第27話 ハンター・ジキル&ハイド

 ――ハンター・ジキル。

 銀のナイフにおけるコードネームはバック。

 現在は引退して煙管屋を営んでいるが、彼は元々、ロンドンの小さな病院の院長だった。

 小さいながらも街の人々に慕われ、彼自身の腕の良さや社交的で親しみやすい性格などから人気の病院となっていた。

 しかしある日から、ジキルは悪夢にうなされ始めた。自分によく似た、ハイドと名乗る男が不快な感情を呼び起こしながら、動物や人間の死体、挙げ句には生きている人間をも殺害し解剖していた。

 ところが、あまりにもリアルなその夢は実は夢ではなく、ジキルの別人格によって繰り広げられている現実だったのだ。

 彼はその事に気付けず、そのまま精神を病んでしまった。

 その時の彼の主治医を務めたのが、パラケルススである。

 それはちょうど、パラケルススがホムンクルスを作るための素材を集め始めた時期でもあった。

 パラケルススは、ジキルがハイドという男との二重人格者であり、彼が見ている夢は夢ではないということを見抜いただけではなく、精神安定剤と称した睡眠薬と、を与えた。

 その結果、ジキルが薬を飲んで睡眠状態に陥る深夜の間だけパラケルススの命令通りに殺人を行う操り人形となった。

 パラケルススがジキルのことを最も完璧な人造人間エンキドゥに近いと言うのも、内臓を抜いて脳に電流を流し込むという、面倒な工程を挟まずとも操れるからである。

 自分の中にいるもう一人の自分を利用され続ける男、それがジキル&ハイドであり、裏面バックというコードネームの由来である。


 ***


「バルムンク、約6秒後に敵は上半身への攻撃から下半身への攻撃を増やす。警戒を上昇させて」

「わかったのさ!」


 ジークフリートの命令にバルムンクは叫び返すと、ハイドの肩に傷を負わせた。彼は全体的にヒラヒラとした格好をしているし、肩に至っては一切武装をしていない。傷を負わせることは簡単だった。

 それでもハイドは止まらなかった。右手に持つナイフを容赦無く振るい続ける。更にジークフリートの予測通り、バルムンクの足に向けた蹴り攻撃も増える。

 ジークフリートの指示があったとはいえ、予想以上に速い攻撃に、バルムンクは驚いていた。


「いいよバルムンク、そのまま攻撃を続ければ5分で勝てるわ」

「わかったのさ!」


 ハイドはギロリとジークフリートを睨んだ。


「バルムンク、ナイフの刃がこっちを向いて、足の筋肉が多少縮んだ。私の方に来ようとしてるよ。もう少し押し止めて」

「わかったのさ!ほらほら、こっちに気を付けてるが良いさ!」

「チッ!!」


 これがジークフリートとバルムンクの戦い方である。

 戦闘能力が皆無に等しいジークフリートが、持ち前の観察眼と洞察力を駆使し、相手の未来を予測しながらバルムンクに適切な命令を出す。

 そしてバルムンクは自分で作戦を考えることは出来ず、がむしゃらに戦うだけであるが、ジークフリートの命令を完璧にこなし、咄嗟の臨機応変にも長けている。

 二人は互いに互いの短所を補いながら、長所を最大限に生かすことができるペアなのだ。


(それでも、私が名技を使った方がバルムンクはもっと強くなれるはず。ここで使うべきか……)


 ――いや、あの技は未完成だ。

 下手に慣れないことをしては身を滅ぼしかねない。

 この時のジークフリートの判断は、非常に合理的であったと言える。

 しかしそれが、予測の出来ない失敗を生んだ。

 バルムンクが、押され始めたのだ。


「舐めんなよ、この無機物女がぁっ!」

「ッ!ジーク、あと20分で魔力が……」


 バルムンクは最初のときとは打って変わって、攻撃を受け流すのも精一杯といった様子で言った。

 この名具が人型を保つためには、剣の状態の時から常に持ち歩き、魔力を貯蓄させる必要がある。例えるならば、車を走らせるために、普段からガソリンスタンドでガソリンを貯めておくのと同じことだ。

 戦闘が始まった時にバルムンクに分け与えた魔力は、許容量のマックス。どんなに激しい動きをしても半日は持つはずだ。

 まだ戦闘が始まってから30分くらいしか経っていない。なのに、もう魔力がそこを尽きるということは。


「魔力を奪う、もしくは吸い取る名技……バルムンク!!」


 バルムンクはその言葉にコクりと頷くと、ハイドからザッと距離をおいた。そのまま、遠距離からの攻撃を始めた。

 ランベスで見せたバルムンク・ビームを小さく繰り返した。

 これまでの戦闘においてどのタイミングで魔力を奪い取ったのかと考えれば、彼のナイフとぶつかり合った時だろう。それを想像したからこその行動だった。

 この考えは正解である。唯一外れていたのは、バックの名技が『ナイフを通じて魔力を奪う』と考えていたことだ。


「それを待ってたんだよっ!!

