第29話 アイシェンの名技
――事の発端は、ほんの二、三分前だった。
「……ほら、助けてくれた」
小麦粉をばらまき、銃を撃って粉塵爆発を起こそうと企んだアイシェン。
彼を庇うように覆い被さったトーマス。
アイシェンが持っていた銃は魔力銃、つまり火薬を一切使わない銃だ。
粉塵爆発は起きない。そのことはサンからすでに聞いていた。
「お前が本当に俺のことを、ただ世界に宣戦布告するための人材としか見ていないなら、自分の身を犠牲にしてまで守りに来るわけがない」
トーマスは静かに、アイシェンと目を合わせ続ける。
「……僕の名技は、このナイフを両手に一本ずつ持つことで身体を霧状に変化させる能力だ。この時誰かに触れていればその人も霧状になる。我が身を犠牲になんて大それたものじゃない。でも――」
祈りを捧げるように、トーマスは言った。
「――友達を失うのは、怖かったんだ」
ようやく聞けた一言。
飄々とした、その場しのぎの言葉なんかじゃない。心の底からアイシェンのことを、友達と思ってくれているトーマスの言葉。
するとトーマスは空気中を舞う小麦粉を、自身の名技を応用することでまとめると、部屋の隅に再びばらまかれないように静かに置いた。
「さて、と……それじゃあアイシェン君、今度は助けない、いいね」
「あぁ」
そして始まった第二ラウンド。
光よりも速く二人はナイフと刀をぶつけ合う。
その場にあるものを利用して。地形を最大限まで活用させて。
ロケットのように飛びかかるアイシェンの一撃をトーマスはかわし、すかさずアイシェンの顔目掛けてナイフを横一文字に振るう。
前髪がさらりと斬れた。
第二、第三の攻撃を全てかわしつつ、アイシェンも攻撃に回る。
全てギリギリ。互いの攻撃はかすり始めた。一滴ずつ、血が滴り始めた。
「ッ――!!」
足元の血に足をすくわれ、トーマスはバランスを崩した。
そこを狙う、アイシェンの一撃――!!
「シントウ流剣術 其の漆『居合』!!」
「『
右肩から左脇腹に向かって斬りつけた。
――峰打ち。
次の瞬間、トーマスはその場に倒れた。
***
「……ようやく終わったな」
アイシェンは言った。
目の前で寝息をたてながら横になるトーマスの顔は、清々しそうだった。
結局、アイシェンはトーマスを殺さなかった。友達だからというのもあるだろうが、それ以上に、自分に彼を罰する権利はないと考えたからだ。
彼らを裁くのは、恐らくブリタニアだ。
せめて更正の機会でも与えられないか、モルドレッドに掛け合ってみるのも良いだろう。
(それに、ランベス村でトーマスが俺たちに情報を提供してくれた。そのお礼だ)
アイシェンはトーマスに肩を貸し、下を目指して歩を進めた。
その時、ガラスの割れる音と共に銃声が鳴り響いた。
アイシェンの肩の上で、トーマスは頭から赤い液体を吹き出して脱力していく。
彼の頭を撃った弾丸は、魔力銃のではなく、火薬を使うタイプのもののだった。
「裏切り者め《You are Judas》」
先程までトーマスが眺めていた窓を割りながらそう呟いたのは、ホームズの姿を模し、オラトン、ランベスでアイシェンたちと戦った人物、ジェームズである。
しかし、アイシェンにはそんな事どうでも良かった。
いま目の前に起きていることに、理解をすることが出来なかったのだ。
「トー、マス……?」
望みを込めてアイシェンはその名を呼んだ。
そうしている間にも、トーマスは頭からその赤い何かを流し続け、痙攣も止まり、動かなくなった。
そこでようやく、彼が死んだのだと気づいた。
「あぁ、トーマス……トーマスゥッ!!」
「まさか友達などというヒュパティアを殺した民衆より劣るものを第一に考え、ワタクシの正体を手紙に書くとは……まぁ危険分子はもう排除した、それでいいだろう」
親友の目の前で泣きじゃくるアイシェンには目もくれず、裏切り者を排除したという事実に安堵していた。
「それにしてもうるさい。えっと、名前は何だったか……まぁいいか。そんなにその愚か者が大事ならば、すぐに同じところに連れて行ってやる」
そう言い放ち、ジェームズは弾丸をアイシェンの後頭部に三発撃った。
ドサッと音を立てて倒れるアイシェンを見て、満足げにジェームズは立ち去ろうとする。
その時だった。
ゆっくり、ゆっくりと、アイシェンは立ち上がった。
後頭部に打ち込んだ弾丸の痕も、消えて無くなっている。
「……どういうことだ?」
ジェームズは再び、弾丸を二発撃ち込んだ。
彼の持っているのはリボルバー式の銃。装弾数は六発。
すべての弾を使いきった。
「……ほう」
アイシェンはまた命中した。
しかし彼は倒れず、物凄い早さでジェームズの方へ向かってきた。
そして、ジェームズの心臓をその腕で貫いた――!!
