円陀Bケンプ共和国

第34章 伝説の幻術師にウンザリ

 広い畳敷きの和室。真ん中に敷かれた布団に、彼は横たわっていた。


 ふと、目が覚める。


 寝覚めにぼやけた思考で、全て夢だったのかと思う。慣れ親しんだ日本の部屋に帰って来たのかと。

 もっとも、数秒でおかしいと気付く。

 自室は洋室だし寝床はベッドだった。床の間? それとも友達と旅行にでも出かけて旅館かどっかで寝たっけ?


「んなわけあるか。おれにそんな友人いなかったもん」


 セルフツッコみが空しく響く。

 いや、最近やっと友達みたいなのができたか。ロリと美少女と、あと変な鳥。


「ようやく、拙僧せっそうの催眠が解けたか」


 しわがれた呼びかけに、ぎょっとして上体を起こす。


 そこは時代劇にでも出てくるかのような部屋だった。

 木造の和室。襖と障子戸が並び、一面は開け放たれている。外には高欄付き廻縁のようなものがあり、手すりの向こうには自然の景観が窺えた。

 水面から無数にそそり立つタワーカルスト状の山々に挟まれた海に、低い雲海が満ちている。絶壁の山肌には、瓦屋根を頂く石造りの家々がへばりついていた。中国の山水画じみた風景だ。


 日本ですらねーな。


 悟るや記憶が蘇ってくる。

 異世界っぽい南極らしき場所にきて変な冒険をしたあと大妖精門に飛び込んだんだった。そこで意識が途切れたのだ。


「よく来なさったな、円蛇Bケンプ共和国へ」


 さっきも聞こえた声。

 音源は、外界と反対方向。部屋のもう一面の、他よりやや高くなった上段の間のような畳敷きの奥からだ。

 そこで、風神と雷神が描かれた金の屏風を背に座布団で正座する、白髪で鼻から下には長い白ひげを伸ばす賢明そうな老人がしゃべっている。

 小綺麗な袈裟に金襴の羽織り、髑髏を象った木製の数珠を胸に掛け、着物を纏って腰元に瓢箪を結わえていた。


 聖真は高速で思考を巡らせる。

 円陀Bケンプ共和国と聞こえた。とすると目的地に着いたわけだが、状況が謎だ。どうして魔法も使ってないのに途中で意識が途絶えたのか、この爺さんはなんなのか。

 悩んだ末に、最後の問題から解決することにする。


「……誰ですか?」

 訊くと、老人は胸元に手を当て、軽く会釈をして名乗った。

「これは失礼した、拙僧は果心居士かしんこじと申す者」

「はあ? 果心居士だって!?」

「さよう」


「いやいやいや待て待て待て」聖真は掛け布団を跳ね除けて、正面から老人に対峙する。「果心って、あの七宝行者しっぽうぎょうじゃ? 桃山朝の幻術師の?」


「さようだ」

 胸を張って、老人は己のひげを撫でる。


「んな、まさか」

「何を疑う必要があろう。ぬしはここに到るまでに、魔法の実在をしかと拝見してきたはず」


「そう、だけど」聖真は胡坐を掻き、腕を組んで首を捻った。「元世界に実在したっていう魔術師と会ったのは、初めてなんですけど」


 まさしく、果心居士は元世界の歴史に実際いたとされる怪人物だ。

 筑後に誕生して高野山で修行をし、大和の興福寺に僧籍を置いていたが、外法による幻術に長じたため破門されたという。織田信長、豊臣秀吉、明智光秀、松永久秀、筒井順慶ら史実の著名人に係わり幻術を披露し、人々を惑わせたとされる。

 だが、生没年すら判然とせず常人離れしたオカルトに彩られた経歴などからも実在が疑問視されたことすらある。たとえ本当にいたとしても、手品師とも目されていた老人だ。

 アンタークティカに来てからこれまで、そんな元世界の魔術師には会ったことがない。


「だろうな」老人は簡潔な解答を述べた。「なにせ、アンタークティカは拙僧らが創ったのだから」


「は?」

 聖真は目を点にした。

 確かに、いきなりこんな南極が出現した理由は謎だった。とはいえ、魔法が当たり前に存在することにさえ驚いていたのに、理由が伝説の魔術師によって創られたとは仮説に仮説を重ねるようなものだ。