 内より出でよ、ボクの中の俺、『第二人格』シャドウハイド!!」


 その時ハイドの、いやの身体からが、幽体離脱のように飛び出した。驚くバルムンク、それを置いてけぼりにするように素早く、もう一人のバックがバルムンクの頭を鷲掴み――


「あががががっがああ!!」


 ――魔力を吸い取り始めた!!


「バルムンク!!」


 バックはパッと手を離した。そして、魔力を吸われ尽くされたバルムンクは、膝から崩れ落ちた。

 その後間もなく、バルムンクは元の剣の姿に戻る。それは、もう一人のバックが身体に戻ったのとほぼ同時だった。

 カランと音を立てて倒れる剣のバルムンク。バックはそれから少し離れ、ジークフリートにバルムンクを持つよう促した。


「……解離性同一性障害」


 ジークフリートは自分を落ち着かせるように呟いた。


「分かりやすく言えばそれは、一人の人間の中に、複数の人格が存在するという、辛い体験とかから自分を切り離すために起きる防衛反応って説が、あるよね……」


 恐怖で震える指を、ギュッと握りしめる。


「過去にも何件か確認されてるけど、あんたは少し違う……。もう一つの自分を、一人の独立した存在に切り離してる……。今の、幽霊みたいなの、何?」


 固唾を飲み込んだ。最初よりは、落ち着いた気がする。

 ――解離性同一性障害。

 大雑把な概要としては今ジークフリートが言った通りだ。しかしアイシェンが話していた、昼間に出会った彼とはとても似つかない。もはや別人としか言いようがなかった。

 もしかするとただ猫を被っていただけかもしれないが、それにしては別人過ぎる。


「……それはあれか?頼りになる相方があっさり沈んじまったもんだから、時間稼ごうってのか?もしくは、ただ緊張をほぐそうってのか?」


 両方とも図星である。そして、時間もあまり稼げてなければ、緊張もほぐれていなかった。


「ち、違うもん!ただ、その……情報を得ようとするのは当然で」

「わざわざ敵が手の内明かすのかよ?」


 ぐうの音も出ない正論だと、バルムンクを拾い上げながらジークフリートは思う。


「……ま、弱い者いじめってのも趣味じゃねえしな。折角なら重大な秘密でも知って俺に殺される理由でも作ってもらおうか」


 人殺し集団の男に、弱い者いじめ云々を言われてしまった。


「……人の感情は単純なものだと思うか?」


 聖母に捧げる祈りのように彼は言った。


「質問の意図が理解できない。ていうか、それは質問の答えになってないよね」

「まぁ聞けよ。で、どう思うんだ?」

「あくまで持論でいいなら、人の感情は単純だ。感動、尊敬、憂鬱、失望、憎悪、嫉妬、憧れ……そんな言葉で片が付いてしまう」

「半分正解かもな。だが俺は……は少し違う。一つの中にもう一つの、矛盾した感情が揺れ動いちまうんだ。例えば、人を助けたいという感情が動けば、同時に人を殺したいという感情も動く」


 その言葉にはどこか、同情とはまた違った、共感できる何かが感じ取られた。


「人を助けたいと思うハンター・ジキルは、人を殺したいと思うハンター・ハイドという存在そのものを無かった事にした。それどころか、!!」

「それが視覚的に現れてしまった……それが、名技の正体……」


 自身の緊張を解きほぐすためだけにした質問だった。それがどうしてこんな。

 精神体でもある彼は、精神の具現でもある魔力を吸い取ることが可能である。

 普通ならば不可能だが、彼の異常性が生んだ、起こらなくてもいい奇跡が起きたとしか言えない。

 どうして私は余計なことばかり聞いてしまうのかと、嫌気が差してしまう。


「ま、俺は今の状況、結構楽しいぜ。二重人格なんてしちめんどくせえ病気抱えてくれたお陰で俺は存在できるし、更には別人と認識しちまったときた。好きなだけ人を殺すってのも、悪くねぇぞ?」

