第26話 サイエンスとアクトレス②

「うわぁ……」


 シェイクスピアは言葉が見つからないと言った様子で周囲を見渡した。

 ファフニールは顔面から上半身が真っ黒に焼け焦げ、見るに耐えない様へと変わっている。

 モルドレッドは持ちたくもない嫉妬の心に抗いながらうずくまっている。戦闘への復帰は難しそうだ。

 ファフニールはパラケルススが倒したものだが、モルドレッドは自分が倒したのだ。

 戦場で敵の返り血を多く浴びながら、ただ殺すために、国の勝利のために駆け回るモルドレッド。

 それを倒したと思うと、少し誇らしくも思えた。


「アヒヒヒッ、これでこいつらは終わりだネ」


 近くの路地からした声の持ち主は、パラケルススだった。

 彼は先ほど爆発したかに思われるが、まるで何事もなかったかのようにシェイクスピアの元へ近付いてくる。

 パラケルススは銀のナイフの中でも特に用心深い性格だ。

 基本的に表立って活動するときのパラケルススは、自身に精巧に似せて作られたホムンクルスであり、パラケルスス本人ではない。

 そして彼はいざという時のために、そのホムンクルス一人一人に爆弾を搭載している。

 集団に囲まれたときはもちろん、今のように気まぐれで発動させることもある。


「でも今みたいに無駄遣いするのやめてよ。サイエンスの影武者って別に無尽蔵じゃないんだから」

「まぁ確かに。でもワタシは今の使い方を間違えたとは思っていないヨ。そうでもしないとあの竜は倒せなかったからネ」


 そうだけど、とシェイクスピアは納得のいかないまま押し黙った。

 シェイクスピアは黒焦げになって倒れているファフニールの元へ駆け寄り、真横で白紙の本を開いた。


「?アクトレス、何やってるんだネ?」


 高級そうな羽ペンを右手に持ち、まるで子供のように無邪気な表情で言う。


「だって、具体的な年数はわかんないけど、永く生きてる竜がそこにいるんだよ?それなら他の人には想像もつかないような、絶望的で悲劇的な人生を歩んでるかもしれないじゃん!こうなったら見てみないと!!」


 パラケルススはため息を吐いた。


「相変わらず……思想家のルターみたいに悪趣味だヨ」

「何とでも言えば?さぁて、君の記憶はどんなのかな――」


 シェイクスピアは鼻唄を唄いながら、ファフニールの顔面を鷲掴み、記憶を読み取り始めた。

 しかしその行動はすぐに後悔することとなる。


「ッ!?こ、れは――!?」


 シェイクスピアが見たのは、個人の記憶の断片だった。

 いや、個人で持つにはあまりにも不相応で、あまりにも悲しい。

 雪の多い国に生まれた彼女は、元々はただの人だった。ただの人でありながら、生まれながらの天才だった。

 そこで背負わされる周囲からの期待、不満、使命、重圧。

 ファフニール?の目の前にそびえる巨大な何か。

 傷一つなかった身体にできた、右目の傷。そして巻かれた包帯の意味。

 仲間と自分の望まれた死、家族からの虐待、金の無心、宗教、賭博、外気に触れる脈打つ心臓――


「人の記憶を覗き見ても、ろくな事にならんぞ」


 聞こえるはずのない声が聞こえた。

 慌ててシェイクスピアは手を離すと、ファフニールは何事もなかったかのように立ち上がった。

 顔面についていた焦げも、まるでゆで卵の殻のようにパラパラと剥け落ちた。

 その顔はとても綺麗で、傷一つ見つからなかった。

 いや――。


「あ、あんた……その目は何!?」

「何だ、記憶を覗いたのなら、も知っていると思ったが」


 包帯が焼け落ちてあらわになったファフニールの右目は、文字通り

 眼球や義眼でもなく、真っ暗な闇がそこにはあった。


「昔、我の住んでいた国に竜が攻めてきたことがあったのだが、その時にえぐり取られてしまった。竜になって大抵の傷はすぐに治るようになったのだが、これだけは竜になる前からあった。だから仕方なく包帯で隠していたのだ」

「それはいいよ、傷がすぐに治ったのも理解した。でもさ、なんでそんなに元気なの!?ヒトだったら一度死ぬ攻撃受けて、そんなもん見られて、そんなに早く切り替えられる!?」