「ッ!?」
「ガハッ……!貴様、何だその目は……!?」
目だけではなかった。アイシェンの身体には影とも形容し難い、黒い何かが纏わり付いていた。
さっきまでのアイシェンはお世辞にも優れて強いとは言えなかった。
やっていることは全てサンから教えられたこと、誰かがやっていたことであり、アイシェンはその二番煎じでしかなかった。
しかし今は違う。
どこの流派にも属さない攻撃。
ジェームズもその攻撃には反応も出来ずに、心臓を貫かれた。
いや、この言葉には語弊がある。
彼には、心臓がなかった。
「生憎、命なんてものはとっくの昔に捨てた!!」
ジェームズはそう言って、装填をし直した銃でアイシェンの頭を撃ち抜いた。
それでも彼は死ななかった。額に撃ち込まれ仰向けに倒れるが、両手を床に叩きつけ受け身を取り、その反動で更に立ち上がった。
「ウゥゥゥアァァァッ!!」
「まるで獣だな……」
何度傷つけられても、叫び声を上げて立ち向かってくるアイシェンに、ジェームズはそう呟いた。
その時、ジェームズは部屋の隅に置いてある、トーマスの名技でまとめられた小麦粉が目に入った。
手に持っていた銃でそれを狙い撃とうとすると、風よりも早くアイシェンは部屋の隅まで移動し、それを回収した。
粉塵爆発を恐れてなのか、爆発が起きて親友の遺体を傷つけられるのを恐れたからかはわからない。
「やむを得ん」
しびれを切らしたジェームズは銃を投げ捨て、代わりに懐から真っ赤なボタンのついた棒状のスイッチを取り出した。
「今だッ!!」
ジェームズがスイッチを押した刹那、そのフロアを含めた空間が大爆発し、アイシェンたちは宙に浮き、瓦礫が襲ってきた。
ジェームズはランベス村から逃げた時と同じように背中から翼を生やし、遥か高くへ飛んでいった。
ここまでくれば大丈夫、そう思っていたときだった。
「ウゥゥゥアァァァッ!!」
「何だとっ!?」
アイシェンは、落ちてくる瓦礫を足場にジェームズのもとまで上がってきたのだ!!
