第28話 時計台の霧

 シティ・オブ・ロンドン 午後七時十七分


 壁掛け松明の頼りない明かりが照らす暗い部屋の中。

 ひたすらに金属のぶつかり合う音が静寂を揺らした。

 火打ち石の火のひらめきよりもずっと素早く、二人の男は刃を交える。

 一瞬の隙を突いてトーマスがナイフをアイシェンの腰に刺そうとする。対してアイシェンはシントウの民が使う剣術『シントウ流剣術』三つ目の奥義、『みだれ』で自分の身体を覆うように刀を振るい身を守った。

 流れるようにアイシェンはトーマスの首に向かって横に斬りかかるが、彼の身体を刀がすり抜けた。

 これがトーマスの名技である。

 ランベスでも見せられたが、彼は霧を使う。その霧は、スモークのように出すだけではなく、トーマス自身を霧にしてしまうというものだった。


「厄介な名技だな……」

「『霧の都ロンドン・フォグ』僕はそう名付けている。このナイフを両手に持つことで、僕の身体を霧にする。目眩ましにもなるし霧の中に薬を混ぜることも出来るし空を浮遊することも出来るし、何より大半の近接攻撃を無効化する」


 誇らしげに彼は解説した。

 近接攻撃と彼は限定したが、この分だと遠距離攻撃も無効化、すなわち全ての攻撃が効かなくなるだろう。

 アイシェンはスッと後ろに下がり、トーマスから距離を置いた。


「にしても……本当に、強くなったね」

「またそれか。トーマス、お前はそんなに俺のことを弱いやつだと思ってたのか?」


 トーマスはうぅんとうなりながら頭を掻いた。

 悩むほどかよ、とアイシェンは心の中でムッとした。


「まぁ、そうかもね」


 曖昧な答えだった。先程悩んでいたのはもしかすると、どうやってアイシェンを傷つけないようにオブラートに言うかで悩んでいたのかもしれない。


「でも強くなったのは本当だよ。君はサンの修行のもと、常人ならば1分として耐えられないであろう修行を耐えた。それだけでも大したものだが、君の持っている力が強すぎるがあまりに抑制することが出来ず、落ちこぼれと言われた君は、努力だけで普通に戦えるまでにまで成長した」

「買いかぶりすぎだ。そのほとんどはサン先生のおかげであって、俺個人が凄いことなんて無い」


 トーマスは心の底から優しくニコリと笑った。


「君はいつもそうだった。他者からの優しさや賞賛の言葉を素直に受け取らない。それは偏に、客観的に見た自己評価が低いことにもある。アイシェン君、それは駄目なんだ。君はもっと、評価されなくちゃあならない、他者からも、自分自身でも!!」


 ――評価……ねぇ。


 それはサンにも言われたことがあった。「貴方は自己評価が低すぎる」

 物心がついたときには落ちこぼれ、呪われた血と罵られ、それが事実だったから、死にもの狂いで頭のおかしいサンの修行メニューにも従った。

 人を信用しようとせず、自分とサンがいればそれでいいと思ってたこともあった。

 流石にその考えは早くにサンによって矯正されたが、アイシェンはとにかく自己評価が低かった。それは認める。

 しかし、トーマスにそのように思われていたのは少しショックだった。


「……俺、強くないよ」

「アイシェン君?」

「サン先生がいなかったら、途中であったファフニールやロビンに仲間になれなんて言わなかったし、強くもなれなかった。それでも、トーマスの前では強い弱い関係なく、一人の人間として向き合いたかった。だから俺は……お前が、友達なんだよ!!」


