第13話 嵐は止んだ
***
「オジェ兄貴!!」
ナポレオンは雨の代わりに空から降ってきた一人の男に駆け寄る。
男の名はオジェ・ダノワール。フランク王国ダノワール海軍の総司令官であり、ナポレオンの兄に当たる人物だ。
彼は戦場にすら出ない、後方からの策の展開を任されている人物のはずだった。
しかし今いるこの場所はドーヴァー海峡のど真ん中。
本来であれば居るはずのない場所。
そのことが気になったナポレオンはオジェのもとに駆け寄ったのだ。
しかしその足はすぐに止まる。
オジェ・ダノワールは口元をマスクで覆っている。それは、常に三日月のような形を描いてニヤッと笑っているのを隠すためだ。
それを今見せている。これはオジェが怒っているか、何か物申したいことがあるときのサインだ。
「ナポ、レオン。キミは一体何をしてたンダイ?」
「何を……?それはもちろん、あのシントウの少年と戦って」
「チガウ!オマエはあの少年の攻撃を受けて『時止めの腕時計』を吹っ飛ばされた時、反撃するでなくその腕時計を優先したネって言ってるんだヨぉ!!」
その一言に、ナポレオンはハッとなった。
「ソウ!その腕時計は我がフランク王国の魔法派閥と工業派閥の数少ない共同開発物であり、最高傑作ッ。オマケにオマエの戦い方はこれに頼る事が多い。あぁ焦る、焦るヨォ。オジェだってそうなったら焦るだろう、デモナァ!?」
オジェはナポレオンの胸元をガッと掴んだ。
彼は苦痛に顔を歪めながらも、兄の視線から目を逸らそうとしない。
「眼の前まで敵がキテんだ。しかも腕時計の秘密にまで気が付く冴えたヤローだ。だったら装備よりも敵から目を逸らすナ!!誰よりも貪欲に、勝利を目指せ!!」
「あぁ……すまなかった兄貴!!ナポレオン反省!!」
「ヨロシイ、愛してるゾ我が弟よ!!オマエは皇帝になれる才能も器も兼ね備えているが完璧じゃあない。こういった小さな反省から、完璧を目指すんだヨォ」
オジェは乱れたナポレオンの服装を整える。
そして自分もマスクを元の位置にまで戻した。
オジェはナポレオンのことがとても大好きだ。皇帝になりたいという、聞き方によってはクーデターを望んでいるとも取れる彼の願いを、オジェは前向きに応援している。
だからこそナポレオンが負ける姿を人一倍見たくないと思っている彼は、こうして怒るのだ。
オジェは張り詰めたような表情で口を開いた。
「さてナポレオン、突然だが撤退するヨォ」
「撤退?」
「アァ、どうやら向こうには優れた作戦参謀がいるみたいダ。奇襲作戦として動かしていた部隊が壊滅したと報告を受けた。こちらの動きは筒抜けだったみたいダヨ」
この部隊とは、戦争開戦と同時に海流に乗ってブリタニアの西側から攻め入ろうとした部隊である。
向こうからすればありえない場所への攻撃、だがそこではランスロットが待っていたかのように防衛に回っていた。
ランスロットが防衛をしている情報は持っていたが、それを踏まえて慎重に行動した作戦だった。
だがブリタニアの参謀、この場合、ジークフリートはそれすらも読んでいた。
タイミング、敵の規模、最低限の目的。
すべてを予測した上、情報共有を怠らなかった。
奇襲作戦が失敗したのは必然と言えるだろう。
「なら俺様が前に出よう!!なに、主砲と火薬庫は爆破されたがそれでも我が名技は最強だ!!急いで修理するなり副砲で攻めるなり――」
「この船内に侵入者がいるとしてもカ?」
「侵入者っ!?」
「頭から角の生えた女だ、ジャンヌが戦いに行ったが果たして勝てるかどうか。だから撤退だ、これ以上はいたずらに兵力を削るだけダヨ」
その前に、とオジェはナポレオンの持っていた銃を手に取った。
