第11章 魔神と魔物の急襲にウンザリ

「ア、アガリアレプトって、あの! 十二魔神階級の実質二位!!」

 絶望的な声色で、最初に言及したのは護衛兵だった。

「六柱しかいない魔帝親衛隊まていしんえいたい次席上級じせきじょうきゅう六魔神ろくまじんの一角!」

 次いで、図書館員が戦慄する。

「だ、だとしたら王女都まで侵入できるかもしれないけど。そんな!!」


 西アンタークティカ半島に出現した悪魔の幹部以上は、十二階級に分けられていた。上から、


 帝王

 王

 大君主

 君主

 大候爵

 候爵

 大公爵

 公爵

 大伯爵

 伯爵

 大総裁

 総裁


 である。さらに、ディアボロス魔帝国を築くに当たって、帝王に属する三柱の大悪魔は、実質第二階級に属する王と同格の親衛隊次席六魔神を設けていた。

 アガリアレプトは、その司令官の地位にあるとして知られる。


「本物だ」

 怯える部下たちに、冷や汗を流しながら文部魔法大臣が明答した。

「若い頃、トランスアンタークティック山脈を挟んでの人類防衛線に参戦した際、目撃したことがある」


「これは失礼」言葉とは裏腹に、アガリアレプトは悪びれる様子など微塵もなく言う。「初対面でない方もおられましたか。脆弱な人間などよほどのことがない限り記憶していないので。どうにせよ、最期の邂逅には無意味ですが」


「どういうことだ?」


「言葉通りですよ。遠征隊の死体に化けて潜入し様子を窺っておりましたが、預言救世主がなしたことといえば魔神を使役した程度で本人はたいして脅威でなさそうだ。直接我が正体を暴いたのも大臣でしたしね。まあ、引き渡すには都合がいい。彼以外には死んでいただきます」


「――冗談じゃない」

 魔族と対峙するほぼ全員が戦慄する中。一人だけ急展開についていけずにいた聖真が、そこでやっと苦情を述べた。

「アガリアレプトに〝マートの天秤〟って、ヨーロッパの悪魔にエジプトの魔術かよ。また勝手にご都合主義的魔術合戦始めるのか、勘弁してくれ!」


 途端だった。

 図書館奥にあった本棚が一つ吹っ飛ぶ。真下の大理石の床は変化し、頑丈な鎖と錠前と呪符で何重にも封印された鋼鉄の扉となる。さらにそんな封は、片っ端から解体されて門を開き、地下への階段を露呈した。


