第33章 王女国と女帝国の衝突にウンザリ

 同時刻。エリザベス・コーツ王女国の北東、ノイシュバーベン・モード女帝国との国境に横たわるクロンプリンセッセマーサ平原。


 宣戦布告してからというもの、砦とテントを増やしてもはや一つの街のように駐留していたモード側の軍が動きだしていた。

 少し前から陣形を組んではいたが、本格的に戦闘態勢へと移行しだしたのだ。


「物理の一から十、魔法の二から二〇、放て!」

 ノイシュバーベン・モード西端方面軍総司令官の合図で、モード軍が最前列に並べていた大砲を発射する。十発。

 続いて、大砲の後ろにいた魔術師の十人が前に出て、光弾を飛ばす簡単な魔法を放つ。やはり十発。


 ちょうど国境の上空で、砲弾と光弾は不可視の壁にぶつかったように爆発する。


 何のことはない、結界の確認だ。

 背丈の低い草花に覆われた平原。その国境線に点在する岩に刻まれたオガム文字による、〝ゲッシュ〟という宣誓魔術の仕業だった。

 ある禁忌を課し、誓約を順守する限り特定の加護を得られるまじない。たとえばアイルランドの英雄クー・フーリンは、〝樫の枝の輪を片手と片足と片目だけで作れない者は、先に進めない〟なるゲッシュで敵を足止めしている。これを応用したもので、不可視の壁が築かれているのだ。


 テストとしての初撃を防いでも、コーツ側の動揺は大きかった。外面には決して出さなかったが。

 なにせ、ノイシュバーベン・モードが二カ月の沈黙を破って初めて攻撃してきたのだ。

 国境のそば、最前線に展開するエリザベス・コーツ東部方面軍は、たった十人の脱魂ガンド魔術師だった。

 各員の間は一キロほど離れている。預言救世主を警戒して手出しできずにいる女帝国にそれを匂わせるため。救世主がいるのだから充分とミスリードさせるというわけだ。

 女帝国が動いたのは、はったりが破られた可能性を意味している。

 コーツ軍は、こけ威しも未だ有効な可能性を祈って派手には動かなかった。密かに、ガンド魔術師たちのさらに一キロほど後ろに並ぶ数箇所の国境警備基地内で武装を整えだす。

 なにせ、東部方面軍の全兵力は五万人。対するモード西端方面軍は五〇万人だ。本格的な衝突は避けたかった。


 が。


 今度はモード側が投石機をいくつか最前列に出す。コーツ側が意図を察する間もなく、一台が何かを投じた。

 やはり。国境線の不可視の壁に当たる。ぶつかったものは砕けて地に降り注いだ。一見すると、単なる岩石のようだった。


 ドン!


 轟音。

 国境線沿いに岩壁がそそり立つ。それは瞬時に高さ数十メートル長さ数キロほどに達した。


息石そくせきだと!?」

 基地内で息を潜めつつ、窓から双眼鏡で戦況を窺っていたコーツ東部方面軍総司令官は悟った。

「円陀Bケンプでも滅多に手に入らないはず、女帝が天君王族てんくんおうぞくの血筋というのは真実か?!」

 中国神話には自然成長する土、息壌そくじょうがある。古代の聖王、ぎょうの重臣で治水長官のこんが、天帝の元にあったそれを盗んで洪水を防ぐのに使用したなどといわれる。

 息石は同類の石。即ち、自然成長する石だ。それで国境線のゲッシュを突き飛ばしたのだ。

 遅れて、モードから飛んで来た岩が数個。国境と化した岩山を超えてコーツ側に入った。

 結界が破れたか確かめたのだろう。


 数分の緊張。


 のち、さらにモード側からコーツ側へと、岩壁を超えて投石機で何かが十個投入された。

 ちょうど投石機に乗せられるほどのサイズの不格好な小鬼。そいつらがガンド魔術師と同数、彼らのいる位置とだいたい同じ地点に投じられたのである。

 飛んで来たままに爪や牙で襲い来る小鬼を、あるガンド魔術師は避け、あるガンド魔術師は装備していた剣で斬った。


 ところが。


 落ちて潰れたものも斬られたものも、おのおの二匹に分裂。投げ込まれた小鬼はすぐさま二〇匹となって術師たちを襲った。応戦せざるを得ないので殺すが、その都度一匹が二匹に増える。