そして銃弾の行く先を定めた。
その方向にいるのは、気絶しているアイシェンだ。
「イイかナポレオン、徹底的だヨ、ヤるときは徹底的にヤるんだ。確実に死んだとわかるまで、ピクリとも動かなくなるまで徹底的にダ」
「とどめさすのかよ!あいつはブリタニア人じゃ……あぁでも、うーん……クソッ、なら俺が」
「ダメだナポレオン、オマエは甘い。一度戦った相手を友のように感じてしまうようじゃダメダメダ。だからオジェがヤる。ヤるからには徹底的に、そして確実にダ!」
ダンッ、とオジェは撃った。
それはまっすぐアイシェンの脳天に向かって飛んでいき、血しぶきを撒き散らす、そう思われていた。
だがここで思わぬ展開になる。
何故かその銃弾は明後日の方向に飛んでいった。
ナポレオンも含め、何が起きたかわからない。続いて三発、アイシェンの頭に向かって撃った。
しかしそれも何処かへ飛んでいき、うち一発は甲板へ滑るように流れた。
ここでオジェは背中に何か冷たいものが走った。
自分が背中を向けているのはブリタニア本土。そこには何かがいる。その何かは、「その男を殺すな、お前が殺されたくなければな」と言っているようだった。
確証はない。だが、アイシェンは何かに守られていることは明白だった。
「それでも、怖くてやめますなんて言わないヨォ」
ヅカヅカとアイシェンに近付き、額にぐりりと銃口を突きつける。
これで外れるなんてことは起きないはずだ。
ヤるからには徹底的に。
オジェが引き金を引こうとしたその瞬間、海が一瞬にして凍りついた。
一気に下がる周囲の気温。
海から伸びてきた氷は、オジェの持っていたナポレオンの銃を掴むと、一瞬で氷漬けにした。
間一髪オジェはかわしたが、銃は砕かれた氷とともに粉砕された。
「まさか、このタイミングで来るなんてネェ……」
ナポレオンの戦艦によじ登ってきた人影が見えてくる。
オジェはゆっくりと剣を抜いたが、いま頭の中では、どうやって逃げるかばかり考えている。
それもそのはず、海を凍らせ、ブリタニア本土から素早くここまで辿り着けるのは一人しかいない。
ブリタニア円卓騎士団長最年少であり、最強との呼び声も高い少女。
無垢の騎士ガラハッド、満を持して登場である。
***
「――ガラハッド……」
「ふっ」
オジェが状況を把握してしまう前にガラハッドは攻撃をする。
光のように早い速攻攻撃。瞬時に
意表をついた攻撃ではあったが、オジェもナポレオンも真正面からの攻撃が簡単に当たるわけもなく、難なくかわされる。
ここで、オジェは自分の剣を抜いた。
切っ先が欠け、突きによる攻撃が不可能な両刃の片手剣、その名は『コルタン』、短いという意味を込められた剣である。
オジェはこの剣を構え、ガラハッドの方へ駆け出した。
ガラハッドの氷を操る能力は汎用性が高く、元々の戦闘センスの高い彼女が扱うことで無敵の能力となる。
だがそんな能力にも弱点はある。それは寒いことだ。
魔族はヒューマンよりも身体は強い。しかし、寒さや暑さに弱いのには変わらない。
だからこそガラハッドの能力は、自分を苦しめる技にもなるのだ。自分の近くにはあまり氷を出現させれない。仮に出すとしても速攻で勝負を決めるときか、ブリタニア・コロセウムのときのようなエキシビションのときだけだ。
その弱点を即座に見抜き、あえて接近戦を仕掛けたオジェの行動は正しい。ただ一つ誤算があるとすれば、相手がガラハッドであったことだ。
「まさか、それだけでボクを倒せるとでも?」
眼前に差し出すは左腕に備えた円形の盾。ガラハッドは振り下ろされるオジェの一撃を難なく防いだ。