 アイシェンは懐から何かを取り出した。

 それは、この戦いの前にサンから貰った――


「こ、小麦粉?」


 サンから聞いていた、この取り扱い注意の品物の説明を思い出す。

 そして同時の彼女はこうも言っていた。彼との友情を信じてるなら使いなさい、と。

 アイシェンは勢いよく、袋から小麦粉を勢いよくばらまいた。突然の出来事に、トーマスはむせる。


「ゲホッゲホッ……一体何を」

「これだよっ」


 そう言ってアイシェンが取り出したのは、銃。


 さてここで、とある現象について説明しよう。

 粉塵爆発。それは空気中を可燃性の粉塵(金属粉や小麦粉など)が浮遊し、そこを火花などが引火することで大爆発を引き起こすという現象である。

 この火花とは小さな物でいい。銃などの火器であれば理想的とも言える。


 これはかなり有名な現象であったため、この状況と、アイシェンの銃を見た時、トーマスは青ざめた。


「アイシェン君、待っ――」

「俺は、お前との友情を信じるよ」


 そう言って彼は、ゆっくりとも感じられる時の中で、引き金を引いた。


 ***


 美しい旋律を奏でながら、モーツァルトは外の音に耳を澄ませていた。

 見ていたのは、モルドレッド達とパラケルスス達が戦っていた方向だ。

 鍵盤の上で指を動かすのを止めずに思った。


(最初の爆発は、サイエンスが最後の手段って言ってた自爆だよね……。あれは決して使わないと言っていたはずなのに……敵がそこまで強いということか?)


 しかしながら、パラケルスス自身が一番危険だと言っていたサンは、今もこうしてモーツァルトの名技で動けないでいる。

 試しに演奏を止めてみた。

 サンはまだ動かない。完全にモーツァルトの名技に屈しているということだ。

 腰から銀色のナイフを取り出す。


「細くて白い首だね……、それが真っ赤になると思うと残念で仕方ないよ」


 そっと、ナイフを持つ腕を振り上げた。そのとき。

 ――ドンドン。

 時計台関係者以外に使用不可であるはずの裏口の扉を、誰かが叩いている。


「エメージュ……無事だよね、エメージュ!!」

「ウィリアム!?君は確かサイエンスと一緒に戦ってたはず」


 いや、パラケルススの自爆と同じく、逃げてきたということだ。

 モーツァルトは急いで扉を開けた。


「ファフニールだ!!あいつの名具見たけど、凄く強かった!!それよりもあいつ、口の中から剣を出したの!!あれ、何なの!?」

「お、落ち着きなウィリア――」

「『穿て、聖人の破魔矢』!!」


 突然立ち上がったサンの攻撃。

 紅白の、シャープな見た目をした矢がシェイクスピアを狙った。

 咄嗟にモーツァルトはシェイクスピアを庇ったが、それがいけなかった。

 シェイクスピアを押したときに伸ばしたモーツァルトの右腕がちぎり飛ばされた。


「ッ!?ぐあぁぁあっ!!」

「エメージュ!!」

「ほう、自分の恋人を守りましたか。そこは評価しましょう」


 モーツァルトの腕の出血を押さえながら、シェイクスピアはサンを睨みつけた。


「どうやったの!?エメージュの名技は、耳をふさいだくらいじゃ防げないし、曲を止めても最低5分は自分の過去に苦しむはず!!」


 するとサンは、あたかも当然のように説明をし始める。


「あぁ、たしかに彼の名技はとても優れていました。曲のリズムを崩して相手のトラウマを想起させるなんて、素晴らしい能力です。ですが彼は私に、耳に手を当てさせる機会をくれた。失敗はそこだけですよ」

「だから、耳をふさいだくらいじゃ……耳に、当てる?」


 サンは見せつけるように、パァンと手を高らかに打ち鳴らした。

 その音は、シェイクスピアとモーツァルトも耳をふさぎたくなるほど。


。今みたいにパァン、とね」


 そういうサンは、とても無邪気で、狂気に満ち溢れた表情で笑っていた。

 耳が聴こえないので読唇術で会話をする、明かりが一つもない真っ暗な部屋の中で弓を引いた集中力と空間把握能力、勝利のためなら自分の体をいくらでも傷つけられる異常性。

 天井からパラパラと白い粉が振り、銃声が聞こえた。


「確かめる方に出ましたか、アイシェンさんらしい。さて、あなた方と私達の力の差ははっきりと付いたかに思えますが、どうします?死にますか?」


 戦いを続けますか、ではなく死にますか、という選択肢を突きつけられた。

 彼女にとってシェイクスピアとモーツァルトはその程度の存在ということだろう。

 苦虫を噛み潰したような表情を浮かべ、目の前のサンを見ることしか出来ないでいた二人。

 その時、天井からとてつもない爆発音が轟き、巨大な瓦礫が三人を襲ったのだ――!!


「エメージュ!!早く出て!!」


 急いでその場からの離脱を図る二人。サンは瓦礫に埋もれ、あっという間に見えなくなっていった。


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