「アジ・チャンドロビロウォだ!」

 コーツ東部方面軍総司令官は双眼鏡を捨て、武装しながら命じる。

「救世主の不在は見破られた! カリモソドを装備するか、アブラム教の回法学者ウラマーで対処しろ!!」


 そう、小鬼は単なる鬼ではなかった。護身召鬼術ごしんしょうきじゅつ〝アジ・チャンドロビロウォ〟で呼び出された羅刹鬼ラクシャサだ。この小鬼は、標的を屠るまで殺される度に二匹に分裂するのを無限に繰り返す。

 そして、もはや一人につき数十体の小鬼を相手にするはめになっていたガンド魔術師の誰かが唱えてしまった。


「だ、第二階梯脱魂術! 〝ベルセルク〟!!」


 元より、最前線に少数で立つ彼らは選び抜かれた人選だった。

 まずはベルセルクの術でいざというとき敵陣に切り込む役目だ。ベルセルクとなると、どんな者でも一定期間一騎当千となり不死身となる。されど敵味方構わず攻撃するようにもなるので、十人が互いに一キロほど離れて陣取っていた。

 敵味方の区別をつけたまま制御できるフレデリカのベルセルクより階梯が落ちる理由だった。また、彼女同様に術が解けた際は疲れ果て、一定期間動けなくなってしまう。最前線にいた十人は死を覚悟した候補者ということだ。

 ために、九人は最期まで戦うか自害するかで息絶えたが、一人は極限の状態で生への執着が芽生え、早めにベルセルク化してしまったのだ。

 たちまち怒髪天を衝き、憤怒の形相となって強大な気迫を纏ったベルセルク。彼は凄まじい勢いでラクシャサを切り刻みだす。


 あとは悪循環だった。


 いくら群れなそうがベルセルクは死なず、人間離れした戦力はとてつもない速さでラクシャサを殺し、小鬼は死ぬ度に増え続ける。

 あっという間に数百数千という軍勢となったラクシャサが、コーツ東部方面軍の基地、及びそこから出て来てようやく隊列を整えだした部隊にも襲い掛かる。

 一方的に攻められることになったコーツ軍に、回法学者とある文言が刻まれた護符〝カリモソド〟を装備した兵士が加わる。彼らはカリモソドに書かれている呪文を唱えた。


「〝唯一神の他に神なくムハンマドは唯一神の使徒なり〟 第一階梯苦行術〝タパス〟!」


 インド叙事詩『マハーバーラタ』に題材をとったジャワの影絵芝居ワヤンにおいて、アジ・チャンドロビロウォへの唯一の対抗手段だ。

 たちまち、回法学者とカリモソドからは炎が放たれる。それは渦を巻き、人は傷付けずにコーツ軍の合間を駆け抜けてベルセルクの周囲まで行き着き、ラクシャサのみを焼き付くした。


 途端。


 安堵する間もなく、息石で築かれた岩壁がモード側から突き破られた。

 そこから出てきたのは、体長一キロはあろうかという漆黒の巨狼だった。

 即座にベルセルクが飛び掛かるも、巨狼は前足で叩き落とす。さらに大地にめり込んだ狂戦士を喰らうと、天へと咆哮を上げた。


 絶望的に狼の怪物を見上げながら、己も武装して戦場に出てきたコーツ東部方面軍総司令官は嘆いた。


「なんてことだ。巨狼神、フェンリルか」


 北欧神話において、主神オーディンすらも喰い殺す怪物である。

 ノイシュバーベン・モード女帝国の旗。巨犬に跨がる女戦士の背後に描かれる黒い太陽は、このような存在を示している。

 あらゆる神話の報われない神霊。悪でもないが、善でもない。主たる神々とは対を成す神霊の象徴だ。

 女帝国の禁呪法には、そうしたまつろわぬ神霊を呼び出すものがあるとは前々から噂されていた。


 今やコーツ王女国の目前に伝説は具現化して牙を剥き、フェンリルの背後からは黒々と隊列を組む五〇万のモード軍が迫っていた。

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