第18話 弓兵の誇り②

 木の上を忍者のように飛び回る二人がいた。

 一方は五本の弦のついた弓を相手に向け、弓を引くというよりも弦鳴楽器を奏でるかのような優雅さで矢を放つ。それぞれの弦から一本ずつと思われがちだが、二本か三本の弦に掛けて射つことで威力と速さを上げている。

 もう一方はその攻撃をかわしながら弦が一本しか付いていない弓で矢を放っていた。しかしこちらは弦が一本しかないにも関わらず、瞬きの間に七本の矢を放っている。一本の矢を射てば何本にも増殖させる、一般人からしたら名技のようだが、彼女にとってこれは出来て当たり前の技術であり、名技ではない。

 向かい合うと互いのロングヘアーが同じ方向に揺れる。

 そして自らの武器を引き相手を狙い射つ。

 その同じ流れを、サンとトリスタンは繰り返していた。

 二人はまた止まり、トリスタンは考える。


(フェイルノートは空気を固めて風をまとわせ、目には見えない猛スピードの矢を放つ武器。にも関わらず、見えているとしか思えない精度でかわし、掴んでいる。だったら名技で片を付けるべきか)


 同刻、サンも考える。


(このままでは埒が明かない。こうなったら私の名技で一気に決めるべきでしょうか……。いや、私の名技はアイシェンさんの協力が不可欠。だったら、私は戦い方を変えるとしましょうか)


 二人は向かい合ったまま待つ。

 次にどちらかが動けば、その時決着がつく。それは本能で察していた。

 一秒経過。二秒経過。たった一秒の時間も、永遠のように長く感じられた。

 そしてその時。

 ピチャリ。と。雫が落ちた――


「『奏でよ、女神の旋律フェイルノート・ストラトス』!!」


 一瞬のうちに無数の矢がサンを包囲する。本来は見えないはずの矢がはっきりと視覚できるほど、多くの矢がサンを取り囲んでいた。

 フェイルノート・ストラトス。貫通能力に長けた鋭い矢を敵の周囲に出現させ相手を蜂の巣にするという、至ってシンプルな名技である。

 しかしこの技の恐ろしいところは、この矢の包囲網はという点にある。その包囲網から抜けると最後、取り囲んでいた矢に死ぬまで追跡される。ムクドリの大群のような矢が、一斉に敵に向かって飛んでいくのだ。

 それだけではなく、この矢の通った道にはしばらくの間風が吹く。その風はあらゆるものを切り刻む。例えるなら目には見えない鋭利なピアノ線を張られるのだ。

 この技を受けまいとすればするほど、敵は自分の首を絞めてしまう。それが彼の名技、『奏でよ、女神の旋律フェイルノート・ストラトス』である。

 本来これは常時発動型名技に分類されるが、トリスタンは敵味方(自分でさえも)関係なく攻撃するこの名技を危険に思い、封印していた。


「これは……少し厄介ですね」


 サンは当然のように矢の包囲網を抜けていた。

 あの矢の通った部分はほんの少しだけ風が吹いていた。

 そしてその事を気にも留めぬまま彼に近付こうと歩みを進めると、彼女の手の指が一本、スパッと切り飛ばされた。

 この技の本質は、矢が通った後に残る鋭利な風だ。サンはその事に気づいて恐ろしくなり、急いでその場から離れた。

 しかしサンを包囲していた矢が自分を追ってきていることにも気付き、やむを得ずトリスタンから距離を取る。

 多少はトリスタンも追跡する矢を操作できるようで、確実に彼からサンが遠ざかるように矢は飛んでいる。

 サンの動きについてトリスタンは考えた。その場から離れる速さが尋常ではない。


(逃げ足が速い、という言葉では収まらないほどの速さだ……あっさりと見失った。さてはさっきまでのおいかけっこは演技だったな)