それだけではない。剣を腰から抜きながら横一文字に斬りかかる。当然かわされる、予測の容易い攻撃。だが、オジェに斬りかかる直前、その刀身が伸びた。
オジェが気付いたときにはもう遅い。腰から上下に真っ二つにされる未来さえ見えた。
しかしそこにオジェの名を挙げながら助太刀に入る人物。
ナポレオンが右手に持った剣でガラハッドの剣を押さえた。すかさず左手に持った新しい銃でガラハッドを狙う。
咄嗟に彼女はオジェとナポレオンを蹴飛ばし、詰めていた距離を離した。
飛ばされながらもオジェはその手に持つ切っ先をガラハッド、厳密に言えばその後ろで寝ているアイシェンに向けた。
そう、オジェのこの剣が特徴的な形をしているのには理由がある。仕込み銃の存在だ。
持ち手に付けたスイッチを押すことで、切っ先から発射される。剣とは接近戦でしか使えないという考えを逆手に取った戦法。装弾数一発の、文字通り一発勝負の凶弾が無防備なアイシェンを襲う。
そこでガラハッドは左腕の盾を投げた。
すると先程まで直径30センチほどしかなかった盾が、まるでテントのような形に変形し、アイシェンを守った。
「伸縮自在の剣と盾……一度は見たいと思ってたけど、実際に相手にすると手がつけられないネェ……」
「褒めてくれて
「こっわ!!兄貴、あの女すっげぇこえぇぞ!めちゃくちゃいい笑顔であんな事言いやがる、ジャンヌと思想が合えば仲良くなれそうな女だよ惜しいなぁ!!」
言葉ではお調子者のように言うナポレオンだが、内心めちゃくちゃテンパっていた。
氷という汎用性も殺傷能力も高い能力、伸縮自在の剣と盾という接近戦に強い武器、そして不意打ちのダノワール兄弟の銃を防ぎ切る戦闘センス。
遥かに自分たちより強い。
ここでナポレオンはもう一つ、あることに気付いた。
「兄貴、おかしいぜ。氷が溶けねぇ」
「溶けなイィ?どぉゆぅことダ?そんなのよくあるダロ」
「いや、凍らされたときからこの船のエンジンの熱を使って解凍を試してんだ。それでも溶けねぇどころか氷はもっと俺様の船を侵食してやがる」
ということは、とオジェは結論を導き出す。
「そうだ兄貴、恐らく名技の核が破壊された。もうエンジンには熱もクソもねぇ……」
「………チッ」
オジェはガラハッドと真正面から向き合う。
そこには戦闘の意志など残されていない。元々撤退を考えていたが、決意は固まった。
「ここまでだネェ、ダノワール海軍は撤退する。無垢の騎士よ、見逃してほしいヨぉ」
「い、やだ。ここで終わらせる。二人は強いし、ここで逃しても戦力を削ったとは言えない。防衛は……成功してるけどね」
彼女のまぶたがほんの一瞬だけ、とろんとまどろんだ。
「――Purity ice騎士団団長、無垢の騎士ガラハッド。伸縮自在の剣と盾を使った接近戦と、氷を用いた戦術で150歳、ヒューマン年齢で言えば若干15歳の最年少で円卓騎士団長に抜擢された、あの最強の騎士とも謳われていた、ランスロット・ヴァンの実の娘でもある。おっと、不義の子だったか」
「…………喧嘩なら、いくらでも買うよ」
「その娘も最強と謳われるが、そんなオマエには決定的な弱点がある。それは、一日4時間しか起きていられないという致命的なもの。今日動けるのはあと何時間ダ?3時間?それとも1時間?なんにせよ、もう時間はないんダロウ?」
ガラハッドはわかりやすく歯を食いしばった。
このときのために何時間も寝ていたが、作戦の会議、拠点の移動、本来は寝ているはずだった時間に撃たれたナポレオンの砲撃など、起きていなければいけない時間が多かった。
あと動けるのは、30分あるかないか。