 シェイクスピアの疑問はもっともだった。

 どんな傷でもすぐに治るとは言え、結局は死というものへの恐怖は覆されない。

 まして、不老不死の者であれば何度も死ぬ事ができるという、常人では想像もつかない新しい恐怖が生まれる。

 それを味わっているはずが、ファフニールはケロっとしていた。


「当然だ。これまでに我は何度も。両手両足を切断されて、ダルマのようにされたこともあった。目の前で我の肉を焚き火で焼かれて食われたこともあった。内臓も全て、取り除かれそうにもなったこともある。そんな経験を何年も味わっていては、死なんて慣れた」


 シェイクスピアは口元を手で押さえた。

 溢れる吐気を無理矢理に押さえようと必死だった。

 パラケルススも多少驚きはしたものの、感心したように拍手を送っていた。


「……面白いネェ。やっぱりワタシの目に狂いはなかった」

「褒め言葉と受け取っておくが、驚くのはまだ早いぞ」


 するとファフニールは空を見上げ、自分の手を口の中に入れた。

 世界には拳を口の中に入れるものならばごまんといる。

 しかしファフニールは手だけではなく、前腕、肘、二の腕と常人ならば顎が外れえずいてしまうくらいにまで、自身の腕を飲み込んでいった。

 シェイクスピアは怯えながらに身構え、パラケルススは驚きのあまりに目を見開いていたが、二人は同時に食い入るように見ていた。


「……れぇえ――」


 そして腕を少しずつ取り出していく。最初に入れたときとは明らかに違うところがあった。

 ファフニールは、を握っていた。

 続いて、どう考えても彼女の身体の容量に収まっていない刃。やがてその全貌が明らかとなる。

 フェンシングを彷彿とさせる、先の尖っただけで側面の殺傷能力は低い剣。レイピアのようだった。

 ファフニールは剣をビシッと二人に向けると、それはを見せた。


 余談だがここでこの世界について一つ補足しよう。

 この世界には『名技』と呼ばれる固有技が存在する。

 それは自分の得意なこと、もしくは自分にしか出来ない特別な技を自己申告したものなのだが、これとは別にもう一つが存在する。

 人はこれを『名具』と呼んだ。

 ジークフリートの持つ人型に変化する魔剣バルムンク、モルドレッドの持つ雷を帯びた魔剣クラレントなどがそれに該当する。

 たった今出したファフニールのレイピアもそうだ。

 この剣の名前は――


「あらゆるものを串刺しにする最弱の魔剣『突刺剣フロッティ』!!」


 ファフニールはフロッティを持つ腕を突き出した。

 ゴムのように伸びるフロッティの刃。

 魔力を含めて伸びているように見せているのではなく、文字通り剣が伸びた。

 それはシェイクスピアの頬を掠め、パラケルススの喉元へ一直線に向かった。

 すんでのところでパラケルススはかわすが、更にファフニールはフロッティを横に振ると、刃はパラケルススの喉に巻き付いた。


「捕まえた」

「チィ……アクトレス!!」

「わかってる――出でよ!!」


 咄嗟にシェイクスピアは本のページを切り取り、再び自分の劇団を呼び出し、攻撃を始めた。

 心臓を欲しがる商人、叶わぬ恋に生きた男女、娘に裏切られた国王、息子のように愛した部下に裏切られた英雄。

 数え切れないほどの作品を召喚していくが、ファフニールの敵ではなかった。


「鬱陶しいなぁ……」


 一瞬、ファフニールはフロッティを手放した。

 そしてコンマ1秒にも満たない間に、ファフニールは全てを蹴った。

 ファフニールは、蹴りで全ての召喚物をのだ。

 パラケルススも、シェイクスピアも、何も見えなかった。

 どうやって山程の召喚物を倒したのかすらわからない。

 そして再びフロッティを掴んだファフニールによってパラケルススは宙に浮かび、地面に叩きつけられた。


「サイエンス!」

「そういえば貴様、あの雷の騎士は確認したのか?」

「……え?」


 その声とほぼ同時だった。

 いつの間にか、嫉妬の渦から這い上がったモルドレッドが雄叫びをあげながら剣を振った。


「どぉぉらぁぁあっ!!」

「――くっ!?」


 シェイクスピアは攻撃をかわした。

 いや、モルドレッドの体調が万全であれば、かわされることはなかった。

