁いてきた。

「協力してくれたら、二十万はチャラにしますよ」

 美咲は一瞬迷ったが、うなずいて同意を示した。どうせ暇だし――この人形のことも気にかかる。美咲と玉森は青藍に見送られ、寺をあとにした。

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