第12章 アステカ神話VS日本神話とギリシャ神話にウンザリ

「〝臨兵闘者りんぴょうとうしゃ皆陳列在前かいちんれつざいぜん〟!」


 図書館内で聖真は九字くじを放った。

 九文字のまじないと九種の印を結ぶ破魔の修法。片手の拳から人差し指と中指を伸ばす刀印とういんで、一文字ごとに空を切るはや九字だ。


 天井があった付近のアガリアレプトを狙ったが、バシンと音がして、彼女を球状に覆う半透明の防壁が一瞬可視化。効果を蹴散らしたのがわかった。


「……〝臨〟!」

 ずっと憧れていた魔術が目に見えるのに感動する暇もなく、めげずに聖真は両手を合わせ混合鈷印こんごうこいんを構成した。

「〝兵 闘 者 皆 陳 列 在 前〟!!」


 一文字唱えるごとに印を変える。今度は早でない、修験道しゅげんどう式の手印を結ぶ本格的な九字だ。


 バシィーン!!


 さっきより盛大な騒音と衝撃だが、これもアガリアレプトを守護する半透明の球に砕かれる。


「無駄なことを」彼女は勝ち誇った。「我は高位の悪魔にして禁書の知識さえ得た。その程度の破魔なぞ、念じるだけで防げる!」


 奇しくもヒントを得た。

 さっきので倒せていれば万々歳だが、叶わなかった場合に試す意味もあった。

 おそらく、ここでは魔法の行使に段階があるのだ。アガリアレプトの言うように念じただけでも発動はできる。元世界で救世主とされたイエス・キリストも、特別な儀式や呪文を用いずに奇跡を起こしたという。

 あの世界の魔法が通用し自分が救世主扱いされるなら、それができるのかもしれない。そして、正式で複雑な手順があるものは手間を掛けるほど威力が増していくようだ。身振りを加えるのも有効だろう。

 なにも中二病的な所作ではない。何かに見立てた動作で現実に魔法的効果をもたらすのは、社会人類学者ジェームズ・フレイザーも述べた類感るいかん魔術の基本だ。誰かに見立てた人形を傷つけることで本人にダメージを与える呪いなどが典型である。


「ブエルは〝チラム〟、グシオンは〝ナコム〟、ボティスは〝チャック〟、各々の役割を演じよ!」

 アガリアレプトが呼称し、名指しされた三体の魔神が魔力を増す。


 どうやら、向こうも似た手法を試みている。


「アステカ文明の役職か」

 聖真はさらなる手掛かりを独白する。


 複雑な儀式をしている暇はない。せめて呪文は足すとして、アガリアレプトを倒し、状況を逆転させる魔法が必要だ。ならば、適切なものを選ぶのがいい。

 おそらく、彼女はアステカ神話にちなんだ術を発動している。正体を見極め、最も効果のあるもので対抗すべきだ。

 一気に国の命運を託されたようで、冷や汗塗れになりながら探る。


「〝第五の太陽の時代は終わった〟」

 女悪魔は歌い、聖真は言葉に縋る。


「――第五の? 太陽が誕生と消滅を繰り返すのがアステカ神話だけど……」

 太陽は多神教のこの神話においてうち一柱が姿を変えたもの、それが四度入れ替わった。たびに世界は滅び、新しい日輪と共に再生する。第五の時代は二一世紀初頭に終わる計算だったが、魔法がまやかしのような元世界では実現しなかった。


 待て。


 なら、ここなら実現するんじゃないか?

 古代アステカ文明では生贄の儀式が行われた。それは、神自身が己を捧げたのと同様。太陽の時代が終わって世が滅びることがないよう、人命を捧げて延命する意味を含んだ。さっきブエルとグシオンとボティスに与えられた役職名はそんな生贄の儀式に携わる者たちだ。とすれば――。


 外界から悲鳴が聞こえてくる。


 ……ここで死ぬ人々を生贄にしてるのか?!

 第五の時代が終わったことを想起させ、新たに生贄を要する太陽を生むとか?


