第25話 サイエンスとアクトレス①
***
アイシェンはエレベーターに運ばれるがまま、時計台の最上階を目指していた。
耳を防ぎたくなった歯車と鎖の擦れ合う音に耐えていると、あっという間に目的の部屋に到着した。
「……トーマス」
松明がうっすらと照らす空間の中、彼はそこにいた。
クリーム色の清潔そうなスーツに身を包み、その格好とはアンバランスな二本のナイフを両手に持ち、窓から外を覗いている。
月明かりに照らされながら彼はアイシェンの方を振り返り「やぁ」と挨拶を交わした。
「その分だと、良い返事とは思えないね」
「……あぁ」
「そっか」
「一つ聞かせてくれ。トーマスはどうして、俺にこだわるんだ?充分お前のチームは強いし、俺じゃなくても……」
するとトーマスはナイフを人差し指の先で回した。
「……君しかいなかったんだよ」
「えっ?」
「僕にとってシントウとは、家族を殺して僕を適当な奴隷のために誘拐した、最低な奴等でしかない。医療の知識を身に付けても、僕の治療を受けるやつなんていなかったんだ。それでも一人だけ、黙って受けてくれる子がいた」
「それが俺だけだった……」
その事は理解していた。
アイシェンも当初、里の嫌われ者が同じく里の嫌われ者を憐れんでいるだけだと思っていたが、そんな考えが吹き飛んでしまうぐらいにトーマスの治療は丁寧だった。
この人は真剣に自分と関わってくれる。
その事をアイシェンはようやく理解したが、里の皆からの態度は変わらず、ただの異邦人であり、
そんな里が大嫌いだったからこそ、アイシェンだけはトーマスと親友になれたのだ。
そして、サンとの修行で出来た怪我も全てトーマスに治して貰っていた。
「君と僕なら……世界を変えられる。お願いだよアイシェン君、一緒に来てくれ」
「――断る!!」
即答だったが、アイシェンにとってこれは、断腸の思いでの言葉だった。
アイシェン自信が、トーマスと一緒に戦いたいという気持ちはある。
しかし、理解のできない大義名分を掲げて人を殺すのは嫌だった。
何よりも――
「俺は……俺の正義を信じたい!!」
「そっか……なら――」
アイシェンは刀を抜き、鞘を投げ捨て、自身の死を覚悟する。
トーマスはナイフを裏手に持ち直し、顔を隠すように構えた。
「銀のナイフリーダー、コードネームをジャック・ザ・リッパー、勝負!!」
「無所属、二つ名無し、アイシェン・アンダードッグ、いざ推して参る!!」
そして二人は、刃をぶつけ合った――!!
***
場所は打って変わってロンドン街、役所前。
「どぉぉりゃぁぁあッ!!」
モルドレッドの繰り出す雷は、的確にホムンクルスを貫いていく。
パラケルススが失敗作と言っていた人型のホムンクルスは全滅に近かった。
今戦っているものの大半は、パラケルススが泥から作り上げた、失敗作とも言えない粗雑なもの。
これも数が多いだけで大したことはなかった。
モルドレッドを苦戦させているのは、シェイクスピアの方だった。
基本的に逃げに徹し、左手に持つ分厚い本にすらすらと書き連ね、何かを召喚する。
その何かとは、叶わない恋に落ちた男女、部下の裏切りによって死んだ英雄、王冠によって人生を狂わされた少年と様々であった。
ただ一つ言えるのは、その全ては悲しいものであったこと。
「くっそ……どんだけ召喚すりゃ気が済むんだよ!!」
「そんなの、君に勝つまでに決まってるじゃん!」
一呼吸置いて、シェイクスピアは召喚したものやホムンクルスを盾にして言い放つ。
「己の気づけぬ愚かさを呪え
『キング・リア』!!」
その刹那、この世全ての厄を押し付けられたかのような、禍々しくも悲しげな巨人が現れた。
三メートルはあろうかというその身体で、その片手に持っていた巨大なナイフをモルドレッドに振り下ろした。
しかし。
「甘ぇよ!!」
モルドレッドは戦闘経験も豊富で、これを遥かに越える巨人と戦ったこともあった。
ナイフを受け流し、ナイフを足場に利用しながら跳び、巨人の首を切り落とした。
するとあっという間にその巨人は消えていった。
「おいおい、この程度で死ぬのかよ。つまんねえなぁ」
「化け物か、君は……。なら、嫉妬深き怪物の力をここに今。
『グリーン・アイド・モンスター』」
シェイクスピアは破り取った紙を自らの眼に近づけた。
すると突然紙は燃え、ピンク色だったシェイクスピアの目は深い緑色に変わっていた。
「目の色が……変わった?」
「この技はその使用上、あまり使いたくないんだけど、その分効果は絶大。特に、君みたいな力でごり押すだけの脳筋タイプにはね」
「はっ!言ってろよ!!」
モルドレッドは剣から高圧の雷を発生させ、シェイクスピアに向かっていった。
シェイクスピアがどんな攻撃をしに来ても、モルドレッドに触れるより感電させる方が早い。
それを計算しての行動だったが。
「ッ!?」
突然モルドレッドの足を何かが掴んだ。
それは腕。ただの腕ではなく、シェイクスピアが召喚しては破り捨てていた紙屑が集まったものだった。
モルドレッドはこの手を振り払おうとするが、その腕の力は相当強く、中々振り払えなかった。
(くそッ……!)