「……外道」


 ジークフリートは怒りに任せて、剣と化したバルムンクを振るっていた。

 しかし、頭がどれだけ良くても戦闘能力は並未満のジークフリート。

 攻撃は一切当たらない、それどころかミリ単位の移動でかわすという余裕を見せつけられる。

 遠くで大きな爆発音が響いた。


「うっおぉぉおっ!!」


 ジークフリートは遠心力を利用して、ハイドに向かってバルムンクを放り投げた。

 しかしそれも、あっさりとかわされる。そしてジークフリートはその場に倒れ込んだ。


「…お前、何がしてぇの?」


 しびれを切らしたように、地面にひざまずいたジークフリートの首に、ナイフを突きつける。

 傍から見れば、もうジークフリートは死んだ。

 だが違う。ジークフリートの目的は、


「爆発はあんたの仲間が起こしたものなんだろうね。方向から考えて、あの邪竜と団長のいる場所から起きたものだ」


 それがどうした、という目でハイドは睨みつける。


「ああそうだよ、私は弱いよ。バルムンクに戦ってもらわないと何も出来ない木偶の坊だよ。でもだから!頭使って、他人を使うことだけなら、絶対負けない!!」


 ハイドは何かに気づいたように、バッと振り返った。

 処刑用BGMでも流れそうな、そんな素敵なタイミング。

 この場にいるはずのないファフニールが


「バルムンクは魔力を込めて放り投げることで、とてつもない力を持った人型になることが出来る、だったな?そしてそれは、誰がやっても良いとも、な!!」


 空中でバルムンクの柄を掴んだファフニールは、遠心力の力を借りながらバルメンクを放り投げた。

 青白い光が一瞬だけ放たれ、姿バルムンクが姿を表した――!!


「ぷっはぁぁあ!!込められてるのが竜の力なのがイヤだけど、それはそれとして最高の気分なのさぁ!!」


 暑苦しい程のハイテンションで、バルムンクはハイドに猛攻を加えた。

 先程と同じように魔力を吸い取ろうとしても、攻撃のあまりの速さに付いていくのが精一杯と言った様子だった。


「く、くっそぉお!!」

「すっきあり!!なのさ!!」


 バルムンクはハイドのナイフを弾き飛ばした!


Aaaaaaaaaアーーーーーー!!

 Uuuuuuuuuウーーーーーー!!

 Fuuuuuuuuフーーーーーー!!」


 自分を鼓舞するために発せられる声とともに、バルムンクは何度も斬撃を与え続る。

 そしてフィニッシュ。


さよならさウィダゼン!」


 下から切り上げた一撃によって吹き飛ばされたハイドは、橋の下を流れる川に落ちていった。


 ***


 その後、素早く川に飛び込んだファフニールによってハイド、もしくはジキルは、あっという間に救助された。


「……そいつ、助けるの?」


 剣に戻ったバルムンクに魔力を与えながら、ジークフリートは言った。

 対してファフニールは。


「人を殺していたのは、この男ではあるがこの男ではない。二重人格については我もよく知っている」


 それは、500年以上を生き続ける先人としての言葉なのかもしれない。


「自分の中にもう一人いるということは誰だって恐ろしい。例え片方の人格がどんな人殺しであれ、この男はそれを知って戦い続けた。我はそれを貶したりはしない、むしろ誇りに思ってもらいたい。それに」


 一呼吸おいて、彼女は言った。


「あの煙管は、美味かった」

「ふーん。ところで、あんなに勢いよく飛んできたことについて詳しく。500年を生きる邪竜風情でも、あの程度の爆風で飛んでくるんだね」

「おい言葉がおかしいぞ?そしてそんなに喧嘩を売りたいなら高値で買ってやるぞかかってこい!!」


 ここは戦場。

 だが少しくらいはふざけたっていいだろう。

 息が安定してきたその男は、先程まで戦っていたものと同一人物とは思えないほどの優しい表情を浮かべていた。


「……あぁそう言えば、さっき戦闘の最中、敵が一人時計台の方へ逃げていったぞ?確かシェイクスピアと言ったか」

「そういうことは早く言って!!あぁ、団長も気になるしそっちも何とかしないといけないし、やること多すぎだよふざけんな!!」


 少しくらいは……。

 ふざけてもいいはずだ。





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