「……じ、じゃあ、あなたが全部の黒幕だっていうんですか?」

 いろんな疑問はとりあえず置き、訊きだせることを聞いてみようと試みる。


「拙僧一人ではない」自称果心はそう返した。「なにせ、主の言う元世界にも魔法は実在したのだからな。外界の歴史における神話や伝説が真実だったと理解してもらえばよい」


「嘘だ!」

 聖真は、経験を踏まえて即刻否定する。

「だったら何でろくに効果がなかったんですか、おれは何度も試したんですよ!?」


「簡単な話だ」老人は明答した。「元世界の魔法は、大半が二〇世紀半ばに封印されたからだよ。ここ南極大陸にな」


「……なんだって?」

 驚愕する聖真へと、果心居士は不気味にほほ笑んだ。そして、ゆっくりと物語りだしたのだった。



 魔法は、太古の昔より南極外でも人と共にあった。近代以前までの歴史的書物に史実と入り混じって記されてきたように。

 それが失われたのは、巨視的スケールで展望すればごく最近。産業革命が大きな転機だった。


 多数の者にとって対等に扱え平等に効果を発揮できる科学の発達は、効果をほとんど制御できない魔法と比べて総合的に有用だったからだ。

 たとえば、生まれ持った才能の強弱、宗教や神話や信仰、オカルト的訓練、こうした課題が多大に影響し合い、ある効能を及ぼす魔術の作用は個々によって大きく異なる。その点科学は、あるボタンを押せば特定の効果を発揮する機械が、何の能力も訓練も知能もない人の誰が押しても同じように反応する。


 やがて二度の世界大戦を経て、この認識はより決定的な形で変革をもたらした。聖真たちが学校で学習してきたものとは別に、第二次世界大戦当時主に対立した二大勢力、連合国と枢軸国の面々はそれを暗示している。

 敗戦した枢軸国の中心は、トゥーレ協会というオカルト団体が基盤であったナチスドイツ、カトリックの総本山でローマ教皇の座するバチカン市国を有するイタリア王国、天皇を現人神と崇める大日本帝国ら、魔法的なものに近く、従来の社会通りその存在を広く認めようとした側だった。

 対して戦勝国である連合国側は科学中心の新社会を望み、そちらの勝利によって以後の歴史が形成された。人類にとってより等しく扱いやすい科学を基盤とした世界を築くため、それらを揺るがしかねない魔法は封印することにされたのだ。

 候補として選ばれたのが、最も人のいなかった大陸。南極だった。


 かくして、以前の歴史まで捏造され、当時高名であった世界中の名だたる魔術師たちもこの作業のために駆り出された。こうした事実は一般には伏せられ、各国の上層部すらごく一部しか知らない秘密となったのである。



「……そんな」

 絶句しそうになりながらも、布団の上で蓮華坐で聞き終えた聖真はどうにか疑問を紡ぐ。

「か、仮にそんなことがあったとしても、名だたる魔術師たちってのは賛成だったんですか?」


「無論、一枚岩ではない。だから、こうなったのだ」

「どういう、ことです?」


「述べたように、魔法より科学の方が万人が扱うには向いておる。それを理由に賛同した者もおった。一方で、魔法行使の場を奪われることなどを恐れ、強固に反対する者もいた。結局、反対派は退けられたがな」

 果心は己が胸に手を当てて明言した。

「拙僧は、主要な反対派だ」

 衝撃を受ける聖真をよそに、彼は縷説する。

「二一世紀の人類は危機に瀕しておったろう。うちいくつかは、魔法があれば解決できたものだった。歴史の裏で密かに生き延びていた反対派は、そう主張したのだよ。今こそ魔法文明を取り戻し科学と合わせればよい、とな。時を経るにつれ、進歩しない人類に失望し反対派は増えていった。