 トリスタンは弓使いの特性上、目には円卓騎士団の中でも特別自信があった。地面を這うゴキブリや大空を駆けるハヤブサも、彼はその目と矢で捕らえることが出来た。

 そんな彼が見失った。180キロ以上の速さで移動しない限りは不可能な芸当だ。

 サンを追おうとその場で立ち上がると、左耳に激痛が走った。

 トリスタンの名技によって現れた風に切られてしまった。幸い、サンの指と違ってかすり傷程度で済んでいる。

 自分の名技が自分の周りを飛ばないよう気を付けていたつもりだったが、サンを追うのに必死でミスを犯していたらしい。

 ――こうなってはこちらも動けない。

 どちらにせよ、サンも直接近づかなければ攻撃は出来ない。ならば向こうから出てくるまで待とう。トリスタンはそう思った。


 ***


「痛ったぁ……あんのやろぉスカした顔で私の指を。今に見てろぉ……」


 人が隠れきれるほど巨大な木の根元。

 切り飛ばされた右手の人差し指の止血をしながらサンは悪態をつく。

 切られた指はすぐに見つけられたが、治療魔術や医療などに詳しくないサンではくっつけることなど不可能で、自分の服を一部切って、傷口に応急処置を施すことしか出来なかった。

 サンの利き手は右である。しかも人差し指は弓矢の使用方法上、重要な指なのだ。だが弦を握るために力を入れる小指が無事だったのは幸いだ。


「弓を使うことはできそうですね。ですが……素直に狙わせてくれるでしょうか」


 そぉっと木の陰から顔を出す。

 トリスタンの矢が飛び回っているのは見えたが、彼自身の姿は見えなかった。

 あの矢は敵を追尾することは出来るが完全自動追跡型というわけではなく、トリスタンが敵の場所を認識してようやく攻撃として成り立つのかもしれない。

 ここで一つの疑問に気付く。

 なぜ、あの男はサンを探しに来ないのだろうか……?

 いや、もしかすると――。


「探しにのではなく、探しに?」


 一度落ち着いて、トリスタンの名技の動きを観察する。

 あの矢は縦横無尽に飛び回り、その都度にありとあらゆる物を切るあの風を起こしている。

 時々サンに近付いたときは静かにその場を離れ、風に気を付けながら別の木へ移動する。

 その間、風の中に落ちた木の葉や毛虫、試しに投げた石ころは、全てシュレッダーに投げ込まれたみたいに切り刻まれていた。

 あの風に入るものであれば無差別に切ってしまう。ということはつまり。


「あれは、切る対象を選べない?つまり、使用者のトリスタンでさえも、あの風に切られる危険性がある……?」


 自分の名技で自分を殺しかけるという話は、意外にもよくあるケースだ。

 もしこの考えがあっているのなら、彼がサンを探しに来ないことも説明がつく。

 ならばもし、彼に近付いて、彼を風の中に落とせたなら。


「私の勝ちは、確定……でもなぁ」


 サンはさっきの、トリスタンが話していた自分の誇りを思い出した。

 せめて、負けるときは勝者の武器で、その手で死にたい。彼はそう言っていた。

 サンは面倒くさそうに、頭の後ろをガリガリと掻くと、矢を一本取り出した。


「……同じ弓兵のよしみです。今回だけは、特別ですからね」


 ***


 トリスタンは待っていた。サンがしびれを切らして向こうから来ることを。

 例え彼女がどれだけ強くても、今の自分に近づくのは不可能だ。

 必死に突破方法を考えながら移動しているところを矢で射殺せば良い。


 そして待ち続けておよそ五分が経過。ついに彼女は現れる。

 しかし、先程までの彼女とは全く違う。サンの髪は腰の辺りにまで達するほど長かった。

 しかし今の彼女はどうだ。首の辺りまでしか無いではないか。

 ほんの少し見ない間に、彼女はイメチェンをしていた。これには流石のトリスタンも驚いたが、サンは特に気にしない様子で。


「さぁ、決着をつけましょうか」


 この風が吹く戦場を駆け出した――!!

(馬鹿なっ、確かに風の吹く場所はよく気を付けて進めば大体でも把握することは出来る。でも、今のあいつは猪みたいに突撃して来てる、自殺でもするつもりか……!?)