流石にそれは予想外と言わんばかりに、ジェームズはあっさりとアイシェンに掴まれた。
そしてアイシェンの手に持っているものを見てジェームズは絶句する。
アイシェンが手に入れた、トーマスの名技でまとめられた小麦粉と、ジェームズが投げ捨てた火薬を使う銃。
「貴様、まさか――!!」
「シィィィネェェェッ!!」
その一声が合図だったように、アイシェンは弾丸を一発、怒りを込められたかのように撃ち放たれた――。
***
「ぐぉぉおぉぉっ!!」
巨大な粉塵爆発の中から、アイシェンとジェームズは飛び出し、80メートルはあるであろう高さから地面に叩きつけられた。
普通ならば死ぬ高さだ。だが死なないジェームズと、それをクッションにしたアイシェン。
爆発の火傷こそあれど、その傷も二人共あっという間に治った。
互いに距離を取り、ジェームズは時計台を背中にし、呼吸を整えながら言った。
「思い出したぞ……そう言えば貴様はシントウの民であったな。シントウの民には最後の切り札があると聞いたことがある。確か名前は、『
――覚醒。
それはシントウに民が戦闘で追い詰められた際に使う、最後の切り札である。
シントウの民とは元々の魔力量が少なく、刀や弓を用いた直接攻撃を使う。
しかしその微量の魔力を存分に発揮すれば、異常なまでの回復力と戦闘能力を手に入れることができる。
アイシェンはまた例外であり、ルール違反のような存在である。
他のシントウの民よりも魔力がとてつもなく多い彼は、普通のシントウの覚醒よりも強い戦闘能力と回復能力、様々な特殊能力を手に入れることができるのだ。
本来シントウは追い詰められるということをあまり想定していないため、この現象も『覚醒』という陳腐なものになっているのだが、アイシェンはこれを一つの名技のレベルにまで昇華させている。
「まさかこんなところで見られるとは……だが見たところ、貴様のそれは未完成。怒りに任せ、制御することを忘れては、そのような素晴らしい能力も宝の持ち腐れでしか無い」
「グゥゥゥアァァァッ!!」
アイシェンは鎌のように右手をしならせ、ジェームズに向かっていった。
「ほら、ちっとも人の話を聞いていない」
ジェームズは先程までの苦戦からは考えられないくらいに落ち着いて、左手をアイシェンに向けた。
すると、アイシェンは空中に止まり、巨人に掴まれたかのように宙に浮いた後、地面に叩きつけられ巨大なクレーターを作った。
「まさか、ワタクシに名技まで使わせるとは思わなかったが、素顔はバレなかったし覚醒のことを知れただけよしとしよう」
「貫け、フロッティッ!!」
ジェームズの頭を狙って、ファフニールはフロッティを突き刺した。
しかしジェームズは首を傾け、攻撃をかわした。
続けて横に向かってフロッティを斬るが、素早く空へ移動してかわしてしまった。
「ちっ、ゆっくりしすぎてしまったか。では、そこで芋虫のごとく横たわっている者の始末は任せたぞ」
そうしてジェームズは立ち去っていった。
ファフニールは追いかけようとするが、それを近くにいたジークフリートが制止した。
「何故止めたっ」
「奴を追いかけたい気持ちはわかるけど、アイシェンくんを止める方が重要っ」
彼女が指差す方向には、ジェームズに対し奇声を上げながら地団駄を踏んでいるアイシェンがいた。
今にもこちらに矛先を向けて襲いかかってきそうだ。
「――ッ」
確かにな、というファフニールの言葉を遮り、アイシェンは動き出した。
目にも留まらぬ早さで連撃を繰り出し、ファフニールはそれを全てかわし続ける。しかし何度か掠ることもあり、ギリギリと言った感じだ。
ジークフリートは急いで戦線を離脱し、入れ替わる形で人型のバルムンクが剣を抜いた。
そしてハイドに食らわせた時と同じく、連続の斬撃を食らわせ――
「ッ!?なんか、刀で斬り合ってないのに、ていうかアイシェン素手で戦ってるのに金属音が聞こえるのさ!!なんで?なんで?」
その疑問に答えられるものはこの場にはいない。
そうこうしているうちにバルムンクはアイシェンの裏拳で空中に吹っ飛ばされた。
背中を狙ったファフニールの不意打ちも効かず、彼女に首が掴まれそうになった瞬間。
――シュバ、ダッ。
どこからともなく現れた矢はファフニールとアイシェンの間の地面を射った。ほんの数センチ程度の空間を正確に狙った見事な一矢。これを使うのは一人しかいない。
その場にいた全員は矢の飛んできた方向、元時計台の瓦礫の山の上を見た。
「一番恐れていた事態が起きましたか……」
「サンっ!!」
「ファフニールさん、ジークさん、この場は私に任せてもらえませんか」
それを聞くとファフニールはコクリと頷き、サンは山の上から飛び降りアイシェンは向かい合った。
先程の一矢に苛立っているのか、アイシェンはサンのみを敵対視している。
大してサンは、トーマスたちよりも鋭い、本物の殺人鬼のような視線をアイシェンに向けた。
一瞬、本当にサンはアイシェンを殺すのではないかとファフニールは思ったが、ランベス村で聞いた「何を犠牲にしてもアイシェンさんだけは助ける」という言葉を思い出した。
「弟子が馬鹿をやらかしたら、その責任を取ることが、師匠の役目ですからね――」
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