エリザベス・コーツ王女国

第32章 山脈の防衛ラインにウンザリ

 暗雲満ちるトランスアンタークティック山脈、ディアボロス魔帝国側。

 人と魔の領域を分かつそこから、魔帝国側が半島全土に張っていた、外からは向こうが見通せない黒いドーム状の結界が上方より消えつつあった。


 エリザベス・コーツ王女国側の山腹に陣を張る人類防衛軍は、もはや六大国による人類防衛連合軍ではない。東方の四カ国は二カ月の間に撤退し、実質コーツとビクトリア女王国だけの西国同盟軍だ。

 「神聖ノイシュバーベン・モード女帝国の訴えによる、西国同盟がディアボロス魔帝国と結託したとの疑いを信じての処置」だと連合は言ったが、複雑に利害が絡み合った各国の思惑は計りきれない。

 山岳戦用の武装をした騎士や魔術師からなる兵士たちは、固唾を飲んで結界が解けるのを待っている。その高さが山頂のやや上ほどに低くなりだした頃。


『警告。第一防衛ラインへの敵接近を感知』

『警告。第二防衛ラインへの敵接近を感知』

『警告。第三防衛ラインへの敵接近を感知』


 第四防衛ラインたる山脈のコーツ側中腹に、水晶を通した抑揚のない機械的な警鐘が響いた。

「第一から第三まで、防衛ラインに同時襲撃!」

 そこに建つ砦内の通信兵が叫び、即座に判断した。

「上空からかと思われます!」

 中腹に展開していた兵たちは、緊張を露にする。


 トランスアンタークティック山脈には五つの防衛線が設けてあった。

 ディアボロス魔帝国側の麓に第一、同じく魔帝国側の中腹に第二、山頂に第三。エリザベス・コーツ側中腹に第四、同じく王女国側麓に第五だ。うち魔帝国側は魔族と直面する危険があり、山頂付近は標高二〇〇〇メートルから四〇〇〇メートル級の過酷な環境のため、人の軍隊は駐留していない。

 いるのは――。


『『『敵勢領空内に侵入、これより迎撃する』』』


 三つの防衛ラインがそろって宣言。それぞれの地面が動き出した。

 それは、無造作に転がっていたように見えた巨岩たちだった。


 〝ゴーレム〟。


 ユダヤ教神秘主義哲学カバラに基づく、神が土から人間を創ったという神話を再現した魔法。それをアンタークティカで改良した人型兵器である。

 彼らは創造者の命令に忠実で、額に彫られたヘブライ語で〝真理אמת〟を意味する文字の最初の一字を削り〝אמ〟の意味に改変され単なる材料に戻らない限り、肉体を損傷しても再生する。

 それらが、各防衛線に一万体ずつ。体長五メートルから十メートルの不格好な巨人として対魔帝軍用の兵器となり、連合軍に配備されていたのだ。

 敵が国境たるトランスアンタークティック山脈に接近しない限り、おのおのの素材の塊でしかない彼ら。

 まず第一防衛ラインの土製クレイゴーレム、次に第二防衛ラインの岩製ロックゴーレム、最後に第三防衛ラインの鉄製スチールゴーレムは、みなが四肢を纏って立ち上がり、戦闘態勢に入った。


 同時。


 先にドーム状の結界が解かれたディアボロス魔帝国上部から先陣を切っていた、翼や飛行能力を有する悪魔たちが曇り空の雲を突き抜けて降り注ぐ。

 例によって、一般的な悪魔である山羊と人と蝙蝠を合成したようなデーモン兵が中核。彼らは第一から第三までの防衛線のゴーレムに組み付き、額の最初の文字を消そうと試みる。

 もっとも、長年国境を死守してきた巨人たちの兵力は伊達でない。デーモンたちは殴られ蹴られ、叩きつけられ踏みつけられ、遠距離では減ることのない自身を構成する肉体を千切って投げつける人型兵器によって、明らかな劣勢だった。