 いや、違う。

 サンは自分が走る方向に、自分の髪の毛をばらまいている。

 その髪がトリスタンの風で切られた場所と切られていない場所を瞬時に把握し、切られていない場所、つまりは風の吹いていない場所を的確に見つけ走っている。

 はっきり言って神業だ。こんな方法では大雑把にしか風の吹いている空間を把握できないし、仮に進むべき方向を見つけられてもその先に別の風が吹いているかもしれない。

 しかしサンは進む。時には判断を間違えかすり傷はつけるが、大きな失敗はない。

 サンとトリスタンの距離が残り20メートルまで来たところで、トリスタンはハッとなる。


「フェイルノート・ストラトスッ!!」


 急いでトリスタンは矢を呼び戻し、サンを追跡させる。

 矢が彼女を追っている間に、自分の周りも飛ばせよう。そうすれば、彼女を倒して名技を解除するまで動くことは出来なくなるが、風の防壁を作ることは出来る。

 ここで確実に倒さなければ、前には進めない。

 そう意気込んで、矢を戻したまでは良かった。

 気付いた時にはサンはどこかへ消えていた。

 どこへ言ったのかは気になるが、今はそれよりも自分の身の安全が最優先。トリスタンは自分の周りに矢を飛ばせ、風の防壁を作り出した。

 これでひとまずは安全、そう思っていた矢先。


「そうすると思いましたよ」


 サンの声が響く。その声が聞こえる場所はわからない。


「貴方の名技は確かに脅威です。しかし、それは貴方にとっても同じこと。こうしてトリスタンさんが自分を守るためにありとあらゆる物を切る風をまとうのも、私にとっては計算通りでしたよ」


 バッと顔を上げる。サンはトリスタンの頭上の木の上にいた。しかもいつの間にか、風の防壁の内側に!!


「さっきの私の指を切り飛ばされた件は反省し、相手の行動を読みながら確実に倒せる距離まで近づく。ここまで上手くいくとは思いませんでしたがね」

「……だが、ここでどうやってその弓を引く?ここは狭いし、少しでも間違えればその弓は壊れてしまう」

「ええ、ええ。わかっていますよ。だから――」


 サンは立っていた木から滑るように落ちる。そこを見逃さず、トリスタンはサンに向かって矢を向かわせた。

 しかし再び、空中でサンを見失ってしまった。

 今回は、すぐに見つけられた。今サンがいるのはトリスタンの目の前。

 弓を持つ彼女の左手が顔にぶつかってしまいそうなくらい近くまで、彼女は来ていたのだ!!


「――弓を使うならば、この防壁の中で一番広いで使うのべしっ!!」


 トリスタンが防ぐ暇なく、サンは彼の眉間を射った。

 彼は仰向けに倒れ込み、名技も解除された。

 髪を一部切り取り、眉間に刺さった矢を引っこ抜くと同時に彼の身体から光の結晶のようなものが放たれ、トリスタンの怪我は消えて無くなった。

 この勝負、完膚無きまでにサンの勝利である――!!


 ***


 倒れたときにぶつけた石のせいで痛む腰を無理やり起き上がらせる。

 心なしか、頭も痛い。具体的に言えば眉の間が痛い。

 自分はここで一体何をやっていたのだろうか。寝心地は最悪だが、不思議と野生に帰れた感じがして嫌いじゃなかったが。


「おや起きましたか、意外と早かったですね」


 目の前には肩まで伸びた髪を弄りながら屈み、トリスタンを上から覗き込むサンがいた。

 ――思い出した。

 自分はこの女性に負けたのだ。もしかしたらなんて言葉も通じない。

 完敗だった。自分の目では決して追いつけないほどの速さで移動し、風の防壁の内側に入り込む豪胆さと圧倒的な実力を持っている。

 それでいて恐らく、彼女は本気を出していない。勝てる戦いではなかったのだ。

 トリスタンは自嘲するように薄笑いを浮かべた。


「貴方が眠ってから一分か二分、私としても早くアイシェンさんを助けに向かいたいので丁度良かったです」

「…………………あっそ」

「しかしトリスタンさん、貴方もなかなか強かったですよ。あの名技は弱点だらけではありましたが、逆に言えばその弱点さえ克服すればあれは強力な能力となる。私の指を一本切ったことがその証拠、柄にもなく、本気を出そうかなって思っちゃいましたし」