 図書館員や兵士や大臣のみならず、聖真と悪魔までもが唖然としてそちらを向き時を止めた。


 やがて文部魔法大臣が、震え声で囁く。

「も、もしや〝マートの天秤〟と口にしただけで。禁書地獄室が開放された……」


 図書館員もざわめく。

「あ、ありえない。特別階梯の封印なのに」


 しばし、沈黙が場を支配した。


「――前言撤回!!」

 打ち破るように、突如アガリアレプトが叫んだ。美しいフクロウの顔は歪み、明らかに焦っている。

「貴様は危険らしいな預言救世主! 人との取引なぞ二の次だ。魔帝たちのためにも、確実に屠っておかねばならん!!」


 ドーム状の建物を囲うように並ぶ窓ガラスが全部砕けた。破片と共に、外界から無数の稲妻が侵入する。

 襲い来る電撃の蛇へ、大臣と図書館員たちが手のひらを翳していっせいに唱えた。

「〝アブラカタブラ〟!!」


 図書館員たちは魔術書に携わる性質上、記された術に精通する精鋭でもあった。

 かくして、雷は人間たちの前に展開した不可視の障壁に弾かれ、四方八方に飛び散る。

 同時。護衛兵たちは剣を抜いてアガリアレプトに斬りかかり、文部魔法大臣も攻撃魔法の詠唱を始めた。


「我に従え、〝エレーロギャップ〟!!」

 すかさず、悪魔は追い討ちを掛ける。彼女が配下に置く水を司る精霊の名だ。


 お次は雨水が束となって割れ窓から雪崩れ込み、怒涛の勢いで図書館を物理的に満たしだす。魔法では防げず、たちまち一階が浸水した。

 そこに気を取られた二階の人員は、圧縮されて高圧となった水流に切り刻まれて倒れる。

 兵たちは聖真を護るために一階にいたし、図書館員たちも預言救世主を一目見ようと一階から二階までに集まっていた。即ち一個小隊並みの戦力、百人ほどが全滅だった。


 アガリアレプトだけが、フクロウの翼で天井付近まで浮遊し、そんな様を俯瞰する。

「我は〝秘密〟を司る悪魔、あらゆる謎の解明は最も得意とする業」彼女は忌々しげに呟く。「だのに、こちらを上回る威力のマーレの天秤を使うなぞ屈辱極まる。同じく我が統べる水の魔術で死ぬがいい!!」


「〝ABRAアブラ……CADABRAカタブラ〟」


 誰かが、水中で苦しげながら口ずさんだ。


 途端、図書館一階を水没させて渦巻いていたものが一滴残らず窓から外へ去る。濡れた本さえ水分を蒸発させ、表の豪雨までもが止まった。

 棚と本が散らかり人々が倒れる一階で、一人だけがひっくり返ったテーブルの脚を支えに立っていた。


「な、なるほどな……ゲホゲホ」

 アガリアレプトを仰いで咳き込んだのは、溺れかけながらも唱えた聖真だった。

「ヘブライ伝来の魔除けの呪文も、実際に効果があるわけだ。仕組みは未だに疑問だが、水中じゃまだしゃべれるんだぜ」


 渾身の一撃を無効化され、中空のフクロウ人間は引きつった顔で単なる男子高校生を見下ろす。

「な、なんだというのだ。おまえは」


預言救世主オラクルメシア、とかいうらしい」

 答えて、聖真は空の標的に身構えた。


 異世界に来たからといって、特段強くなった感はない。周りが勝手に褒めるだけで、さっきだって溺死しかけた。

 だが、自分の知識にある魔術が実現し、しかも現実の伝承以上に威力も増しているらしいなら、これほどの武器はない。


「なめるな!」

 もっとも、アガリアレプトも引き下がらなかった。

「我は〝秘密〟を司り、操り、暴露もできるのだ。だからこそ国の機密を暴くべく潜入を任された。襲撃の場をここと決めたのにも理由がある!」


 彼女は鍵杖を掲げる。

 呼応するように、図書館中の本棚から書物が抜き出されて竜巻のごとく宙を漂いだす。地下室からも、禍々しい装丁の禁書たちが溢れだしていた。


「地獄室を開放してくれて手間が省けたわ。禁呪を含めた国最大の魔術宝庫である図書館から、あらゆる知識を瞬時に読み解けるのだからな。活用し、扱える最上のもので滅してくれる!」


 そして暗雲を仰視し、抱えていた本を開いて詠唱したのだった。

「悪魔ブエル同じくグシオン同じくボティス、及び第二魔軍全軍を、黎明魔王ルキフェルの御名において呼び出すなり!!」



 外では、アガリアレプトが呼び寄せた暗雲に街と同等の大きさの不気味な魔法陣がほの暗い光で描かれていた。

 すでに騒ぎを聞きつけて図書館に集まりつつあった王女都守護騎士団も、思わず立ち止まって見上げてしまう。


 まもなく、黒雲から無数の影が現れた。

 夥しい数の悪魔たちだ。

 ほとんどが、コウモリの翼と二足歩行する山羊の肉体を有する悪魔兵デーモンからなる群れ。特別な容姿や名前を得るほどの力量のない、一般的な魔族に与えられる名と姿だ。


 さらに、それらを先導するように顕現したのは高貴な身なりの大悪魔たち。次席上級六魔神の下につく下位十八魔属官まぞくかんである、ブエル、グシオン、ボティスだった。


「計画と異なるが、アガリアレプト司令のご命令だ。相応の哲学と論理があっての策であろう」

 ライオンの頭部より車輪のように生えた五本のヤギの脚からなる異形、星辰せいしん総統ブエルが言った。十二魔神階級の十一位大総裁で、ソロモン七二柱では五〇の悪霊軍団を率いる序列十番の長官だ。