 最初は。


 降り注ぐ悪魔の雨はやまない。

 じわじわと上から解かれていた結界も、これまでの挙動を無視して一挙に失せる。

 見通せなかった真っ黒な幕の向こう。そこにびっしりと控えていた悪魔軍団が、即座に襲い掛かってきた。

 瞬く間に数千を超え、数万を超える。ゴーレムたちも合わせて数万ほどの悪魔は倒したが、降り注ぐ魔の豪雨が横殴りとなって数十万を超えると、埋もれていく。

 片っ端から額の文字が消され、ただの土と石と鉄の塊に還されだしたのだ。


「第一から第三防衛ライン、突破されました!」

 望遠鏡での山頂確認、及びゴーレムの体内に埋め込まれた水晶を通した情報を頼りに、第四防衛線の通信兵が叫ぶ。それは備え付けの水晶を通し、山腹に並ぶ第四防衛ライン十数箇所の砦全てに共有された。

 全部の砦屋上にはアブラム正教のカバラ魔術師カバリストたる律法者ラビたちが整列しており、魔帝国側に向かっていっせいに杖を掲げて唱える。


「〝御手を海上に差し伸べたが故に 主は強き東風をもって大海を退かせ 陸地とされ 水は分断されん〟 第一階梯奇跡術、〝シェムハメフォラシュשם המפורש〟!!」


 途端、ゴーレムたちは自分たちを構成する材質の塊となって天に届くほど肥大化。高山の積雪を巻き込み、悪魔たちごと雪崩となり魔帝国側へと崩落した。

 暴走したゴーレムは際限なく巨大化する。それをあえて誘発し、敵兵を巻き込んで魔帝国側に土石流のように解き放つ切り札だ。

 巻き起こったとてつもない土と雪の煙が、しばし山頂から麓まで魔帝国の方向をヴェールで隠す。


「効いたか?」

「油断するな。次の攻撃に備えろ!」

 コーツ側の中腹に展開していた兵士たちが口々に叫び、本格的に身構える。

 その数、数万。二カ月前までは麓の第五防衛ラインと合わせて百万の兵力があったが、今は双方合計してコーツ・ビクトリア西国同盟の十万程度だ。さっき確認された悪魔だけで軽く数倍上をいかれている。ここからが正念場だった。

 しかし――。


「〝明けの明星 曙の子よ 神槍しんそうを投じよ〟」

 何者かの、大陸を震撼させるような声が轟き

「神等階梯禁呪法、〝トラウィスカルパンテクウトリの投げ槍〟」


 曇り空の一部だけが晴れ、顔を出した金星が眩い閃光を放つ。

 第四防衛ラインが薙ぎ払われ、一瞬後、全ての砦と軍が爆発した。


「な、何事だ!」

 轟音と地震で、パニックに陥ったのは第五防衛ラインの兵たちだ。絨毯爆撃でもされたように、第四防衛ライン全土から火柱がそそり立ったのだから。

 寸分の間も置かず、炎幕えんまくの向こうからディアボロス魔帝国軍が押し寄せる。山腹に降り積もった積雪を巻き込み、雪崩を発生させながら。


「第四防衛ライン、突破されました!」

 ようやく、山脈コーツ側麓で陣を張る防衛軍の兵たちが叫んだ。

 とはいえ、遅かった。逃げる者、辛うじて弓や魔法や砲で迎え撃つ者、諸々の人間たちを、雪崩と悪魔の津波は容赦なく呑む。


「まさか!」

 倒壊する砦の塔から放り出され、地面に落ちるまでの間。第五防衛ラインにいた西方横断山脈方面総司令官は、様々な想いを抱くより先に、信じ難いものを目にして自分でも予想だにしなかった断末魔を選んでいた。

「本物の黎明魔王、ルキフェルか?!」

 第四防衛ラインが消滅した理由だった。

 黒々とした悪魔軍団の先陣に羽ばたきもせずに浮く、まさにかの威容のためだった。これまで、禁書目録の挿絵でしか目にしたことがない姿。


 純白の衣に身を包み虹色の長髪を靡かせる、端正な顔立ちの美男子。背には、六対、十二枚もの白と黒の翼が交互に生えており、頭上には漆黒の光輪が浮かんでいる。

 十二魔神階級の第一位階、帝王。そこに座する統馭三魔帝が頂点。


 真魔帝、ルキフェルである。


 今の今まで、一度も戦場に出現したことのないディアボロス魔帝国の最上位が、自ら軍を率いていたのだ。

「王女陛下に報告せねば――!」

 一つの軍の総司令官として最期の危惧を発するや、彼は地に落ち、悪魔と雪崩に呑まれて命を失った。

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