 ということはやはり、あれは本気ではなかったということだろう。

 本気の彼女はいったい、どれだけの速さで移動するのか。


「……………………貴公には余裕があった。勝てる戦いじゃなかった」

「まさか。最初に私は貴方を見下していた。そこを狙えば、貴方が勝った可能性はありましたし、本気を出してないとは言っても四、五割くらいなら出しました」


 その言葉だけでもかなり報われている気がする。

 トリスタンは顔が見えないように笑った。


「……………………もう行くのか」

「えぇ、何というか嫌な予感がするんですよ。こちらの陣営に何かありましたかね?」


 何か、と言えばあるだろう。ガラハッドが早々に退場したのはトリスタンたちにとっては想定外だったが、それを上回る想定外が向こうの陣営に起きているはずだ。

 それを知る円卓騎士団陣営は全員、薄ら笑いを浮かべているだろう。


「それは見てからのお楽しみ、だ……。それより、すまなかった。フェイルノートの攻略のためとはいえ、女性の命とも言える髪を切らせるなんて……」

「それについては気にしないで下さい。すでに貴方の髪を一部切り取って、マーリンさんの『一度だけなら死ねる魔術』が解除されるとともに、髪も治るということは判明していますので」


 マーリンの魔術は、一度死ねばそれまで受けていたダメージや傷はすっかり治って生き返ることが出来るというものだ。

 自分で自分の髪を切ったときは治るかわからなかったが、トリスタンに掛けられた魔術が発動する直前に彼の髪を切って実験していた。

 結果、これも傷という認識になるようで、魔術が発動して傷が治れば髪も元に戻るようだ。

 恐らくこれは、一度死ねばわけではなく、一度死ねばということなのかもしれない。


「しかしトリスタンさんって、意外と紳士なんですね。私の髪について心配してくれるなんて」

「いやぶっちゃけ、髪長い女の子が大好きだからなんだけど」

「………………………はいぃ??」

「髪の長い女の子に拘束されて鞭打たれながら高笑いされたい、世の男をただのオスとしか見ていないお嬢様みたいにひどい扱いしてほしい。責められるだけじゃなくなんかこうヌルヌルした触手で辱められるのもいいかもしれないなぁ!」

「へ、変態です!!これ紳士じゃなかった、ただの変態です!!そんな妄想を、貴方は私で今やっちゃってるんですかぁ!?嫌だ!お嫁に行けない!!」

「何だって!?好みくらい選ぶ!!髪の長さは申し分ないけど、金髪でもう少し胸があったらどストライクだった!!」

「死ねっ!!なんかもう……死ねっ!!」


 今にも射ってしまいそうな勢いでサンは、弓矢をトリスタンの眉間に向けぎりぎりと引いた。

 冗談抜きで本当に殺してしまいそうなこの場面を収めたのは、敗退したトリスタンを迎えに来たマーリンだった。


「ちょ、ちょっと待ってサン君!気持ちはわかるけどもう魔術は解除されちゃってるから!次射ったら死んじゃうって!!」

「構いません!この乙女の敵!!」

「……………………美女に殺されるなら本望、か」

「トリスタン君も黙ってくれない!?と、とりあえずねサン君、後で殴る機会くらい与えてあげるからさ!今はアイシェン君達のところに行くのが事だとボクは思うよ!!」

「……はぁ、それもそうですね」


 ここでようやく、サンは弓をしまった。

 トリスタンも口元を隠し、戦う前の印象だった『寡黙の騎士』に戻る。

 今となっては、変態発言を控えるために口を隠してるとしか思えなくなってしまったが。


「はぁ……貴方のいう騎士の誇りを守らせるためにわざわざ面倒くさい方法とったの悔やまれますよ」

「……………………(それについてはありがとうと言いたげに首を振る)」


 サンは、はぁと溜め息を吐いた。彼が強くなりそうだと思ったのは事実だし、別にいいか。

 今はそれよりも。

 マーリンの魔術で帰ろうとするトリスタンに、サンは最後に尋ねた。


「トリスタンさん、最後にもう一つだけ。私の予想が正しければ私達の陣営には最初からがいた……違いますか?」

「……………………」


 トリスタンは口元のマフラーを下げ、ほんの少しだけ笑みを浮かべると、マーリンの魔術でこの場から去ってしまった。

 あの最後の顔が、サンの疑いが確信に変わるきっかけとなった。

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