仕方無く足元の腕に向かって雷を落とした。
腕は元々紙だったため、すぐに黒焦げになったが、モルドレッドの行動は結果的に大きな隙を生むこととなった。
シェイクスピアがモルドレッドのポニーテールを強く掴み、勢い良く押し倒したのだった。
仰向けに倒れたモルドレッドに馬乗りになったシェイクスピアに対し、咄嗟に雷を当てようとするが、コンマ一秒遅かった。
本から一ページを切り離したシェイクスピアが、その紙をモルドレッドの額に押し当てる。
そして少しだけ、彼女は笑った。
「――それは、罪なのだ」
脳内に激震が走った。頭痛が痛い。頭が卵のようにぱっくりと割れそうだ。
モルドレッドは何度も不思議なことを口走る。
(何だこれは。文法おかしくねぇか?そもそもオレはなんでここにいるんだっけ?あぁそうだ、王のために殺人鬼を捕まえに来て……あれ?)
目の前には確か、シェイクスピアがいたはずだった。
ところが気付くと、そこにいたのは。
「アー、サー、王……」
美しい金髪をポニーテールにまとめた髪型。
自分も羨ましくて真似した。自分には似合わなかった。
フリフリとしたチャラ臭いものとしか思ってなかったドレスという概念を裏返してしまうほどに凛々しく着こなした可愛らしいドレス。
自分が着てもただ変なだけだった。
そして何より、彼女には付いてきてくれる仲間がいた。
それが羨ましかった。
父のように尊敬し母のように慕い、友のように接した。
そして前に出るときは、とにかく王のようだった。
羨ましい羨ましい羨ましい羨ましい羨ましい羨ましい羨ましい羨ましい羨ましい羨ましい羨ましい羨ましい羨ましい羨ましい。
とても、妬ましい。
(違う!!オレはこんなこと考えてなんて――!!)
その瞬間、モルドレッドの目の前は真っ白になった。
***
「ふぅ……助かったのかな?」
モルドレッドは現在、シェイクスピアの前でうなり声をあげながらうずくまっていた。
グリーンアイドモンスターとは、その目を所持した状態で紙を相手の額に当てると、その対象を嫉妬に狂わせる。
本人にその気がなくとも、ほんのわずかに嫉妬していれば増幅させることが出来る。
シェイクスピアは近接戦闘が得意ではないためあまり使わない技だが、それを克服し、何とか使える程度にはなった。
このまま殺すのは簡単だった。
だからこそモルドレッドは後回しで良い。
「今は……あいつだよね」
シェイクスピアは住宅の屋根の上で戦闘を繰り広げるパラケルススとファフニールを見上げた。
パラケルススはまず身体能力を増強させる薬品を接種し屋根の上に行った。そしてそれにファフニールは壁を走って追いかけた。
シェイクスピアとパラケルススは能力の相性はそれなりに良いが、人間性の相性は全然だったため、それぞれで戦うことにしたのである。
「アヒヒヒッ!!こんなに恐ろしい奴と戦うのは久しぶりだヨ、食らえ爆弾!!」
ファフニールに向けて、パラケルススはフラスコに入った爆薬を大量に投げつけた。近くにいたら巻き添えになっていたかもしれない。
やっぱりあいつと共闘しなくて良かったと、シェイクスピアは思った。
「この程度――」
するとファフニールは避けるわけでもなく、あえてフラスコに蹴りをいれた。
何度も爆発していたが、ファフニールには火傷一つ現れていなかった。
竜特有のタフネスという奴なのだろうか。
だとしたら、あのゴスロリ服もどうなっているのだろうかと、シェイクスピアはまた気になった。
「ふん……。爆発を受けても火傷や傷一つ出来ないその身体と服、一体どうなってるんだい?あぁ、ワタシはとても気になるヨ」
「この服か?オーダーメイドだが」
「え、てことは破けたりしない丈夫な素材ということかナ?」
「そうだが」
「なぁんだ……」
思ったより平凡な回答にがっくりしているパラケルスス。
その下ではシェイクスピアも少し落ち込んでいた。
「だが同時に別の疑問も沸いた。ずばり、その素材とは何かネ?」
「竜の鱗や皮だ。昔我の狩っていたものだけでなく、我自身のものも含まれている」
その言葉に、パラケルススは絶句した。
「自分の皮膚や鱗!?自分で剥いだと言うのかネ!?」
「あぁ。我はそれなりに強力な力を持つ竜種らしいのでな。使えるものは使っておくべきであろう」
パラケルススもシェイクスピアも、その意見には賛同できるが自分の身を削ってまでと言われると少し黙り込んでしまうだろう。
彼らにとって自分の身が一番可愛くて大事なものなのだ。
そのとき、パラケルススは天を仰ぎながら大声で笑った。
「アヒャヒャヒャヒャ!!これは良いヨ、実に良い!!ファフニールと言ったネ。ワタシ、ファフニールのこと気に入ったヨ!!」
「それはどうも。だが、所詮貴様はここで死ぬ事になるだろうな。我が殺さないよう手加減するお人好しに見えるか?」
「見えない見えない!!故に気に入ったと言っているんだヨ!!はぁ……特別だ。ワタシの秘密を教えてあげよう」
するとパラケルススはゆっくりとファフニールに近づいてきた。
彼女も逃げることはできたが、パラケルススがどんなことをするのかが気になり、されるがままを受け入れた。
やがて、彼はファフニールの両手を掴み、顔を合わせると。
「――
ファフニールは嫌な予感がしたのか、咄嗟に高く跳んで振り払おうとした。
しかしそれよりも早くパラケルススの身体からは、さっきの薬品を遥かに越える大爆発が起きた。
するとファフニールは、勢い良く高いところからクッションもない地面に叩きつけられ、そのまま動かなくなった。
「アヒヒヒッ――!!」
花火が上がったあとのように明るいその場には、狂科学者の笑い声が
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