 そうだ。

 アガリアレプトは魔神の一柱。柱という神の単位で数えられる、魔の神。アステカ神話の神々がそうしたように、


「わかったぞ」聖真は看破する。「おまえ自身が第六の太陽になって、世界を終わらせるわけか!」


 フクロウは、人の女のような妖艶な笑みを浮かべた。


「知ったところでどうにもなるまい」


 背景の暗雲を切り裂き、夜空から黒い陽光が接近してくる。同時にアガリアレプトも、似た怪光を放ちだす。

 大地が揺れだし、徐々に激しさを増していく。そこに、


 ぐ~っ


 気の抜けた腹の虫が鳴くのが聖真には聞こえた。

「こ、こんなときに腹減った。……いや」


 彼は知っていた。

 第五の太陽が滅びるとき、地震と飢餓によって世界は終わるのだ。それが現実化し始めたということだろう。たぶん。でなきゃ間抜け過ぎる。


 ともあれ、生半可なものじゃだめだ。相手は太陽を墜落させ、自身が新たな太陽となり、地震と飢餓によって終焉を導くトンデモ魔術だ。

 なんだ、なにがある。対抗できそうなものは――。


 聖真は、次席六魔神の一柱へと両手を翳し、唱えた。

「……〝あめ香具山かぐやまの枝葉のよく茂ったサカキに 八咫鏡ヤタノカガミけた天児屋命アメノコヤネノミコト天照大御神アマテラスオオミカミの徳を宣揚して お出ましを願う布刀祝詞ふとのりとを奏上したもうた〟」

 こじ開けるように、両腕を開く。

「〝天岩屋戸あまのいわやと〟!!」


 アガリアレプト及び、彼女に従属する十八魔属官ブエルとグシオンとボティス、それらが率いる第二魔軍の群れ。もろもろの背景となっていた暗雲が真っ二つに裂けた。

 狭間を埋めつくすように、巨大な岩肌が現れたのだ。そいつはさらに真中から開きだし、内部の深淵を露わにしていく。


「太陽たる我を、幽閉するつもり!?」


 そう、日本神話において太陽神たる天照大神アマテラスオオミカミが隠れたため世に暗闇がもたらされたという洞窟。伝説の〝場所〟を召喚したのだ。

 自分でも無茶な気がしたが、対抗できるものとしてとっさに思い付いたのがそれだった。

 そんな魔術なんて元世界にもない。祝詞の由来を伝える『古事記』の文言をいじったが、成功したようだ。


「もう遅いわ! 神等階梯大禁呪法だいきんじゅほう!!」

 アガリアレプトは、地上を押しつぶすように両翼を振り下ろした。


「〝第五太陽失墜トナティウ=第六太陽昇天ナナワツィン〟!!」


 新旧二つの太陽が、地上を焼き滅ぼさんと炸裂する。


 確かに、遅かった。

 彼女の背後に岩戸を開けたのだ。場所なので、別に動きもしない。墜落してくるアガリアレプトには無意味だ。

 ――が、聖真はしゃがんだ。


 大理石の床に両手を置き、なお、詠唱する。

「〝見よ 青白き馬が出でる 乗るものは『死』 彼と共に 地の四分の一を支配し 剣と飢饉と獣らとによって 殺める権威を授与され付き従いし者〟」

 なにも、対策が一つだなどとは言ってない。

「出でよ〝ハデス〟!!」


 同時。

 床面が割れた。亀裂は図書館内の隅から隅にまで到り、大規模な地割れが発生。

 奥底より、黙示録の四騎士のうち死を乗せし蒼ざめた馬が浮上。三頭の黒馬と共に、四頭立てとなって黄金の馬車を牽いていた。

 車内では、青白く厳つい顔貌の金銀財宝で着飾った逞しい初老が手綱を握っている。


 世界中の神話には似通ったエピソードが語られているものもある。

 ギリシャ神話において冥界神ハデスは、穀物の女神ペルセポネを妃として冥府にさらい、地上の植物が活力を失う冬の時期を生み出したとされる。まるで、天照が岩戸に閉じこもったときのように。


「異教冥王神ハデス!?」

 アガリアレプトが驚愕に目を見開いて叫ぶ。

「――いいえ! 無駄よぉおーーっ!!」

 即座に覚悟を取り戻し、彼女は完全な太陽となって突進した。


 ハデスは迎え撃つように飛翔。

 両者の激突。


 聖真からハデス、アガリアレプト、墜落する古い太陽、裂けた雲、開口した岩戸。

 それらを、黒と白の光の奔流が呑む。

 光彩はあまねくものを吹き飛ばし、一帯を覆いつくし、


 全ては、見えなくなった。

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