 そして充分に反抗勢力を得た二二世紀初頭に、魔術による不老長寿を得た者たちを中核に拙僧らは〝日出十字路団メール・カルフール〟と名乗り決起したのだ。この大陸の者たちからは、〝超神人〟と呼称されておる。強硬手段で賛成派を制圧し、世界を創り変えたのだよ。魔法を中心とする世へと」


 背後の海面で、十メートルほどで坊主頭の黒い影としか形容できない妖怪――海坊主うみぼうずが顔を出してすぐさま引っ込んだ。

 水柱が起こり、水音が響く。

 そいつの到来は嵐の前兆ともされるが、そんなことすら気にならないほど聖真は考え込んでしまっていた。言わんとしていることはわからないでもなかったからだ。

 環境問題、社会問題、延々と続くあらゆる争乱、ろくでもない政治、ふらふらした経済、爆発しそうな人口、どこまで持つかわからん資源、次々と新種が現れる病、報われない非リア、孤独な陰キャ、メディアのアホ、ネットのバカ、リアルのゴミ、仮想現実のクズ、……ともかく。

 科学が発展しても解決できなかった世界、人類の難問は二一世紀どころか二三世紀も山積している。それを一挙に解決できるものがあるならば、まさしく魔法のような手段かもしれない。


「……じゃあ」聖真は、再確認するように問うた。「アンタークティカ大陸の魔法世界の創造主は、あなたと反対派……超神人とか日出十字路団とかだっていうんですか?」


「そうなろう。神等階梯が世界さえ創り変えうるのは目にしたはず。そうしたものを含む大部分が南極に集まっておったが故に、ここを暴けば全てが手に入る状態だった。とはいえ、さすがに世界全土をすぐに変える力はなく、まずはこの地を中心に改変するので手一杯であったがな。

 ために、周りに元より張られていた嵐をもたらす自然の結界を〝絶叫する五〇度〟としてまとめて強化し、南極を封鎖。星空をも魔術的な効力を与えるだけの光として創り直した。テラアースとアンタークティカ、双方の世界にとって嵐の向こうはいわば量子力学的な重ね合わせの状態にある。時の流れも異なるのだ」


 信じがたいが、信じきれないものでもなかった。

 神等階梯とやらの威力は、聖真も自分でやらかして身をもって学んでいる。時間もはりぼての宇宙も創り変えられているというのも、もはやありえなくはないように思えた。

 絶叫する五〇度ほどではないが南極の周りに嵐が吹き荒れていたのも昔からだし、伝えられているそこの異変にも魔法を封じたい勢力の関与があるらしい。

 第三次世界大戦のきっかけとなった、猛吹雪に襲われて各国が基地から撤収する際に揉めたという〝南極危機〟も捏造ということになる。


「なら、南極危機から百年か一万年か経ってるみたいなのに、なんで、今さら動きだしたんですか!?」


 そうだ。

 時間の流れ方自体が変えられているとしても、アンタークティカの歴史によればこの地は創造から一万年経っているらしい。外の世界でも南極危機が発生したのは百年も前だ。


「経験したはずだがな」

 肩を落として、果心居士は明言する。

「強大過ぎる魔法は精神力を使い果たし、意識を失わせる。拙僧らは不老長寿とはいえ世界を創り変えるほどの魔法を使ったのだから、約一万年、眠っていたわけだ。ここは外界の百倍の速さで時が経過する。妖精のお伽噺などでは珍しくなかろう」


 つまり、聖真が強力な魔法を使った後に襲われたような眠りを過ごしたというのだろう。

 魔法の世界で時間の感覚が違うというのも、以前ニンフの世界の話として想像したようによくある伝承だ。


「〝一人の男の子が我々のために生まれる〟」

 徐に果心は呟く。

 聖真がぎょっとするのを見届けて、彼は先を紡いだ。

「〝その名は、霞む島、聖なる者、真なる者、と唱えられる。〟覚えがあろう、そなたを呼ぶ呪文としたからな」


「旧約聖書、イザヤ書九章六節」


 救世主誕生の預言を改変したもの。そうだ、これは南極に転送された際に聞いた声だ。

 読心術でもなければ知っているのは、自分を召喚した人物だろう。あのときは特に夢現だったので幻聴かとも思い、周りには話していないことなのだから。

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