「果たして、そうだろうか。この地の過去も未来も見通せぬが」

 次いで開口したのは地獄公グシオン。

 厳つい男の顔を持ち、体格のいい猿の肉体を有している。十二魔神階級の八位、ソロモン七二柱では四〇の悪霊軍団を率いる序列十一番の公爵だ。


「だが」最後に言及したのは酷悪伯ボティスだった。「未来は切り開けばよい。第二魔軍全軍をもって我らに勝利をお与えになるのが、この戦いの調停だと閣下はご判断なされたのだろう」

 彼は鋭い剣を持ち、大きな牙と二本の角を生やした厳つい人物。魔神階級で十位、七二柱では六〇の悪霊軍団を率いる序列十七番の総裁にして伯爵である。


 いずれも、聖真の知識にある名前ばかりだった。かなりの大物たちだ。

 しかし三体ともアガリアレプトの配下、上に立つ司令官が単なる男子高校生に驚いているなら、勝算があるかもしれない。


 ちらと高校生は横目で確認する。


 文部魔法大臣は重傷で気絶しているようだ。兵士や図書館員も同様で死者さえいそうだった。誰しもが横たわって身動きしない。


 ――自分がやるしかない。


 逃亡先のヒントが欲しくて来たはずなのに、不思議なものだった。無論、逃げ場がなさそうなせいでもある。でも


「こんな状況、ほっとけるわけねぇな」


 自嘲してしまう聖真だった。

 そういえば中学の頃に魔術趣味がバレてドン引きされたのは、オタクがいなかった当時のクラスでディープながら彼に比べれば一般的なオタクであるが故にいじめられたクラスメイトを庇い、こっちはもっと変だぞとアピールしたからだった。

 バカらしい方法だったが強くも賢くもないのでそんなことしかできず、結果的にいじめはなくなった。

 案外、お人好しなのかもな。と、嫌な過去にすら懐かしさを覚える。


 他方、アガリアレプトから放たれた魔力は、図書館の二階から上を根こそぎ吹き飛ばした。粉々に砕けた破片は、抜き出された本たちもろとも渦巻くように方々へ散る。

 ブエル、グシオン、ボティスが館内からも辛うじて視認できた。

 彼らが率いる一五〇の悪霊軍団。約百万の魔族たちが暗雲から続々と降下し、首都を襲おうとしている。


「て、敵襲!!」

 あまりの天変地異に蒼惶そうこうとして対応しかねていた王女都守護騎士団が、ようやく我に返って檄を飛ばした。

「全軍、上空より迫る魔帝国軍を迎撃せよ! 総攻撃だ!!」


 弓と魔法が地上の人間たちから天上へと放たれ、天の悪魔たちは同じものを地へと返す。加えて魔族たちは最下級の者さえ使える基本的な飛び道具、黒い霧のようで人類に有害な魔界の空気〝瘴気しょうき〟も口や手足から放つ。


 たちまち、数百もの死傷者が双方にもたらされた。


 王女都側も砲撃まで開始しいくらかの効果を発揮したが、ドラゴンやペガサスに乗って戦う飛竜士ひりゅうし天馬士てんましは飛び立つ準備をする間もなかった。主戦力たる〝円卓の騎士団〟も女帝国からの宣戦布告を受けて会議室に集まっており、対応が遅れていた。


 隙に、大多数の魔物は急降下し騎士団との地上白兵戦に突入する。市民を巻き込みながら、戦線は拡大していった。

 瞬く間に、両軍及び非戦闘員を含めた死傷者は数千人を超えていく。

 街自体もあちこちで建物が崩壊、炎上しだしていた。

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