多いように感じるが、タイムリミットが迫るに連れて眠気も強くなる。実質あと10分が限度だ。
「兄貴、もう崩れるぜ」
「撤退しろヨ。今回の戦争、勝ちは譲ってヤル」
「……なら、ボクから二つ、良いかな」
オジェはコクリと頷いた。
「一つはボクらの王からの伝言。『次はクレシーだ』とのことだ、よ」
クレシーとはフランクの海に近い都市の一つ。もしこの戦いで制海権が取れなかったら、次の戦場となると予想されていたところだ。
いや、もうこれは確定的と言えるだろう。
「ソウカ……まぁ、覚悟の上だヨ、もう一つは?」
「これはボクから。こんな眠気くらいで、ボクから逃げられると、思うなぁッ!!」
ガラハッドは空気中の水蒸気を凍らせた。
それを更につららの形に変え、オジェとナポレオンに向けて飛ばした。
「ナポレオンっ!」「おうっ!」
オジェの一声でナポレオンは名技を解除した。
今まで姿を保たせていたのは、ナポレオンのなけなしの魔力を込めていたから。
核がなくなったことで、その消費量も半端じゃない。
海に全員落下する。当然船内にいたファフニールやジャンヌもだ。
逃さない、その一心でガラハッドは海の氷漬けを試みる。
その時、海が大きく荒れた。
突如として収まっていたはずの大雨。それが、降りだしたのだ。
「これがオジェの名技
マスクで顔は見えないが、恐らくニヤリとした笑みで彼は言う。
「キミみたいな強いやつから逃げるには、絶好の能力ダヨォ」
「くっ、逃がさない!!」
海をもう一度凍らせてオジェを捕まえようとするガラハッド。
しかし激しく動く海を、泳ぎながら集中力が必要な魔力操作をするのはほぼ不可能だ。それどころか彼らはいつの間にか救援に来ていたフランクの船に乗り、撤退を開始している。
どうやってか、ナポレオンの船の中にいたジャンヌも救い出している。周囲を見渡すと、フランク海軍は迅速な撤退行動を開始。これは追いつけない。
「おいガラハッドだったか!アイシェンの姿が見えない、沈んだのかもしれない。先にあの男の救出が先決だ!!」
「………うん、わかった」
深追いはできない、味方の救出を優先。この二つの考えにガラハッドが辿り着いたのは、そう遅い話ではない。
二人はアイシェンを探し海中に潜った。
ガラハッドが氷を使いすぎたせいか、海はかなり冷たい。
アイシェンはすぐに見つけた。それは、彼の身体から流れる血を辿ることができたからである。
彼が落下したとき、どうやら海面の氷に身体を傷つけてしまったようだ。未だ目覚めない当たり、頭の打ち所もかなり悪いのかもしれない。
ガラハッドとファフニールは、迅速にアイシェンを救出した。そしてファフニールが背負い、近くのブリタニアの船に乗り込む。
すでにフランクは撤退を完了していた。
この戦いは、ガラハッドの心のなかにモヤモヤとした何かを残している。だがそれもすぐに忘れ、自分の身の世話を近くの者に任せると、彼女は倒れるように寝入ってしまった。
***
ドーヴァー海戦開始時
フランク海軍 使用船数約40隻 総人数約1000人
ブリタニア海軍 使用船数約50隻 総人数約1300人
ドーヴァー海戦集結時
フランク海軍 損害船数15隻 死者数約260人
ブリタニア海軍 損害船数19隻 死者数約380人
数字を見れば、被害が大きいのはブリタニアだ。
だが、百年戦争を終結に導くために行われた最初の戦争。フランクを撤退させた。
ドーヴァー海峡の制海権は、ブリタニアが手に入れた。
ドーヴァー海戦 ブリタニア勝利
次回 フランク本土侵攻
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