 しかしながら、まだシェイクスピアのグリーンアイドモンスターの効果を受けていながら、彼女はシェイクスピアの右腕に着けていた腕輪に傷をつけた。

 それだけで、かなりの活躍だろう。


「うあぁ……ウィリアムの……ウィリアムの腕輪が……」

「ハァ……ハァ……」


 モルドレッドは攻撃の後に自分の体を支えきることができずに、ファフニールの元へ転がり込んだ。

 ファフニールは彼女に大丈夫かと声をかけた。


「ほんとに……おかしいよ!!ウィリアムのグリーンアイドモンスターは絶対だ!!ウィリアムが解除しない限り、永遠に苦しみ続けるんだ!!それなのに……何で!?」


 シェイクスピアのその言葉に、モルドレッドはしてやったりという笑みを浮かべながら答えた。


「……確かにお前の攻撃は凄かったぜ。でもな、その攻撃を受ける直前、俺は雷を流したんだ。お前じゃなく、になっ!」


 シェイクスピアは慌てて本を開いた。

 多くのページを捲り続ける。

 あまたの召喚物を召喚したあとのため、白紙のページが多数見られた。

 その中のオセローと書かれたページは、ほんの僅かに普段であれば気にならない程度に切り裂かれていた。


「気付かなかった……」

「で、だ。その紙を切ったとき、少しだけシェイクスピアてめぇの記憶を見れたからわかったんだが……何で、ウィリアム・シェイクスピアっつうで生きてるんだ?」


 シェイクスピアの歯がぎりっと音をたてた。

 それに勘づいたかのように、ファフニールは割り込んだ。


「それも気になるが、もう貴様らの手札も全て攻略された、なのにまだやるのか?」


 勝ち誇ったつもりではなかったが、どちらかというと諦めて欲しいという願いを込めてファフニールは言った。

 国単体としては、銀のナイフはもれなく死刑である。国に逆らうということは何よりも重い罪として扱われるからだ。

 しかしファフニールとしては、それほど重い罪に問えなくてもよかった。

 というより、どうでもよかった。

 今の彼女は暫定仲間として見ているアイシェンの意見が第一優先事項。

 だからこそ、彼が殺さないでと言えば殺さないし、殺せと言えば殺す。

 今回の場合は、殺さない。

 このタイミングでモルドレッドも気になることを口走ったということは、彼女としても銀のナイフのメンバーを殺したくないのだろう。

 その為の理由を作るために言ったのかもしれない。


「随分舐めてるネ……」

「……」


 パラケルススはファフニールのフロッティを破ろうとしながら、怒ったように呟いた。

 シェイクスピアも賛同するように睨み付ける。


「ワタシ達はそんな言葉で諦めるような活動をしていない。そんな言葉で、ハイそうですかなんて言わない!!」


 一呼吸置いて、パラケルススは続ける。


「殺すか、殺されるかなんだヨ、この世界は……。だからワタシは師を殺した!!だからワタシは――!!」


 懐から取り出した液体を飲み干し。


「――ホムンクルスを、作る」


 パラケルススは大きく息を吸い、奇声をあげた。

 思わず耳を塞ぎたくなるような金切り声。

 それは攻撃ではなく、一種の召喚であった。


「集え、パラケルススワタシたち


 パラケルススに精巧に作られたホムンクルスが次々に現れた。

 路地裏、下水道、普通の民家から次々と。

 その数は10体ほど。

 そしてファフニールを捕らえるように抱きついていく。


 それが何を意味しているのか、ファフニールはわかった。


「ッ!離れろモルドレッド!!」


 うまく動けないモルドレッドを蹴り飛ばすことは出来た。それが出来れば十分だった。


「アクトレス、早く行け!!」


 その言葉を聞いたシェイクスピアは、時計台の方へと走っていった。そして、パラケルススは離そうとしていたフロッティを、むしろ引き離さまいと掴んだ。

 殺傷能力のない剣が、仇となった。


「くたばれ邪竜風情が!!」


 町の一角を覆うような大爆発がファフニールを襲った。

 その衝撃に耐えきれず(もしかしたらわざとか)、ファフニールは星が光る空へと放り投げ出されていった。



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